第32話 (友)ドラゴンと友人と女の子

 ドラゴンの背に乗って連れてこられたのは、たくさんある針金のような山のうちでもかなり高いものの上だった。

 その山々の頂上を住処や縄張りにしている者も多く、そこを「島」と呼んでいるとドラゴンは教えてくれた。ちなみに最初にシュザベル・ウィンディガムたちが立っていた場所は「底」と呼ばれているとのことだ。

 風がばたばたと耳や身体を叩くが、風速や風圧を考えるとこの程度で済んでいるのはおかしい。その疑問に答えてくれたのはやはり背に乗せてくれているドラゴン。


「今、君たちは私の纏う魔力の中にいる。だからこの背にいる間は風圧や重力は君たちを傷付けない。龍族(ノ・ガード)特有の恒常魔法だよ」


 恒常魔法とは読んで字の如く、恒常的に発動している魔法のことだ。筋肉で例えると心臓などの筋肉のように身体の持ち主である本人の意識に関係なく動くもの。それと同じように、このドラゴン――いや、龍族の意識するところではないところで常に発動状態になっている魔法だ。

 龍族は巨大な龍体を持つ。その龍体を維持するためにはシュザベルが感じている程度の重力ですら重荷になりかねない。なので恒常的に重力操作魔法を使っているという説がいつか読んだ書物に書かれていたが、本当にそうだったとは。

 シュザベルは少しだけ本題の友人のことを忘れて目を輝かせた。

 横ではフォヌメ・ファイニーズとネフネ・ノールドが楽しそうに下を見ているが、ミンティス・ウォルタには少し高すぎるのだろう。なるべく下を見ないようにしているのが見えた。

 後ろに座るイユ・シャイリーンとメル・ダーキーは空の近さに驚いていた。

 ドラゴンはある程度、上昇するとふわりとその場に浮かび、里の全体像を見せてくれた。

 龍族の里は「島」よりも高い壁のような山脈に囲まれた土地だった。

 外からの侵入など誰も出来ないだろう。天然の要塞のようになった里。

 ドラゴンは誇らしそうにここでは独自の生態系があり、ゆっくりとした時間が流れているのだと語った。

 龍族の寿命は四桁にも到達するという。族長である<龍皇>はそれこそ、世界が始まったときから存在しているとも。

 それほどの長命を持つ種族だ。おいそれと他の種族とは関われないだろう。

 ドラゴンはゆっくりと下降し、広い「島」に降り立った。シュザベルたちに背中から下りるように言う。


「この先に<龍皇>さまが居られるよ。是非、挨拶を」

「は、はい……」


 先程も<龍皇>が待っているとかなんとか言っていたと思い出して背筋を正す。


「くれぐれも言葉遣いには気を付けてくださいね」


 運んでくれたドラゴンが去るのを見送ってから、特にやらかしそうなフォヌメとネフネに釘を刺す。

 「島」はちょっとした丘のようになっている場所で、よく他の「島」や「底」の森の一部が見えるところだった。

 ドラゴンに言われた通りに真っ直ぐに進むと、三つの影が一同を待ち受けていた。

 真ん中にいるのは小柄な老人の姿。銀色に光る白くて長い髭を蓄えており、もじゃもじゃとしたそれと頭髪の区別はつかない。獅子のたてがみのようなそれは顔を覆うように生えており、目鼻すらよくわからなかった。

 その老人を警護するかのように立つのは二人の若い男女。

 男性は金髪翠眼の美丈夫だ。若いと言ってもかなりの威厳がある。服装はシンプルで、白いすとんとしたラインの長袖と長ズボンに植物の蔦らしきもので作られたサンダル。耳には目の色と同じ翡翠の耳飾りが輝いている。

 女性は男性より少し幼い顔をした愛らしい顔立ち。濃桃から薄桃色のグラデーションをした目はぱっちりとしており、薄桃色の髪はくるりと丁寧に巻かれている。服装は変わっていて、フリルやレースのふんだんに使われたスカートと大きなリボンが目を引く。同じ布が使われた傘を差しているが、今日は快晴。日傘というものだろうか。

 三人はそれぞれ優しそうに、厳しそうに、興味なさそうに目を細めてシュザベルたちを見ていた。

 シュザベルは背筋を伸ばし、きっちりと四十五度の角度で頭を下げた。慌てた様子でミンティスもそれに倣い、イユ、メルも同じようにする。遅れてフォヌメとネフネもみんなの真似をして頭を下げた。

 そんな頭に降ってくるのは絵画から聞こえたものと同じ笑い声。


「ほっほ。礼儀正しいお子らじゃな。よい、頭を上げよ。もっと肩の力を抜いてもよいぞ。ほれ、りら~っくす」

「は、はぁ……」


 シュザベルは困惑しながらも、横のフォヌメやイユが頭を上げたのを見て自身も頭を上げた。

 頭の代わりに何故か両手が上がっているネフネの頭を起こし、手を下げさせる。


「よう来たのう。わしがこの里の長をやっておる者じゃ。名はないが、皆は<龍皇>と呼ぶよ」

「<龍皇>さま……!」


 この方が。

 この方があの、神族(ディエイティスト)と共に世界を統べるという龍族の長。

 その名は物語にも教科書にもよく出てくるものだ。しかし姿を見た者はほとんどおらず、半ば空想上の存在とすらされていることもある。

 そんな夢のような存在が、今、シュザベルの目の前にいるのだ。

 シュザベルは感激して息を吐く。横で「このちんまいじいさんが?」と言ったミンティスの頭をこっそり叩いておいた。

 彼はものをはっきり言うのがいいところだと思うが、今この場面ではそういうことは言わないでほしい。

 聞こえていたのかいないのか、幸い<龍皇>が気分を害した様子はない。


「魔法族(セブンス・ジェム)のお子らよ、わざわざこんな辺境になんの用かな?」


 <龍皇>に問われ、再び姿勢を正す。<龍皇>はくすくすと笑った。


「わ、私は風魔法族(ウィンディガム)のシュザベルと申します。こちらは右手側から闇魔法族(ダーキー)のメル、光魔法族(シャイリーン)のイユ、地魔法族(ノールド)のネフネ、それから水魔法族(ウォルタ)のミンティスと炎魔法族(ファイニーズ)のフォヌメです」

「うむ。よい名じゃのう。こちらの自己紹介もしておこうか。右手側のがスハイルアルムリフで、左手側のがフェリシテパルマンティエじゃ」


 男性がスハイルアルムリフ、女性はフェリシテパルマンティエというようだ。

 <龍皇>はにこにこと続きを待っている。

 シュザベルは一度、友人たちの顔を見て、再び<龍皇>に目をやった。


「私たちは行方不明になった友人を探してここまで来ました。雷魔法族(サンダリアン)のジェウセニューというのですが、ご存じではありませんか?」

「うん? なんじゃ、おぬしたち、知っててここに来たのではなかったのか?」

「え?」

「あの小さき人属ならば、ほれ……あちこち元気に駆け回っておるよ」

「は?」


 そのとき突風がシュザベルたちを襲った。驚いて身を屈める。飛んでいかないようにネフネの首根っこを掴み、何事かと辺りを伺った。

 空が陰る。

 見れば太陽を背にして先程のドラゴンと同じくらいの大きさの黒く光るドラゴンが羽ばたいていた。


「始星卿!」


 ドラゴンの重たい声がびりびりと身体を打つ。

 全員がドラゴンを見上げた途端、ドラゴンは急降下し、太陽に目が眩む。眩んだ目が写したのはドラゴンの背から飛び降りる小さな影。

 真っ赤なその人影は持っていた剣を振り上げ、男性――スハイルアルムリフに斬りかかった。


「危ないっ!」

「とーうっ!」


 子どもの声。

 斬りかかられた男性は真っ直ぐに手を伸ばすと、指先だけで刃を止め、軽いものでも投げるかのようにぽいと遠くへ放った。

 赤髪の少年は剣を抱えたままころころと丘を転がっていく。

 スハイルアルムリフが肩をすくめたとき、第二陣の風。

 先程よりも強烈な風はネフネとメルの身体を少しだけ浮かせた。ぎょっとしてシュザベルはネフネを、イユはメルを抱え込む。

 バチバチバチッ、

 雷電の弾ける音がして、シュザベルは顔を上げた。


「――ヴォールー・サーンクッ!!」


 黄色に光る電がスハイルアルムリフ目掛けて落ちた。ドォンと遅れて落雷の音が響く。

 先程の赤髪の少年よりも年上の青年の声。聞き覚えがあるそれは――、


「セニュー!」


 ピカピカと稲光が走り、風が逆巻く。それを割るように飛び込んできたのは探していた友人の姿。

 友人はシュザベルたちに目もくれず、スハイルアルムリフへ距離を詰めると軸足が地面を抉る回転蹴りを叩き込んだ。が、彼は軽くいなすとそのままジェウセニューの回転を利用して、これまた軽いものでも投げるようにぽいと遠くへ放った。

 その先は「島」の終わり、崖のような絶壁。


「くそー、またダメだったー! おーぼーえーてーろーよーっ!」

「セニュくーん、やっぱりアルじゃ囮にもならないのだぞー!」


 物語に出てくる三下のようなセリフを吐きながら落ちていくジェウセニューを追って、赤髪の少年が地面を蹴って落下していく。

 驚いて追いかけて見れば、先程の黒く光るドラゴンが二人を背中で回収していた。

 目を凝らせば黒く光る緑色の鱗を持つドラゴンはそのままスピードを緩めることなく「底」へ降りていく。

 シュザベルたちはぽかんと口を開けてそれを見送った。


「……えっ」

「今の……セニューだよ、ね……?」

「省略詠唱でヴォル・サンクだと……!? 野人のくせに!?」


 いつの間にか風も雷も収まっていた。空はなにもなかったかのように快晴のままだ。

 ほっほっほ、と<龍皇>が笑う。


「ほれ、あやつであろう、おぬしたちが探しに来たのは。元気なお子じゃのう」

「元気……なのは、わかりましたけど……え、なんですか、今の……」


 元気過ぎて、最近体調不良が続いていた彼とは思えないほどに元気だ。というか何故、彼はスハイルアルムリフに奇襲を仕掛けていたのだろうか。

 混乱するシュザベルたちに説明してくれたのは、やはり<龍皇>だった。


「あのお子が魔力回路不良に陥っていたのは知っておるかの?」

「魔力回路不良?」

「うむ。魔力回路不良とは、魔力の流れが滞り、魔法が使えなくなることじゃ。病ではないのじゃが、時折人属がかかるというカゼという病にも似た症状を併発することから、病の一種に分類されることもある」

「それが、セニューの最近の体調不良の原因……?」


 うむ、と<龍皇>は頷く。


「その回復訓練の一環じゃ。ここにおるわしの側近たるスハイルアルムリフと実戦のように戦うことで魔力の流れを正常に戻し、再び魔法を使えるようにしておったのよ」

「潜在的な能力も向上している。今はまだ私に対して龍族の子を味方に攻めてくるが、そのうちあれ一人ででも私に対抗出来るようになるだろう。まだ、時間はかかるがな」


 スハイルアルムリフの口調は硬く険しい表情とは裏腹に少し弾んでいるようだった。弟子の成長を楽しみにする師匠……いや、どちらかと言えばペットが元気なことを喜んでいる飼い主の声だ。

 ふぅん、と少しつまらなそうに適当な相槌を打つのはフェリシテパルマンティエ。

 彼女はくるくると日傘を回して暇そうに抉れた地面を蹴った。同時に虹色の魔法陣がそこかしこに現れ、荒れ果てた丘をもとの通りに直してしまった。


「おのこはいつの世でも、乱暴なコミュニケーションが好きじゃのう。わらわにはとんとわからぬわ」

「男だけとは限らんだろう。そこにいる闇の人属もおなごであるのに旅人の恰好をしているではないか」

「!」


 びくりとメルの肩が揺れた。

 今、スハイルアルムリフはなんと言った? おなご? おなごは……女の子という意味だったはずだ。

 目を瞬かせてシュザベルはメルを見た。

 メルは目を逸らして俯いている。


「……はい?」

「メルさんが女の人?」


 困惑するシュザベルたちに対して、ネフネだけはきょとんと目を瞬かせていた。


「メルさんが女の人だと困るです?」

「え……いえ、困りません。困りませんけど……その、男性だと思っていたので……」

「驚いたっていうかなんていうか……え、じゃあ宿とか野宿のときとかもう少し気遣うべきだったんじゃ……」

「なんてことだ、この僕が見誤るなんて……!? いや、最初に見たときにあの黒髪には白いドレスが合いそうだと思ったのは間違いではなかったと言うことだな! 流石、僕!」


 フォヌメだけはなにか驚いている要素が違う気がするが、いつものことなので放って置く。

 そういえば、宿に泊まったとき、メルと同室だったイユは階下のロビーで眠っていた。それは女性と同室だったからか。同時に他の誰かがメルと同室だった場合、そんな気遣いは出来なかっただろうと思い至る。

 シュザベルはミンティスと顔を見合わせて、再びメルを見た。

 メルは小さな声で「……ごめ、ん」と何故か謝っていた。


「? メル、どうして謝っているんだい? 君はなにか僕たちに悪いことでもしていたのかい?」

「……だ、だって……ずっと、女ってこと黙ってた……」

「?? それのどこが悪いのます? メルさんはメルさんですぞ?」


 ネフネもフォヌメと同じように首を傾げている。

 シュザベルも頷く。こちらが気付かず、なにも気遣いなど出来なかっただけで、メル自身はなにも謝ることはない。よく思い起こせば、自己紹介のときにメルをメルだと言ったのはイユだし、そもそも男だと明言したことはない。

 そう言えば、メルはもごもごと口どもってしまった。


「ていうかネフネ、いつからメルさんが女性だって気付いてたの?」

「? メルさんはさいしょっから女の人ざます?」

「……最初から知ってたんですね。いや、勘違いしたのは本当にこちらが悪いのですが」


 ふるふるとメルは首を振る。


「まぁ、勘違いしといた方がメルちゃんに惚れちゃったりするやついなくていいかなーと思って曖昧にしてたんだけどね☆ 一緒に旅してるうちにみんな好きな子いるって知ったけど、バラすタイミング見失ってたんだよね~」

「戦犯アンタか」

「だーってイユクンの一番が盗られちゃったらイヤだもーん」

「もんとか言うな」


 イユとミンティスのやり取りを見てやっと肩の力が抜けたのか、メルはくすりと笑った。この笑顔は旅の最中に何度も見ているはずなのに、どうして女性だと気付かなかったのか。

 シュザベルは彼女(ガールフレンドの方)がいるからそれ以外の女性に興味がないのだということに自分で自分に言い訳をした。

 魔法族たちのやり取りを見ていた<龍皇>は楽しそうに笑っている。

 慌ててシュザベルは姿勢を正した。


「す、すみません」

「ほっほ、なーんにも悪いことなんぞありゃせんわい。仲良きことはよいことじゃのう」


 <龍皇>は変わらず楽しそうだ。少しだけ肩の力が抜ける。

 <龍皇>なんてとんでもない大物を前にしているとはいえ、探していた友人の無事が確認できたのだ。

 ほっとして胸を撫で下ろす。目の奥がじんわりと熱くなったが、足を抓んで耐えた。

 よく見ればミンティスも似たようなことをしていた。小さく吹き出す。


「シュザベルせんせ、セニューさん、ブジでますたね!」

「無事でしたね、ですね。ええ、安心しました」

「しかしなんだ、あの強さは! 野生に磨きがかかっているんじゃないか?」

「……ボクたちが迎えに行く必要ってあったのかな」

「……」


 ミンティスの言葉に思わず口を噤む。

 なにを言っているんだ、と口を尖らせたのはフォヌメ。


「誰があのアタマワルーイ野人を迎えに来たんだい。僕はあいつと勝負するために来たんだよ!」

「あ、そっちも本気だったんだ……」

「本当に勝負したいんだったらちょっと待てば帰ってきましたよ、あの様子なら」

「……す、すぐに勝負したかったんだ!」

「はいはい、ここに来るまでに何日かかったと思ってるの」


 フォヌメの夕焼け色の目が潤んでいるのは見なかったことにした。

 メルもよかったね、と声をかけてくれる。

 あとは集落に帰るだけだ。そう思ったのに、何故だかシュザベルはいけないと思ってしまった。

 風が吹く。遠くの空に黒い雲が見えた。


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