第12話 (友)船の上にて
さて、とシュザベル・ウィンディガムは腰に手を当てた。
びくりとその正面に正座するネフネ・ノールドはそろりとその顔を見上げる。
「説明してもらいましょうか、どうしてそこまでしてついてくるのかを」
「……ハイ」
シュザベルの顔は逆光になっていて表情が見えないのが恐ろしかった。
小さく震えるネフネをミンティス・ウォルタが少し離れたところから眺めている。
「ねぇ、シュザ。そもそもその子、どこの子? 風魔法族(ウィンディガム)じゃないよね……チョコレートみたいな色してるし、地魔法族(ノールド)かな」
「……ええ。地魔法族のネフネです。私とティユが勉強を教えている子の一人ですよ」
「ああ、なるほど。だから知り合いなんだ。……ネフネは今いくつ?」
「……きゅーさい、だよです」
ネフネは右手を開き、左手の親指を握り込んでミンティスに向けた。
九歳……とミンティスは困ったように眉を下げた。
魔法族(セブンス・ジェム)の集落では特に決まりがあるわけでもないが、家事手伝いをしていても二十歳までは親の庇護下にいることが多い。
その半分の年齢であるなら猶更だ。
出掛けに親の許可は取ったと言うが、どこまで本当だろうか。
なにかあってからでは遅いとシュザベルは肩を落とす。とはいえ既に陸地はほぼ見えない距離にある海上だ。どうしようもない。
「だってシュザベルせんせたちが連れてってくれるって言ってくんないんだもん!」
「当たり前です。ご両親になんて説明したんですか」
「ちょっとシュザベルせんせのとこ行ってくるって」
「許可出るの当たり前じゃないですか」
多分、今頃両親は大慌てだろう。ちょっとシュザベルに宿題のわからないところ聞いてくるのと一緒に旅に出てくるのは違う。
シュザベルは痛む頭を押さえた。
港町に着いたら即トンボ帰りの船に乗せたところで数日かかる航路だ。かける二の日付分、ネフネは行方不明扱いだ。いや、そもそも大人しく帰りの船に乗るだろうか? ……マストに括りつけるか。
そこまで考えたとき、ようやく拗ねたように唇を尖らせるネフネが言い辛そうに口を開いた。
「……だって、シュザベルせんせたちにリユーはなしても、ぜったいダメっていうもん」
「だってじゃありません。まずは理由を伺わなくてはどうにも判断できません。……いえ、貴方の場合、年齢が年齢ですので私たちが面倒を見ることは出来ても集落の外に連れ出すことは出来ません。それくらいはわかりますね?」
唇を尖らせたまま、ネフネは小さく頷く。
「でもさ、このくらいの年齢なら、理由も聞かずに駄目っていうのは納得出来ないんじゃない?」
ミンティスがシュザベルに並びながら言う。
シュザベルもわかってはいるのだ。十歳満たない彼が簡単に聞き分けるとも思っていない。
息を吐く。思いの外大きなため息になった。
「理由を聞きましょう。それ次第ではついてきても構いませんから」
「! ほんと、シュザベルせんせ!」
さっきまでの拗ねた顔がどこへやら、ネフネはぱっと顔を輝かせた。
やっぱり痛む頭を押さえてシュザベルは頷く。
ミンティスもこんな小さな子どもがどうしてわざわざついてきたがるのか気になるのか、興味津々の顔でネフネを見下ろした。
そういえば静かだなと思えば、フォヌメ・ファイニーズは船首の先に立って手を広げて風を受けていた。船員の一人が危ないから降りるように言っているのが聞こえる。
……見なかったことにした。
あのね、あのね、とネフネは正座したまま拳を胸の辺りで握り込みぐるぐると振っている。
「あのね、おれちゃん、フォヌメさんよりずっとずっと強くなりたいんだ! ……です!」
「は?」
シュザベルとミンティスの声が重なった。
背後でフォヌメもなにかしら反応したような気配もする。自分の名前に敏感な青年だから。
「……フォヌメ?」
「いや、強さならレフィスさま……いや、むしろ地魔法族なら地精霊神官のスーシャさまじゃないの? あの方、一人で小さくない畑を開墾するでしょ……」
どう考えてもフォヌメは強さの象徴でもなければ大して強いというエピソードを持っているわけでもない。
それがどうしてフォヌメより強くなりたい、になるのか。そして旅立つ理由になるのか。
「僕の魅力に気付くとは、幼子と侮っていたがなかなか見る目があるじゃないか」
ややこしいのがシュザベルの横に並んだ。長い髪をふわりと風に靡かせていていつもより更に鬱陶しさがある。
そんなフォヌメをネフネはきつと睨みつけるようにして見上げている。
「……フォヌメの強さってなに? 腕相撲でボクに負けるような強さが欲しいの?」
「実家で畑仕事の手伝いを頑張ればそのうち身に着く強さですよ」
そうじゃなくて、とネフネは首を振る。
「シュマさんに近付くには、フォヌメさんより強くならなきゃいけないんだですよ!」
「……シュマ?」
きょとんとフォヌメも目を瞬かせた。
ネフネが言うには、フォヌメの妹であるシュマ・ファイニーズの好きなタイプ(というか最低限ここまでのラインを越せなければ一緒になりたくない規定)は『フォヌメよりも強い人』だと言っているのを聞いたらしい。
「おれちゃん、シュマさんにフタメボレしたんだぁ」
「なんですか、フタメボレって」
「ヒトメボレじゃないからフタメボレ」
「ああ、そう……」
シュザベルが思っていた以上にどうしようもない理由だった。更に痛む頭を抱える。
ふふふと横でフォヌメが笑っている。まさか、妹をこんなガキに渡せるものかとでも言うつもりか……、
「シュマと結婚したい……つまり、僕の義弟になりたいということだね? なんてセンスのいい子どもなんだ! そうだね、そもそも世界が僕を放って置かないんだ、同じ魔法族である君が僕の魅力に気付いても仕方ないことだった!」
「そんな魅力、今まで一ミリも気付いたことないですね……」
ミンティスもシュザベルの言葉に頷いている。なんだ、フォヌメの魅力って。友人(ジェウセニュー)のお昼ごはん(果物オンリー)を奪っていく度胸か。
ネフネはネフネで自分の世界らしく、シュマの魅力を大きな手振りを交えて語ってくれている。知らんよ、フォヌメに対する態度と父親に対する態度のギャップだなんて。
「それで、おれちゃんはケツイしたんさ。フォヌメさんよりずっとずっとずーっと強くなって、シュマさんにコクハクするんだって!」
「決意と言えるようになってから決めてきてください」
「流石にその理由でセニュー助けに行く旅に同行させるのはちょっと……」
ええっと悲鳴を上げて立ち上がったネフネは足に力が入らなかったらしく、よろりとよろけた。慌ててシュザベルは手を伸ばしてネフネの小柄な身体を受け止めた。
するとネフネも離すものかとばかりにシュザベルの腰にしがみつく。だから力が強いっ。
「ねぇ、シュザベルせんせ。おれちゃん、ちゃんと言うこときくよ! だから、おねがい、連れてって!」
「いや、もう……帰りましょうよ……畑仕事で十分強くなれますって。スーシャさま見なさい」
「ちーがーうーでーすーよー! ちがうの! フォヌメさんより強くならなきゃダメのます!」
「言葉遣いがおかしい!」
なんだか目の前がぐるぐるしてきた、とシュザベルは欄干に手をついた。
そのとき、
「うわぁっ」
甲板に出ていた船員の悲鳴。
わっとフォヌメも声を上げたのを聞いてシュザベルは頭を上げた。船が大きく揺れる。立っていられず、欄干にしがみつきつつネフネの身体を支える。
船を覆うように大きな影が現れる。
あっとネフネが船首の方を指差した。
「でっかいイカだ!」
「魔獣だ! クラーケンが出た!」
船員たちが叫ぶ。
この航路には出なかったのに、と誰かが叫んだ。
「魔獣!?」
身を起こして逆光を背負うそれを見る。確かに大きなイカだった。シュザベルの頭くらいある一つ目がぎょろりと一同を見渡す。
にょろりとした足が船首像を捻り折った。別の足が甲板に飛び出してきた船員の足を掴み、宙へ持ち上げる。
船員が悲鳴を上げた。
「嘘だろ、こんなときに風が止むなんて!」
「この海流で魔獣が出ることも風が止むことも聞いてない!」
「早く乗客を避難させろ、子どもばかりだぞ!」
船員たちが混乱で声を張り上げるのを見て、「どこに避難すれば安全なのか教えてほしい」と痛む頭の隅で考える。
なんだか苛々してきた。
シュザベルはネフネを船室への扉の方へ押しやる。
「シュザベルせんせ……」
「ああもう、騒がしいですね……こちとらさっきからなんだか頭が痛くて苛立たしいんですよ……」
シュザベルの周囲で風が渦巻く。
げ、と口を曲げてミンティスが声を上げてシュザベルから離れた。
「古の風の賢人よ――笛の音(ね)響かせ来たれ――シフィユ・キャトルッ!!」
轟ッ、
竜巻のような突風が船ごと持ち上げようとしたかのように海域を叩いた。烈風が激しくイカの魔獣の足を切り裂く。
船員を掴んでいた足が引き千切れ、船員を落とす。
甲板に叩きつけられるかと思った船員はふわりと風のクッションに支えられて音もなく着地する。
「た、助かった……」
「風がないのなら吹かせればいいだけです。どちらの方向に進めば舵を取り戻せますか?」
「ほ、北西の方角だ!」
「わかりました」
シュザベルは頷いて、魔力を練る。今度は調整して帆を切り裂かないように流れる風を思い浮かべた。
「其は麗しき風乙女――腕(かいな)もて抱け――シフィユ・ドゥー!」
今度は優しい風が吹いた。その風を受けて帆が膨らむ。
それを邪魔するかのように魔獣の足がシュザベル目掛けて海から飛び出した。
「危ない、シュザ!」
「シュザベルせんせ!」
ミンティスが短い詠唱を始めるが間に合わない。
ぱっと飛び出したのはネフネだった。大きな鞄をミンティスに投げ渡し、腰に吊っていた鎖鎌を握り甲板を蹴る。
「やぁっ、くっらえーっ!」
鎖を持って鎌を投擲。切れ味のいい刃はぶつりと魔獣の足を切り裂いた。
甲板に落ちた足がビチビチと跳ね、気持ち悪い。
ネフネは欄干に着地するとそのまま再び欄干を蹴り跳躍。
再びシュザベルに向かおうとしていた別の足に蹴りを入れ、鎖を引っ張り鎌を回収、即座に切りつけた。
半分ほど切られた足は痙攣しながらうねうねと宙をのたうつ。
「おれちゃんがシュザベルせんせをまもーる!」
「ネフネ……」
思わぬ教え子の動きに目を瞬かせるが、そんな場合ではないとシュザベルは帆の向く方角に注意を払う。
海流に乗って動こうとする船をイカの魔獣がしっかりと捕まえていて動けない。
「もう少しあの魔獣が力を緩めてくれれば逃げられるのですが……」
「なら僕が直々にイカ焼きにしてやろう!」
フォヌメが前に出て詠唱を始めようとした――のをミンティスが止めた。
髪を引っ張られたフォヌメは年下の友人を睨む。
「僕の髪が! なんてことをしてくれたんだい?」
「髪はどうでもいいからフォヌメはじっとしてて!」
「何故だ!?」
「この船、木製! 燃える!」
ミンティスは慌てて自分の荷物とシュザベル、ネフネの荷物をフォヌメに投げた。鞄に押し潰されたフォヌメはなにやらもごもごと叫んでいるが今はそれどころではない。
「シュザはそのまま帆に風を! ネフネは出来るだけ足を切って!」
ミンティスがシュザベルを守るように立つネフネを見た。ネフネも頷く。
「勇敢なる水の騎士――我が敵を沈めよ――ウォタ・トロワ!」
海が渦巻き、メリメリと船首像ごとイカの魔獣を飲み込もうとする。
いつもよりも巨大な力にミンティスは目を見開いた。
「しつっこいな! ――ウォタ・アン!」
ぐるぐると水の球が現れ魔獣の一つ目を押し潰す。
ぎぃうきえうぅぅああっ、
言語にならない悲鳴が魔獣から発せられる。
「ああもう、どこだよ口! ウォタ・アン! ウォタ・アン! ウォタ・アン!」
三連続の水球が柔らかなイカの頭に直撃。続いて海から生まれた海水の槍が胴体を貫いた。
きぃぅええええぇぇぇっ、
悲鳴を上げた魔獣の大きな身体が傾ぐ。
「もういっちょーうっ!」
飛び出したのはネフネ。
折れた船首の先端に立つと鎌を振りかぶり投げた。
刃が一つ目に刺さり、その勢いで鎖を持っていたネフネは宙を舞った。
「ネフネ!」
イカの魔獣と共に海の藻屑となろうとしていたネフネの首根っこを掴んだのはフォヌメだった。
「き、君……シュマを見初めることといい、思い切りが良すぎるんじゃないかい?」
「えへへ、ちょっとはりきりすぎちゃった」
ぺろりと舌を出すネフネを呆れながらフォヌメが甲板へ引っ張る。ミンティスも慌てて二人を支えた。
シュザベルの風が船員の示した海流まで船を運ぶ。
再び自然に吹き出した風に、シュザベルはほうと息を吐き欄干にもたれかかった。
目に見える被害は船首像が失われたことくらいだろうか。
船にはあまり詳しくはないので船首が折れてしまった影響がどう船全体に現れるのかわからない。
右往左往していた船員たちは大慌てで他の損壊部分がないか確かめているようだ。
あとはもう船員たちに任せてもいいだろう。
シュザベルはくらくらする頭を押さえて欄干の下に座り込んだ。
「だいじょーぶ、シュザベルせんせ」
「ネフネこそ……怪我はありませんか」
「ないます!」
「そこは『です』でしょう、まったく……」
はぁと吐き出されるため息は思いの外大きかった。
ネフネは小さな左手をシュザベルの額に当てる。右手は自分の額だ。
「……せんせ、なんかぐわいわるい?」
「具合、ですね。……ええ、実は先ほどから少々気持ちが悪くて……」
本当は吐き出すつもりはなかったのに、どうしてだかこぼしてしまった。
ミンティスとフォヌメがそれぞれの鞄を抱えて近寄ってくる。
「大丈夫、シュザ。なんか顔色悪いみたいだけど」
「僕の魅力にくらくら――なんて言っている場合じゃないようだね。船室で休んだらどうだろう」
「……すみません」
友人二人に腕を支えられ、ネフネに荷物を持ってもらって割り当てられていた船室へ向かう。船室は硬いベッドが四つだけの簡素な部屋だ。
その硬いベッドの一つに腰かけ、シュザベルはぐったりと力が入らない身体を横たえた。
心配そうにおろおろする友人たちを見上げながら、今朝は変なものを食べたりしていないのになと天井を見る。
コンコン、と控えめに船室の扉を叩く音がした。
ミンティスが誰何して扉を開く。――魔獣に足を取られて宙を振り回されていた船員だった。
「どうかしました?」
「ああ、さっき助けてもらったお礼を言ってなかったと思ってね。それから……そっちの坊主は船酔いみたいだから薬と水を持ってきたんだ。大丈夫かい」
「……フナヨイ?」
聞き慣れない言葉にミンティスが繰り返す。
その声を聞きながら、そういえば以前読んだ本に船に乗っていると具合が悪くなる例があったなとシュザベルはぼんやりと思い出す。
船員はシュザベルの近くまで来て、起こして薬を飲むように言った。
薬は顆粒でなにやら土のようなにおいがする。しかしこのまま気持ち悪いのも嫌なので船員の言う通りにした。
……やっぱりにおいの通り、土の味がした。
「これでしばらく寝てたら治るよ。治ったからって動き回ったり、本を読んだりしないようにね」
「ありがとう……ございます……」
「シュザベルせんせ、だいじょぶ? 死なない?」
ふふと船員が笑ってネフネの頭を撫でる。
「船酔いで死んだ話は聞いたことないから、大丈夫だよ。静かに寝かせてあげようね」
「はーい」
友人たちもほっとした顔をしているのが見えた。心配かけて申し訳ない気持ちだ。
薬の効果が早くも出ているのか、それとも安心したからか眠気がやってくる。
ミンティスたちが船員を見送っている背中を眺めながらシュザベルは瞼を閉じる。先ほどまで不愉快でしかなかった船の揺れがなんだか心地よい気がした。
(ああ、そういえばミンティスの魔法……なんだかいつもより威力が増していたような気が……それに、ネフネのことをどうにかしないと……)
そう思っても既に瞼が重たくて再び開くことは出来そうにもない。
誰かが頭の上で「おやすみ」と言った気がして、それにおやすみと返そうとしたが、唇も重たくて出来たかどうか定かではない。
ゆらり、ゆらり、揺れる船が揺り籠のようで……シュザベルは夢の中に落ちていった。
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