第27話 (友)神族の住むところ

 シュザベル・ウィンディガムたち一行は山の中腹までやってきた。もう少し登れば神界へ行くための門があるはずだとアーティアは言う。

 山へ入った途端に魔獣は現れなくなった。彼(?)らは神族(ディエイティスト)の結界で山には近付けないようになっているのだそうだ。

 本来ならばシュザベルたち神族でない者も山に登ろうという気が起こらないようにされているらしいが、それはアーティアが近くにいること、ヴァーレンハイトが神族の魔力を中和する陣を敷いていることで緩和されているとかなんとか。

 ヴァーレンハイトのチートが過ぎる。


「わ、蛇!」

「うわ……なんだあの足の多い虫は……」


 魔獣は出ないが、もともと山にいた生物はいる。神族の魔力に当てられてか、山の外では見たこともない変種ばかりだ。

 あまり虫が好みではないフォヌメ・ファイニーズは、平気過ぎてなんでも捕まえようとするネフネ・ノールドから距離を取る。

 ネフネは先程から変わった色の蟻のような虫や足の多い蝶のような虫を捕まえてきてはシュザベルに「これはなんて虫だすか?」「こっちはクワガタににてるけど玉虫色!」などと言いながら押し付けてくる。

 シュザベルも大して虫に強いわけではない。知識はあるが、好んで妙な虫を触りたいとは思わない。目を輝かせているネフネには申し訳ないが、遠慮したい。

 山の中腹を超えるとその虫や蛇などの生物すら見かけなくなっていった。

 少し、身体が重たいような気がする。重たいというか、気怠いような。


「……なんか、ちょっと息苦しい感じがする?」


 ミンティス・ウォルタが顔をしかめる。

 高い山に登ると高山病などを発症することがあるとは聞いたことがあるが、この山はそれほど高いわけではない。

 ああ、と頷いたヴァーレンハイトは新しい魔術陣を展開する。淡く水色に光るそれを見て、メル・ダーキーは目を瞬かせる。


「……魔力中和の魔術……?」


 よくわかったね、とヴァーレンハイトは頷く。

 神族の魔力中和は既に済ませているのではなかったかと思えば、その考えを見抜いたヴァーレンハイトは笑いながら首を振る。


「さっきまでしてたのは人払いの魔法に対する中和。今度のこれは神族……神界に満ちる魔力を中和させる魔術。そうだな……さっきのは扉を開けて中に入るための魔術で、今のこれは部屋の中にいるための魔術。部屋の中には二酸化炭素が多くてとても普通の人は立ってられないからなー」

「なる、ほど……?」


 それぞれ個人の身体にまとわせるようにして発動したそれのおかげか、すぐに気怠さや息苦しさがなくなった。

 神界は神族のための世界。それ以外の種族が活動するには少々酷な場所なのかもしれない。


「まぁ、そこそこ力があれば魔族(ディフリクト)でも生活出来るみたいだけどね。普通の魔法族(セブンス・ジェム)が神界に行ったって話は聞かないから、ヴァルがいてよかったね」


 アーティアは言いつつ、続けて「……なんでただの人間族(ヒューマシム)のヴァルは平気なんだろう……」と呟いていた。

 ヴァーレンハイトは「環境に適応するの面倒だから常に膜張ってるからなぁ」と他人事だ。

 常に膜張ってるとはどういうことだ。規格外魔術師(ディフェクティブ)と呼ばれるだけのことはある。


「見えたよ」


 中腹を超えてそろそろ山頂が見えてきそうなころ、山肌にぽっかりと開いた穴をアーティアが指した。

 穴は横穴で、シュザベルやイユ・シャイリーンが少し屈めば入れそうな穴だ。もしかしたら、大きな熊などが冬眠するために使っていた穴かもしれない。


「これが……神界へ行くための門……?」


 ミンティスとネフネが中を覗き込みながらアーティアに尋ねる。アーティアはこくりと頷いて、二人に下がるように言い、穴の前に立った。

 アーティアは左腕にしていたシンプルなデザインの腕輪をそっと掲げる。

 きらりと光った腕輪に呼応するように穴の暗闇がゆらりと揺れた。水面のようにゆらゆらしながら、穴の中の暗闇は別の景色を映し出す。

 瞬きをする間に、熊の冬眠穴だった場所は蕾芽吹く丘へつながる小さなトンネルになっていた。


「わぁ……」

「これが、神界……?」


 トンネルの入り口を左手で押さえるようにしてアーティアは全員に通るようにと促す。

 真っ先に動いたのはネフネとフォヌメ。続いてヴァーレンハイト、ミンティス、イユ、メルと続いたのでシュザベルも少し身を屈めて穴をくぐる。

 先程までの岩の多い土の感触とは違う、靴裏の感覚。若い草を踏みしめ、シュザベルは見晴らしのいい丘に立っていた。

 最後にアーティアが穴をくぐり、彼女が手を離すと穴は見る見る縮んで消えてしまった。後戻りが出来ないと気付いて、小さく息を吐く。

 少し強い風が吹く。

 周りを見渡せば、遠くに人里があるのが見えた。


「あっちに尖った城が見えるでしょ。あそこがこの世界の中心の街。名前は特にないみたい、ただ中央の街とか中央とか呼ばれているよ」


 アーティアが指す先には高い建物の影が見えた。確かに物語の挿絵で見たことがあるような尖った城が見える。


「あそこに行けば、セニューがどうしているか、わかる?」

「多分ね」


 アーティアは肩をすくめる。

 手掛かりがあるとすればそこだとヴァーレンハイトも頷くのを見て、シュザベルは友人たちと顔を見合わせた。

 中央ということは、偉い人たちのいる場所なのではないだろうか。

 さっさと丘を降りていくアーティアとヴァーレンハイトのあとを追って、シュザベルたち六人も続く。

 見晴らしがいいので襲ってくるものがいればすぐに気付けるだろう。

 周囲を警戒するイユとメルを見て、アーティアはああと頷く。


「別になにかを警戒することはないよ。ここには魔獣はいないし、平原だから凶暴な動物もいない。中央に近いから野盗の類も出ないしね。足元には注意してほしいけど」


 コケかけたネフネの腕を掴んで地面との抱擁を阻止しながらアーティアは言った。

 魔獣がいないということに驚いたが、それもそうかと思い直す。魔獣は本来、魔族の下位的存在。神族の世界である神界にいなくてもおかしくない。いや、いる方がおかしいのだ。

 少しだけ安心して、周囲を見渡す。

 空は青いし、雲は白い。天気は悪くないし、風も爽やかで過ごしやすい気候だ。遠くを辻馬車が走っているのが見える。それはあまり武装した様子でないことから、治安も悪くはないのだろうと推測する。

 しかしさっきまでいた自分たちの世界とはあまり変わりがない。

 不意に足を止めたヴァーレンハイトがくるりとシュザベルたちを振り返った。


「忘れてた」


 彼が指を振ると顔の目の前に小さな魔術陣が現れる。

 きょとんと目を瞬かせると、現れたときと同じように音もなく魔術陣は消えた。

 なにをしたのだろうと友人たちや同行者を見れば、違和感。


「……えっ」


 水色だったミンティスの目が炎魔法族(ファイニーズ)のように赤くなっている。いや、フォヌメも少し色味が変わっていることから、炎魔法族の赤い瞳とはまた別の赤だ。

 もちろんイユやメル、ネフネまでもが赤い目に変わっていた。見ればヴァーレンハイトの赤銅の目も宝石のような赤に変わっている。……いや、宝石と言うには少しばかり輝いていないが。


「神族以外がその辺歩いていると注目されるからね……」


 アーティアは荷物の中から眼帯を取り出して右目に着けていた。ヴァーレンハイトに目の色を変えてもらわないのかと問えば、別にいいと答える。

 ヴァーレンハイトは肩をすくめるだけだった。

 再び歩き出した二人について、シュザベルたちも中央の街を目指して歩き出す。

 街までは一時間もかからなかった。

 街はシアル・カハルのように古い壁で覆われていたが、検問のようなものは行われている様子はない。ただ、簡易鎧を着た兵士のような数人が門の前には立っている。道行く人を見ているが、雑談していたり欠伸を噛み殺している状態でなにかを警戒している様子もなかった。

 特に止められることもなく一同は街の中へ入る。

 街はシアル・カハルよりも賑わっていた。いや、人の多さは似たようなものだろう。しかし活気があり、道行く人には笑顔があった。


「族長ヴァーンの治世がいいからね」

「族長だけでこんなにも違うものですか?」

「地上は魔獣がいるし、治安も町によって様々だけど……ううん、なにが違うと言われると……為政者の質や方向性が民に支持されてるかどうか、かなぁ」


 難しいことはわからない、とアーティアは肩をすくめる。

 アーティアとヴァーレンハイトは迷いなく人を避けて歩いていく。目指しているのは例の尖った城だろうか。


「あそこにぼくの伯父がいるんだ。あの人に聞けばジェウセニューの行方について、わかるはず」

「……あ、そうか。アーティアさんはセニューの従姉妹だったね」

「あの野人の父親ということか」

「そゆこと」


 確かに、話を聞くにはこれ以上にない人物だろう。

 城に向かっているということは、城に勤めているのだろうか。つまり仕事中なのでは? 邪魔していいものなのだろうか。

 首を傾げている間に城門に着いた。二人の門番がいて、アーティアはその前で足を止めた。


「おや、アーティアさん。お久しぶりです」

「久しぶり。みんな、元気にしてる?」

「特に変わりありませんよ。ああ、食堂のジェフが嫁さんが産気づいて長期休暇を取ったくらいですかね」

「じゃあ族長さまたちも喜んでるんじゃない?」

「あはは、もちろん。先月から族長さま、四天王さま連名でお祝いになにを贈るべきかと話し合っていましたよ」

「暇なの?」

「いや、そうではないですけど」


 門番としばらく話したアーティアは二人の門番に手を振り、シュザベルたちに入るように目配せした。

 門番はにこにことしたままシュザベルたちを見送る。


「……簡単に入れちゃったね」

「いいのかい、それで」

「ティアがいればほぼ顔パスだから」


 いくらアーティアの伯父(ジェウセニューの父)がここで働いているからといって、簡単に中に入れる彼女は一体何者なのだろうか。伯父という人物が随分と高い地位にいるのかもしれない。

 アーティアは特に誰かに道案内を頼むでなく、迷いなく長い廊下を進んでいく。

 時折、廊下を歩いていた文官や簡易鎧の武官に声をかけられているのを適当に応えつつ、何度か角を折れ曲がったり階段を上ったりして着いたのは大きな扉の前だった。

 他の扉とは違い、重厚で威圧感がある。豪奢というほどではないが、いくつか輝く石が嵌め込んであるのが見えて、ただの扉ではないと息を飲んだ。


「こ、ここに入るの?」


 流石に驚いたミンティスがアーティアの外套を引く。アーティアはなんでもない様子で頷いた。


「勝手に入ると怒られるから、少し待つよ」


 先程声をかけられていた者の一人に先ぶれを頼んでいたのだという。いつの間に。

 少し待つと、扉が内側から開いて困った表情をした女性が顔を出した。

 もみあげだけ長い金髪に、これまでもたくさん見た赤い瞳。すとんとしたラインのワンピースに似た服装で、とても武官には見えない。文官だろうか。

 女性はアーティアを見下ろして、「どうぞ」と扉を押し開けた。

 中は真っ白な部屋だった。広さがどこまであるのか判断しづらい。

 窓もなく、部屋の奥には書類が積み上がったデスクが一つぽつねんと置いてあるだけ。

 そのデスクに座るのは橙に近い明るい色の髪をした少年。そしてデスクの前には琥珀色の髪をした男性が立っていた。

 二人とも、こちらを見ている。

 何故か、ぞくりと背筋が凍るような思いがした。


「シアにカムイ? 伯父さんとラセツさんは?」


 なんでもないようにアーティアは彼らに近寄っていく。

 無情にも背後で扉が閉められた。シュザベルたちは顔を見合わせ、恐る恐るアーティアの背を追う。

 橙の髪の少年は椅子に座ってくるくると回っている。回転式の椅子なのか、とどうでもいいことを考えた。

 琥珀色の髪の男性は藍色のキナガシと呼ばれる東方に見られる変わった服を着て、その上に上着のようなものを羽織っていた。

 上着で手を隠すように腕を組んでアーティアを見下ろしている。


「……アーティアは呼びましたが、その他は呼んでいませんよ?」


 男性はちらりとシュザベルたちを見た。……いや、実際に見られているのかはよくわからない。彼は糸目だったので。

 しかしそれでも見られているという圧があった。シュザベルは小さく息を飲む。

 興味がないとばかりに男性はデスクの少年を振り返った。


「どうします?」

「うーん、アーティアが変なの連れてくるとは思わないけど、今のこの時期に魔法族連れてきたのはなんか……うーん」


 二人が迷惑を隠そうともせずに話している間に、アーティアは少年をシアリスカ・アトリ、男性をカムイというと紹介してくれた。

 ただ歓迎されているとは思えない。もともと歓迎されるとは思っていなかったが。

 カムイはどう見てもジェウセニューの父親には見えなかった。シアリスカの方は考えるまでもない……とは思ったが、神族は年齢不詳だったり成長が遅かったりするものだと聞いていたので一応、観察してみた。ジェウセニューと類似点は見当たらない。

 以前、ルネローム・サンダリアンは「ジェウは耳の形があの人に似てるの」と言っていたことを思い出すが、友人の耳などそれほどしっかり見るものではない。覚えていなかった。


「二人は伯父さんの部下。四天王って呼ばれているよ」

「は?」


 四天王という称号を持つ部下。その上司なんて……限られているのでは?

 つうと額から汗が滴る。


「ねぇ、シア、カムイ。伯父さんは?」

「……その息子の件で来た、ということですか?」

「うん。……伯父さんの魔力、感じないけど、なにかあった?」


 カムイは疲れたように息を吐く。一度だけシアリスカを見て、またシュザベルたちを一瞥してアーティアを見下ろした。


「ヴァーンなら絶賛行方不明の最中です。もちろん、奥方とご子息も一緒に」

「息子は別の場所っぽいけどねー」


 は、とアーティアが目を丸くした。ヴァーレンハイトも目を瞬かせている。

 ヴァーンとは、ジェウセニューの父の名だろうか。


「……ん? ヴァーン?」


 その名前なら先程聞いたばかりだったはずだ。


「……セニューの父親って……あれ……?」

「え? は?」

「さっき、族長の名前がヴァーンだと……」


 シュザベルは友人たちと顔を見合わせる。開いた口が塞がらない。


「……」

「……」

「……えっ」


 状況についていけていなかったイユとメルも気付いたようだ。

 息を飲む。


「せ……」

「セニューの父親が、神族族長さま!!?!?!?!?!??!」


 フォヌメが叫ぶ。

 カムイが鬱陶しそうに耳を塞ぎ、眉を寄せているがそれどころではなかった。

 思わずアーティアを見下ろす。白い頭の少女はきょとんと目を瞬かせた。


「……知らなかったの?」

「知らないよ! ただ神族さまだってことくらいしか……」

「言ってなかったっけ?」

「聞いてません!!!」


 シアリスカとカムイを見る。二人とも、嘘を吐いているような顔ではなかった。

 シアリスカは「知らずにここまで来たの?」とケラケラと笑っている。

 シュザベルたちは笑うどころではない。

 顔が引き攣る。

 なんて人に気軽に会いに行こうとしていたのだろう。


「えっ。族長……神族さまの……えっ」

「あの野人が文明の守護者たる神族さまの族長の息子?! 嘘だッ!!」


 嘘じゃないよ、とアーティアが肩をすくめた。


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