第11話 (セ)指南役、参上

 バチン、バチン、

 紫電が弾ける。

 雲一つない空だったはずなのに、ゴロゴロと雷を孕む暗雲が一同の頭上に分厚く立ち込める。


「父さんと、母さんが……オレの、せいで……っ!」


 ジェウセニュー・サンダリアンの悔恨の呻きが漏れる。

 その度にバチバチと光が弾ける。

 カッと稲光が走って、近くの崖山の頭に落雷した。

 <龍皇>とスハイルアルムリフも目を細めてジェウセニューを見やる。


「くそ、粗相をするなと言ったではないか」


 スハイルアルムリフが静かな声で悪態を吐くも、ジェウセニューには聞こえていない。


「落ち着け」


 <龍皇>が窘めるも、止まる気配がない。スハイルアルムリフは舌打ちをする。


「<龍皇>さま、お下がりください。この人属は暴走状態にあります」

「うむ……力が不安定なようじゃのう」


 のんびりと<龍皇>は髭を扱く。

 その横に雷が落ちた。

 スハイルアルムリフが流石に大声を出す。


「やれやれ、始星卿は頭が固い上に行動が遅い」


 上空からの凛とした声。女性特有の高い声をした影はジェウセニューの前に降り立つと、その腹に躊躇なく蹴りをぶち込んだ。


「げっ」

「手加減はしたのじゃ。死にはすまいよ」


 ころころと笑うその人は片手でジェウセニューを受け止めると、ゆっくりと地面に下ろした。

 暗雲が霧散し、炸裂していた雷が消える。

 その人は立ち上がると、畳んで持っていた傘を差す。白と桃色ベースで端にフリルが使われた、雨傘としてはあまり実用的には見えない丸いラインをしたものだ。


「まったく、始星卿はわらわがおらねばなにもせぬのう」

「我が使命は第一に<龍皇>さまをお守りすること」

「これだから始星卿は頭が固い。この小さきものをどうにかすれば、それ即ち陛下の安全。それくらい考えるのじゃ」


 くふふと傘の人物は笑う。スハイルアルムリフを揶揄っているのだとすぐにわかるような笑いだった。

 <龍皇>は二人の様子を微笑ましそうに眺めている。


「フェリシテパルマンティエよ、その小さきものは無事かのう? おぬしの蹴りを受けて、人属が無事でいられた試しがないぞ」

「陛下は心配性じゃのう。手加減したと言うておろうに……まぁ、しばらく目を覚まさぬであろうが……」


 言いながらフェリシテパルマンティエはジェウセニューを見下ろした。瞼がぴくりと動いたのを見て、「あなや」と驚きの声を上げる。


「なんとなんと、人属にしては頑丈なお子じゃの」

「う……うう……腹が痛ぇ……なにが……」


 我に返ったらしいジェウセニューを見て一同は目を丸くする。今までフェリシテパルマンティエが手加減をしたとはいえ、彼女の蹴りを受けてすぐに起き上がった者はいなかったからだ。最低でも一日から数日は寝込むのが常だ。

 逆にジェウセニューもさっきまでいなかった人物――フェリシテパルマンティエを見て目を丸くしていた。

 ふわりとしたラインの傘もそうだが、それに合わせた色合いのワンピースはスカート部分が盛り上がって丸いラインを描いており、胸の下で大きなリボンが結ばれている。スカートの裾には傘と同じようなヒラヒラのフリル。ワンピースの胸元部分はレースがあしらわれており、東方の前合わせの服に似ている。

 膝丈のスカートから覗く足はすらりとしていて、真っ白な靴下がよく似合う。靴は見慣れないつるりとしたフォルムの桃色のもの。ジェウセニューは知らないが、一部で和ロリと呼ばれる服装だ。

 薄桃の髪は下に行くにつれて色が濃くなる変わった色。それをくるくると巻いており、頭のてっぺんにはやはり服に合わせた色合いのレースとフリルで出来た大きなリボンが乗っていた。

 目は濃桃から薄桃のグラデーション。

 癖が強い。

 がばりと起き上がったジェウセニューはそのままぽかんと口を開けて彼女を見上げた。


「なんとまぁ……小さきものよ、具合は悪くないかえ?」


 突然フェリシテパルマンティエに話しかけられたジェウセニューはびくりと肩を揺らす。その様子を見て大丈夫だと判断したフェリシテパルマンティエはくすくすと笑った。


「オレ……なにが……?」


 ジェウセニューはきょろきょろと辺りを見渡す。近くの岩が焦げ、<龍皇>のそばの地面が抉れていた。

 ほっほと<龍皇>は笑いながらジェウセニューに近付き、その頭をそっと撫でた。


「なに、力が暴走して我を失っていただけよ」

「ぼ、暴走……!?」


 ぎょっとして目を見開くジェウセニューに<龍皇>は優しく目を細める。


「そうか、そうか。おぬし、あの小僧の子であったか……母は観測者なれば、今は魔力を扱うにも辛かろう」

「なんで、それ……」

「わしはこれでも龍族(ノ・ガード)の長じゃからのう。さて、あの小僧がわしのもとへおぬしを送るほどじゃ。恐らくなにかあったのであろう? ゆっくりでよい、話してくれぬか」


 優しく言われ、ジェウセニューは唾を飲み込む。少し戸惑ったが、今度はぽつぽつと話し出すことが出来た。

 神界にいたこと、ヴァーンに魔力制御訓練をしてもらっていたこと、突然空間が裂けてそこから大蛇が現れたこと、ヴァーンが自分を突き飛ばしたこと、代わりに両親が大蛇に飲み込まれたこと。

 話し終わると<龍皇>は再びジェウセニューの頭を撫でた。それが酷く優しくて、ジェウセニューは泣き出しそうになるのをぐっと堪える。


「……オレ、どうしたら……どうしたら、父さんと母さんを助けられるのか……」


 ふむ、と<龍皇>は口髭に触れる。……さっきから風になびくそれがジェウセニューの鼻先を掠めていてとてもくすぐったい。


「小さき人属よ、神族(ディエイティスト)の小僧の息子よ」

「……ジェウセニュー、です」

「うむ、ジェウセニューよ。まずはその力を制御出来るようにならねばな」


 ジェウセニューはきょとんと目を瞬かせた。


「は? ちょ、待っ……そんなことしてたら、父さんたちが……」


 そんな悠長なことをしていたら、ヴァーンたちがどうなるかわからない。驚いてそう詰め寄るが、<龍皇>は発言を変えることはなかった。

 ジェウセニューは膝の上で拳を握り締める。


「そんなことしてる暇あったら、<龍皇>……さま、たちが父さんたちを助けてくれたら……」

「戯言はそこまでじゃ、小さきもの」


 す、と背筋に氷を流されたような悪寒が走った。いつの間にかフェリシテパルマンティエの傘が折り畳まれ、ジェウセニューの首に突き付けられている。

 ぞっとした。全く見えなかった。

 困惑して<龍皇>とスハイルアルムリフを見るが、<龍皇>はともかくスハイルアルムリフも険しい顔をしている。


「わらわたちが何故、神族なぞを助けねばならぬのじゃ。思い上がるなよ、小さきもの。おまえがここで無事に息をしているのは<龍皇>陛下のご慈悲ゆえ。おまえのオネガイを聞いてやる理由なぞないぞえ」

「……ごめん、なさい……」


 謝らねばならぬと思った。そうしないと殺されても文句は言えない、と本能が叫んでいる。

 小さな声はフェリシテパルマンティエに届いたようで、少しだけ殺気は治まる。傘を引っ込め再び差した彼女はふんと鼻を鳴らすと、くるりと背を向けてしまった。


「ほっほ、すまぬな、小さき人属よ。フェリシテパルマンティエは魔族派(リヴェド・ノガード)の長ゆえに神族に連なるおぬしを認めるわけにはいかぬのよ。……しかし、わしらにもわしらの事情がある。それはわかるな?」

「……はい」

「神族側から直接、嘆願でもくれば話は変わるだろうがの。それもない。あやつらは己が力でどうにかするつもりならば……わしらが手を出すのも無粋であろう」


 <龍皇>たちの言い分はわかった。けれど、心のどこかでは納得がいかなくて、同時に、小さな子どものように泣いて縋ろうとする甘えた自分がいるのも気付いていた。それを押し殺して、もう一度頭を下げる。


「しかし嘆願はなくとも、小僧直々におぬしをここに送ってきたのじゃからな、保護する理由は十分に足りる。しばしこの龍族の里で心と身体を休めるがよい」


 スハイルアルムリフ、と<龍皇>が呼ぶと、すぐに男が近くに寄ってきた。

 難しい顔のままだが、先ほどのような険はない。


「こやつは龍皇(わし)の付き人のスハイルアルムリフ。神族派(エニヴィド・ノガード)の長じゃ。なにかあればこやつに言うとよい」

「<龍皇>さまの命だ、世話してやろう」

「こんなこと言うとるがの、小さいものが好きじゃから安心せい。本当はさっきからずっとおぬしのことを撫で回したいと思うておるのよ」

「<龍皇>さま……っ」


 表情筋の硬い男だと思っていたが、案外愉快な人物なのかもしれない。いや、別に撫で回されたくはないが。

 それにしても、先ほどから神族派(エニヴィド)、魔族派(リヴェド)とはなんのことだろうか。あとで機を見て聞いてみようかとジェウセニューは二人を見ながら立ち上がってズボンを叩く。


「よ、よろしくお願いします、えっと……ハイルさん!」

「なっ」

「ほっほっほ、よかったのう、スハイルアルムリフ。よいあだ名を貰ったのう」


 珍しくスハイルアルムリフの頬に朱が差した。なにか不味いことを言っただろうか、とジェウセニューは二人を見る。

 <龍皇>は楽しそうに、「なに、喜んでいるだけよ」と言って笑うだけだ。


(よ、喜んでる? なら……大丈夫、かな)


 喜ばせるようなことをした覚えはないが、機嫌がいいならそれに越したことはない。

 ジェウセニューは胸を撫で下ろした。



 <龍皇>の話が終わり、スハイルアルムリフに連れられてジェウセニューは再び先ほどの小さな家に戻ってきていた。

 今度はスハイルアルムリフが金色のドラゴンに姿を変え、その背に乗せてくれたのだ。しかも先ほどのクリュスタッロスよりも一回り以上大きい。

 ジェウセニューが一層興奮したのは言うまでもない。


「当面はここで生活するといい。どこか他の島へ行きたいのならば私を呼ぶか、近くを飛んでいる者を呼べばいいだろう。早々に拒否する者などいないだろうからな」


 島というのはこの崖山の上のような場所のことを指すらしい。

 龍族は他と交流がほぼないので、小さな人であるジェウセニューが珍しいようだ。面白がって見に来たらしいドラゴンが先ほどから何体か、視界の端でくるくる空を舞っているのが見える。


「明日からは指南役をつける。存分に励め」

「指南役?」


 こくりとスハイルアルムリフが頷く。

 頭を冷やせ、と続けて言われて、ジェウセニューは先ほどの失態を思い出して俯く。


「魔力制御が出来ん今、おまえは魔法も魔術も扱えん者よりも無防備であり、厄介でもある」

「……能力者……」


 ヴァーンの言葉を思い出す。

 こくりとスハイルアルムリフはもう一度頷いた。


「知っていたか。かつて能力者と呼ばれていた者たちのように、自滅または大切な者を巻き込んで破滅したくはないだろう」


 ごくりと唾を飲み込む。ヴァーンからも聞いていたが、今自分がそのような状態という自覚が足りなかったと思い知る。


「両親のことは心配なのだろうが、まずは頭を冷やせ。力を抑えられない今のままでは敵の思惑に乗るようなものだぞ」

「……て、敵……?」


 なんだ、気付いていなかったのか、とスハイルアルムリフは腕を組んだ。

 何故今まで思い至らなかったのだろう、とジェウセニューは目を瞬かせた。そうだ、誰かがなにか仕掛けなければあんなことは起こりえない。そもそも神族族長であるヴァーンと<雷帝>とさえ呼ばれるルネローム・サンダリアンを出し抜いたようなものだ。誰がそんなことを出来るのかということは置いておいて、誰かがなにかしたのだ。


「……敵……」

「そう、少なくとも、神族族長に敵対する意思のある者。そして……状況を聞く限り、本来の目的はおまえだろう、ジェウセニュー・サンダリアン」

「!」


 雷に打たれた心地とはこのことだろう。

 ジェウセニューは衝撃に目を見開いた。


「お、オレ……?」

「神族族長が目的ならばおまえが突き飛ばされ、ここに飛ばされることはなかったはずだ。<雷帝>に関しても同じ。おまえがここにいるのが、おまえが目的とされていた証明だ」


 なるほど、確かにそう考えられる。

 そんなことにも気付かなかったほど、ジェウセニューは頭に血が上っていたらしいと気付いて更に恥じ入る。

 いや、恥じ入っている場合ではない。拳を握り締める。


「ハイルさん……オレ、なにが出来るかなぁ?」


 見上げれば、翡翠のような美しい瞳がジェウセニューを静かに見下ろしていた。

 ごうごうと吹く風が二人の髪を揺らす。

 少し考えるような仕草をしたスハイルアルムリフは不意に上空を見上げた。上空には気持ちよさそうに空を飛ぶドラゴンの姿が見える。

 それを確認したかったのか、スハイルアルムリフはすぐにジェウセニューに視線を戻した。


「自分を見つめ直すことだな」

「自分を?」


 そう、とスハイルアルムリフは頷く。


「今のおまえは満足に魔法も扱えない幼子のようなもの。両親を取り戻しに行くというのならば、まず力を取り戻さなければならない。……課題があるのだろう?」


 ヴァーンに言われたことを思い出し、ジェウセニューは拳を握り直した。

 すっとスハイルアルムリフが手を伸ばし、指をジェウセニューの額に当てる。ぼわりと耳に幕が張ったような不快感を覚えて、ジェウセニューは眉をひそめる。


「両親を助けに行きたければ己を磨け」

「……今のは……」

「この龍族の里から出たくば、私に一撃でも入れてみせろ。それまでこの里から出ることは許さない」

「えっ」


 ジェウセニューは両手や身体を確かめる。どこにも変化がないが、なんだか妙な心地だ。

 スハイルアルムリフが言うにはこの里から出られないように魔法を掛けたのだという。嘘だと思うなら試してみればいいと言われたが、どう試したものかもわからない。

 ジェウセニューがうんうん唸っている間にスハイルアルムリフは指笛を吹いた。澄んだ音だ。

 周囲を飛んでいたドラゴンたちが静かにあちこちの島に降り立っていく。その中で一体だけ、こちらに近付いてくる者があった。

 そいつは中空でぐるんと回転するとあっという間にドラゴンの巨体から人の大きさに変わった。だが曲線を描く角は頭から生えたままだし、背中では蝙蝠のような翼が羽ばたいている。


「マースティルダスカロスさん、さーんじょーうっ!」


 陽気な声と共にジェウセニューたちのいる島に降り立ったそいつ――マースティルダスカロスは楽しそうに両手を広げた。

 ぽかんとその長身を見上げる。

 天を目指し途中で折れ曲がった形をした不思議な角、その角が生える頭は黒髪なのに光の加減で緑色にも見える。右目を覆い隠すように分けられた前髪は一部の後ろ髪と一緒に短く結ばれている。他の後ろ髪は肩口でばっさり切り揃えられていた。頬には薄っすらと黒っぽい鱗が見えていて、龍族なのだとわかる。

 服装は袖のない黒いシャツに白いすとんとした長ズボン。腰にはズボンと同色の上着が結び付けられている。

 目の色はアメジストのようなキラキラした紫色。

 パッと見て性別がわからないヒトだと思った。


「始星卿、お呼びかな~? なんの用、なんの用?」

「相変わらずやかましいやつだ」

「もーう、ツレないなぁ。呼んだのはスハイルアルムリフさまだよ?」

「……この人属の指南役をしてやれ。子どもの世話は得意だろう」


 二人の龍族の宝石のような目がジェウセニューを見た。なんとなく姿勢を正す。

 マースティルダスカロスと名乗った龍族は小さくなった翼をパタパタと愉快そうに揺らした。


「ああ、強制転移させられてきた<龍皇>さまのお客さんだねェ。いいのかい、アタシに任せて」

「おまえが適任だと判断した」

「あっは、マースティルダスカロスさんうっれしーい」


 緑に光る黒色の龍族はにこりと優しそうな笑みを浮かべると、ジェウセニューに近付く。

 そして右手を出すと楽しそうに唇を三日月のように歪めた。


「アタシはマースティルダスカロス。始星卿率いる神族派の者だよ。よろしくねェ。……あれ、外の人属たちは挨拶に手を出すんじゃなかったっけ?」


 言われて慌てて右手を出して握る。大きくてごつごつした手だが、男か女かわからないものだった。

 マースティルダスカロスは嬉しそうにジェウセニューを眺める。


「えっと……ジェウセニュー・サンダリアン、です。よろしくお願いします、マースさん?」

「~~~~っ、聞いた!? 始星卿! 聞いた? マースさんだってぇ~、かーわいい~」

「聞こえている。やかましい」


 マースティルダスカロスはにこにこと笑ったまま、握ったままだった手をぶんぶんと振った。肩が痛むが、マースティルダスカロスは気付いた様子もない。

 指南役がこれで大丈夫なのだろうか、とジェウセニューは少しだけ不安になるのだった。


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