第16話 (友)港町にて

 雷魔法族(サンダリアン)の集落でパフパ・ノールドは引き攣った顔を隠せずにいた。

 なんたってまだ幼い息子が突然どこの集落にもおらず、消えてしまったのだから。

 妻のマリネ・ノールドは青い顔で事情を知っている雷魔法族の精霊神官ニトーレ・サンダリアンの話を聞いていた。今にも卒倒しそうな妻の身体をパフパは後ろから支える。


「……息子が……シュザベル先生についていった?」


 シュザベル先生とは風魔法族(ウィンディガム)の青年で、子どもたちを集めて読み書きや簡単な魔法を教えてくれている人だ。人柄は信頼出来るし、ちょっと学問にのめり込みすぎるきらいはあるが真面目で誠実な青年だ。夫婦はよく信用して子どもを預けていた。

 そのシュザベルといえば、ニトーレ雷精霊神官の頼みで友人二人と遊学するということでしばらく授業は同じく教師として立ってくれているティユ・ファイニーズだけになると説明しに来てくれたのを覚えている。

 それについていった? は?

 ちょっと意味がわからなくてパフパは目を丸くした。

 見ていたが止められなかったと謝罪してくれるニトーレもどういったものかと困り顔で「お子さん……元気だな……?」と言っている。

 好きに自由に育ててきた自覚はあるが、ここまで好き勝手に生きるとは思っていなかった。


「あなた……どうしよう……ネフネが……船に乗って外へ……?」

「まぁ……息子っていうのはいつか旅立つものだし……」

「いやうちの子まだ九歳よ!?」

「元気に育ってよかったなぁ……ほら、三歳まではよく風邪で熱が出ていただろう」

「元気過ぎでしょ! ああもう、シュザベル先生にも迷惑をかけていないかしら……」


 心配する妻には悪いが、パフパは(絶対、迷惑はかけていると思う……)と嘆息した。


(ネフネ……頼むから手紙の一つくらい寄越しておくれ……ママ、今朝の畑の水やりサボったことすごく怒ってるぞ……)


 そんな二人のもとへとんぼ返りしてきた船の船長経由で手紙が届くまであと数日……。


+++


 港町へは二日で着いた。本当はもっと時間がかかるらしいが、今回はシュザベル・ウィンディガムの風魔法がいい具合に作用したらしく日数すら短縮したようだ。

 船から数日ぶりに地上に立つとぐらりと揺れたような錯覚を覚えた。

 初めての集落の外の世界に一同はきょろきょろと辺りを見渡す。

 見たことがないほど大きな人や耳の長い人、背中に翼を持つ人ややけに小さなおじさんのような人がいる。

 店の並びも人の多さも地元とは随分と違う。


「あっ、あれなんだろ? おいしそうなにおいがする~!」

「ネフネ、迷子にならないでくださいね」


 まずは船員に教えてもらった宿に荷物を置くことにして、シュザベルはネフネの手を引きながら宿を探す。

 目印の魚の頭の飾りというのはすぐに見つかった。魚類に恨みでもあるのかと思うような謎のオブジェが宿の扉の横に掲げられている。

 誰もなにも思わないのか、フォヌメ・ファイニーズを先頭に宿の扉をくぐる。


(……この地域でなにか伝統のある飾りかもしれませんし……)


 特に調べるつもりはないが、そういうことにしておこうと思った。でないと誰がどういう意図で宿の看板代わりにこんなものを飾っているのかわからなすぎて怖い。いや、わかったらもっと怖いことになりそうで、珍しくシュザベルは好奇心を遥か遠くへ投げ捨てた。

 宿に入るとカウンターに立っていた女性がにこりと一同を見て微笑む。耳の形が魚のヒレのようになっているのに驚く。

 アーティアから話を聞いていたが、半分魚のような妖精族(フェアピクス)であるディアメル人は主に海の中に住み、時たまヒレを足に変えて地上に出てくるのだという。海辺の街だと時々見かけることがあると聞いていたが、まさかこんなにすぐに遭遇するとは思わなかった。

 視線が少し不躾になっていたからか、ディアメル人の受付嬢はきょとんと目を丸くして首を傾げた。


「失礼しました。えっと四人ですが、部屋はありますか?」

「ふふ、ディアメル人を見るのは初めてですか? お気になさらず、慣れております。――はい、四名さまですね、お部屋は大部屋と二人部屋がありますが、いかがなさいますか?」


 慣れているとはいえ、不愉快な気持ちになることだってあるだろう。シュザベルは反省しながら友人たちを見た。彼らも少々恥じ入った様子で縮こまっていた。

 相談を聞く余裕はないようで、シュザベルは勝手に大部屋を頼んだ。台帳に名前を記入し、部屋の鍵を受け取って、部屋の場所を聞く。

 受付嬢に礼を言ってそそくさとカウンターを離れた。


「外って本当にいろんな人がいるんだね。さっき小さいおじさんとすれ違ったよ」

「多分、特徴から小人族(ミジェフ)のフラウド人でしょうね。手先が器用で、鉱山などの街に住んでいることが多く、繊細な細工を得意とする人が多いそうです」

「なるほど……それなら、さっき随分と大きな身体をした冒険者がいたのを見たかい? 彼は随分と硬そうだったけれど」

「おそらく巨人族(ティトン)の……カナイラル人かアッメグ人でしょうか。彼らは見た目だけでなく、身体が岩のように硬いそうです」


 港町は人が集まるからいろんな種族がいると聞いていたが、本当に千差万別な人の洪水のようだった。

 四人で部屋に入って一息吐く。

 ネフネ・ノールドは窓際のベッドの一つに飛び込み、「ここ、おれちゃんのー!」とふかふかに仕上げられた布団にダイブした。


「こら、ネフネ。ちゃんと荷物を置いて靴を脱ぎなさい」

「はーい」


 返事だけは素直なのだ。返事だけは。

 シュザベルが小さく息を吐くと、横でミンティス・ウォルタがくすくすと笑った。


「まだ明るいですが、西の街に出発するには疲れましたよね。宿も取りましたし、出発は明日でいいですよね?」

「そうだね。それなら今から物資調達でもしようか」


 この三年で旅に出た魔法族(セブンス・ジェム)の人々が簡単な旅のノウハウを集落に伝えているので、シュザベルたちもなんとなく旅に必要なものがわかるようになっていた。

 シュザベルは頷いて、では二手にわかれましょうかと提案する。


「私とネフネが食料と水を調達しましょう。その他の調達をミンティスとフォヌメでお願い出来ますか?」

「その他って幅広いな……。いや、いいけどさ」

「一応、必要と思われるものをこちらにメモしてありますよ。簡易寝具、マルチツールナイフ、魔獣避けのお香などですね」


 メモをミンティスに渡す。

 ミンティスはそれに目を滑らせて了解と一言頷いた。フォヌメを連れて部屋を出ていくのを見送って、シュザベルもネフネを見下ろす。


「私たちも行きましょうか」

「はーい」


 元気よく手を上げるネフネを連れてシュザベルも宿を出る。目指すは市場。



 市場にやってきたシュザベルはネフネの意外な一面に驚いていた。


「シュザベルせんせ、こっちのメロの実よりもイナブの実のほうがいいよです。メロは足がはやいから」

「そ、そうなんですね」

「あとは……生魚より干物とか干し肉をえらぶとか……。あ、ヒラソルの種! これ、おいしーんですだよ!」


 食料、主に植物由来のものや果物、木の実などに詳しいのだ。食べられる花というのも教えてくれた。


「詳しいんですね」

「とーちゃんがショクリョーナンになっても生きてけるようにっていろいろおしえてくれたんだす」

「食糧難……」


 ネフネの父は一体なにを想定しているのだろうか。いや、最悪を想定しておくことは大切だが。まぁ、今役に立っているならいいかとシュザベルは自分を納得させた。

 ネフネは嬉々として「これは保存食に向いている」「こっちは少しの量でお腹いっぱいになる」と説明してくれる。それを聞きながら必要なものだけを買っていく。すぐに両手で抱えるほどの食糧と水が手に入った。

 一度、宿に戻ろうということになり、ネフネと連れ立って市場を離れる。

 ざわざわとした人込みは慣れないながらもいろいろな話が耳に入ってくるものだ。


「しっかしあの凸凹コンビ、すごかったな」

「ああ、あの二人組か。暴れ三つ目山羊をあっという間に宥めちまうなんて」

「若いからって見くびるもんじゃないね」


 ふとそんな会話がシュザベルの耳に入った。


(凸凹コンビ……もしかして、アーティアさんたちでしょうか)


 あの二人はどうやって出会ったのかわからないくらいに凸凹で、見た目も物理的に凸凹なコンビだ。アーティアに関しては見た目は若いというより幼いが。

 ネフネを呼び止め、話していた男たちのそばに寄る。


「すみません、今少しお話しが聞こえてしまって……その凸凹コンビ、どこへ行ったか知りませんか?」

「ん? あの二人なら魚頭の宿に泊まってたよ。知り合いかい?」

「はい、探してたんです。ありがとうございます」


 あの宿、やっぱり変な名前で呼ばれていたかと思いつつ男たちに礼を言って離れた。行く先は変わらずに済みそうだ。

 ここで会えたなら旅支度も必要なかったのではと思わなくもないが、この先になにがあるのかわからないので損ではなかったと思い直した。

 宿へ戻り、カウンターで暇そうに欠伸をしていたディアメル人の受付嬢に声をかける。


「すみません、えーと……実は旅人の二人組を探しているんですが、どこへ行ったか知りませんか? なんだか凸凹な二人組なんですけど」

「あふぁ!? ――し、失礼しました。えーと二人組のお客さまですか? それでしたら……そちらのお二人のことでしょうか」


 そちら、と受付嬢はシュザベルの後ろを見た。

 振り向くと、シュザベルとそう視線の高さが変わらない二人組がそこに立っていた。思いもしなかった二人組を見てシュザベルは目を瞬かせる。

 突然話を振られた二人組もまた、目を丸くしてこちらを見ていた。


「あれ、イユにーちゃん」

「あれ、ネフネちゃん?」


 反応したのは明るい色の髪をした男性だ。

 明るい白みがかった髪と同色の目。服装はだらしなく第一ボタンと第二ボタンが開いている。髪は少し長さがあるようで、頭の後ろでお団子にしている。それを留めるのはカンザシと呼ばれる東方の髪飾りだ。珍しいものを使っているなと思った。

 右のもみあげだけを垂らしている髪を指でくるくるといじりながら、ネフネを見下ろして目を瞬かせている。

 もう一人は逆に暗い印象を覚える青年だ。

 黒い髪と黒い目。頭の後ろを刈り上げたショートヘア。ゆったりとした服は露出を許さず、出ているのは顔くらいのものだ。

 彼はネフネに見覚えはないらしく、知り合いなのかという目でネフネと男性を見比べている。

 シュザベルはネフネに「知り合いですか」と小さく聞いた。


「うん。たまに遊んでもらってたんますよ」

「ですを使ってください。そうなんですね。ということはもしかして魔法族の方でしたか」

「です!」


 こくりとネフネは頷く。


「イユにーちゃん、旅に出てたから会わなくなったんだます?」

「そうだね~。って、ここでネフネちゃんに会うってことは、ネフネちゃんも旅立ちって感じ? わ、おっとなじゃーん」

「んっふふ~」


 顔見知り同士、にこにこと話している。ネフネにはどうにか二人を紹介してほしいところだが、そういう方向への話題の持っていき方にはならないようだ。

 連れを放置して楽しそうに話をする二人を置いて、黒髪の青年と目が合う。


「……風魔法族のシュザベルです。ネフネの保護者代わりをしています」

「……自分は……闇魔法族(ダーキー)の、メル。……こっちは光魔法族(シャイリーン)のイユ……」


 聞けば、明るい髪の男性――イユと黒髪の青年――メルは三年前に集落を旅立った勢らしい。あのころは少なくない人数の旅人が魔法族から出た。その内の一組だったのか、とシュザベルは頷いた。


「……探してたって、自分たちを?」

「いえ、すみません。人違いだったみたいです」

「そう」


 メルは会話が得意な方ではないようで、会話が途切れた。横では大きいのと小さいのが何故か背比べを始めている。そんなことしなくてもどう見てもネフネの方が小さい。


「へぇ~、じゃあシュザベルくんに勉強見てもらってんだ~」

「うん。シュザベルせんせ、とっても教えるのじょーずですさ」

「私の教え方が上手なら、どうしてネフネはいつまでも変なですます口調なんでしょうね……」


 どっと肩に疲れがやってきた気がした。

 とにかく、探していた二人組とは違うらしい。やはり西の街には行かなければならないようだ。


「お二人はアーティアさんとヴァルさんという名前の旅人を知りませんか? 探しているんです」

「アーティアとヴァル? ……ああ、もしかして三年前に集落にちょくちょく来てた」

「はい、その二人です。最近、どこかで会いませんでしたか?」


 イユはメルを見て、メルはふるりと首を横に振った。イユも肩を竦めてシュザベルに視線を戻す。


「いや、そもそもこの三年、その二人には会ってないかな」

「そうですか。……ありがとうございます」

「どーいたしまして~」


 メルは暗めで口数も少ないが、イユは軽い調子で話し続けるタイプだ。確かに凸凹コンビとも言える。

 一人納得していると、イユとメルはこれから港町を発つ予定だったらしい。時間を取らせたことを詫びて二人から離れる。


「イユにーちゃん、メルさん、ばいばーい」

「ネフネちゃん、あんまりシュザベルくんに迷惑かけたら駄目だよ~。じゃね~」


 手を振るイユとぺこりと頭を下げるメルを見送って、シュザベルはネフネと宿の四人部屋に戻ってきた。

 地味に重たかった荷物をベッドの上に置いて、四等分にする作業を始める。ミンティスとフォヌメは戻ってきていないようだ。

 ネフネはベッドに腰かけて足を揺らしている。

 ねぇね、せんせ。とネフネが声をかけてきたのに顔を上げた。


「シュザベルせんせ、だれかさがしてるですだか?」

「ですか、ですよ。――はい、そうですね……ネフネにはちゃんと話しておきましょうか」


 そういえばちゃんとした旅の目的を話していなかったと気付き、作業する手は止めずにネフネを見た。


「実は、ニトーレ雷精霊神官さまに頼まれて遊学するために集落を出たわけではないんです」

「はぇ?」

「ジェウセニューという雷魔法族の友人を探すために集落を出てきたんです」


 ふぅん、とネフネは首を傾げている。


「そのために、神界に行く必要があり、神界に行く手段を聞くためにアーティアさんとヴァルさんを探しているんですよ」

「なるへそー」

「なんですか、その言葉」


 ネフネはたまによくわからない言葉を使う。

 説明を聞いてどう思ったのか、ネフネはこくこくと頷いている。神界と聞いても特に大きなリアクションがなかったことから、理解がどこまで及んでいるかわからない。

 ……父親に教えられた食料についてのあれこれや、何度か教えた魔法の扱いについては覚えられたので、地頭は悪いわけではないはずなのだが。多分。


「……とはいえ、これは他言無用でお願いしますね。神界のことも、セニューのことも、ちょっとデリケートな話になるので」

「はーい! タゴンムヨー、デリバード!」

「デリケートです」


 不安は残るが、説明はしたし大丈夫だと言うことにしておこう、とシュザベルは止まっていた仕分けを再開する。

 窓の外では日が傾いてきた。

 まだ、ミンティスとフォヌメが戻ってくる気配はない。


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