第14話 (セ)今、必要なのは休息
「島から下りてた方が安全だよね」
そう言ったマースティルダスカロスはひょいとジェウセニュー・サンダリアンを小脇に抱えると、低い段差でも降りるかのように簡単な仕草で小さな家のある島から空へ足を踏み出した。
当然、重力はジェウセニューごとマースティルダスカロスの身体を地面へと引っ張る。
「ひっ」
「あっはは、舌噛まないようにねェ」
腹の中身が喉から出ようとするような、浮き上がるような、感じたこともない感覚にジェウセニューは悲鳴すら飲み込んだ。言われた通り歯を食いしばって耐える。
マースティルダスカロスは楽しそうににんまりと笑うと背中の翼をばさりと動かした。落下する速度が少しだけ遅くなる。
「――ヴォレ・アン」
短い詠唱を口にしたと思うとマースティルダスカロスの足元に青い魔法陣が浮き上がる。それの中心をマースティルダスカロスがつま先で弾くとキラキラとした光があふれ、二人はゆっくりと地上に着地した。
島の下、地上部分の半分ほどは森のように木が生い茂っている。なにか果物や木の実も生っているものもあるので木を丸禿にしなければ好きに食べてもいいとマースティルダスカロスが笑った。
「季節感ねぇなー」
「キセツ? なぁに、それ」
驚いたことに龍族(ノ・ガード)の里には季節がないのだという。年中、暑くも寒くもない気候で天候も安定している。ただ、たまに<龍皇>が植物などのために雨を降らせたりするくらいだそうだ。
「天気や気温はあのお方の気分次第、機嫌次第なのさ。ま、あのお方が機嫌悪くなったり良くなり過ぎたりすることなんて数百年ないけどね」
以前少し機嫌を悪くしたときといえば、神族(ディエイティスト)と魔族(ディフリクト)の争いの仲裁をしたときくらいのものだそうだ。
恐ろしいほど昔の話な上に、それでも少し機嫌を悪くした程度の出来事なのかとジェウセニューは自分とはスケールの違う龍族――<龍皇>の人柄(龍柄?)に慄く。
故郷の家の周囲にある木々とは違うのでついきょろきょろと見渡してしまう。
それを見てマースティルダスカロスはくすくすと笑った。
「今日はこの辺を好きに探索することにしよっか。アタシはこの辺にいるから、好きに見て回るといいよ」
「え、でも魔力制御が……」
「んー、アンタは今日いきなりこの里に来た。疲れてるでしょ。そんな状態で制御訓練なんてやったら暴走しちゃうって。訓練は明日から。今日はのんびりしなさい」
マースティルダスカロスはそう言うと、再び大きな龍体となり、その場に蹲るようにして寝転んだ。
リラックスした様子で瞼を下ろしている。
ジェウセニューはぽかんとその様子を眺めていた。しばらく見ていても動く様子はない。
「……」
確かに今日だけでいろいろなことがあった。今は冷静なつもりだが、頭の中はパンクしそうな情報でいっぱいだ。
少し、一人で考える時間が欲しい。
マースティルダスカロスの申し出はありがたかった。
「ちょっとその辺、散歩してくるっ」
寝ぼけたような声ではぁいと返ってきたのを聞きながら、ジェウセニューは森の方へ歩いてみることにした。
あちこちにいろんな木が思うままに生えているのでちょっとした迷路のようにもなっている。それでも鬱蒼としていないのはどうしてだろうか。不思議な感じだ。
この「底」である地上にも住んでいる龍族もいるらしく、縄張りには気をつけろと言われたが……縄張りをどうやって見分ければいいのだろうか。
(うーん、まぁ、そのときはそのときだな)
さくさくと小さな草を踏みつつ森の奥へと歩いていく。
そういえば、間食もしていないのだ。いつもならなにかしらつまんでいるから小腹が空いてきた時間である。何時かよくわからないけど。
くうくうと切ない声を上げる腹を撫でて、ジェウセニューは木を見上げた。小さな木の実が生っているのが見えるが、少し数が少ない。
「もう少し奥に行ったらなにか大きめの果物とか生ってないかな」
ブドウのような木があったが、一粒つまんでみたところで相当な酸っぱさに思わず噴き出した。人の食べるものではない。
残念に思いながら更に奥へ歩くとリンゴのような果物が生っているのが見えた。
少し背の高い木だが、これくらいの高さならばジェウセニューにとって大したものではない。わずかな凹凸を伝って果物に手を伸ばした。
つやつやとした瑞々しいリンゴだ。リンゴにしては少々大きいし、色も赤だけでなく青や黄色いものまで見えるが。
虫食いがないことを確認して、ズボンで拭ってからそのまま齧る。
「……酸っぱすぎないレモンだ、これ」
さっきのブドウモドキとは違って食べられるが、なんとなくもやもやしたものが胸の内に湧き上がる味だ。
念のため青いリンゴモドキをもいで同じように齧ってみた。こっちはスモモのような味だった。本物のスモモより少し甘い。
「じゃあこっちの黄色いのは…………スイカだ」
種はリンゴと同じように芯についていた。食べられないこともないし、青いリンゴモドキは美味しかったのでもう二つ三つもいでおく。
木から飛び降りて、他の木を見上げた。
「もしかして他のもこんな感じなんかな? ……モミュアが見たらきっと驚くだろうな」
くくと笑う。きっと大はりきりでお菓子を作って振舞ってくれるだろう。
その様子がありありと思い浮かべられて、ジェウセニューは一人破顔する。
不意にきゅぅきゅぅと子犬の鳴くような音が聞こえることに気付いた。少し離れているが、もう少し奥に行けば音の近くまで行けるだろうか。
ジェウセニューは青いリンゴモドキを齧りながらそちらへ足を向けた。
少し歩いてやってきたのは他より少し背の高い木の下だ。
見上げると、赤っぽくて大きなものが丸まって木の枝にしがみついているのが見える。
「……龍族、か?」
にしては小さい。今まで見たスハイルアルムリフやマースティルダスカロスたちはジェウセニューの家よりも大きな姿をしていたのだ。
今目の前できゅぅきゅぅと鳴いているのはジェウセニューが両手でやっと抱えられそうな大きさである。
とはいえ泣き喚くようにきゅぅきゅぅと鳴いているのを放置するのもここまで来たのに出来るものではない。
とりあえず声をかけてみることにした。
「おーい、そこの……そこの、なんだ? えーと、そこの! どうしたんだ?」
ふるりと丸まったそれが動いた。きゅぅきゅぅという鳴き声も止まった。
もぞもぞと体勢を動かして見下ろしてきたのは真ん丸な子どものような目。
「ひっく……うぅ……」
「大丈夫か? 怪我でもしたのか?」
「おおお」
「おおお?」
「おりられなくなっちゃったぁ~」
情けない声で泣いたそれは子ども特有の高めの声。もしかして、龍族の子どもだろうか。
登ったのはいいが、降りられなくなったのだろう。少し動いた拍子に枝もみしりと悲鳴を上げていた。あまり動かない方がいいだろう。
……とは思ったが。
(他より背の高い木だけど、あいつがいる場所はオレの頭より少し高い程度なんだよな……)
逆に何故そんな場所で降りられなくなったのか。ジェウセニューは首を傾げながら、とりあえず手を広げて見せた。
「なぁ、オレが下で支えてやるから降りてみないか?」
「む~~り~~っ」
「大丈夫だって」
「こ~~~~わ~~~~い~~~~っ」
えぐえぐと更に泣く子どものドラゴンにジェウセニューは困って頭を掻く。
そういえば、ジェウセニューもうんと小さいころ、木に登ったはいいが降りられなくなって母を困らせたことがあったっけ。
思い出して、そのとき母ルネローム・サンダリアンはどうやって自分を降ろしてくれたのか思い出した。
「なぁ、下で受け止めてやるから飛んでみないか」
「やっ、やだぁ」
「大丈夫、大丈夫。ほら、そっから飛ぶのってなんかヒーローの登場みたいでカッコよくないか?」
「ひっく……ひぃろぉ?」
「そう、正義の味方が『とうっ!』って登場するシーンみたいだろ」
「……カッコいい? これ、とべたらカッコいい?」
「(かかった)おう、めっちゃくちゃカッコいいな!」
「……とぶ!」
よし来い、と再び両手を広げる。が、受け止めきれるだろうかということをジェウセニューは考えていなかった。子どもの声だからつい小さいものを相手しているような気になっていたのだ。
恐る恐るといった調子で子どもは「とうっ」と掛け声を発して宙へ飛んだ。
ジェウセニューは着地点を目算して移動する。
――どすんっ
「げふっ」
「わぁっ」
思ったよりも大きく重さのあった小さなドラゴンは見事ジェウセニューの腹へ着地した。ちょっと身体が立ててはいけない音を立てたのを聞いたような気がしながら、ジェウセニューは子ドラゴンを抱えたまま後ろにひっくり返った。
むくりと先に起き上がったのは子ドラゴンの方。
きょろきょろと辺りを見回して、自分がちゃんと地上に戻ってきたことを確認する。
「わぁ! おりれた!」
「……うん、よかった……あの、腹から下りてもらっていいか?」
わぁ、と子ドラゴンはジェウセニューの腹の上から飛び退く。重りが消えた腹に手を当てて、ぶつけた後頭部をさすりながらジェウセニューは半身起き上がった。
「だ、だいじょぶか? ごめんなさい……」
「いや、大丈夫、大丈夫! オレ、結構頑丈だから!」
心配させないように笑ってみせると、子ドラゴンはよかったぁと言いながらへにゃりと笑った。ドラゴンというのは表情に乏しいと思っていたが、そうでもないようだ。
木々の間から夕陽が差して、二人を照らす。
ようやく相手の姿が見えるようになった。
今まで見てきた龍族の龍体をそのまま小さくしたような姿だ。鋭い牙や爪、つややかな赤い鱗。空を指すように真っ直ぐ天を衝く角が大小四つ。ただしスハイルアルムリフのように凪いだ瞳ではなく、くりくりと丸くて人懐っこそうな瞳だ。
最も目を引くのはその全身を覆う真っ赤な鱗。夕陽に照らされて一層美しく輝いている。
「赤い鱗……かっけぇ……」
思わず声に出していた。
それを聞いた子ドラゴンはぱちぱちと目を瞬かせ、やっぱりへにゃりと笑みを浮かべる。
「ほんとう? えへへ……も、もっとよくみてもいいんだぞ!」
「えっ、いいのか!」
子ドラゴンは嬉しそうに背中や翼を強調してジェウセニューに近付いてきた。尻尾が犬のようにふりふりと揺れている。その鱗ももちろん真紅で、とても綺麗だ。
ジェウセニューを珍しそうな目で見ている。その色は蜂蜜のような透き通った黄色。
ふふ、とジェウセニューは小さく笑う。
「な、なに?」
「いや、目の色似てるな、オレたち。と思って」
ぶんぶんと尻尾がより嬉しそうに揺れた。
「里のひとじゃない?」
「ああ、オレは雷魔法族(サンダリアン)のジェウセニュー。セニューでいいぜ」
子ドラゴンは二三度口の中で「せにゅー、せにゅー」と繰り返した。嬉しそうにきゅうと目を細める。
「おまえの名前は?」
「アルゴストロフォス!」
「……んじゃ、アルだな」
「……ある?」
「その方が呼びやすいだろ」
ぱっと子ドラゴン――アルゴストロフォスは目を輝かせた。真ん丸の瞳が満月のようだ。
しばらく、ジェウセニューとアルゴストロフォスはにこにこと向かい合っていた。
+++
真っ白な部屋にヴァーンとルネロームは座り込んでいた。
ルネロームはぱちぱちと目を瞬かせ、周囲を見る。真四角な白い、なにもない部屋だ。
「まぁ……どこかしら、ここ」
声が反響しない。ルネロームは首を傾げて少し考え、両手を打ち鳴らした。
パァン、と掌は確かに鳴ったのに、壁からの反響がない。
立ち上がってみる。床は特に変なところはないようで、普通に歩けた。
そっと壁に近寄り、手で触れようとして――
「あら?」
ぐにゃりと壁が逃げた。手を横に動かせば、その部分だけが逃げる。最初に触れようとした場所はもとのように、なにもない壁ですという顔でそこにあった。
ルネロームは振り返ってヴァーンを見る。
ヴァーンもぽかんとそれを見ていた。
ヴァーンのそばに戻り、座り込む。
「変な場所ね。……ヴァーン、その怪我、だいじょうぶ?」
「ああ……少し油断したな」
言いながら左肩を押さえる。白い外套を真っ赤な血が汚していた。ヴァーン自身も少し青い顔をしているような気がする。周囲が白いからだろうか。
「おれたち、大蛇に食われたんじゃなかったか?」
「そうねぇ……どうしてこんな変な部屋にいるのかしら?」
部屋の大きさはルネロームの家より広いくらいだ。
それがルネロームの身体を避けるようにして変形する。変な部屋だ。
ヴァーンは自分の外套を裂いて簡易包帯を作るとそれを左肩に巻いて止血している。ルネロームはそれを横目で眺めながら、周囲の気配を探った。
生物の気配はしない。
「……ねぇ、ヴァーン。ジェウをどこに飛ばしたの?」
ルネロームは自分の意識が消失する直前にヴァーンが息子をどこかへ転移させるのを見た。変なところへ送ることはないだろうが、一体どこへ送ったのだろうか。
ああ、とヴァーンは簡易手当てを終え、立ち上がる。
「<龍皇>どののところだ」
「……龍族の?」
こくりと頷くヴァーンを見て、ルネロームはほうと息を吐いた。
<龍皇>はヴァーンが信頼している相手で、ルネロームが父と呼ぶ方々がかつて力を貸した人物だ。いや、人ではないから龍物とでも言えばいいのか。
じゃあ安心ねとルネロームは頷く。
息子の安全は確約されたようなものだ。一番の心配ごとがなくなり、ルネロームは大きく伸びをする。
「ここってどうやって出たらいいのかしらね」
「待ってたら誰かが開けてくれないかね。あいつらだってやるときゃやるし」
あいつらとは神族四天王たちのことだ。こちらも信頼していることは十分に知っている。
「……それなら、ここでゆっくりしてても大丈夫かしら?」
「でもそれがバレると、出たときに文句言われるんだろうなぁ」
ははと力なく笑うヴァーンは、先ほどのルネロームと同じように壁に近付き触ってみようとしていた。やはり壁は逃げる。もたれかかってみようとしていたが、床に崩れ落ちただけだった。
不意にキィンと耳鳴りのような音がした。ルネロームは立ち上がる。
二人ははっと周囲を警戒する。
二人が触っていなかった壁がぐにょりとなにかの形を模り、生み出していく。
「なーんだ、ありゃ」
「あらまぁ……」
見上げるほどに大きな蛇がチロチロと舌を出して二人を見下ろす。
「こりゃ、ゆっくりもさせてくれないみたいだな」
残念、とルネロームも肩を竦める。
しゅうしゅうと大蛇がぞろり、壁から鎌首をもたげる。頭でこの大きさならばどれほどの全長があるだろう。その半身は未だ壁に埋まったままだ。
ねぇ、ヴァーン。とルネロームは明日の天気を聞くように話しかけた。
大蛇から目を逸らさずにヴァーンもなんだと答える。
「あの子のこと、ジェウって呼べたわね」
よかったね、と笑えば、ヴァーンは目を逸らして(布で覆われていて見えないがそんな気がする)、
「そうだったか?」
ととぼけた。下手な口笛まで吹いて、白々しいことこの上ない。
ふふ、とルネロームは笑う。黄色い電を纏い、手を広げた。バチバチと青い閃光が弾ける。
ルネロームは知っている。
ヴァーンが本当は口笛が得意だということ。だって小さいころ、教えてくれたのは彼だった。
ルネロームは知っている。
ヴァーンはなんでも自分だけで抱え込みがちで、いつも部下や幼馴染たちに怒られていることを。
ルネロームは知っている。
ヴァーンの肩の怪我はルネロームを庇って大蛇の牙に貫かれたものであることを。
ルネロームは知っている。
知っている。
あの大蛇は、強力な毒を持っていることを。
「……頼りにされてないって感じちゃうな、確かに」
「ん? なにか言ったか?」
「んーん。なんでもない」
ヴァーンはきっとルネロームを心配させないように、なにも言わないだろう。
ルネロームに気付かれていると知られたら、きっと彼は――
(だからわたし、なにも言わないわ。いい子でしょう?)
八つ当たりのように紫電が身体の周囲で弾ける。
いい子にしていたら、彼はいつもルネロームの言った通りのものを持って会いに来てくれた。
だから。
(いい子にしているから、お願い。わたしのヴァーンを奪わないで)
大蛇が大口を開けてルネローム目掛けて飛び掛かってきた。
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