第15話 (セ)たのしい晩ごはん

 ぐきゅるぅぅ、と気の抜ける音が聞こえた。

 アルゴストロフォスの腹から聞こえてきたそれはきゅぅんと切なく鳴く腹の虫。

 ジェウセニュー・サンダリアンとアルゴストロフォスはお互いに顔を見合わせるとぶはっと吹き出した。


「なんだ、腹減ってるのか」

「……ちょっとおそいおやつをたべようとおもって、きにのぼったのだ。そしたらおりられなくなったのだぞ」


 ジェウセニューがケラケラと笑うと、アルゴストロフォスはぷくりと頬を膨らませて拗ねる。

 それを宥めながら、さっき収穫したリンゴモドキをまだ持っていたはずだと思い出した。アルゴストロフォスを受け止めたときに散らばったのだろう、いくつか近くに落ちている。


「さっき向こうで採ったんだ。食べるか?」

「わぁ、ヤブラカの実だ! アルはきいろいのがすき。セニュくんは、なにいろがすき?」


 龍族(ノ・ガード)の間ではヤブラカの実というものだったらしい。リンゴモドキではなかったのか。

 生憎と外の世界に疎いジェウセニューには、このヤブラカの実が龍族の里特有のものなのか、地域によっては普通に食べられるものなのかわからなかった。


「そうだなー、青いのかな」

「あおいのもおいしいね」


 アルゴストロフォスはにこにこと笑いながら、青いヤブラカの実を一口でぱくりと飲み込んだ。種や芯など関係ない仕草に、種族の差を感じる。


「アルが登ってたあの木はなんの木なんだ?」


 少なくともジェウセニューは見たことがない木だ。一見なんの木の実も果物も生っていないように見えるが、アルゴストロフォスはお腹が空いてこの木に登ったのだ。なにかあるのだろう。

 もぐもぐとヤブラカの実を咀嚼していたアルゴストロフォスは首を傾げるようにして、ジェウセニューと木を見た。


「クノココだよ」


 アルゴストロフォスはジェウセニューがクノココを知らないということが不思議なようだった。

 木を見上げて、大きなのこぎりのような形をした葉っぱの根本に葉と同じ色で目立たない丸い木の実のようなものがあるのだと教えてくれた。ジェウセニューもアルゴストロフォスが指すのを見てようやくなにか生えているのだと気付く。


「クノココはね、ちょっとやくとおいしいんだって。アルはひがつかえないから、たべたことないのだけど……」

「ふぅん」


 ヤブラカの実で空腹は去ったが、今晩の食事をどうしたらいいのかマースティルダスカロスに聞いていないことを思い出した。

 なにか用意してもらうのも悪いので、果物でも採取して戻ればいいだろうか。

 そう考えると火で焼くこのクノココというものは間食より食事に向いているのかもしれないと考える。


「ちょっと登って取ってきてみる」

「えぇっ、あ、あぶないのだぞ!」

「木登りは得意なんだ。下に落とすから受け取ってくれるか」


 渋々頷くアルゴストロフォスを確認して、ジェウセニューはクノココの木の幹を触ってみた。登りやすそうな凸凹した幹だ。

 しかしだいぶ日が沈んできたので急いで登ることにする。

 手と足を凸凹に引っ掛けてジェウセニューはするすると木を登っていく。「おお……」とアルゴストロフォスは小さく感心した声を上げていた。

 先ほどアルゴストロフォスがしがみついていた枝をさっさと踏み越え、葉の根本に実る緑色の丸い物体と対面する。


(クノココの実ってスイカくらいの大きさがありそうだな)


 軽く叩いてみると水分の多い、スイカを叩いたときに似た音がする。どうやって収穫したものかと実を抱えてみると案外すんなりと根本から剥がれるように収穫できた。

 スイカと同じ強度ならば下にいるアルゴストロフォスに投げるのはよくないだろうか?

 しかし見た感じはふわふわした少し足の長い毛が生えていて硬そうにも見える。

 わからないものは聞くしかない。ジェウセニューは少し首を伸ばして下のアルゴストロフォスを見た。


「なぁ、アル。これってそっちに投げて割れたりしないか?」

「だいじょーぶなんだぞ!」


 元気よく声が返ってきたので遠慮なく放ることにした。投げるぞと一声かけて、アルゴストロフォス目掛けて軽く放る。

 上手く受け取ることが出来たアルゴストロフォスはクノココの実を掲げて得意顔をしていた。


(もう二、三個くらい採ってもいいかな)


 そろそろ日が落ちる。それまでに木を降りて、出来れば森から出たいところだ。いくら鬱蒼としていないとはいえ、慣れない森の夜は恐ろしい。

 ジェウセニューは手早く二つの実を採って下に投げた。もう一つくらい、と上を見上げると暗い中でも金色に光る実があるのに気付いた。


「お、おお……なんか……小さい子どもとか生まれそうな実……」


 小さいころに母が読んでくれた絵本を思い出す。あれは確か光る桃だったか? よく覚えていないが、昔々あるところに住んでいた老夫婦が日課の最中に光るものと遭遇し、それを収穫したら中から小さな子どもが! ……という話だったと思う。

 ところで母は集落と交流がほぼなかったと聞いていたが、どうやってその絵本を調達したのだろうか。シュザベルも知らない絵本だった。

 そんなどうでもいいことを考えながら、ジェウセニューはそっとその淡く光る実に触れてみる。特に熱を発しているわけでもないのにどうしてだか発光しているのは何故だろう。

 少し気になったのでそれももいで降りることにした。


「アル、最後落とすぞー」

「はぁい」


 淡く光る実は叩くと少し硬い音がした。

 下で受け取ったアルゴストロフォスはきょとんと目を瞬かせている。

 ジェウセニューは足元を確認しながらするすると木を降り、適当な高さから飛び降りた。


「うわぁ、セニュくん!」

「わっ、どうした、アル」

「このクノココの実、ひかってるのだ!」


 だいぶ暗くなってしまった森の中でもふわりと暖かい光を発している。先ほどより少し光が強くなっている気がした。


「……なんでこれ光ってんだろうな」

「しらない……たべれるのかな?」

「食べてみて、食べれそうになかったら……そのときはそのときかなぁ」


 結構その場のノリというか、勢いで生きているジェウセニューだ。

 とうとう夕陽も沈んでしまった。光源はその光るクノココの実だけだ。


「オレはマースさん……待たせてる龍族のヒトがいるから、そのヒトんとこ行くけど、アルはどうする?」

「アルもついてっていいかな」

「いいぞ」


 二人(一人と一頭?)で分けてクノココの実を持って、ジェウセニューの来た道を戻る。途中でヤブラカの実も収穫していこうかと思ったが、残念ながら赤や青をしたヤブラカは暗い中では見つけられなかった。

 しばらく光るクノココの実を頼りに歩くと開けた場所に出た。マースティルダスカロスが寝転んでいたはずの場所だ。


「マースさん?」

「あ~、いた~。やっと戻ってきたね。よかった、迷子になってたらどうしようかと考えていたんだ」


 大きな龍体ではなく、角と翼のある人型の姿になっているマースティルダスカロスはほうと安堵の息を吐いた。

 ジェウセニューの後ろに子龍がいるのに気付いて、おや、と首を傾げる。


「なんだ、アルゴストロフォスじゃないかい。アンタがこの辺りにいるのは珍しいね」

「知り合い?」

「龍族は<龍皇>さまを除いて百体しか存在しないからね。みんな知り合いみたいなもんさ」


 誰かが死ぬと誰かが生まれる。その繰り返しで、龍族は増えも減りもしないらしい。やっぱり不思議な生き物だと思う。

 マースティルダスカロスに覗き込まれたアルゴストロフォスはぱちぱちと蜂蜜色の目を瞬かせた。


「マースティルダスカロス、セニュくんとしりあいなのか?」

「スハイルアルムリフさまに指南役を仰せつかったんだよ。アルゴストロフォスはどうしたんだい」

「きからおりれなくなってたのを、うけとめてもらったのだ」

「……ジェウセニュー? 身体、無事? アルゴストロフォスは他の子に比べて結構頑丈なんだけど」


 なるほど、未だに腰の辺りが少し痛むわけだ。

 簡単になにがあったかを話すとマースティルダスカロスはケラケラと腹を抱えて笑った。


「ああ、それでクノココの実を抱えて戻ってきたんだねェ。その光るクノココの実は珍しいよ。熟成した実がたまにそうなるんだ」

「へぇ」

「食べたやつは味や感想を語ろうとしないからどんなもんか知らないけどね」


 ……それは大丈夫なのだろうか。何故、誰もなにも語ろうとしないのだろう。ちょっと不安になってきたが、マースティルダスカロスは気にした様子もない。


「そんじゃあ島に戻ろうか。……アルゴストロフォスはどうする?」

「あ、アルもいっしょにいってもいいか?」

「いいよ。ごはんはみんなで食べた方がおいしいからね」


 言いながら、マースティルダスカロスはジェウセニューを右手で小脇に抱え、左手でアルゴストロフォスの抱えていたクノココの実を掻っ攫って抱えた。


「そのアルってのはなんだい」

「セニュくんがつけてくれたのだぞ!」

「なるほど、いいあだ名を貰ったね」


 アタシも呼んでいいかいとマースティルダスカロスが問うと、アルゴストロフォスは嬉しそうに頷く。


「じゃ、アルはちゃんと自分で飛んでついてくるんだよ」

「はぁい」


 え、とジェウセニューは目を瞬かせる。

 そんな様子に気付かないマースティルダスカロスはばさりと翼を大きくして羽ばたかせた。ふわりとした浮遊感。

 あっという間にジェウセニューを抱えたマースティルダスカロスは宙に浮いていた。

 その後ろをよたよたと危なっかしい様子でアルゴストロフォスが追ってくる。


「いや、飛べるんかい」


 だったら何故あんな二メートル程度の高さで震えていたのか。

 ちょっとジェウセニューにはわからなかった。



 小さな家のある島に戻ってきた。

 家に入るとランプが暖かく部屋を照らしている。ジェウセニューは二三度瞬きをして目を慣れさせる。

 マースティルダスカロスは翼を小さく畳んでリビングにあるテーブルの上にクノココの実を置いた。

 遅れてやってきたアルゴストロフォスものそのそとテーブルの近くに寄ってくる。


「なにか作ってやるべきかなーって思ってたけど、二人がクノココ採って来てくれてよかったよ。これだけでも結構お腹にたまるもんね」

「料理とかは……」

「……マースさん、料理は苦手なんだよねェ」


 ジェウセニューも人のことを言えないのでそれ以上はなにも言わなかった。アルゴストロフォスは論外だろう。あの鋭い爪で実を砕くことが出来ても、料理することは出来ないだろうから。


「クノココ、ひでやくとおいしいってきいたのだぞ」

「そうだね~。炙るくらいならアタシでも出来るよ」


 ジェウセニューは雷魔法族(サンダリアン)なので炎魔法は使えない。料理は苦手なのでキッチンで火を熾すのも危ない。

 黙って食器を出すことに専念することにした。リビングに併設された小さなキッチンに向かえば食器棚にいくつか食器が入っているのが見える。

 少し考えて、大皿とスプーンとフォークを人数分出した。アルゴストロフォスは使うかどうかわからないが、念のためだ。

 リビングに戻ると龍族二人がクノココの実を布で磨いている。水で洗うと溶けてでろでろになるらしい。雨に弱い植物ってなんだと思いながらその作業を眺める。


「んで、磨いたら火で炙る~っと。――フィラ・アン」


 ぼっとマースティルダスカロスの手にしたクノココの実が火に包まれた。それはほんの数秒で、木の実は少し焦げた色とにおいをさせてマースティルダスカロスの手の中にあった。


「火には強いんだよね、こいつ。さて、じゃあ切り分けようか」

「アルがやるよ!」


 アルゴストロフォスが元気よく手を上げる。その爪を見て、マースティルダスカロスはにこりと微笑む。

 頼んだよ、と実を渡すと、アルゴストロフォスは慎重な様子でクノココの実を二つに切った。

 種のないスイカのような赤い断面だ。

 ジェウセニューが皿を差し出して、アルゴストロフォスがその上に実を置く。

 それを三回繰り返して、マースティルダスカロスは例の淡く光るクノココの実を手にした。


「これも炙ってみる?」

「そもそもこれの食べ方知らんし……マースさんの好きなようにお願い、します」


 じゃ、炙ろっか。と軽い調子で言ってマースティルダスカロスは光るクノココの実を火だるまにした。

 同じようにアルゴストロフォスが切って、皿に乗せる。

 意外と結構な量になった。

 大玉スイカ四つ分だからそれもそうだろう、とジェウセニューは椅子に座る。横でよじよじと椅子によじ登ろうとしているアルゴストロフォスを手伝ってやり、三人はテーブルにつく。

 マースティルダスカロスが手を組んだのを見て、アルゴストロフォスも慌てて爪を合わせるようにして手をぱちんと合わせた。


「偉大なる始祖の恵みに感謝を」

「ゆたかなるだいちにかんしゃを」

「いただきまーす」

「いただきますっ」


 そうしてマースティルダスカロスはスプーンを握ってクノココの実を食べ始めた。アルゴストロフォスはそのまま丸飲みするようにして齧っている。

 龍族の作法だろうか。

 よくわからないので形だけ真似しておくことにして、ジェウセニューは手を合わせて「いただきます」とだけ言った。

 スプーンで掬うようにして口に運んでみる。

 炙ったおかげか、少しぬるい食感だが、これは――


(……種なしスイカの顔したオレンジ……いや、なんだろこれ、それ系だとは思うんだけど)


 多分、柑橘系。これを炙ったのか。もしかしたら炙ったからこそこの味になったのかもしれない。こうなるとますます炙る前の味が気になるところだ。

 一つくらい残しておけばよかったと思いながらスイカ大玉の半分くらいの量があるオレンジモドキを食べた。

 三人とも一玉分食べたところで、視線は淡く光っていたクノココの実に移る。


「どんな味なんだろうね」

「わくわくするのだぞ!」


 誰も味を語ろうとしない光る実。

 示し合わせたわけでもないのだが、三人同時に口に含んだ。瞬間、吐き出す。


「く、腐ったバナナ……? 違う、これ、なんだ……なんか食感がぬるぬるする……」


 ジェウセニューはキッチンに走って置いてあった水瓶から直接水を飲んだ。

 視界の端ではひっくり返るアルゴストロフォスと、外に走っていったマースティルダスカロスの姿が見える。ついでに「ウォタ・アン!」と聞こえたので魔法で水を出して被るようにして口をゆすいでいるのかもしれない。


「……なんともいえないおあじなのだ……」


 泣き出しそうな声でアルゴストロフォスが呟いた。全力で同意しながらコップに水を注いで今にも泣きそうな子龍の口に突っ込んでやる。

 味を流し込めたのか、アルゴストロフォスはよろよろと起き上がった。

 頭をジェウセニューの腹に押し付けるようにしてしくしくと泣き出す。


「ちょっとこれは確かに人に話しようがない……」

「おいしそうなにおいにだまされたのだ……」


 ぐすんぐすんと泣くアルゴストロフォスの後頭部から背中を撫でてやりながら、ジェウセニューは残ったクノココの実(激マズ)をどう処分するか悩んでいた。



 因みに数日後、再び見つけたクノココの実と光るクノココの実を炙らないで食べてみたが、普通のクノココの実はスダチのような味で、光るクノココの実は腐ったゴムみたいな味がした。

 ジェウセニューはヤブラカの実を食べることにした。


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