第26話 そのころ、神族たちは

 族長ヴァーンの執務室にはロウ・アリシア・エーゼルジュとラセツ・エーゼルジュがいた。

 ロウは難しい顔でデスクについて普段はヴァーンが片付けている書類を捌いていく。

 族長の仕事なので面倒くさい書類を書く必要もなくラセツや本来の部下ニアリー・ココ・イコールたちに字が汚いから書き直せと怒られることもない。

 ……などと軽く逃避思考をしてみたものの、ロウの気が晴れることはない。

 当たり前だ。

 本来ここに座っているはずのヴァーンがいないのだ。しかも安否不明ときた。


「ラセツ、他の奴らからなにか連絡ハ」

「……ありません」


 ソウカ、とため息を吐く。

 ラセツの顔色もあれからあまりよくないままだ。本当は休ませてやりたいところだが、ヴァーンがいない以上、この執務室の勝手が一番わかっているのは彼女だ。

 それにラセツ自身も休むことをよしとしないだろう。というか既に三度ほど断られている。

 頑固な従姉妹どのにロウは黙って目を通し終わった書類を手渡す。

 本当なら今すぐでなくてもいい案件の調書だった。しかし今やっておかないとヴァーンの不在が外に漏れる可能性がある。

 一応、執務室の出入りはいつも以上に制限しているが、いつ誰が火急の用だと言って飛び込んでくるかわからない。

 シアリスカ・アトリがロウにこの場を任せたのは彼が四天王の中で一番、幻術の類が得意だからだ。

 事情を知らない者が入ってきたところで、デスクについているのはロウではなくヴァーンであると錯覚するだろう。ただ、喋ったら一発でバレる。


(そうイエバ、魔族(ディフリクト)の王の側近に姿を別人に変えることが出来る奴がイタナ……今なら役に立ツノニ)


 ずっとこのデスクに齧りついて書類を捌いているのだ。いい加減、疲れもたまってきた。もちろん休憩は(ラセツの指示で)適宜とっているのだが。

 ロウは自分には向かない仕事だと思いながら目頭を揉み解す。

 下水整備、地方との連携、未だに終わっていない一部地域の復興……やることが山積みだった。

 一部はロウも携わっている仕事だが、その全容はあまり知らなかった。


(ヴァーンはやはり馬鹿ダナ。もう少し仕事を分担するヨウニ、戻ってきたら言ってやらなケレバ)


 言えばきっと自分も少し仕事が増えるだろう。いつものやる気ないロウならば考えもしないし、放置しただろう。

 ただ、この仕事量はヴァーンの健康にも差し障る。


(アイツが倒れたら俺たちの内の誰かが族長ニナル? ……冗談じゃナイナ)


 面倒なことは嫌いだ。

 それ以上に、あのどこか抜けている友人兼幼馴染がいなくなるのは嫌だった。


「ロウ……こほん、ヴァーンさま、手が止まっておりますが如何いたしましたか」

「……アア」


 考えすぎて手が止まっていたようだ。ラセツが心配そうに首を傾げている。

 こいつもこいつだとロウは眉を寄せる。

 彼女も人の心配ばかりで自分を顧みないところがある。今が正にそれだ。

 ここ数日はあまり満足に食事も摂っていないらしく、そろそろ無理やりにでもなにか食べさせて寝床に突っ込むべきだろう。

 普段ならそれは同じく幼馴染のヤシャか、ロウの妹であるコウ・アマネ・エーゼルジュの役目だ。

 しかし二人とも最近巷を騒がせている反ヴァーン派の鎮圧に地方に出ている。今度の遠征は少し厄介なようで、帰還予定だった昨日からなんの連絡もない。

 なにかあったのだろうことは明白だった。

 ヴァーンの行方、ヤシャや妹たちの安否、横に立つ従姉妹の体調、どれも気遣わしいことばかりだ。

 アァ、と意味のない言葉が口から漏れる。

 こうやってあちこちに指示を出しながらあれこれと気遣うのはロウの性分ではない。ロウは気楽に、のんびりと暮らしたいのだ。

 ロウが友人兼幼馴染を支えるために四天王なんて地位にいるのはそのためだ。気楽になるためには周囲が騒がしかったり悲しんでいたり苦しんでいるのは駄目だ。のんびりするには治世が整っていなければ駄目だ。

 だからヴァーンに手を貸した。ヴァーンを支えて革命戦争なんてものを潜り抜けて、今こうして四天王なんて大層な椅子に座っている。


(ダカラ、俺にはヴァーンが必要)


 だからさっさと帰ってこい。

 ロウは新しい書類を手に取り目を通す。ヴァーンが特に力を注いでいる戦災孤児に関する案件だった。そろそろこの案件も中央では必要なくなるだろう。孤児も大人になり、随分とこの城で働いている姿を見かけるようになった。

 城下にだって、腹を空かせて蹲っている子どもの姿はとんと見かけない。少なくとも、この中央の街では。

 書類をラセツに手渡し、ヴァーンが望んでいた通りにするよう頼む。ラセツはこくりと頷いた。


「――途中経過報告だよーっ☆」


 扉を開けることなく、なにもない空間からにゅるりとシアリスカが上半身を出した。そのまま枠でも越えるようにして足まで出す。

 ぽんと降り立ったのはデスクの前。

 いつも通りの橙に近い明るい色の髪に赤い眼。十三歳くらいの少年にしか見えない姿を見下ろして、ロウはこてんと首を傾げた。


「途中経過? 調べ終わったのではなイノカ?」

「残念ながら。あ、ついでにヤシャたちからの報告も持ってきたよ。どっちから聞く?」


 どちらからでも、と言おうとして、ちょうど気になっていたヤシャたちのことを先に聞くことにした。

 答えればシアリスカはにんまりと唇で弧を描く。


「ヤシャからの報告は『族長ヴァーンの殺害計画』の裏が取れたってこと。詳しい計画についてはこれからボクがシュラの捕らえたやつらとお話ししてくることになってるから、その辺よろしくね」

「……どの辺かはわかランガ、わカッタ」

「シュラとコウからの報告は――『古アーティファクトを改造した兵器がどこかで使用されようとしている』こと」

「古アーティファクト……!?」


 一緒に聞いていたラセツが悲鳴のような声を上げた。

 古アーティファクトとは、現存するアーティファクトのうち特に古いもの――龍族(ノ・ガード)がかつて造ったものを指す。

 それは複製不可能で唯一のものばかり。そして頑丈で使用回数の制限が多いものが多い。

 ラセツが恐れたのはそんなことではない。

 かつて、三代目族長だったアドウェルサ・フォートが好んで収集し、それを使って独裁の世を作り出していたからだ。


「……」

「……」


 ロウも言葉を紡げず、沈黙する。

 シアリスカの表情は笑っているようにも見えた。しかし、それはうわべだけの話だ。その両の目は静かな怒りに燃えていた。

 ヴァーンの起こした革命戦争では対抗する三代目族長派によっていくつもの古アーティファクトが使用された。それは恐ろしいもので、病を起こすものや町一つ簡単に吹き飛ばすものすらあった。今でもアーティファクトの後遺症で病に伏せる元革命軍兵士がいるほどだ。

 それらのアーティファクトは革命戦争後、龍族の長<龍皇>に託し、彼らが壊せるものは壊し、廃棄出来ないものは厳重に管理しているはずだった。

 だからこの神界に兵器となるアーティファクトの類はないはずなのだ。

 それなのに、反ヴァーン派のものたちは古アーティファクトを所持し、しかもそれを改造して使用しようとしているという。

 ロウは重いため息を吐く。

 龍族の作ったアーティファクトを壊すのは難しい。四天王が集まり、全力で対抗してやっと壊せるものだってあるくらいだ。

 情報を持ってきたのがヤシャ、そしてその双子の弟シュラである時点で疑うべくもない。いや、いっそ疑わせてほしかったとさえ思う。


「……古アーティファクトの現在地ハ?」

「まだ未特定みたい。性能は……まぁ、多分だけどこの中央を丸ごと吹っ飛ばす系かもね」

「だロウナ。捕らえた者たちにこの件についても探リヲ」

「もっちろん」


 ロウは椅子から立ち上がり、横に立っていたラセツを代わりに椅子に座らせた。顔色はもう真っ白だった。


「……や、ヤシャたちは……無事、なんですよね……?」


 声が震えている。

 無理もない。彼女の両親は古アーティファクトによって殺害され、妹は未だその後遺症で病院にいるのだ。

 もう目を覚まさなくなって何年も経つ。

 それを見ているからだろう、前線にいたわけでもないラセツですら怯える代物。それが神族にとっての古アーティファクトだ。


「ヤシャもシュラも、コウだって今は無傷だよ。ただ、この情報がどこかから漏れてるらしくて、一部の民が噂して怯えてる。また戦争が始まるっていう噂も城下で流れてた」


 シアリスカは拳を握り締める。


「ヤシャとシュラの報告は以上。続けてボクの報告もしていい?」

「……頼ム」


 うん、とシアリスカは頷いて、ちらりとラセツを見た。ラセツは背筋を正して気丈にしているが、顔色は紙のような色のままだ。報告が終わったら無理やりにでも休ませようとロウは心に決める。


「ボクは誰がどうやってヴァーンの結界を超えて二人を攫ったのかを調べてきたよ。結果は……やっぱり、あのシンラク・フォートが最有力被疑者だね。こっちもアーティファクトを使った形跡をどうにか見つけたよ」

「……アーティファクトの入手方法ハ?」

「今、<龍皇>サマに確認中。もしかしたら龍族にも敵がいるなんてことは考えたくないんだけどなぁ」

「常に最悪を想定しテオケ」

「わかってるよーぅ」


 更にシアリスカは残されたヴァーンの血液の中に絶滅したはずの大蛇の毒素を見つけたという。

 血液にそれが混じっているということは、ヴァーンは今、毒に侵されている可能性が高いと言うこと。

 状況が一層ひっ迫しているのだと気付かされた。


「流石にヴァーンも対毒スキルは持ってないもんね……」

「なんだったらただの風邪菌にも負ける奴ダゾ」


 とはいえなんとかは風邪をひかないというように、ヴァーンが風邪で寝込んだことなどこの数百年で片手に納まる程度なのだが。少なすぎて逆に回数を覚えていないくらいだ。


「……確カ、毒に詳しい奴がいたヨウナ……」

「もしかして、ハウンドのこと? ヤシャが連れてってるはずだけど、呼び戻しておこっか」


 ロウが頷くと、シアリスカは手早く魔力を練って即席の伝令獣を作り出して執務室の窓から放った。

 ちょうどそのとき、コツコツと扉の叩かれる音がする。

 ラセツが慌てて椅子から立ち上がろうとしているのを押さえて、ロウは「入レ」と扉の向こうに声をかける。

 入ってきたのは琥珀色の短い髪に藍色の着流し姿の――カムイだった。糸目でわかりずらいが、呆れたように細められた目を向けられてロウは肩をすくめる。


「俺が酷使しているわけじゃナイゾ」

「そうですか。女性がそんな姿になるまで強いたのであれば真っ先にここから叩き出そうと思ってしまいましたよ」


 そんな軽口を叩きながらカムイは扉をしっかりと閉めてデスクに近寄ってきた。シアリスカの横に並び、ロウとシアリスカを交互に見る。

 簡単に今し方してもらった報告を聞かせると、カムイは眉を下げて「はぁ」とだけこぼした。


「でしたら僕の報告が繋がりそうですね」


 カムイは確か、件のシンラク・フォートの現在について調べていたはずだ。

 ロウはシアリスカと目を見合わせ、カムイに報告を促す。


「現在地は特定出来ませんでした。が、革命戦争後、この神界を出奔したあとどうしていたかはわかりましたよ」

「長いから簡単にでイイゾ」

「もちろんそのつもりです。あの子――彼は神界から去ったあと、地上を放浪した末に龍族の里に身を寄せていたようです」

「!」


 目を見開いたロウとシアリスカに、カムイは頷いてみせる。


「そして近年……三年ほど前からですね、神界と龍族の里を行き来しながら反ヴァーン派と数回接触していたようです。その目的まではわかりませんでした」

「やっぱシンラクが黒幕かな?」

「少なくとも、ヴァーンをどこぞへやった古アーティファクトの発動は彼の仕業だろうと思います。それほどのアーティファクト、動かせる技量のある者が反ヴァーン派にはいなかったはずですから」


 シアリスカがカムイを見上げた。


「……カムイさ、前から反ヴァーン派の存在を知ってて放置してたでしょ」

「バレていましたか。ええ、あれくらいの規模ならば放置していて問題はないと判断しましたし、なにより彼らがたまに騒いでくれるおかげでヴァーンの支持率は上がりますからね」


 でも、とカムイは眉を寄せる。


「今回ばかりは反省しています。あの子……彼が接触していると気付いていたならそのときに潰しておくべきだった。僕の失態です。ヴァーンが戻ったら、いくらでも罰は受けますよ」

「それを考えるのがヴァーンの役割ダロウ。俺はお前を罰するつもりハナイ。多分、俺だって同じ判断をしただろうカラナ」

「ボクはちょっと怒ろうかな。でも、それはヴァーンが帰ってきてからね」


 にんまりと笑ったシアリスカはぺしぺしとカムイの手を叩いた。

 しばらくぺしぺしと叩いていたがやがて満足したのか「さて、」と両手を合わせる。


「カムイは引き続き、シンラクについて調べてくれる? 出来れば現在地がわかるといいな。欲を言えばヴァーンの居場所も、ね」

「わかりました」

「んで、ロウは配置換え! 城下ぶらぶらしてきて。ニアリーと一緒に」

「……ハ?」


 ロウがきょとんと目を瞬かせると、シアリスカは腕を組んで首を捻る。


「なんかさ、城下では最近『ロウさまの姿が見えない。なにかあったのだろうか?』『ニアリーさまと一緒に視察しているころなのに、誰も姿を見てないという。もしかして噂通り、戦争が始まるから忙しいのだろうか』……なーんて声が聞こえてきててね」

「……ロウの視察というか、あれは食べ歩きじゃないですか」

「城下の人たちは好意的によく視察に来て民の声を聞いてくれる四天王の偉い人だと思ってるらしいよ。サボりなのにね」

「……ソレデ、俺がニアリーと一緒に城下に降りることで噂の鎮静化を図ロウト」

「そゆことー☆ ついでに城下の噂について調べてきてほしいな」


 城下の噂の出どころや種類を調べろということらしい。

 ロウは肩をすくめて頷いた。


「ヴァーンの代わりはボクがやっておくね。ってことでラセツもしばらく休むこと!」


 いきなり話を振られたラセツは驚いて椅子から立ち上がった。すぐに立ち眩みを起こしたのか、椅子に力なく座り込む。


「わ、私は……」

「そんな顔してもヤシャくらいしか誤魔化せないよ? いや、ヤシャもその顔色を見たら抱えて部屋に直行するだろーね。ラセツ、今どんな顔色してるか自分で見てみた?」

「……」

「お化粧でちょっと誤魔化せてるけど、それでもひっどい顔してるよ」


 子どもの姿をしたシアリスカに言われると他に言われるよりも堪えたのだろう、ラセツは唇を小さく噛んで俯いてしまった。

 ニアリーを呼んでラセツを部屋に戻し、食堂の松に粥でも作らせておこうとロウはデスクから離れようとした。

 ちょうどよく、扉を叩いて入ってきたのはニアリーだ。


「ロウさ……じゃなかった、ヴァーンさまにお客さまが来ておりますが……どうしますか?」

「今日からロウじゃなくてボクがヴァーン役だよ、よろしくね。どうするもなにも、また今度にしてもらってよ」

「そう……ですよね……その、アーティアさまとお友達の方々だそうで」

「……アーティアが来てるの?」


 シアリスカの目の色が変わった。アーティアは珍しい魔力感知能力を持つ。その能力でシンラクの現在地やヴァーンの行方がわかるかもしれないと思ったのだろう。

 カムイも同じことを考えたようで、三人で目配せをする。

 ロウはラセツを抱えて食堂へ小さな伝令獣を作って走らせた。


「ニアリー、アーティアたちをココヘ。シア、すぐに戻るからこの場を頼ンダ」

「りょーかい☆」


 ロウは言うだけ言って足で扉を開けて執務室から出ていく。

 膠着していた状況が、少しだけ進もうとしているのを感じた。


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