第34話 それぞれ、
ジェウセニュー・サンダリアンは呆然としたまま、去っていくシュザベル・ウィンディガムの背を見送った。
止めるための手も声も出なかった。
だって、シュザベルがあんなに怒るとは思わなかったのだ。
「あーあ、おっこらっせたー」
「あんなになったシュザなんて僕ですら見たことがないぞ」
ミンティス・ウォルタとフォヌメ・ファイニーズが肩をすくめている。
「な、んだよ……オレが悪いのかよ……」
「そうじゃないけど、最後の『命令される筋合いはない』は腹立つかな。別にシュザ、命令してないし」
「う……」
でもね、とミンティスはシュザベルの去った方向を見た。
「シュザの勝手にしろも、その前に言うことあるでしょって思うよ。あとバカに馬鹿って言い過ぎ」
「言うこと? ……って、馬鹿にってどういうことだよ!」
「もー、すぐ大声出さないでよ」
ミンティスは鬱陶しそうに片耳を塞いだ。
ジェウセニューは唇を尖らせて、ミンティスの言葉の続きを待つ。
「すっごく心配したんだよ、シュザ。セニューのことはもちろん、ルネロームさんと、神族(ディエイティスト)族長さまのことだって」
「? なんでシュザが父さんのこと……」
「三年前、覚えてる? 大精霊祭の日に神族族長さまが集落に来たでしょ。あのとき、あのお方が集落に来てくれなかったら、ボクたちは今でも愚直に他の魔法族(セブンス・ジェム)間の交流一部制限をまだ続けてたよね、きっと。そうすると、シュザはフォヌメのお姉さんと仲直り出来ないままだったよね」
「……あ、」
「シュザはね、神族族長さんにすごく感謝してるんだよ。誰が言うより説得力がある。おかげでシュザは今、みんなに祝福されてティユさんと付き合ってるわけだ。魔法族についての論文も捗ってるらしいよ」
「姉さんと友人がそういう関係なのはちょっと複雑だけれどね」
幸せそうだよ、とフォヌメも肩をすくめた。
知らなかった、とジェウセニューは目を瞬かせる。
「それにボクたちが出会って友達になったのも、もとを辿ればセニューのおかげみたいなもんだし、シュザは結構セニューに恩感じてるみたい。言わないけどね」
はは、言っちゃった。とミンティスはぺろりと舌を出した。
ジェウセニューはシュザベルの去った先を見る。もう影も形もない。追いかけようにも、どこへ行ったのかわからない。
いや、追いかけてどうしようというのだろうか。だって、ジェウセニューは間違ったことを言ったつもりはないし、神界へは絶対に行くつもりだ。
拳を握り締める。握り締めてどうしたいのかと、すぐに緩めた。
あーあ、とミンティスはため息を吐く。
「ねぇ、セニュー。シュザはセニューが一人で危ない目に遭いに行こうとするのが嫌なんだよ。わかる?」
「危ない目に遭うかどうかなんて、わかんないじゃん」
「うん、でも危ない目に遭うかもしれないってのはわかってるんだよね?」
わかってる、と答えれば、ミンティスはよーし、と満足そうに頷いた。
「わかってるならいいよ。あともう一つわかってほしいのは、一人で危険なことしないでほしいってこと」
「……?」
「ボクたち、友達でしょ。頼ってよ。ルネロームさんにも、神族族長さんにも、ボクたち魔法族はみーんなお世話になってる。関係ないからなんて言って、遠ざけないで」
「それは……」
ジェウセニューに都合がよすぎる言葉だった。聞き間違いかと思ったが、ミンティスは疑っているジェウセニューにもう一度同じ言葉をゆっくりご丁寧に言い聞かせてくれた。
その横ではフォヌメもネフネ・ノールドも頷いている。
ネフネのことはよく知らないが、シュザベルの教え子の一人だというのはすぐに気が付いた。
「でも……」
口をどもらせるジェウセニューを小突いて、フォヌメは腕を組む。
「こんなに心配している友がいるというのに、友達甲斐のないやつだ。どうして一人で行こうとするんだい? 本当に考えの足りない野人だ。脳みそまで筋肉になってしまったんじゃないのかい?」
「誰が脳筋だコルァ」
「セニュー、そこじゃないでしょ。フォヌメが珍しくセニューのこと友達だって言ってるのに」
「ちちち違う、友というのはシュザのことであって! 僕はこの野人の……そう、飼い主だ!」
「誰がペットだゴルァ!」
「君みたいな野猿もどき、飼ってあげるだけありがたいと思いたまえ!」
「あーもー、うるさーい」
お互いに掴みかかったジェウセニューとフォヌメの腰にミンティスのへなちょこパンチが入る。痛いというよりもくすぐったかった。フォヌメは軟弱なので崩れ落ちたが。
ミンティスはジェウセニューを殴った方の手を振って痛みを逃がしながら、唇を尖らせる。
「ボクだって、セニューの気持ちもシュザの気持ちもわかんないよ。けど、想像することくらいは出来る。それに、ボクは少しならセニューの気持ちわかると思うよ」
「……オレの気持ち?」
「うん。……目の前で親が、っていう気持ち」
「! で、でも……ミンティスの親って別に……」
「生きてるよ。けど、ボクのお母さん、前水精霊神官ラドミッドは十二年前に魔族(ディフリクト)との戦いの傷が原因でその座を退くことになった。……当時、ボクは四歳。一番の傷の原因はボクがお母さんの前に飛び出そうとしたからなんだって」
ジェウセニューだけでなくフォヌメやイユ・シャイリーンたちも目を丸くした。
ミンティスはくるりと一同を見渡して、眉を下げて笑った。
「ボクはあんまり覚えてないんだけどね。そのせいでお母さんはいらない怪我を負って、そのとき受けた傷がもとで病気になっちゃった。だから今の水精霊神官ラキアさんに予定より早く精霊を譲ることになったんだって」
ジェウセニューたちは以前、ミンティスに向かって「おまえのせいでラドミッドさまは」と怒る人を見たことがあった。そのときは、いつものミンティスなら言い返してむしろ言い負かしてしまうくらいなのにどうしてなにも言わないのだろうと思っていたが。
言い返せなかったのだろう。自分でも、そう思っていたから。
ミンティスはずっとその悪意ある声に押し潰されていたのかとジェウセニューは言葉を失った。知らなかった。気付いたこともなかった。
わかるわけがない。だって、ミンティスは今初めてそれを口にしたのだから。
「悔しいよね。自分のせいで、目の前で親が、大切な家族が、大好きな人が傷付くのって。助けたいと思うよね、でもそう言うとお母さんは怒るんだ。『子どものくせになにを言っているの?』って。『まだおしめも取れたばかりの子どもは大人しく親や大人に守られてなさい』だってさ。そんなに子どもじゃないってのに」
「……でも、オレだって、母さんと父さんを助けたい……」
「本当にそう! ボクだってもう小さな子どもじゃないんだから、出来ることだって増えたんだし手伝いくらいさせてほしい。ボクには精霊神官の能力や才能はなかったけど、お母さんを支えるくらい出来るんだって……思うのに……」
ミンティスは俯く。
「親孝行はせめて成人してから、だってさ。それまでは受け取ってもくれないんだ。倍にして返されちゃう」
「あー……前に母さんも似たようなこと言ってた……」
「そのときにどこか行っちゃったら、したいもんも出来ないじゃん。ねぇ?」
「全くだ」
今のところ、ラドミッドもルネロームも存命で元気だ。ラドミッドは病の割に本当に元気で、どこが病人なのかわからないくらいに。何度かミンティスに巻き込まれてラドミッド式魔法強化合宿に参加したことのあるジェウセニューはそう思う。
でも、いくら元気でも、いくら強くても、誰も明日の保証はないのだ。ジェウセニューは知っている。昨日までそばにいてくれた人が、翌日には会えなくなる恐怖と喪失感を。
「本当は、大人しく集落で帰りを待つのが正解なんだと思う。ボクたちは成人も済ませてない子どもだ。でも、ボクはセニューの気持ちだってわかるから、帰れなんて言えない。けど、友人を一人で行かせるなんて嫌だ。だったら、みんなで行こう。ボクも、強くなるから。きっとすぐに追いつくから、連れてってほしい」
「ミンティス……」
ジェウセニューは、もうみんなには関係ないともオレの気持ちなんてわからないだろうとも言えなかった。だって、ミンティスはジェウセニューの気持ちに寄り添ってくれたから。
僕だって、とフォヌメも唇を尖らせる。
「僕だってすぐに野人ごとき、追い越してみせるさ! あとで泣きながら『力をお貸しください、フォヌメさま!』と焼き土下座することになるだろうよ!」
「誰が言うか! ってただの土下座じゃないんかい」
「石抱きでも構わないよ」
「構え」
ミンティスがくすくすと笑った。
「……オレ、シュザに悪いこと言ったな……心配してくれてたのに……」
「ま、あれはどっちもどっちかな。シュザも言葉足らずだし、セニューは周りが見えなさ過ぎ」
「謝らないと」
「すぐには無理じゃないかな。シュザって結構、頑固だし……しばらく好きにさせとけば。頭が冷えたら近くにセニューがいないのが寂しくて気まずくなるでしょ」
「……」
「あの、す……すはい……すは……」
「……ハイルさんのことか?」
「そう、ハイルさん。あのハイルさんってヒトが一緒にいるから危ないこともないんじゃない?」
そっか、とジェウセニューは肩を落とした。
自分だって、まだ頭が冷えたかといえば、そうでもない。でも仲直りしたいという気持ちはあるのだ。それに、仲裁に入ってくれる友達だってここにいる。
ってことで、とミンティスはぽんと手を叩いた。
「ボクもしばらく好きにするよ。えーと、マースさん、でしたよね。今日からボクも一緒に訓練お願いしまーす!」
「好きにするって、マジで訓練すんのか?!」
「あはは、いいよーん。まとめてかかっておいで!」
「だって強くならないと一緒に行けないじゃん。フォヌメはどうする?」
「フォヌメ!」
「――へ?」
突然、声を上げて近付いてきたのはずっと遠巻きにこちらを観察するように見ていたフェリシテパルマンティエだった。
「フェリーさん?」
「おまえ、フォヌメ! やはりフォヌメと言うたな! そこの赤茶毛!」
「……いかにも、僕がフォヌメ・ファイニーズさ。なにか用かな、龍族(ノ・ガード)のお嬢さん」
勝手に名前を省略するジェウセニューを放置して、フェリシテパルマンティエはフォヌメに詰め寄った。上から下へとじろじろと見回して、フェリシテパルマンティエはふむと考え込むように桃色の唇に触れた。
「おまえのその服、袖のリボン、既視感があると思えば、もしやフォヌメズ・カラーのデザインでは?」
「フォヌメズ・カラー~光と地を添えて~だよ。もしかして、お客さまだったかな?」
「……製品は買っておらぬ。じゃが、気になっていた新ブランドじゃ。わらわが見間違えるはずもない」
「流石だね、僕のブランドの美しさがわかるなんて! いいセンスを持っているじゃないか」
「うむ、おまえのあのブランド、特に青の扱いが素晴らしい。わらわは青が好きなのじゃ」
「ますます素晴らしいじゃないか。青は至高の色だからね!」
なに言ってんだこの赤茶毛、何様なんだ、と思わなくもないが、二人とも本気である。思わぬところで自身のブランドのファンが見つかってフォヌメは嬉しそうに髪をふわ……とさせた。
「しかしな」
しょんぼりとフェリシテパルマンティエは肩を落とす。
「わらわはこの通り、愛らしい薄桃色。清涼な青は似合わぬのだ……。以前、若い者が買ってきたおまえのブランドの青いストール。あれが羨ましゅうてならぬ……」
実際に買った者がこの里にいたらしい。その青いストールのことも覚えがあるらしく、フォヌメはああと頷いた。
「あのストールか。あれは試作品で、それでもいいから売ってくれと言われて旅の人に売ったんだったっけ。彼が龍族のお方だったのかな? ふふん、随分と見る目があると思っていたが、君の知り合いだったとは! センスのいい者にはセンスのいい者が寄ってくるんだ」
いつもセンスがないと怒られているジェウセニューはフォヌメの友人だがそれはいいのだろうかと、ジェウセニューはミンティスと顔を見合わせた。
それにね、とフォヌメは人差し指を振って見せる。
「君は青が似合わないと言うが、僕はそうは思わないな。確かに僕好みとは違うが、その服装だって君によく似合っている。けれど同色系ばかりでまとまっていて、ちょっと味気ないと思わないかい?」
「……なに?」
「そう、そこで僕のデザインしたストールさ!」
「じゃが、あの青はわらわには……」
「うん。同じ鮮やかな青だと折角の薄桃がかき消されてしまうだろうね。でももっと薄めの青……そうだな、夕焼け時から夜になる前の薄空のような色ならどうだろう。君の色を殺さず、存在感を出しつつも上手く共存出来るのではないだろうか」
「なんと……!」
フェリシテパルマンティエが目を輝かせる。フォヌメは「好きな色と似合う色と使いたい色は別だけれどね」と何故かウインクした。
「そ、その色のストールはどうしたら手に入る? おまえのブランドに注文すればよいじゃろうか?」
「ふふ、焦らない、焦らない。特別にこの僕が君に似合うデザインと色で発注を承ろう! 生産は集落に戻ってからになるけれど、一点物になるんだからそれなりに時間と料金はかかるよ」
「おおおおお! なに、龍族のわらわにはおまえたち魔法族の時間なぞ一瞬じゃ。いくらでも待とうぞ。支払いは共通通貨の現金がよいか、それともこの里でしか取れぬ鉱物や宝石などがよいか、好きなものを言うといい。なんでも用意しようぞ!」
「ははは、気前のいいお客さまだね! 君に一番似合うデザインにしてみせよう!」
「おまえ、いや、フォヌメ先生……!」
なんだかよくわからないが、商談が成立したらしい。集落にいる一緒にブランドを立ち上げたという光魔法族(シャイリーン)と地魔法族(ノールド)の二人も仰天して腰を抜かすのではなかろうか。会ったこともない二人へ、ジェウセニューとミンティスは黙祷を捧げた。
あとなんだ、フォヌメ先生って。
「よし、そうと決まれば先生の強化訓練はわらわが面倒見てやろうぞ。先生はそこなジェウセニューをライバル視している様子。ライバルと同じところで学んでも仕方あるまいて」
「本当かい? それはいい。ということで野人よ、僕はこちらで強くなることとするよ」
「……勝手にしてくれよ」
二人は新しいストールのデザインは、大きさは、布地は、などと話しながら離れていく。
それを追いかけるのはネフネだ。
「おれちゃんも! おれちゃんも行くざます! フォヌメさんより強くなりたいんだす!」
「む、わらわが呼んだのは先生だけじゃが……まぁ、よいか」
「僕より強くなりたいのに一緒に来るのかい?」
「フォヌメさんをよーっく見て、強くなることにイミがあるます!」
そんなことを言いながら、あっという間に三人の姿は森へと消えていった。
ジェウセニューはぽかんと口を開けてそれを見送る。
「……えーと、イユさんとメルベッタさん? は、どうする?」
「……メル、でいい。自分は……自分も、一緒にいていい?」
「え、もちろん。じゃあイユさんも?」
てっきり頷くかと思えば、イユは片手を振りながらいやぁと笑った。
「イユクンはシュザベルくんのあとを追おうかなって思って。龍族のあれこれとか聞きたいことあるし~」
「でもどこ行ったかわからないよ?」
「ヘーキ、ヘーキ。飛び立ったのは見えなかったし、まだ近くにいるっぽいしー。メルちゃんはミンティスくんたちとマースさんに訓練してもらっちゃってて~」
「……わかった。戻ってきたら、声かけて……」
メルベッタも手を振ってイユを見送る。何故か二人は離れないと思っていたが、そうでもないらしい。
残されたジェウセニューはミンティスと顔を見合わせた。
マースティルダスカロスは「大人数は見るの大変だから適度にばらけてくれてよかったー」なんてのん気に取ってきた果物を転がしている。
「早速、訓練だ! って言いたいところだけど、みんな腹減っただろう? ほら、マースさんとアルが取ってきた果物があるから、これでご飯にしよう」
「アルもたくさんとったのだぞ!」
赤い尻尾を犬のように振ってアルゴストロフォスが得意げに胸を張った。慣れた様子でジェウセニューはその頭を撫でて「すごいな」と褒める。アルゴストロフォスは嬉しそうだ。
大きな切り株をテーブル代わりに、地面に直接座り込んで果物を手に取る。
ジェウセニューはもう見慣れたが、見慣れない色と形にミンティスとメルは困惑しているようだ。きっと食べればもっと驚くだろう。
シュザベルのことは気になるが、ミンティスはしばらく好きにさせておこうと言った。頭の冷却期間が必要だ、と。
ジェウセニューはもう今日は気にしないことにして、リンゴに似た青い果実を齧った。青いヤブラカの実はいつも通り、スモモのような味がした。
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