第36話 魔法族の集落では 2

 雷精霊神官ニトーレ・サンダリアンは雷精霊神殿の入り口の段差に座り込んで空を見上げていた。

 暇ではない。

 暇ではないのだが、疲れた。

 三年前の大精霊祭が終わってから魔法族の意識は徐々に外へと向くようになってきた。それ自体はいい傾向だったのだが、外に出るための知識が不足している者が多く、外界の者たちとトラブルを起こす例が頻発した。

 自然とそれらを解決するのはそれぞれの族長か、それぞれの精霊神官となり、彼ら十四人の仕事は圧倒的に増えた。

 一年ほどでそれは落ち着いたが、今度は外界から集落へやってくる者が増えた。

 観光するような場所もなければ工芸品になるようなものも特にない。集落は慌てた。慌てて急ごしらえで客をもてなし、これではいかんと奮起した。

 そしてそれを主導するのはやはりと言うべきか、十四人の族長と精霊神官たち。

 仕事が増えた。

 日夜開かれる集落観光地化の賛否を問う会議。会議。会議。

 三年経ってようやくそれも落ち着いてきた今日この頃だ。それでも増えた仕事はいくつか残っている。

 未だに決まらない特産物で夜、魘される日もある。

 ニトーレは深いため息を吐いた。

 昨晩も夜遅くまで融通の利かない雷魔法族(サンダリアン)族長としたくもない額をつけての喧々諤々とした話し合いという名の口撃の応酬。

 特になにかあるわけでもない魔法族の集落に訪れる人は決まった商人か気まぐれな旅人くらいのものに落ち着いている。

 今更土地を開拓してリゾートなんぞ、作る必要はないだろうに。


「あぁ……だっる……」


 流れる雲を眺めながら、ニトーレは小さく呟いた。葉巻の一本でもふかしたい気分だ。吸えないし、火気厳禁だし、そもそも持っていないのだが。

 つまらない会議よりも心を占めるのは、最近行方不明になったルネローム、ジェウセニュー母子のこと。

 その友人たちを送り出してもう何日経っただろう。今頃どこら辺でなにをしているのやら。特に便りはない。

 雷精霊(ヴォルク)も時折そわそわと祭壇の周りを回ったりするくらいのもので、大人しくしている。

 シュザベル・ウィンディガムたちはアーティアとヴァーレンハイトに会えただろうか。神界へは行けるのだろうか。ジェウセニューは見つかっただろうか。

 正直、不安しかない即席パーティーだったし、準備不足もいいところだ。


「……やっぱ俺が行くべきだったか」

「まだそんなこと言ってるの、ニトーレさん」


 急に声をかけられて、ニトーレは目を瞬かせた。

 視線を下げれば毛先だけが深紅の変わった赤茶頭が見える。ラフなシャツとズボンに浅い靴といった出で立ちは完全に休日仕様。

 半周りほど年下の同僚がそこにいた。


「よぉ、レフィス。暇そうだな?」

「ニトーレさんほどじゃないと思うけど」

「馬鹿言え。俺ほど忙しいやつは他にいねぇぞ」

「暇そうに見えるけどなぁ」


 少々のんびりとした口調で同僚の炎精霊神官――レフィス・ファイニーズが笑った。

 その足元には今日の陽気には到底似つかわしくないほどに厚着をした幼い少女の姿。少女の頭にはくるりと丸まる羊の角。赤みがかったセミショートの髪から覗く耳はやっぱり羊のそれ。

 少女の名はノノカ。炎精霊神官の守護精霊(ガーディアン)である。


「そっちは暇そうに守護精霊連れて散歩か?」


 ノノカはすんと鼻を鳴らして赤いマフラーを口元に引き上げた。やる気のない半目が眠たそうに細められている。

 それを見下ろしながら、レフィスはそんなとこと頷いた。


「最近なんだか神殿の周囲が騒がしいじゃないか。先週だって、観光に来たっていう旅人さんが中に入れろって騒ぎを起こしたばかりでしょ」

「ああ、光精霊神官のキリアキさんが泣きながら報告してきたやつな。……あの人もどうにかなんねぇかな。もっと精霊神官として自覚を持つとか……」

「え? ニトーレさん、自覚なんて持ってたんですか?」

「よーし、その喧嘩しっかり買ってやろうじゃねぇか」

「やだよ。オレ、ニトーレさんみたいに武闘派じゃないからいたたたたたたた腕はその方向に曲がらない!」

「やっと成人したばっかのくせにいっちょ前の口利くからだっつの」


 捻り上げていたレフィスの腕を離してニトーレは意地悪く笑った。

 まぁ、そういうニトーレも精霊神官在籍年数では七人の中で真ん中くらいのものだが。というか最高齢である闇精霊神官オンブラ・ダーキーの在籍年数が桁違いなだけで、ニトーレは平均的だ。普通、若いうちに務めて後進がそれなりに育ったら適当なところで座を明け渡すのが恒例だ。

 まぁ、この十数年ほど、低年齢化が進んでいるが。

 レフィスがいい例だ。彼は六年前に急遽、炎精霊神官の座に就いた。まだ十四かそこらの歳だったはずだ。

 まぁ、ニトーレもニトーレで十年ほど前にこの座に就いたのだが。

 閑話休題。


「それで、自分の持ち場を離れて雷魔法族の集落まで来た目的は?」

「ノノカがゆっくりクロアや他の守護精霊と話したいんだってさ」


 ふぅんと相槌を打って、ニトーレは肩越しに神殿の中を眺めた。確かその辺で小さいのが遊んでいたはずだ。


「クロ~」

「なんだい、ご主人」


 クロアはニトーレの守護精霊だ。真っ直ぐに天を突くような白い角が黄みがかった緑の頭に二本生えている。服装は大きすぎるサイズの黒の上下。袖で手はほとんど見えないし、裾も少し地面についている。特徴的なのはその背中の翼。龍族(ノ・ガード)に似たそれは髪と同色をしていた。

 ぱたぱたと羽ばたかせてクロアはニトーレに近付いてくる。神殿から出たところでようやく、そこにレフィスとノノカが立っていることに気付いたようだ。


「おお、ノノ。どうしたんだ?」

「お話し。さいきん、精霊のようすは」

「変わりなし。ずーっと祭壇をうろうろしてるか、ぼーっとしてるか」

「……そう」


 ノノカは少し黙ると、クロアを見てこてんと首を傾ける。

 それをどう解釈したのか、クロアはぼぼぼっと顔から火が出たかのように紅潮させた。


「な……な……なんでノノがそんなこと知って……」

「ノノのじょーほーもーなめない」

「べっつにオレはストラのことなんて知らないし! ただたまたま可愛い花を摘んだから持ってってやっただけだし! 喜んだ顔とか全然別に可愛くないし!」

「そう。ストに言おう」

「待って! やめて! おねがい! ごめんって! あやまるから!」


 みっともなく縋りつくクロアを見てノノカはひひひと笑った。

 ストラとは水精霊神官ラキア・ウォルタの守護精霊だ。猫のような獣耳に長い髪を下の方で結った、舌足らずな喋り方をする子だ。

 クロアは彼女に片思いをしている。

 ニトーレとレフィスは小さな守護精霊たちが仲良さそうに話しているのを眺めながら肩をすくめた。

 どんな種族や立場だろうと惚れた腫れたの話はあるようだ。


「ああ、そうだ。俺は今からオンブラさんとカノウさんのところに様子見しに行こうと思ってたんだ。レフィスも来るか?」


 こくりとレフィスは素直に頷く。

 カノウとは風精霊神官のカノウ・ウィンディガムのことである。病弱で、すぐに寝込んでいるので空気が静謐で清浄な風精霊神殿に直接住んでいる。

 オンブラは高齢のために寝たきりの日々を送っている。三年前よりは元気になったが、それでもベッドから切り離せない生活だ。彼女も闇精霊神殿に住んでいる。

 ニトーレも一応、雷精霊神殿に住んでいるようなものだが。

 ちなみにレフィスは実家から毎日炎精霊神殿に通っている。


「じゃあ、まずはオンブラさんのところかな」


 そのときだ。

 西の方からよろよろと雷精霊神殿に近付いてくる人影があった。

 今にも倒れそうな若い男だ。レフィスとそう変わりない年ごろのように見える。


「……ラキア?」


 襟足の長い薄水色の髪に海色の目をした神官服の青年――水精霊神官のラキアだった。

 顔色が悪いのは、申し訳ないがいつものことだとニトーレたちは判断したが、それにしては足取りが覚束ない。

 眉間に皺を寄せて、今にも泣きだしそうな潤んだ瞳が二人の方を向いた。


「に、ニトーレさん……レフィス……」

「おう、どうした。今日は一層、幸薄そうな顔してんな」

「どうしたの、ラキア。祭事用の鏡でも割った?」

「そんなことしたらラドミッドさまに殺されるわ! ……いや、今の状態を知られたらそれはそれで殺される……」


 ひぃっ、とラキアはようやくたどり着いた神殿の前で身を震わせた。

 裾の長い神官服を引き摺って着たのだろう、足元はドロドロに汚れているし、顔色は悪いし、声は震えている。精霊神官ともあろう者がとニトーレは呆れた。


「で、今度はなにがあったんだ?」

「毎回なにかあるようなこと言うなよ。オレだって好きで毎日毎回、落とし穴にはまってるわけじゃない……」

「ここに来るときは?」

「…………バナナの皮を踏んでコケた」

「逆に凄いよな。どこでどんなことやらかしたらそんな業を背負うことになるんだよ。……って話は置いておいて、本当になにがあった?」


 常にそばにいるはずの守護精霊――ストラの姿がない。

 そしてなにかが足りないとニトーレの本能が訴えかけていた。

 こくり、小さく頷いたラキアはそっと二人に耳打ちするように小さな声で報告する。


「――水精霊(ウォルティーヌ)が何者かに奪われた。水精霊神殿にも、オレのそばにもいない」

「っ!?」

「はぁ!?」


 声を上げたレフィスに驚いたラキアが毛を逆立てる猫のように飛び上がった。

 ニトーレは、足りないのはそれか、と苦虫を噛み潰したような表情で呟いた。

 精霊を無理やり奪われたり、殺されたりすれば精霊神官の命にも関わる。だというのにラキアは多少よろけて足元が覚束ないものの、死にそうには見えない。

 どういうことだろうか。

 詳しい状況を、と思ったものの、当のラキアはここまで来るので力を使い果たしたのかべたりと地面に座り込んでしまっていた。

 目の色のように青い顔は先程よりも一層酷い有様だ。


「……殺される? オレ、死ぬ?」

「殺させねぇし、死なねぇから安心しろ。ほら、立てるか」


 とりあえず神殿内で落ち着いて話をするべきかと考え、ニトーレはラキアに腕を貸す。

 まずは着替えさせる方が先か、とニトーレは空を見上げた。

 遠くの空に、真っ黒な雷雲が見え始めていた。

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