第39話 魔法族の集落では 5
シンラクが迷子になっているように見えたのだろう、その少女たちは実に当たり前のように彼に声をかけてきた。
明るい髪に短いスカート姿の少女はリーク・サンダリアンと名乗り、黒髪で少し控えめそうな少女はモミュア・サンダリアンと名乗った。
シンラクが名乗ると、リークはやっぱり当たり前のような顔をして「じゃあ、シンラくんね」と言った。
あだ名なんて付けられたのは生まれて初めてだった。
シンラクはきょとんと目を瞬かせて、二人の少女を見た。同じくらいの身長で、少しだけリークの方が背が高いような気がする事実には目を逸らした。
二人はシンラクが炎魔法族の集落にある神殿に行きたいと言えばすぐに頷いて案内するよと笑った。
他人がいたところで、精霊神官本人が邪魔してくるようなことにならなければシンラクの計画に問題はない。なので安心した風を装って二人の案内を喜んで受け入れた。
リークは人懐っこくお喋りで、モミュアは控えめにそれを聞きながら相槌を打つ。シンラクは聞かれたことには適度に答え、リークの話を聞いていた。
「暖かい季節になったら精霊祭というものがあるの。あたしはそこでよく舞姫役として参加してるのよ。シンラくんもよかったらその時期に来てみてね」
「それは楽しみですネ」
ふふと笑えば、少女たちもにこにこと笑う。
穏やかな時間だった。
初めてのことだった。
二人の笑顔を見ているとなんだか気持ちが浮き上がって嬉しくて、話しを聞くのも聞かれるもの楽しくて、ついなんでも話してしまいそうになる。それが同時に恐ろしく、なんだか不安になってくる。
斜めに掛けた鞄の紐を胸の辺りで握り締める。
目的がちゃんと達成出来たら、こんな風に自然に語り合えるような友を得ることが出来るだろうか。
「シンラくんは、どうしてこの集落に来たの?」
リークの問いに、シンラクは我に返る。ぎゅっと鞄の紐を握り締めて、出来るだけ自然に笑って見せた。
「……前かラ、気になってはいたのでス。小生は種族ごとの違いや文化などに興味があるのデ」
「へぇ、学者さま系なのかしら? 確かにシンラくん、頭良さそうだもんね」
「リークさんは少し頭がふわふわしていそうですネ」
「うっ。それってなんか軽い女っぽく見えてるってこと? え、どうしよう、ニトーレさんにもそんな風に見られてたら……」
「だ、大丈夫よ! リークの愛情は軽くないわ、むしろ重いわ! ね!」
「……モミュア、それ、フォローしてるつもりだったら逆効果だからね? っていうか、あたしって重いの!?」
「えっ、あれっ?」
二人の会話がなんだかおかしくて、シンラクは小さく吹き出す。
リークは小さな唇を尖らせて軽くシンラクの背中を小突いた。もちろん本気で怒っているわけではなく、顔は笑うのを堪えているような表情だ。
隣でモミュアもくすくすと笑っている。
「ニトーレ、とハ……確か、雷魔法族の精霊神官の名前、ですよネ」
「そうよ。すっごく頭がよくて、すっごく仕事が出来て、すっごく強くて、すっごく素敵で、も一つおまけにすっごくカッコいいの!」
きゃあきゃあとリークは頬を両手で押さえながら嬉しそうにニトーレについて語ってくれた。少々美化が入っていると思って差し引いても手強そうな相手だと思う。
リークはニトーレが好きなようだとすぐに見て取れた。それもきっと『恋』という好きだ。
(小生にハ、わかりませんネ……)
『恋』という事象があることはわかっているし、その状態になっている者も見ればわかる。大体が今のリークのように幸せそうで楽しそうにしているか、もしくは逆に苦しそうに泣いているかだ。そう極端な例ばかり見てきたこともあり、シンラクには理解が出来ない。
……出来る気もしない。
そういえば、兄という存在は他人の感情の機微などがわからない人だった。だから人を殺してもなんとも思わないし、誰が死んでもなに一つ揺れ動かない。そして他人にどう思われていてもなにも感じない、人形のような人だった。と、不意に思い出した。
(……いいヤ、小生はあの人とは違ウ。あの人のような人形ではありませン)
シンラクは、人形ではないのだ。
だから、居場所が必要だ。自分だけの、安らげる居場所が。
「……シンラクくん、どうしたの?」
モミュアに肩を叩かれて我に返った。
いけない、他人と一緒にいるのに考え事だなんて。
シンラクは強く両手を握り締めた。爪が掌に痕を付ける。
「シンラクくん」
その手をそっと、モミュアの手が包んだ。やんわりと、でもしっかりとした強さで手を解かれる。
「そんなに握り締めたら爪が手に刺さっちゃうわ。……ああ、ほら。痕になっちゃってる」
「大丈夫、シンラくん? あたし、なにか嫌なこと言っちゃった?」
リークも横で眉を下げてシンラクの顔と手を交互に見ている。
シンラクは二人の顔をぽかんと眺め、慌てて首を振った。
「ス、すみませン。ちょっと嫌なことを思い出してしまっただけデ……お二人はなにも悪くありませんヨ」
大丈夫だと笑って見せれば、なにを思ったのかリークに額をぺしりと叩かれた。
目を瞬かせていると、リークはもちろん、モミュアも困ったように眉を寄せていた。
「なニ……」
「辛いとか悲しいときには無理して笑わなくていいの」
「そーよ。そんなへったくそな笑い方されたら余計に心配しちゃうでしょ。全然大丈夫じゃないわよ」
「……」
そんなことを言われたのは初めてだった。
驚いて目を見開く。ときときと、何故か鼓動が早くなっている。
(心拍数が上昇……呼吸は正常、でも喉の奥が乾いていル……どうしテ)
怖いという感情や恐れという感情ではない。恥ずかしいのならば脳や顔面の方に血液が上昇し暑さを感じるはずだが、それもない。焦る必要性はないから焦りとも違う。
ではこの喜びにも似た感情は一体、なんだろうか。
「どうしテ……」
「どうしてって……友達が辛そうにしてたらこっちだって辛くなっちゃう」
「トモ……ダチ……?」
再び目を瞬く。
少女たちは気負った様子も恥じ入る様子もない。
「そんなこト、初めて言われましタ」
「そう?」
「友達、なのですカ、小生たちハ」
「シンラくんが嫌ならそうじゃないことにしとくわ。あたしがシンラくんを友達だと思うのは勝手だもの」
ふふ、とリークはモミュアが握るシンラクの手とは逆の手を取った。手を繋ぐようにしてぶんぶんと横に振られる。
「友達……初めて出来ましタ」
「そうなの? やったね、友達一号の座ゲットぉ! モミュアは二号ね」
「やったー」
いつの間にかモミュアも手を労わるようではなく手を繋ぐようにして左右に振っている。ちょっと二人の力が強いので肩が外れるかと思ったのは内緒だ。
二人の少女に挟まれて、シンラクの思考はぐるぐると目を回しそうになる。でも、嬉しいという気持ちが湧き上がってきてしまったのは嘘ではなく本当だ。それは自分に偽らざる真実。
友達が、出来てしまった。
シンラクは小さく息を飲む。
いや、計画が上手くいったならば、彼女たちに危害は加わらないし、彼女たちの新しい友達はもう二度とこの集落に近付かないだけの話だ。
そう、それだけ。たったそれだけ。
シンラクはそっと呼吸を整える。
手を離そう。
手を離してしまおう。そうすれば、少しは心が軽くなるはずだ。
そう思って両手に力を入れようとしたときだ。片手だけがするりと解放された。
突然のことにシンラクはきょとんと目を瞬かせる。
見れば、リークがシンラクの手を離して少し距離を置くようにして歩き出すところだった。
意味がわからない行動に、シンラクはやっぱり目を瞬かせた。
「――リーク!」
目の前でリークが吹き飛ばされそうな勢いでなにかにぶつかられた。……リークは無事だ。何事かとよく見れば、リークに追突したのは同じ年ごろの雷魔法族の少女。
少女はリーク、リークと言いながら腕に縋りつくようにして涙目でリークに迫っていた。
状況がわからなくて、シンラクは目を白黒させる。
手を繋いだままのモミュアがこそりと「あの子はクリル。リークのお友達なの」と耳打ちしてくれた。
親しいようで、結構な強さで腕を掴まれているにも関わらずリークは平然と泣き出しそうな少女クリルの頭を撫でている。
「それでどうしたの? 今度こそナジェくんにフラれた?」
「フラれてないわよ、失礼ね!」
「冗談よ。三年前から毎日のように告白始めて数百回目のプロポーズでもしてきたんでしょ。その結果がどうかした?」
どういう会話だ。
こちらに聞こえているのに気付いているのかいないのか、はたまた気にしていないのか、少女たちの会話は続く。
「ついさっき千回目の告白をしてきたわ、ナジェくんに。好きです、付き合ってくださいって」
「それだけ言ってるのに毎回『友達からお願いします』って答えじゃない。そろそろ本気で脈ないんじゃない?」
「そんなことないもん! さっき好きですって言ったらナジェくんも『ぼくもきみが好きになっちゃったみたい』って言ってくれたもん!」
「……いや、告白成功してるじゃない! なんでクリルはこんなところであたしと話してるのよ? ナジェくんと初デートの計画でも立ててなさいよ……」
「だ、だって……う、嬉しくて……びっくりしちゃって……走って逃げてきちゃった……」
ばしりと音を立ててリークが腕からクリルを引き剥がした。
「ばっか! あんたホント馬鹿! 今すぐ戻って抱き着いてきなさいよ! なに逃げてきてんの、ナジェくん今絶対びっくりしてるわ、あんた以上に!」
だってぇ、とクリルは涙目だ。
「……ふ、フラれたらどうしよう……」
「いや告白成功したんでしょ、さっき。いいから戻って、なんで逃げたか弁解してきなさい」
「……リーク……つ、ついてきて……」
「行くわけないでしょ、馬鹿クリル。ほら、さっさと水魔法族の集落に戻りなさい」
「えーん、リークのいじわるぅ」
「うるっさい、おめでとう!」
いっそ突き飛ばす勢いでリークに背中を押されたクリルはありがとーと言いながら走ってきた道を戻っていった。
嵐が去ったかのような勢いにシンラクは呆然とそれを見送る。
リークはやれやれと肩をすくめてシンラクとモミュアに近付いてきた。そしてなんでもないように再びシンラクと手を繋ぐ。
「もー、なんでみんな、あたしに恋バナ相談するかなぁ?」
「リークの人柄じゃない?」
「あたしはニトーレさんに可愛いって思ってもらうコツが知りたいの! なんでカップル成立に貢献しまくってるの、あたしは!」
どうどう、とモミュアがシンラク越しにリークを宥めるのを見ながら、シンラクは先程のやり取りについて考えていた。
シンラクには恋心なんてものはわからない。
何故、誰に惚れただの恋をしただのと人は騒ぐのだろう。ずっと、わからなかった。
ニトーレが好きだというリークは始終笑顔で、楽しそうで、幸せそうだ。
先程の少女だって、なんだかんだ言いながらも頬を赤らめて嬉しそうに意中の少年の名を呼んだ。
シンラクにはそれがわからない。
だって、シンラクには人を愛するということが出来ないから。欠けているから。
「もういっそニトーレさんとあたし以外の人をカップル成立させていけば、ニトーレさんもあたしを選ばざるを得ないのでは?」
「……その消去法デ、リークさんは嬉しいんですカ?」
「……うーれーしーくーなーいー!」
「リークさんは変わった子ですネ?」
「で、でもとってもいい子なのよ?」
「そこはフォローよりも変わった子を否定しておいてほしいところよね?」
もー、と頬をぷくりと膨らませてリークはそっぽを向いた。手は繋がれたままだから本気で怒ってはいないようだ。
そのままの状態で三人、再び炎魔法族の集落へ向けて歩き出す。
シンラクは手にじっとりとした汗を掻いてはいないかと少しだけ心配になった。
「見えてきたわ。あれが炎魔法族の集落よ」
モミュアの声にシンラクは目を瞬く。いつの間にか、木々の間から再び集落が見えてきていた。
「……」
いくつかの家が見え、その奥に少しだけ背の高い建物が見える。炎精霊神殿だ。
「炎の集落でなにか見たいものでもあるの?」
「……炎精霊神官の方に会ってみたいですネ」
「レフィスさんね。神殿にいらっしゃらないかしら」
二人の足取りは迷わず集落の中心にあるであろう炎精霊神殿へと向かっていく。
まだ二つ目。
騒ぎを起こすわけにはいかない。
シンラクは小さく唾を飲み込む。
二人の案内はありがたいし、こうして現地の人と一緒にいることで不審に思われることもなくなるだろう。
けれどシンラクの計画を進めるには人目は避けたいところだ。
さて、どうしようか。
懐から小さくりぃんと鈴のような音が聞こえた気がした。
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