第23話 (友)西の街にて

 シュザベル・ウィンディガム一行はようやくシアル・カハルに到着した。

 今まで通ってきた町や村とは違い、その規模はもちろんのこと、街を囲う巨大な壁にも驚きを隠せない。

 ぐるりと街を覆うそれは五メートル以上の高さのある真っ白なもの。その白さは潔癖に寄り来るものを拒絶しているかのように強固だ。


「シアル・カハルの白い城壁は五代前の領主が生涯をかけて作り上げた魔獣避けだそうです。各所に当時の高名な魔術師が術を刻み込んであるとかで、ただの物理的な障壁としてだけでなく魔術的にも魔獣から街を守る仕組みとなっているらしいですよ」

「へぇ~、イユクンそこまでは知らなかったなー。メルは知ってた?」

「……考えたことなかった……」


 一応、応えてくれたのはイユ・シャイリーンとメル・ダーキーだけで、他の三人はふーんとかへーとか言いながら見張りの立つ壁門へと歩いていく。

 ついでに解説しそびれたが、五代前の領主というのはちょうど百年ほど前に始まった魔獣や魔族(ディフリクト)とその他の種族の長い争い――百年戦争が酷くなり始めた時期だという。

 近付いてよく見れば、真っ白だと思われた壁はところどころ煤けたり削れたりしている。百年という歳月だけでなく、ここもそれなりに魔獣たちに襲われたということだろう。学術的、歴史的興味が尽きない。


(……と、言いたいところですが、この旅の目的はセニューを探すこと。人命には代えられません)


 ジェウセニュー・サンダリアンが無事に見つかり、集落へ帰れるようになったら今度は恋人のティユ・ファイニーズと一緒に来たいものだとシュザベルは壁をもう一度見上げた。


「もー、シュザ。早く、早く!」

「置いていってしまうよ」


 二人の友人が手を振っているのを見て、シュザベルは慌てて視線を地上に戻して足を動かす。

 みんなに追いつくと、街の入り口である門で簡単な検問が行われていることに気付いた。

 検問と言っても人数の確認や街を訪れた理由を聞かれるくらいのものだそうだ。何度か来たことがあるとイユが教えてくれる。


「街に来た理由って言っても、正直に答えるだけで問題はないよ。この街では奴隷商が禁止されているから、商人たちの出入りを一部規制したいだけだからね。シュザベルくんたちの理由は人探しだから、すぐに通してくれるよ」


 イユの言った通りだった。

 あからさまに商人ではないこと、荷馬車などを有していないことからすんなりと門をくぐっていいと許可が出た。

 ただ、子どもばかりなので気のいい門番のおっさんは心配そうに「なにかあったら領主さまのお屋敷か冒険者ギルドを訪ねるんだよ。領主さまに直接会うことは出来ないだろうけど、誰かしら助けてくれる人はいるからね」と優しく教えてくれた。ネフネ・ノールドくらいの息子がいるので親近感が湧いたらしい。

 助言をありがたく受け取り、一行はシアル・カハルの中に入った。


「わぁ……!」


 ミンティス・ウォルタが思わず声を上げた。

 街の大通りには今までの港町や村など比較にはならないほどに大きな店や家が立ち並び、人が賑わっている。

 壁の代わりに一面ガラス張りの店があり、その中のマネキン人形が着た服はフォヌメ・ファイニーズの目を奪っていた。

 大きな本屋があることに気付いたシュザベルも思わずその規模に息を飲む。

 大通りはシュザベルたちのいるこの通りだけでなく、他にも縦に横にいくつかあるという。

 驚くシュザベルたちを、イユが面白そうに見ていた。メルも微笑ましいものを見るように頬を緩めている。


「まずは冒険者ギルドに……ああ、フォヌメ、勝手にどこかへ行かないでください! ……いえ、先に宿を取らないとこんなに人がいたのでは空きがなくなってしまうかも……ミンティス、お土産は別の機会にしてください! こら、ネフネ、まだ夕食には早い時間ですよ!」

「あはは、とりあえず宿に荷物置いてからギルドに行くってことでいいんじゃん?」

「イユさん……そう、ですね。ほら、みなさん聞いてますか」


 とりあえずシュザベルは目の前でヒラヒラと鬱陶しいフォヌメの袖を引っ掴んだ。イユはミンティスとネフネの背を押して馴染みの宿へと案内してくれる。


(これは……本当に、今まで以上にイユさんとメルさんには感謝しなくてはいけませんね。彼らがいなかったらここまで来れなかっただけでなく、街で迷子になっていたでしょう)


 あっちにふらふらこっちにふらふらしそうな年下たちをシュザベルだけでは御せなかっただろう。感謝はあとで伝えるとして、今は宿を目指す。

 これだけ大きな街なので宿はいくつかあり、グレードというものがあるようだ。

 イユたちの馴染みの宿は大通りから一本裏道に入った、少し人の少なくなった通りにある、冒険者や旅人が無理せず入れるランクの宿だった。

 黒猫の看板が可愛らしい<はたご くろねこ>の扉をくぐればカウンターで目が合う青い目をした一匹の黒猫。すらりとしたそのシルエットは表の看板にそっくりで、文字通り彼女がこの宿の看板娘なのだろう。


「やぁ、麗しの青目嬢。受付を済ませたいんだけど、誰かいないかにゃ?」


 イユの言葉がわかっているのかいないのか、看板娘はなぁごと鳴く。しばらくイユがカウンターの上の黒猫を撫でていると、階段を下りてやってきたのは小さな人影。

 それを見たイユはにこりと微笑む。


「やぁやぁ、小さな受付嬢さん。泊まりたいんだけど、部屋は空いてる?」

「おんや、イユさんたちじゃねっぺか。ひさすぶりだなぁ」

「チャハちゃんも相変わらずチャーミングだね~」

「まったそげなこつ言うて~、誰にでも言うんだべ」


 ケラケラと笑うのはネフネよりも小さく、顔面を強い髭で覆われた人物だ。ずんぐりとしたシルエットが球のようで愛らしいといえば愛らしい。その声は若く、見た目と違って随分と愛らしいのが違和感といえば違和感だ。

 シュザベルたちが目を瞬いているのに気付いたイユは、その小さな人物を示しながら「受付嬢だよ」と教えてくれた。


「彼女はこの宿の二番目の看板娘でね、小人族(ミジェフ)のフラウド人。名前はチャハちゃん。趣味は刺繍と読書で気立てのいい娘さん。あ、でも惚れちゃ駄目だよ~。彼女、遠距離恋愛中のフラウド人の彼氏がいるからネ☆」

「はぁ……」

「いや、どう見てもおっさ……もごごっ」


 余計なことを言いかけたフォヌメの口と、開きかけたネフネの口をさっと塞ぐ。

 いや、フォヌメの言いたいことはわかる。

 彼女――チャハの見た目は小柄で髭もじゃのおっさんそのものだ。だが髭と境のわからない同色の髪はくせ毛ながらも丁寧に手入れされ、今も可愛らしい小さな花柄のリボンで三つ編みがいくつも作られ結ばれている。

 服は作業のしやすいようにお仕着せのものだが、それもしっかりと洗濯されているのだろうシミ一つない清潔なものだ。

 ただ、腕まくりした袖口から伸びる太ましい腕に逞しく生える毛や顔の半分を覆う髭がどうにも目を引くだけで。


「フラウド人の女子さ、みぃんなこげな髭さあるべ。見たごとないお人にゃあ驚ぎだぁな」

「……すみません、不躾でした」


 ええんよぉ、とチャハはケラケラと笑う。小さく太い指のついた手で近くにいたイユの足をペシペシと叩きながら、面白そうに笑っている。不愉快にはなっていないようで、シュザベルはほうと胸を撫で下ろしながら余計なことを言いかけた二人の頭を低く低く下げさせた。

 それを見てチャハは更におかしそうに笑う。


「素直なんはいいごとだぁ」

「チャハちゃん、そろそろ受付してほしいな~なんて」

「んだ」


 イユの言葉に、チャハは頷いてカウンターに上る。カウンターの内側に階段状になった椅子が置いてあったようだ。台帳を捲りながらイユと二人であれこれと手続きを済ませるさまはしっかりと仕事の出来る人の姿だ。

 その間にシュザベルは小声でネフネたちに簡易講義を始める。


(小人族のフラウド人というのは、生まれたときから毛深く髭の生えた姿をしているんです。男女問わず)

(えぇ……)

(そして我々――彼ら彼女らからすると外の人である私たちとは美の価値観が違い、長い髭、美しく手入れされた髭を持っていることが美しい人の条件となります。なので彼女……チャハさんはかなりの美人ですよ)

(マジだすか)

(美の価値観……)


 ネフネの言葉遣いはもう無視した。フォヌメは目を見開いて種族によって美意識の違いがあることに驚いている。

 ミンティスはそっと「……ラティスが水魔法族(ウォルタ)でよかったな」と呟いていた。そういう失礼な発言をやめろと言っている。

 イユたちの方は話が終わったらしく、チャハから部屋の鍵を受け取っていた。

 ふむ、とフォヌメはチャハの毛先から足先までじっくりと観察している。余計なことを言うなよと腕を抓むと、拗ねたような顔で「そんな美しくないことするわけがないだろう」と言った。


「……お嬢さん、チャハと言ったっけ」

「んだ」

「その花柄のリボンは……ちょっとやぼったいんじゃないかな」


 こら、と言いかけたシュザベルの前にひらりと手を振られ、フォヌメに静かに見ているようにと無言で示された。

 不満はあるがいつでも殴ってでも止められるようにとミンティスと視線を交わす。


「僕の趣味ではないけれど、君のようなハシバミ色の髪には柔らかい色のリボンが似合うと思う。花柄が好きだというのならもう少し絵柄の少ないワンポイント程度のものの方が君に合っているし……あとはそうだな、目の色に合わせた飾り石のついた髪飾りなんてどうだい?」

「ほぁ~……おめさ、こーでねーたーさんかえ? おら、都会の流行りってもんがわがらんでなぁ」

「都会の流行りには僕もまだ精通しているとは言えないけど、君に似合うと思ったのは今言ったようなリボンじゃないかい。流行りと好みと似あうデザインは別さ」


 はぁ、とチャハは感心した様子で頷いていた。「カンちゃんさ、都会に行っで綺麗さなったなぁって言われるようになるかねぇ」「きっと彼氏も見違えて惚れ直すさ」なんて会話をしている。

 ……ところどころで「僕の趣味ではないが」とか「僕の好みとは違うけど」という言葉がなければシュザベルたちも素直に感心できただろう。余計なことは言うなと言っているのに。


「……フォヌメって余計な言葉や態度がなければ、本当にすごいセンスの持ち主だと思うよ。こんな短時間で、ちょっと見ただけの人に似合うコーディネートしちゃうんだからさ」

「それがフォヌメのいいところであり、悪いところですかね」


 横で聞いていたメルがくすりと小さく吹き出した。



 宿は二人ずつの部屋だった。シュザベルとネフネ、ミンティスとフォヌメ、イユとメルの組み合わせで部屋に入り、荷物を置いた。

 重たい荷物がないだけで随分と身体も気持ちも軽くなるものだ。

 シュザベルたちはすぐに宿を出て冒険者ギルドへ向かった。案内はもちろんイユだ。


「人探しを頼むにしても、人を探すにしても、どっちにしろギルドには行った方がいいからね」


 とはイユの談だ。

 ギルドには人が、冒険者が、旅人が集まる。聞き込みをするにはもってこいだ。

 それに道中で手に入れた魔獣の核を換金してくれるのだから行くしかない。核は少々重たかったが、全員で手分けして運ぶ。


「おもーい」

「もうギルドの看板が見えてきましたよ」


 ネフネを励ましながら大通りに面した大きな建物を指す。剣と盾のあしらわれた看板が冒険者ギルドの目印だ。どこへ行ってもこの看板に変わりはないと聞く。

 さて、アーティアとヴァーレンハイトはいるだろうか。いなかったとしても、誰か行先を知っている人はいるだろうか。

 緊張しながら先頭のイユがギルドの扉に手をかけるのを見た。

 ――ドガァァァァン、

 扉が吹っ飛んだ。


「……は?」


 咄嗟に飛び退いたらしいイユがメルの横に着地するのを横目に、粉微塵になって吹っ飛んだ扉を目で追う。

 砂埃が晴れ、扉と一緒に吹っ飛んだものが見えてきた。如何にも冒険者といった風情の男女三人組だ。

 それが同時にギルドの扉を吹き飛ばして外に投げ出されていた。

 なにがあったのか。

 イユとメルが険しい顔でギルドの扉があった場所を睨んでいる。

 道行く人たちが悲鳴を上げた。


「あ、れは……」


 のそりとギルドから顔を出したのは大型爬虫類のような頭部。獣のような牙に捕食者の目。土色の胴体にちょこんと申し訳程度に付けられた前足、膂力の強そうながっしりとした後ろ足。シュザベルの胴よりも太い尻尾。

 それはとある人が見れば、別の世界で太古を生きた恐竜だと称しただろうが、シュザベルたちが知る由もない。

 裂けた口から覗く真っ白な牙の恐ろしい魔獣が、そこにいた。


「どうして魔獣がここに?」

「逃げろ、魔獣がいるぞ!」

「誰か早く退治してくれ!」


 人々が叫んで、悲鳴を上げて、離れていく。

 ずしんと地響きを立てて魔獣が冒険者ギルドの壁を壊しながら大通りに出てくる。その巨体は壁と同じ目線の高さ、四メートル以上。

 じろりと睨みつけられた、吹っ飛んで転がった三人の冒険者たちはヒッと息を飲む。

 どうにかしなければ、と思うと同時にあの硬そうな皮膚を貫ける魔法を素早く展開することは出来ないと気付いてしまう。

 イユとメルは戦闘態勢に入っているが、自分からけしかけることはない。彼らもあの巨体がどう動くのか測りかねているのだろう。

 誰も動けず、時が止まったかのようだった。


「――街中に魔獣だなんて、この街の検問をどうやってくぐったんだか」


 呆れたような声がすっと耳に届いた。それは可憐な少女の声。

 シュザベルの頭上を素早くなにか小さな影が通る。

 その影は残像すら残さず魔獣の首を一瞬で刈り取った。

 シュザべルが――いや、その場にいた全ての者が気付いたのは、いつの間にか魔獣の首が落ちていることとその横に子どもの影があることだけ。


「……えっ」


 声を上げたのは誰だっただろう。

 子ども――少女が振り向く。

 真っ白な長い髪は後ろで一本の三つ編みにされ、赤いリボンで結ばれている。白い肌は冒険者や旅人には似つかわしくないものの、恰好は旅人のそれ。半袖の上着に丈の長いズボン、膝下までの短いブーツ。砂色の外套が風に揺れる。

 印象的なのはそのこぼれそうな瞳。左右で色が違う宝石のような瞳だ。右が金色、左が赤色。雷魔法族(サンダリアン)や炎魔法族(ファイニーズ)のものとはまた違うそれ。


「――アーティアさん!」


 探し求めた姿の片割れが、そこに立っていた。


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