第37話 魔法族の集落では 3

 ラキアの神殿服を引っぺがして風呂に突っ込み、出てきた彼に洗い立てのシャツとズボンを与えて神殿内の祭壇のある部屋に通した。そこならば精霊神官以外、基本的に入れない。

 本当は飲食禁止だが、ラキアを落ち着かせるためにクッキーと熱いお茶を三人分持ち込んで、部屋の真ん中に座り込む。

 きききと雷精霊が羨ましそうに祭壇の方からこちらを伺っているが、ニトーレは無視した。

 精霊にヒトが食べるものを与えてはいけない。体調を崩すことがあるからだ。

 ニトーレはたまに精霊神官はただのちょっと変わった生命体を飼っている飼育係なのではないかと思うことがある。口に出したら不敬だと誰かしらに怒られるので言わないが。

 さて、それはそれとして問題はラキアと水精霊である。

 どう見てもやっぱり水精霊が近くにいる気配はない。

 ちなみに炎精霊(ファイラ)はぴったりとレフィスに寄り添っている。彼(彼女?)は寂しがり屋で出かけるのも好きなタイプらしく、よくレフィスと一緒に行動しているようだ。流石にレフィスが公務を終えて自宅に帰るときは大人しく炎精霊神殿の祭壇で休むようだが。


「で、詳しい話を聞かせてくれるか」

「……わからない。気付いたらいなかったんだ。いつものように勝手に遊びに行っているのかと思ったが、どうにも変な感覚がして……神殿に居たくないというか、出なきゃいけないみたいな気分になるというか……んで、気付いたら……本当に気付いたらいなかったんだ」

「水精霊さまはあちこち行くのが好きなんだっけ」

「精霊がそれってのはそれはそれで問題だけどな……しかし気付いたらってのはいただけねぇな。なんでそうなったんだ?」


 わからない、とラキアは首を振る。

 精霊神官というのはどれだけ離れていても精霊と繋がっているものだ。なので水精霊のように遊びに行くのが好きでふらふらしていようと、精霊神官には精霊がどこにいるのか、なんとなくなにをしているのかはわかるようになっている。

 なのにラキアは今、水精霊がどこにいるのかわからないと答える。

 精霊神官としての能力を失ったようには見えない。雷精霊と炎精霊も不思議そうにラキアを見ていた。

 異常事態であることは明白だった。

 ニトーレはクッキーをつまみながら唸る。

 ラキアは涙目でちびちびとお茶を飲んでいる。少しは落ち着いたようだ。


「そういえば、ストラの姿が見えないけどどうしたの?」


 のんびりとレフィスはお茶を飲んで、クッキーをつまんだ。美味しいねこれ、なんて言いながら世間話でもするかのようだ。

 ラキアは眉を寄せる。


「ストラも見当たらないんだ。いつもだったら呼べばすぐに顔を出すのに」

「それも早く言えよ」


 守護精霊が精霊神官から離れるということはほとんどない。あるとすれば、精霊神官自身が動けず、代わりに助けを呼んだりするような緊急事態が多い。

 守護精霊は精霊神官を守る者。いくら小さな見た目をしていようと、性格が幼かろうと、己の使命を忘れることはない。

 離れたとしても集落内にお互いがいる場合が精々だ。……自由な性格をしていたり、ストラのようにすぐに迷子になるような守護精霊の場合、時々精霊神官を置いて他集落にいることもないわけではないが。

 それでも――呼べばすぐに戻ってくる。それが本能に刻まれた彼らの習性。

 ではその本能を無視して現れないラキアの守護精霊ストラは一体どこにいるのだろうか。

 ニトーレは埒が明かないなと肩をすくめる。


「ラキア、水精霊神殿に行くぞ」

「えっ……ラドミッドさまに殺されに?」

「ラドミッドさま、もう神殿から退いてるだろ。落ち着け。現場を見てみないことには正確な状況がわからねぇだろ」

「そっか。犯人は現場に戻るってやつだね?」

「違ぇけど?」


 戻って来てくれているなら話は早いのだが。

 お茶を飲み干してニトーレが立ち上がると、ラキアは渋々頷いた。

 レフィスはのんびりとお茶を飲み続けている。

 ニトーレはその耳を引っ張って立ち上がらせる。


「おまえも来るんだよ」

「いたたたたたたた、痛いってば、ニトーレさん……」


 冗談だよと言うレフィスの冗談はあまり冗談だった試しがない。本気だ。


「このクッキー、美味しいね。どこの?」

「リークが持ってきてくれた、リーク母作」

「あはは、あの子、まだニトーレのこと好きなんだね。一途で可愛いじゃない」


 祭壇の部屋から出て、掃除をしていた護衛神官に片付けを頼み、ついでにちょっと出かけてくると言っておく。

 護衛神官は三人の姿を見てぺこりと頭を下げ、「お気を付けて」と見送った。

 目指すは雷魔法族集落の西にある水魔法族(ウォルタ)集落だ。

 歩いて十五分程度で着く。

 水魔法族の集落はいつも通り、落ち着いた様子だ。誰も水精霊と守護精霊が行方不明だなんて知りもしない。

 ラキアの姿を見てのんびりと挨拶してくる集落の人々を適当に躱しながら、躱しきれずに押し付けられた果物や野菜の籠を抱えて三人は水精霊神殿に辿り着いた。


「いや、おばちゃんたちの押しが強すぎるだろ。なんで受け取るつもりなかったのに野菜抱えてんだ、俺は」

「あはは、ニトーレさんのポケットにも飴ちゃんいっぱい入ってる」

「おまえもな」

「よかった……まだ誰も気付いてないようだ……」


 ラキアはほうと息を吐いて胸を撫で下ろす。同時に何故かぽこりと地面から頭を出していた大きめの石に足を取られて転がった。

 両手に抱えていた果物の籠だけは飛び散ったり壊れたりしないように身を捻ったらしく、どういうわけだか顔面から地面に激突している。


「……大丈夫か」

「いひゃい……」


 ニトーレとレフィスは両手が塞がっているので助けようもなかった。冷たいようだが自力で起き上がるのを待つ。

 近くを通りがかった子どもたちがラキアを指差す。


「あ、適当に埋めてた石にラキアさまが足引っ掛けた!」

「うそだろ、今日で三日連続同じことしてる!」

「だから言ったじゃん、ラキアさまなら引っ掛かるって……あ、やべ、ミシアが来た! 逃げろ!」

「うわっ、やべぇ!」


 子どもたちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。ニトーレが振り返れば、そこにはレフィスと同じ年ごろの青年がにこりと微笑みながら立っていた。そばには、やはり同じくらいの年ごろの少女。

 どちらも水魔法族だ。

 青年の方は目も線も細い容貌をしている。少し女顔。色白で色素も薄い。

 少女の方は大人しそうな外見で、黒っぽい髪を項で一つにまとめている。肩にかけた青いポンチョの裾をいじりながら、ラキアの方を伺っていた。


「げ、ミシア……それにミズナギまで」

「さっきラキアを虐めたクソガキどもはなに? 三日も同じことしてたの? は? 許されなくない?」

「ら……ラキア、大丈夫? 顔面からコケたみたいだけど……あ、鼻血は出てないね、よかった」


 青年――ミシアはにこにことした顔を保ったままこてんと首を傾げて子どもたちが逃げていった方向に顔を向けていた。多分、その背中をしっかりと脳裏に刻み込んでいるのだろう。

 少女――ミズナギはラキアの腕から籠を取り上げ、彼が立ち上がるのを手伝った。

 二人はラキアの幼馴染で、レフィスの一つ下の年齢だったかとニトーレはぼんやりと三人を観察する。

 ミシアは重度のラキア信者だから、ラキアの身になにかあったならばその変化に気付くだろうか。

 ミズナギは精霊祭のときなどに歌を披露する歌姫役を何年もやっている。水精霊神殿にも時折通うくらいだし、なにか変化があれば気付くかもしれない。

 二人とも口は堅い方だし、相談するにはちょうどいいか。

 立ち上がったラキアの服を叩いてやったミズナギはぷりぷりと怒るミシアの腕を引っ張って連れ戻す。

 外見は大人しそうに見えるが、ちゃんと暴走しがちなミシアも抑えるときは抑えられるようだ。

 二人の名前を呼べば、今気が付いたと言わんばかりにミシアはきょとんと首を傾けた。


「あれ、ニトーレさまだ。こんにちは、どうしたの、お散歩?」

「ずっといたんだけどな……おかしいな、見えてなかったのか」

「すみません、ニトーレさま、レフィスさま。ミシアは基本的にラキアしか見てないから……」

「ふふ、相変わらずだねぇ、キミたちは」


 ゆるゆるとした会話にニトーレは頭を抱える。


「二人とも、ちょっと来い」


 首を傾げるミシアとミズナギを連れて、ニトーレたちは水精霊神殿にやってきた。

 近付けば近付くほどにその違和感はニトーレの肌を逆立てる。

 横を歩いていたレフィスも眉を下げて困惑している様子だ。


(ラキアの言う通り、神殿に近付くことを拒絶している? ……いや、神殿に拒絶されている)


 ちらと後ろを歩くミシアとミズナギを見た。二人には変化がなく、特に足を緩める様子はない。

 対してニトーレたち精霊神官の足取りは重たい。


(精霊神官にのみ、効果を発するなにかか……そんなことを出来るような者、集落にはいない)


 しようとする者がそもそもいないだろう。精霊神官は族長とはまた別で敬われる対象だ。

 ニトーレは足を止める。レフィスとラキアも足を止めた。

 それを青年と少女は不思議そうに見ている。


「どうしたの、ラキア」

「顔色が悪いわ」

「……ミシアとミズナギは……なにも感じないのか?」

「え?」

「なにを?」


 幼馴染三人組が話すのを聞きながら、ニトーレは辺りに目を凝らす。妙に人気がないのが気にかかった。

 レフィスと目配せし合って頷く。

 人払いの魔法が周囲にかけられている。いや、かけられていた。

 今はもう効果が薄くなっているから、一同は神殿にここまで近付けたのだろう。

 レフィスの頭の横をふわふわと漂う炎精霊は居心地悪そうにレフィスの頭に寄り添った。勢いでちりちりと髪が焼けるにおいがしているが、彼の頭皮は無事だろうか。


「レフィスは右回りな。俺は左回りで見てくる。ラキアはそこで幼馴染に介抱されてろ」


 野菜の籠をラキアたちに預けておく。

 きょとんと目を瞬かせる幼馴染三人組を置いて、ニトーレは神殿に近付くのが嫌な気持ちを抑えて左回りに周囲を見て回る。レフィスはその逆回りだ。

 とことこと小さな守護精霊がついてくるのを横目で確認しながらくるりと半周。果たして、ニトーレの探しているものはすぐに見つかった。


「ご主人、これ」

「でかした、クロ」


 水精霊神殿の柱に落書きのようなものがあるのをクロアが見つけた。子どもの落書きのようなそれはクロアが少し屈んだ場所に彫るようにして描いてある。

 クロアがくんくんとにおいを嗅いで、顔をしかめた。


「これ、術者の血を混ぜた魔法陣が彫りこんである。こんなん、魔法じゃなくて呪術だ」

「魔法で焼きつけてあるな。見たこともない陣だが……まぁ、俺たち精霊神官を寄せ付けない効果ってところか」


 懐から取り出した紙に見たままの魔法陣を写し、柱に描かれた陣は一部を削って無効化させた。

 少しだけ空気が清涼として、やっとそこに居てもいいという気持ちになる。


「あー、きもちわるかった!」

「クロもか」


 聞けばノノカも嫌そうにマフラーの端を引っ張ったりしていたらしい。それには気付かなかったなとニトーレは顎を撫でる。

 その後、もう一つの柱に同じ魔法陣が焼き込まれているのを見つけて無効化した。

 神殿の裏でレフィスと再会する。


「よう、レフィス。なにか収穫はあったか?」

「ニトーレさんの方は? オレの方は二か所、変なのがあったよ。ノノが見つけてくれてよかった」

「ノノ、みつけた」


 コートのポケットから出された小さな手が指を二本立てて満足そうにクロアの顔の前に出された。

 クロアも対抗して両手で同じ形を作る。


「へへーん、オレだって二か所に魔法陣、見つけたもんね!」


 お子さまのようなやり取り(実際、見た目はお子さまだ)を横目にニトーレは魔法陣を写した紙をレフィスに見せた。


「あ、同じやつ。そっか、紙に写せばよかった」

「んじゃ、レフィスたちが見つけたやつを確認しながらラキアたちのところに戻るか」


 レフィスとノノカが見つけたのも、クロアが見つけたものと同じように柱の下の方に焼き入れるようにして彫り込んであるものだった。やはり、術者の血が混じっているようだ。

 先程と同じように描き写してから一部を削って無効化しておく。

 四か所を無効化すると身体が軽くなったように神殿内への忌避感はなくなった。

 ラキアたちのもとへ戻れば、またラキアになにかあったのか、幼馴染二人が慌てているのが見えた。


「……鳥の落としもの……」

「……そうか。風呂、入ってきていいぞ?」


 その間にミシアとミズナギへの聞き取りを済ませようと思ったニトーレだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る