第41話 イユの話、メルの過去 1
時は少しだけ遡る。
馬鹿に馬鹿と言い過ぎた。
はぁ、とため息を吐きながらシュザベル・ウィンディガムは前を歩くスハイルアルムリフの背中を追っていた。
本当はあんなことを言うつもりじゃなかった。あんな風に強く言うつもりはなかった。
本当は、ただ頼ってほしいだけだった。
しかし悲しいかな、シュザベルとて思春期真っ只中の青年なのだ。人によっては反抗期でもあるような年齢。
いくら大切な友人相手だとて、本心をそのまま告げるには羞恥心が勝る。ましてや「あなたを心配しているんです、だから自分を頼ってください」だなんて。
恥ずかしくて口から心臓がまろび出そうだ。
喧嘩だってするつもりはなかった。
そりゃあ、ちょっと言い方が気に入らなかったというのもある。勢いで出てきてしまったというのもある。
……仲直りは、したい。
そう思っていても、ついさっきの今だ。踵を返して「ごめんなさい」を言えるほどシュザベルも大人でも素直でもない。
ため息を吐いて、少しだけ時間を置いてみようと考える。
……………………でも、もしその間にまたなにかあったら?
謝れなかったらどうしよう。
ジェウセニュー・サンダリアンに仲直りする気がなかったらどうしよう。
ミンティス・ウォルタとフォヌメ・ファイニーズはどうするだろう? 彼らがジェウセニューの側についてしまったら……シュザベルは一人になる?
考えてしまい、ぞっと背筋を凍らせる。
いや、そんなことはない。そんなことあるはずはない。
だってあれでジェウセニューは友人というものを大切にしているし、なんだかんだでシュザベルもミンティスも、フォヌメのことだって大好きなのだ。
だから、大丈夫。ちょっと時間を置けば、仲直り出来るはずだ。
でも……、と後ろ向きな自分が頭の隅から耳打ちをする。
「わぁー、すっごいいい眺め! シュザベルくんも見てみなよー」
はっと我に返る。
いつの間についてきていたのだろう、シュザベルに並ぶようにして立つイユ・シャイリーンが肩を叩いた。
柔らかくもキンとした冷たさを持つ風がシュザベルたちの髪や頬を撫でていく。
視線を上げれば、彼らは丘の上に立っていたことに気付く。
背の低い草がさやさやと風に揺れている。
目の前に広がるのは木々の生い茂る森。「底」の多くは木に覆われているが、今シュザベルたちが立っている場所のように小高い丘もある。
木々の形も、魔法族(セブンス・ジェム)の集落では見かけたことのないようなものだ。きっと葉の形からして違うだろう。近付いてよく観察してみたい。
そしてなにより目を引くのはやはり巨大なその姿を隠しもせず、あちこちで羽を休めている様子の龍族(ノ・ガード)たち。空を見上げればその大きな翼を広げて悠々と舞う姿も見える。
シュザベルは無意識にほうと息を吐いていた。
空が遠い。
さっきまでの懊悩はどこへやら。
シュザベルは右を見て日に美しい鱗を晒す龍体を見てため息を吐き、左を見て見慣れない木々や木の実に目を輝かせ、空を見上げて故郷の集落とは違う風を感じて胸をいっぱいにし、足元の土さえ故郷のものとは違うのではと心を弾ませた。
植物学や地学は正直門外漢ではあるが、サンプルを持って帰ることが出来れば地学や考古学に聡い恋人が喜ぶのではないだろうか。
慌てて鞄の中から新しい白紙のメモノートを取り出してペンを走らせる。
思い付いたこと、気になったこと、疑問点……書きたいことが多過ぎて手が足りないとはこのことだ。
「スハイルアルムリフさま!」
「……どうした」
「あの黄色い葉の茂る木はこの地独特のものでしょうか!? その横のシダに似た木は一体……? あ、あちらの螺旋状の幹を持つ木は……いえ、木だけではありません、そこに見える花はまさか幻想小説でお馴染みのブルーエルフィンでは!? 植物学はティユの方が詳しいのですが……ああ、もう! 彼女がここにいたらもっと詳しく話を聞きたいのですが!」
「シュザベルくんってばいきなりテンションぶち上げじゃん。ウケる」
「植物だけではありませんよ! この変わった地形はいつごろからこうしてここにあるのでしょうか……「島」はおそらく風によって削られた結果なのでしょうが……いや、しかし……風の力だけでこのような地形になるでしょうか……そもそも周囲は壁のような山? 崖? に囲まれているのです。そこに吹き込んだ風がどうして幾重にも分かれて幾多もの「島」を形成したのか……どれほどの時間をかけて? まさか、風のにおいや感覚が違うとは思いましたが、龍族の里の風と、魔法族の集落……外界の風はそもそも別物である可能性が……? ティユがいたらどのような考察をするでしょうか……というかこの風景を彼女にも見せてあげたいですね……」
ほう、と息を吐く。
スハイルアルムリフに質問するつもりだったがいつの間にか考えていたことが駄々洩れになっていて支離滅裂になってしまった。
学術的に興味は尽きない。だが、それ以上にこの景色は美しいものだった。
恋人――ティユ・ファイニーズに見せてやりたい。
そして出来るならばお互いの考察をぶつけ合い、もっと可能ならば論文にまとめて然るべき場所に発表したい。
龍族の里にやってきた「人」はほとんどいないと聞く。
つまり彼ら独自の生態系は研究者がほぼいないということだ。新発見も多数あるだろう。
もちろん、スハイルアルムリフにお伺いを立てて外に出してもいい情報のみを記述するに留めるつもりだ。友人を保護していてくれた龍族に仇なすような真似はしたくはない。
それはそれとしてティユと共にこの地へ来ることが出来たらどんなにいいだろう。
きっと自分とはまた違った視点、違った角度からの発見や考察をしてくれるだろう。
「……どうして、今、ティユはここにいないのでしょうね……一緒に来れたらよかったのに……」
「シュザベルくん、いろいろ声が出てるよー」
「流石に実姉と友人がそうも充実している様を見せつけられるのはそろそろ辛いものがあるのだが?」
横でイユがケラケラと笑っている。そこから少し離れたところを見れば、恋人の弟であるフォヌメ・ファイニーズが呆れた目をしてこちらを見ていた。
そばにはフェリシテパルマンティエとネフネ・ノールドが並んでいる。
「……声、出てましたか……?」
「めっちゃ出てた」
殺してくれ……。
シュザベルは顔が熱くなるのを感じながらその場にしゃがみ込んだ。
いや、もう、本当に……これは記憶を消すか彼らを消すかしかないのでは?
「おっと、シュザ、目が座っているぞ?」
「大丈夫ですよ、フォヌメたちの記憶を消すかフォヌメを消すかを考えていただけですから」
「落ち着いてくれ」
フォヌメは逃げるようにしてフェリシテパルマンティエとネフネの背を押して去っていった。
こほん、こほん。と、シュザベルはわざとらしく咳払いを二つ落とした。
スハイルアルムリフは肩をすくめ、イユは小さく笑っている。
「スハイルアルムリフさま、いくつか質問をしてもよろしいでしょうか?」
「……先程のようにまとまらんものは無視するぞ」
「はい。あの辺りはまたまとめてからお聞きしたいので」
そうか、とスハイルアルムリフは小さく頷く。
イユは目をぱちぱちと瞬かせた。場所を動く気がないと悟ったのだろう、その場に座り込んで指の長さほどの若い緑を摘まんでいる。
風が三人の間を通り抜ける。
ああ、そもそも風のにおいが違うのだ。
集落では今時分ならばどこかから煮炊きするにおいが風に乗って鼻をくすぐっていただろう。けれど、ここではそれがない。
ただ、土のにおいと草木のにおいがするだけだ。
「始星卿という呼び方や龍族の成り立ち、来歴や神族(ディエイティスト)と共に世界を統べると言われる理由、実際になにをしているのか……など、疑問は尽きませんが、まずは……」
気になることは沢山ある。
しかし今はシュザベル個人の知的欲求としての興味ではなく、気にするべきは一足先にこの里にやってきた友人のこと。
「セニューの魔力について、です。魔力回路不良であったとのことですが、それは魔力ある魔法や魔術を使う者全てにあり得る話なのでしょうか?」
「端的に言えば、あり得る話だ。だが普通に過ごしている人属がこれにかかった話はとんと聞かん。時折、事故で発症することはあるようだが……この件に関しては魔法族の集落から凡そ北北西の方角にあるバリニーツァという医術の町の方が詳しいだろう」
ノートに『バリニーツァ、医術の町』と走り書きをする。
魔法族の集落を基準に教えてくれたのは、ただの親切だろうか。それとも、この龍族の里の正確な位置を悟らせないためか。
「セニューは大きな事故になど遭っていないはずです。どうして発症したのでしょうか」
「それはやつが神族の子だからだろう。それも当世随一の四代目族長の子ともなれば、同じ神族との子であったとしても魔力回路不良に陥っていてもおかしくはないほどだ。異種族同士の子では通常、幼少時に発現するものだが、やつは母親が雷魔法族(サンダリアン)の<雷帝>であったこと、彼女が四代目に匹敵するほどの力の持ち主だったことが幸いしたのだろう。本来ならこのまま発現せずに生涯を終えていたやもしれん」
「……なにかがきっかけになった、ということでしょうか?」
だろうな、とスハイルアルムリフは首肯する。
少しだけ考えてみるが、きっかけになるような怪我も事故もなかったはずだ。というか大体はジェウセニューに遭う方が事故なのだが(魔獣にとって)。
「精神的なものだろうな」
「精神的な、もの……」
不意にイユが顔を上げた。
ずっと静かにしていたのにどうしたのだろうか。
「はいはーい。じゃあ、イユくんもしっつもーん」
イユは地面に座ったまま、右手を挙げてスハイルアルムリフを見上げた。
スハイルアルムリフはゆっくりと瞬きをする。
「それって親の能力差がなくても発症するの? 事故で発症ってどういう事故? てーか、もしかして魔法が使えなくなった子がいたら、その魔力回路不良ってこと? それだったらセニューくんみたいに回復訓練、ってのすれば、また魔法使えるようになるカンジ?」
イユの表情はいつものようにへらりとだらしがないものだ。しかし、瞳の奥は真剣で、口調に反して真面目なものだった。
彼は道中でも魔法も治癒魔術も使っていたはずだ。だからこれは彼自身のことではない。
では、誰の?
(確か、メルさんは魔法を使えない、と……)
そう言っているのを聞いた気がする。あれはいつのことだっただろうか。
ふむ、とスハイルアルムリフは考え込むように腕を組んだ。
「基本的に魔力量というのは遺伝性だ。なので特殊な生まれでない限り、突発的な事故でもなければ発症することは稀だ。いっそ、ないと言い切ってもいいほどに」
ちらりと来た道の方に視線をやるスハイルアルムリフ。それは一瞬だけで、すぐに質問者であるイユに視線を戻した。
「事故というのは……様々だ。これに関しては先に言ったバリニーツァの医術師たちの方が詳しいだろう。ただ我らは目の前にいる者を見て、そうだと判断しているのみだからな」
つまり、と龍族の男は目を細める。
「あの娘は魔力回路不良だと判断する」
やっぱり、とは口に出さなかった。
イユは静かにスハイルアルムリフを見上げている。
「心当たりは、あるのだろう?」
「……」
イユは黙ったまま眉を下げた。
「まぁいい。あの娘であれば回復訓練をすれば治るだろう。ただ、ジェウセニューと違ってあの娘は一般的な魔法族の出なのだろう。ならばそれだけでは足りんだろうな」
「足りない?」
「原因がなんらかの事故だというのであれば、それはそのときの記憶が枷となっている場合が多い。所謂トラウマというもの、だったか。詳しくはないが、それが強く心に重しとなっていると人属というものは、簡単に力を失う」
「……」
薄い下唇を噛むようにして、イユはなにかを考え込んでいる。
シュザベルが心配そうに見ていると気付くと、彼はへにゃりと眉を下げて笑った。
「……ちょっとだけ、イユクンの話を聞いてくれないかな」
その声は精霊に懺悔するときの誰かの声に似ていた。
シュザベルは黙って頷く。スハイルアルムリフはゆっくりと目を閉じた。
「――イユクンってば、昔はちょー引っ込み思案のいじめられっ子だったんだよね」
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