第10話 (セ)龍族の長
温かい光を感じて、ジェウセニュー・サンダリアンは目を覚ました。
瞼が重たくて起きるのが億劫だ。
(外……明るい……寝坊した……?)
ゆるゆると瞼を持ち上げる。
知らない天井が目に入った。
「!?」
はっとして飛び起きる。そうだ、自分は今神界に行って、ヴァーンとルネローム・サンダリアンに魔力制御訓練をしてもらっていて……それから、どうなった?
ドクドクと心臓が早鐘を打つ。
息を吐きながら自分がどこにいるのか確認しようと周囲を見回した。石作りの壁と天井、窓は一つだけ。そこから光が漏れていたらしく、それで目が覚めたのだろう。
ジェウセニューが眠っていたのは硬い石で土台を作ったベッド。しかしその上に乗せられたベッドマットレスがふわふわしているので身体は痛くない。
部屋の中にあるのはベッドとベッド脇に置いてあるテーブル兼棚といった家具だけ。あまり広くもないこの部屋は普段は使われていないのか、もしくは家主が寝るためだけに用意した部屋のような感じがした。
そっとベッドから下りる。冷たい石の感触が素足を冷やす。ジェウセニューはふるりと身体を震わせた。
室温はそれほど低くはないが、暖かい布団の中から出るには少々冷たすぎた。
よく見ればベッドの下に自分のサンダルが並べてあるのを見つけて、急いで履いた。
「ここ……どこだ……」
神界のどこかだろうか。
あのとき、ヴァーンに触れられてジェウセニューは光の粒子となったのは覚えている。
そして、大きな蛇に飲み込まれていった両親の姿も。
――ジェウ……生きろよ。
膝の上でぎゅっと拳を握り締める。
わかっている。自分がヴァーンの足を引っ張った。
きっと、ヴァーンだけだったら大蛇に食われるような真似はしなかっただろう。
それを理解してしまっているが故にジェウセニューは震える手を握り締めている。ぎりと噛み締めた奥歯が悲鳴を上げた。
バチ、バチ、バチバチン、
身体の内側から熱が襲ってくる感覚を抑えようとして、周囲で電が爆ぜた。
抑えきれない。
「――そこまでにしておけ、人属」
はっと我に返り、顔を上げる。
いつの間にか、金の短い髪を持つ男性が部屋の中に立っていた。
翡翠のような双眸をジェウセニューに向けている。知らない男性だ。
年齢はヴァーンより年嵩に見えるが、まだ若い。真っ白な長袖シャツとすとんとしたシルエットの長ズボンにサンダル。金髪から見える耳には目の色と同じ翡翠の小さな飾りを着けているのが見えた。
不機嫌そうに引き結ばれた薄い唇がぶっきらぼうな声を出す。
「起きたのなら、<龍皇>さまにお会いしろ。いいか、今から連れていくが粗相なぞするなよ」
「……へ?」
「いつまでもアホ面を晒しているんじゃない。さっさと立ち上がれ、歩け」
静かな声だが、何故だか威圧感のある声だ。そして偉そうなのに、それが当然のように感じられて苛立っても反論してはいけないという気分になる。
「え……えっと、あんたは……?」
踵を返そうとしていた男性に声をかけると、眉が少しだけ動いた。……口元以外はほぼ動かない顔だ。
「スハイルアルムリフ」
「えっ」
「二度は言わん。行くぞ。<龍皇>さまがお待ちだ」
男性――スハイルアルムリフはもうジェウセニューを見なかった。さっさと部屋を出ていってしまった。
慌ててジェウセニューもベッドから立ち上がって駆け足で彼を追う。
部屋の外は小さなリビングになっていたが、スハイルアルムリフは見向きもせずに外へ向かう扉を開けた。
ひょうと風がジェウセニューの黒髪を揺らした。
「うえぇっ」
ジェウセニューたちが立っていたのは崖のような山のような、小さな家一軒が建つのがやっとの面積しかない切り立った場所。
よくよく周りを見れば、似たようなペンを何本も立てたような崖山があちこちにそびえ立つ不思議な土地だった。
遠くには壁のようにそびえる山々。まるでこの土地を囲むように立ちはだかっている。
時折ごうっと音を立てて吹く風に、バランスを崩してしまえば最後。きっと落ちて助からないだろう。
ジェウセニューはぽかんと口を開けて周囲を見渡していた。
さっと黒い大きな影がジェウセニューの頭上を通り過ぎる。
下ばかり見ていたジェウセニューは空を見上げた。
「う……わぁっ」
大きな大きな影だ。魚のように滑らかな鱗、蝙蝠のような翼、トカゲのような尾、鋭い爪、頭はワニのような口に牙、そして鹿や羊とも違う角……伝説の生き物、ドラゴンが優雅に空を舞っていた。
開いた口が塞がらないとはこのことだろう。
友人たちに薦められて読むようになった冒険譚に必ずと言っていいほどに出てくる最強にして最高の生物、ドラゴン。
それが目の前を飛んでいるのだ。
ジェウセニューは一瞬、自分の状況を忘れて胸を高鳴らせた。
ごうごうと風が耳のそばで音を立てる。
ドラゴンが金色の目をジェウセニューに向けた。
ゆっくりと旋回した彼または彼女はばさりと翼を動かすと、どういう理屈だかわからないがジェウセニューの立つ崖山そばに滞空した。
「……!」
「こんにちは、小さき人属」
近寄ればジェウセニューの家よりも大きな姿をしていることがわかる。
彼または彼女は鋭利な牙を見せつけるようにして口を開けた。笑っているのだろうか。
「しゃ、しゃべった……」
失礼なことを言っている自覚はあった。だって物語に出てくるドラゴンだって喋ったではないか。
しかし彼または彼女は気分を害した様子もなく、ぐるぐると喉を鳴らして笑った。
「そりゃあ喋るとも。きみだって喋るんだ、我々だって喋っても不思議はないだろう?」
「あ……うん……はい」
ドラゴンは金色の目を細める。緑に近い鱗が太陽に照らされてきらきらと光っている。
さくりと足音を立てて、スハイルアルムリフがドラゴンの横に立った。
「おや、始星卿。ご機嫌よう」
「ご機嫌よう。この人属を<龍皇>さまのところまで連れて行ってくれ」
「<龍皇>さまのところですね、かしこまりました。――さぁ、首の付け根辺りに乗るといい。<龍皇>さまのところまでひとっ飛びしよう」
ジェウセニューは目を丸くした。ドラゴンに乗れだって?
今聞いたことが信じられなくて、自分の頬を抓る。……痛かった。
「の、乗ってもいいのか!?」
「いいとも。足元に気を付けるんだよ」
こくりと頷いて、そっとドラゴンの鱗に手を当てる。彼または彼女はくすぐったそうに喉を鳴らした。
翼を足掛かりに背中へ飛び乗り、首の付け根に到着した。肩の辺りに隆起したこぶだか角だかがあり、そこをしっかり持つように言われたので、言われた通りにする。
「では、動くよ」
優しい声で彼または彼女はジェウセニューを伺う。ジェウセニューは大きく頷いた。
ばさりと大きく翼が動き、その巨体が動き出す。
ふわりと浮く感覚にジェウセニューは角を握る手に力を込めた。
「わ、あぁ……」
言葉もないとはこのことだろう。
更に高くドラゴンは空を目指す。薄い雲が同じ目線にあることに気付いて、ジェウセニューは今空を飛んでいるのだと目を輝かせた。
ごうごうと耳を風が打つが、ドラゴンが展開してくれた魔法陣が見えて、それが風圧やらなにやらからジェウセニューを守ってくれているのだと気付く。
大丈夫かと尋ねてくれる彼または彼女に大丈夫だと返す。
薄雲が晴れる。
眼下に広がるのは壁のように高い山々に囲まれた土地だった。
あちこちに、小さくて見え辛いが大きなドラゴンがいるのが見える。
(ドラゴンの里……? 本当にあったのか)
意味のない悲鳴すら出てこなかった。ただただほうと息を吐く。
遠くに見えるのは海。山々に囲まれたこの土地は更に海に囲まれているのだ。
「いい景色だろう」
「すごい……」
ふふとドラゴンは誇らしそうに笑った。
そして首で一番高いところにある崖山を指す。
「あそこが<龍皇>さまのおわす場所。少し下降するから、ちゃんと掴まっているんだよ」
「わかった!」
ぐんと慣性の法則が働いて空だが一瞬だけ浮き上がる感覚に悲鳴を上げそうになる。
そこからは本当にすぐだった。ばさりばさりと数回翼を羽ばたかせたドラゴンは自分の足で地面を踏む。
ぐらりと揺れたのに耐え、ジェウセニューは角を抱え込むようにして掴んだ。
ドラゴンが姿勢を低くし、ジェウセニューが地面に降りやすいようにしてくれたのに礼を言いながら飛び降りる。数分ぶりの地面は少しぐにゃりと歪んだ気がしたが、揺れたのはジェウセニューだ。
ふらふらしそうになる頭を振って感覚を取り戻す。
「ありがとう、すごくいい景色だった!」
「どういたしまして、小さな人属。我々の自慢の景色なんだ。気に入ってもらえて嬉しいよ」
「小さな人属じゃなくて、オレはジェウセニューだ」
「そうかい、小さなジェウセニュー。私の名前はクリュスタッロスだ」
「く、クリュ……?」
ドラゴン――クリュスタッロスはくすくすと笑った。
「さぁ、<龍皇>さまとスハイルアルムリフさまがお待ちだよ」
「あ、うん、ありがとな!」
クリュスタッロスはくるくると喉を鳴らした。
彼または彼女に手を振ってジェウセニューは振り返る。数歩先に先ほどの金髪の男――スハイルアルムリフが立っていた。
いつの間にここに来たのだろうかと目を丸くする間もなく、彼はジェウセニューと目が合ったのを確認するとすぐに背を向けて歩き出した。
再び慌ててそれを追う。
丘のような緩やかな坂を上ると、崖から下を眺める影があるのに気付いた。
小柄なそれはゆっくりと振り返る。
空を映したような瞳がジェウセニューを見た。
どきりと心臓が跳ねて、身体が動かなくなる。いや、動いてはいけないと脳が警告している。
ハッハッと短い呼吸を繰り返す。酸素が足りない。
空色の瞳を持つその影は――くしゃりと相好を崩した。
「よう来た、よう来た、小さな人属よ。ほれ、ちゃんと呼吸せぬか」
「う……あ……」
「うむ? ちと苦しそうじゃの。スハイルアルムリフ、助けてやらぬか」
小柄な身体、真っ白なローブ、いっそ獅子のたてがみのようにもじゃもじゃと生えた髪と髭の区別がつかない顔は半分くらいが毛に覆われていて容貌が知れない。小さな老人から感じるのは圧。逆らってはいけない、歯向かってはいけない、そんな圧力だった。
スハイルアルムリフに支えられて立ち上がり、ジェウセニューはいつの間にか地面に膝をついていたことに気付いた。
「ゆっくりと呼吸をしろ。吸え……吐け……吸え……」
スハイルアルムリフの声に従って呼吸を繰り返してようやくジェウセニューはくらくらする頭を自分で押さえた。
ふふと笑う老人にはもう圧を感じなかった。
「……な、に……が……」
「ほっほ、少々力加減を間違えたようじゃ。すまぬな」
老人は軽く笑うが、こちらはたまったものではなかった。一瞬だけ見えた真っ暗な穴に落ちるような感覚、あれが死だろうか。
ジェウセニューはごくりと唾を飲み込む。
スハイルアルムリフに促されて、ジェウセニューは老人にもう少しだけ近寄った。
老人は目を細める。
「うむ、素直な子じゃの。――わしはこの地を治める龍族(ノ・ガード)の長。名はない。皆は<龍皇>と呼ぶがな」
「<龍皇>……さま……」
うむ、と頷く老人――<龍皇>。その偉大な名に反して背丈はジェウセニューの腰の辺りまでしかないのではと思うほどに小さい。
ヴァーンに聞いたことがある、龍族の長、<龍皇>。それはこの地上が発生したと同時に命を持ち、今日まで生きている神族(ディエイティスト)よりも長い生を持つ人物。
神族と共に地上を管理し統べる存在。その姿を見たものはおらず、伝説の存在ともされる最強の存在。
あのヴァーンですら「あの御仁には敵わない」と言わしめた者。
それが、<龍皇>。
その<龍皇>が目の前にいる。
どうしてだかわからないが、ジェウセニューは背筋を伸ばしてじっと<龍皇>を見た。
うふふと<龍皇>は嬉しそうに笑う。
「あの神族の小僧がおぬしをこちらへ送ってきたときは何事かと思うたが……さて、小さき人属よ、なにがあった?」
あのヴァーンを小僧呼ばわり。
流石、長命を誇る龍族だ。そういえば、先ほどのクリュスタッロスはドラゴンというか龍族だったのだと思い至る。
龍族は神族と同盟のような関係にあり、友好的だと聞く。
(父さん……母さん……)
助けられないだろうか、彼らの力ならば。
悔しかった。
両親に助けられ、二人をどこかへやってしまったことが。
自分の力では助けられないことが。
誰かに頼らないとどうにも出来ない今の状況が。
そう、ジェウセニューは悔しいのだ。
(もし、オレがちゃんと魔力制御出来てたら……?)
バチン、
紫電が弾ける。
バチン、バチ、
弾ける。弾ける。
「父さんと、母さんが、オレの……せいで……!」
<龍皇>とスハイルアルムリフが目を細める。だがジェウセニューは頭を抱えていて見えてはいない。
バチン、
紫電が弾ける。
「おい、人属――」
「オレの、オレのせいで、父さんと母さんが――ッ!」
バチバチバチバチバチバチバチバチッ、
パンと弾けたのはスハイルアルムリフが手を伸ばしたからだろうか。拒絶するようにジェウセニューの周囲で雷電が舞い狂う。
暗雲がジェウセニューたちの上空にだけ立ち込める。
スハイルアルムリフは舌打ちした。
バチンッ、
ジェウセニューの目が、赤みを帯びた金色に光った。
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