第5話 鉱物と野生児

 ヴァーンにとって「家族」というものは手に入らないものの象徴だった。

 手に入れても、指の間からこぼれ落ちる砂のように、いつも自分を置いていってしまう。

 諦めようとして諦められなかった存在。

 それが「家族」。

 それでもヴァーンは孤独だと思ったことはない。それでいい。そう自分に言い聞かせていた。

 だから、今の状況は嬉しい反面少し恐ろしくもある。

 いつ、誰に奪われるのだろう、と。



 ヴァーンの目の前を跳ねるように歩くのはルネローム・サンダリアン。その横を恥ずかしそうに少し身を縮めて歩くのはその息子のジェウセニュー・サンダリアン。

 数百年の時を経て、ようやく手に入れたヴァーンの「家族」。

 その事実を胸の内で確認するたびにヴァーンはむず痒い気持ちになる。顔半分を白い布で覆っているとはいえ、口元は見えている。にやにやとした顔を晒さないようにすまし顔でヴァーンは二人のあとを追っていた。


「おや」

「あら」


 廊下の角でルネロームが誰かとぶつかりそうになった。

 前を見ろと注意しつつ、その誰かを見て――ヴァーンは頬を引き攣らせた。

 長い艶やかな黒髪を頭の高いところで結び、赤い目を縁取る黒い睫毛は長く、白い頬にすらりとした体躯、その身体を包むのは白い前合わせの変わった服と緋色のヒダのついたスカートのような穿きもの。靴はブーツなどではなく、変わった形のサンダルのようなもの。

 その身長がそれなりに高いこと、肩幅が存外しっかりしていること、それから思わず出した声が低い男性のものであることからようやくその人物が男だと知れる。

 少々女顔の男性だ。


「シュラ」

「ああ、ヴァーンもいたんですね。……見覚えのない女性と子どもがいるのは気のせいでしょうか?」


 くすくすと男性――シュラは笑いながら揶揄うようにヴァーンとルネロームたちを見た。

 わかっていて言っているのがありありとわかる。

 反撃する言葉を探しあぐねて、ヴァーンはぐぅと唸った。とりあえずルネロームとジェウセニューの腕を引いて自分の後ろにやる。

 シュラは形のいい唇を歪めて一層笑みを深める。


「ロウ、面白いものがありますよ」

「げぇ、ロウまでいるのか!」


 のそりとシュラの影から顔を出したのは姿勢の悪い……姿勢も目つきも胡乱な男性だ。ちゃんと立てばシュラと変わらない身長だろう。

 肌をとことん出さない黒い服は袖口や襟元だけが白い。手にはなにやらうねうねとした文字らしきものが書かれた細長い紙が握られている。

 ロウと呼ばれた男性は眠たそうな目で一同を見た。


「……とうとう公表すルノカ」

「しない……というか出来んわ!」


 変わったイントネーションの男は低い眠たそうな声だ。なんなら首が座らない赤子のように頭をふらふらとさせているくらいだ。

 ヴァーンは頭を抱えてちらりとルネロームとジェウセニューを見た。ルネロームは楽しそうににこにこ笑ったままだったが、ジェウセニューはついていけないのかきょとんと目を丸くしている。

 ヴァーンは意味もなく「あー」と声をもらした。


「髪が長いのがシュラ、やる気ないのがロウ・アリシア・エーゼルジュ。二人ともおれの右腕として四天王の称号を貰っている」

「はじめまして、ジェウセニュー。お父上にはお世話させてもらっています」

「世話してるのはおれだろうが」

「お前がジェウセニューカ。近くでちゃんと顔を合わせるのは初めテダナ」


 お近付きの印にとロウがジェウセニューに謎の札を握らせていた。まぁ害のあるものではないだろうとヴァーンは黙認する。

 シュラはにやにやとしている口元を白い袖で隠すようにして笑っていた。

 ロウは表情筋が怠惰だからわかりにくいが、こちらもこちらで楽しそうな玩具を見つけた子どものような様子だ。


「隔週の晩餐の成果はありましたか?」

「息子の名前を呼んでやりたいんダロウ」

「あー、あー、あー! 聞こえなーい、聞こえなーい! おまえ、ロウ! 変なこと言うんじゃない!」

「呼んで差し上げればよろしいでしょうに」

「ヴァーンはヘタレだカラナ。仕方ナイ」

「おまえらにだけは言われたくないわ!」


 わいわいと騒がしい四天王の二人の口を塞いで、ヴァーンは背後にした妻子にさっさと廊下を抜けるように指示する。

 ルネロームは一層にこにこと楽しそうに微笑んだまま、ジェウセニューの背を軽く押してヴァーン達の横を抜けた。

 ヴァーンは二人が見ていないのを確認してシュラとロウの頭を軽く叩く。


「暴力反対ー」

「ドメスティックバイオレンスですか」

「うるっさい、さっさと仕事に戻れ! ロウは書類の書き直しがあるからな!」

「チッ」

「一応上司だぞ、おれ」


 二人は目配せするとにまりと笑ってヴァーンの肩を叩いた。


「ロウ、シアに伝書を飛ばしましょう!」

「応」

「やめ……やめろ、本当に! シアは……シアには言うな! いや、おまえらが言うな!!」


 そういう間にも無駄に瞬間移動や転移魔法を使って逃走を図る四天王二人。追いつけないと悟ったヴァーンは振り上げたままどうしようもない拳を仕方なく下ろした。

 上司部下という関係である前に二人とは幼馴染であることが悪手にしか回らない。どうせもう一人の幼馴染兼悪友のシアリスカ・アトリにもいらない情報込みで伝わるのだろう。

 ヴァーンは諦めて――せめて連続で攻撃されないように逃走を計ることにした。

 先に行かせたルネロームとジェウセニューのもとに小走りで追いつき、二人の背中を押す。


「予定変更だ。どうせ荷物もないし、このまま城下観光でもしよう」

「お友達はもういいの?」

「もういいというかもう知らん。なにか見たいものはあるか。買いたいものならなんでも買うぞ」

「え、じゃあわたしお城が欲しーい」

「城は無理」


 えー? と首を傾げるルネロームの背を押して急かす。

 その横のジェウセニューはなんともいえない顔をしていた。これは父親としての株が下がっている予感。つらい。


「普通にジェウって呼んであげればいいのに」

「……出来たらやってる」


 ルネロームは仕方ない人と息を吐いてヴァーンに並んだ。

 ヴァーンは外出用のフード付きローブを召喚するとそれを頭から被る。


「……暑くないの?」


 少々胡乱な目をした息子が首を傾げた。

 首を振って平気なことを示す。


「これはちょっとした魔法がかけてあって、存在感を薄める役割を持っている。……おれはこれでも族長だからな。おいそれと顔を出して城下を歩けないんだ」


 ジェウセニューはふぅんとちょっと感心したように頷いた。


「朝は余り食べていなかっただろう、早めの昼食にするか」

「はいはい、わたし、バイコーンの肝臓食べてみたいわ!」

「えぇ……あれ、あんまり美味いもんでもないぞ……。ジェ……ジェウ、セニュー、は、なにか食べたいものあるか?」


 どうしても名前を呼ぶときにぎこちなくなってしまう。それが伝わるのか、ジェウセニューの動きも少々ぎこちない。


「えっと……じゃあ家じゃ食べられなさそうなもの、とか?」

「神界名物だと……そうだな、蓬莱の玉の枝か燕の子安貝はどうだ? 火鼠の皮衣も変わってると思うが……」

「え、なにその食べられそうにもない名前……」


 息子はドン引きしているが、ヴァーンはどこの店がいいか考えていて見ていない。

 昼食は会員制のリストランテで済ませた。ジェウセニューは別の意味でまたドン引きしていた。


+++


 昼食を終えてヴァーンが二人を連れて案内したのは大通りの噴水広場と特産品を売っている雑貨屋だ。

 噴水広場には解放王ヴァーンの大きな像が飾られているのを見てジェウセニューは笑いを堪えていた。


「ぶふっ……くっ、ふふ……」

「そんなに面白いか」

「だ、って……ぐぅ、くふっ……慕われてんじゃん」


 いろいろ言いたいことはあるが、まぁ楽しそうだしいいとしよう。ということでヴァーンは考えるのを止めた。

 ルネロームは二人の様子をやはりにこにこと機嫌よく眺めている。


「お料理も美味しかったわね。燕の子安貝が特に気に入ったわ」

「名前からは想像できない料理だったよな。……いや、目の前に出されてもよくわかんなかったけど」


 話しながらいろんな店の立ち並ぶ通りへやってきた。

 ヴァーンは深くフードを被り直す。

 ルネロームが目に留めたのは様々な鉱物や宝石の原石が並べられている一角だ。


「わぁ、綺麗ね」

「お姉さん、お目が高いね。これはこの街の北にある山でしか取れない珍しい石なんだよ」


 へぇ、と興味を持ったらしいジェウセニューも鉱物や原石が並べられたショーケースを眺める。


「ホントだ、綺麗だな」

「これは神界でしか取れない特殊な鉱石――オリクト・リトスと呼ばれるものだ。魔力含有量もさることながら、魔力を込めて属性や魔術的効果を付加することも出来る」

「へぇ……あら、もしかしてわたしの指輪も……?」


 ああ、とヴァーンは頷く。

 ルネロームの左手の薬指に輝く赤い石の嵌ったシンプルな指輪は以前、ヴァーンが贈ったものだ。世間に公にするわけにはいかない関係、そして女性は憧れるであろう結婚式をやってやれない不甲斐なさ。それを誤魔化したくて、いや、女々しくもなにか形として残したかったのだ。自分たちの繋がりを、目に見える形の指輪として。


「……気にしてないのに」


 すまん、と消え入りそうな声で返した。ルネロームは仕方ないなというように眉を下げて笑った。

 ふとジェウセニューが一点を見てじっとしているのに気付いた。

 こほんと咳払いをしてそそくさと近寄ってみる。

 ジェウセニューの視線の先にあるのは黄色い宝石のような石だった。薄っすらとした黄色で、ヴァーンは雷魔法族(サンダリアン)の集落から籠を抱えてやってきた少女の瞳を思い出す。

 確か、ジェウセニューと仲が良いという幼馴染の少女だ。名前はモミュア・サンダリアン。


「……モミュアの目みたいだ……」


 心を奪われたと表現するに相応しい有様でジェウセニューは小さく呟いた。聞こえたのはヴァーンくらいのものだろう。

 ヴァーンはちらりとその石から少し離れた場所に置いてある赤みがかった黄色の石を指す。


「こっちにおまえの目に似た石があるぞ」

「えっ」

「……石の加工は隣の店で受け付けてくれる。どうする?」


 ジェウセニューの今は赤い双眸がゆらりと戸惑った。

 最近、魔法族(セブンス・ジェム)の集落では恋人やプロポーズの際に自分の色の石が嵌った指輪を贈るのが流行っているという。ルネロームが話してくれた。

 それを思い出してヴァーンは提案したのだが……。

 徐々に真っ赤になっていく顔を押さえてジェウセニューは蚊の鳴くような小さな声で、


「……………………買う」


 とだけ言った。

 視界の端でルネロームが嬉しそうににまにまと笑っているのは見なかったことにしておいた。


(息子に土産として買い与えたいが、こればっかりは買ってやったら駄目だよなぁ)


 ヴァーンは財布を取り出したい衝動を抑える。

 こればかりは男としてのプライドの試されるときだ(大袈裟)。

 が、問題が一つあった。


「…………やべ、オレ金持ってないじゃん……」

「……おう……」


 そういえばこの子、現金というものに縁がなかった。

 いや、ルネロームは普通にお金を持っているし、ジェウセニューにも小遣いなどを渡しているはずだ。狩りで入手した肉や毛皮を港で売って生計を立てているのだからそこそこの稼ぎはあると言っていた。

 しかしジェウセニューはずっと一人で、集落の者たちとはほとんど関わらずに自給自足で生きてきた。

 ……現金を持ち、それを使う習慣がなかったのだ。


(どうしよう、おれの息子がガチの野生児……)


 男二人であーとかうーとか言いながら佇む。

 ルネロームはなにかいい案を出してくれないかとちらりと視線をやれば、両手を交差させて「手伝いません」をアピール。

 さて本当にどうするべきか、とヴァーンが頭を抱えたとき。


「店のおっちゃん!」


 ぱっとジェウセニューが顔を上げた。

 店主の中年男性は愛想よく応える。


「おっちゃん、この石……と、こっちの黄色い石、取り置き出来る!?」


 瞬間、店主は案の定嫌そうな顔をした。

 いやぁ、と首を振る店主。


「お金ないのかい、坊ちゃん。それなら売れないし、うちは取り置きはしてないんだよ」

「う……同じくらいの価値の石、取ってくるからそれと交換とか……」

「どれくらいかかると思ってるんだい。それに坊ちゃん一人で行ける場所じゃないよ」


 そこをなんとか、とジェウセニューは食い下がる。

 同じ価値のものならば城にいくつかあるだろう。けど、この色味はここにあるものだけだとヴァーンは気付いていた。

 金銭での取引をしている場で交換なんて早々に出来るわけがないだろう。それはヴァーンもわかっていたが――息を吐いて、そっと店主に近寄りフードを軽く上げる。

 そしてジェウセニューに気付かれないようにこっそりと店主に耳打ちした。


「……すまんな、おれの顔に免じて、彼の言うことを受け入れてくれないか」


 すまん、と軽く頭を下げると、ヴァーンが誰だか気付いた店主はひぇと小さく息を飲んだ。慌てて声を押さえるように手振りで落ち着かせる。


「ヴァ、ヴァーンさま……! いや、流石にヴァーンさまに頼まれたら……それは、構いませんが……」

「すまんな、代わりに今度自慢の品を買わせてくれ」


 店主はもう一度ひぇと呟いた。

 父親として、家族として出来ることの少ないヴァーンだから、これくらいの手助けならしてもいいかと思ったのだ。

 ちらとルネロームを伺うと両手で小さく丸を作っているのが見えた。


「坊ちゃん、本当にこれと同じ価値の鉱物を持ってきてくれるんだね?」

「あ、ああ、もちろん!」

「今回だけだからね。あ、他の人にも言わないでくれよ。自分もなんて言われたら堪らんからな」


 店主の声にジェウセニューは力強くこくりと頷く。

 店主は言葉の通り、二つの黄色い石を取り置いてくれるらしく、展示してあるショーケースの中から取り出して箱の中に仕舞った。


「とう……じゃなかった、えーと、そ、そこの人っ」

「え、お、おう」


 突然そこの人呼ばわりされて戸惑うヴァーンにジェウセニューは近寄って声を抑えた。


「北の山ってどこ?」

「……まさか、今から行くつもりか?」


 きょとんとジェウセニューは目を瞬かせる。

 思い立ったが吉日、とばかりに猪突猛進な子だ。なんでこんな真っ直ぐなんだいや真っ直ぐなのはいいことだ、とヴァーンは目を細める。

 店主に礼を言いながら店を出て、ため息を吐いた。


「ルネローム、今から二人で北の山に行くが……どうする?」

「え、行きたーい」


 答えはわかっていたが、一応聞いておいた。

 ヴァーンは路地裏に二人を誘導し、人気がないことを確認する。


「転移魔法を使う。探索時間は……三時間くらいだな。時間が経ったら見つかっても見つからなくても戻ってくるからな」

「わかった、ありがとう!」


 毒気を抜かれるような真っ直ぐな笑顔に、ヴァーンは意味もなくフードを抓んだ。

 ルネロームとジェウセニューの手を取って、転移先の座標を確認、一気に跳躍する。

 一瞬にして三人の姿は路地裏から消え去っていた。


+++


 結論から言おう。

 一時間以内にルネロームの頭くらいある青く光るオリクト・リトスの鉱物を見つけてジェウセニューは戻ってきた。

 鉱山の入り口で待っていたヴァーンは「ほげぇ」という情けない声を出したくらいには立派な石だった。

 転移魔法で店まで戻り、店主は店主で「おぱぁっ」などと謎の奇声を上げた。


「この大きさをこの短時間で!? 坊ちゃん、山掘らないかい!? 才能あるよ!!」

「いや、別に掘るのはいいかな……」


 店主は残念そうに、しかし大いに過剰払いしている分だということで隣の細工店への支払いを請け負ってくれた。なんだったらヴァーンが自腹で買うつもりだった店の看板商品もつけてくれたくらいだった。


「……おれ、手出しっつーか口出しする必要あったか?」

「さぁ。でも取り置きしてもらえたのはヴァーンのおかげでしょう」

「少しでも、あの子になにかしてやれただろうか」


 ずいと近寄ったルネロームがぺしんと軽くヴァーンの額を叩いた。


「もー、別になにかしてほしいなんて言ってないじゃない」

「……それでも、おれはおまえたちになにかしてやりたいと思うんだ。――迷惑だったか?」


 目を瞬かせたルネロームは、細工店で注文をするジェウセニューの後ろ姿を店の外から眺めながら、くすりと笑った。


「んーん。あの子が喜んでるから、迷惑なんかじゃないわ」


 そうか、とだけヴァーンは答える。

 ここの細工店は仕事が早く、且つ精密でいい仕事をする店だ。ヴァーンはルネロームと同じ方向を見る。

 ジェウセニューの注文はもう少しだけ、時間がかかりそうだった。


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