第4話 いってきます

 突然、神界に行くことになった。

 余りにも急すぎてなにを準備すればいいかわからないとジェウセニュー・サンダリアンがぼやくと、ヴァーンは「必要なものは基本的に向こうにあるし、なければ新しく調達すればいい」と言われたのでもう身一つで行くことに決めた。

 ルネローム・サンダリアンは流石に急すぎると父を怒った。


「準備が必要だから、今度からもっと事前に言ってね」

「準備とかいらないけどな」

「心の準備とかあるでしょ!」

「……わかった、次から気を付ける」


 とはいえ初めての遠出、外泊、家族旅行(?)だ。

 少し浮足立っていて、そわそわと落ち着かない気分になった。

 翌朝、出かける前に家の周囲に撒いている魔獣避けの香を確認しておこうとジェウセニューは両親に一言伝えて外に出た。

 まだ太陽が昇ったばかりの時間帯で、冷えた空気がジェウセニューを包む。

 朝の新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んで、大きく息を吐いた。

 かさり、と足音がして振り向く。


「あ……セニュー」

「モミュア?」


 何故か幼馴染のモミュア・サンダリアンが大きな籠を持ってやってくるところだった。

 こんな朝早くになんだろう、とジェウセニューは首を傾げる。

 三年前より少し伸びた黒髪は肩につくかつかないか、前髪をヘアピン二つで留めている。半袖のシャツの胸元の小さなリボンが愛らしく、腰に巻いた魔法族の紋様の入った帯に結びつけられた赤い布は昔ジェウセニューが彼女にあげたもの。

 抱えた籠にはいくつか新鮮な果物が入っているように見えた。


「お、おはよう、セニュー!」


 ああ、おはよう、と返せば、モミュアは嬉しそうにはにかむ。

 近寄ると、果物の芳しい香りがして、ぐぅとお腹が鳴った。


「ふふ、朝ごはん、まだなの?」

「あー……うん。モミュアはどうしたんだ、こんな早くに」

「えっと……セニューならこの時間、もう起きてるからいいかなって……あ、お客さんの日だったっけ?」


 そのお客さんならさっきから窓からこちらをちらちらと様子を伺っているのが視界の端に見えている。

 ルネロームも小さく手を振ってきているのが見えて、なんだ、その、ちょっと鬱陶しい。

 ジェウセニューは努めてそれを見ないようにしつつ、モミュアを見た。


「それで、今日はどうした?」

「地魔法族(ノールド)のナバートさんがいろんな果物をくれたの。おすそ分けしようと思って……ちょっと早すぎちゃった」

「いや、今会えてよかった」


 え、とモミュアが頬を紅潮させる。釣られてジェウセニューも赤面する。


「あ、え、えーと、その、あー……あっそうだ、オレ! 今日からちょっと出かけるんだ!」


 きょとんと目を瞬かせたモミュアは「お出かけ?」と首を傾げた。


「ああ、ちょっと母さんたちと――神界行ってくる」

「……神界!?」


 モミュアは大きな目を一層丸くしてジェウセニューを見た。重たそうな籠を受け取って、ジェウセニューは「えーと」と意味のない言葉をこぼす。


「その、父さんのことで、ちょっと」

「……お父さん、なにかあったの?」

「いや、なにも。ただちょっと……しょ、職場見学? みたいな?」


 本当のことを言うわけにもいかず、誤魔化す。幸いモミュアは深く考えず納得してくれたみたいだった。


「ってことで数日、留守にするから……心配しないでくれ」

「わかったわ。じゃあ帰ってきたら教えてね」

「ああ、わかった」

「気を付けてね」


 こくりと頷く。

 それじゃあ、とモミュアは手を振って家から離れていった。

 彼女が去った方向を見て、ジェウセニューは小さく息を吐く。

 その肩をぽん、とルネロームが叩く。


「見ぃーちゃった♡」

「うおわぁぁぁぁぁっ!?」


 心臓が口から飛び出すかと思った。慌てて籠を抱えなおし、中身がこぼれていないかを確認する。

 背後に立っていたルネロームは楽しそうに口元を手で押さえてうふふと笑っていた。


「な、なんだよ、母さん……」

「モミュアちゃん、誘わなくてよかったの?」

「誘えるか! いや、父さんのことだってカンコーレーってやつなんだろ?」

「未来のお嫁さんなら言ってもいいんじゃない?」

「おおおおおおおよめさんんんんっ」


 ぼっと顔どころか全身を真っ赤に茹で上がらせた息子を見て、ルネロームはくすくすと笑う。

 家の扉を少しだけ開いてヴァーンがその様子を見ていた。


「ルネローム……その辺にしてやれ?」

「はぁーい」


 ルネロームはジェウセニューから籠を受け取ると、家の中に入っていく。代わりに顔を覗かせたヴァーンが肩を竦めた。


「そろそろ行くぞ。準備は出来たか?」

「……ちょっと心臓落ち着かせたい……」


 家の扉に手をかけたジェウセニューを見て、ヴァーンはぽんと息子の背中を叩いた。


+++


 ルネロームに風呂敷包みにされた果物を持たされる。急に訪問することになった神界の知り合いへの土産だ。

 ジェウセニューはドキドキする心臓を押さえて家を出た。これから行く先は神界――未知の世界。

 ルネロームは家の扉に「ちょっとお出かけしてきます」と書いた紙を貼っていた。


「神界ってどうやって行くんだ?」


 スタスタとジャングルの方へ歩いていくヴァーンのあとを追いながら、ジェウセニューは尋ねた。後ろをゆっくりとルネロームもついてくる。

 ああ、とヴァーンは立ち止まってジャングルに入って三歩のところにある木を指した。


「あの木のウロだ」

「……は?」


 ヴァーンが指すのは少し大きめの木のウロ。ヴァーンが身をかがめてようやく入れそうな大きさの穴だ。


「ここにこの指輪を当てて、呪文を唱えると――」


 ヴァーンの唇から出てきたのは聞いたこともない言語だった。なにを言ったのか、むしろ声だったのかわからないそれを唱えると、木のウロがほわりと一瞬だけ光る。


「通路が開く。さぁ、入れ」

「入れって……」


 小さな子どもなら入れるだろうが、成人とそう変わらない身長に育ってきたジェウセニューには少し通りにくそうな穴だ。

 ルネロームはウロを覗き込みながらヴァーンを見比べる。


「これ、ヴァーン、入るの?」

「ちょっと狭いが、まぁ通れなくもない」

「別の道ないんかい」


 もう少し他になかったのだろうか。というか隔週でこれを通って来ていたのか、この男は。


「通ったらおれの部屋に出るから、そこから動かず待っててくれ」

「はぁい」


 言いながらルネロームはウロに手を伸ばした。

 ほわんと光の玉のようなものが浮かび上がり、ルネロームの身体が透けていく。瞬きをする間にルネロームはウロの中に入り、消えてしまった。

 それを見届けてヴァーンはジェウセニューを促す。

 ジェウセニューは少しだけ戸惑いながら果物の入った風呂敷を抱えなおし、ウロへ手を伸ばした。

 少しだけひんやりとした感覚。

 ほわんほわんと光の玉のようなものが現れ、ジェウセニューを包んだ。ウロをくぐりながら自分の手から消えていくのを知覚して息を飲む。

 ぎゅっと目を瞑って手を使って前に進むと――もふり、と顔にふわふわしたものが当たった。


「お?」


 目を開けると暗い視界。這うようにして進むとジェウセニューはなにか布のようなものをくぐって大きな部屋に出た。


「……え?」


 立ち上がって辺りを見渡すと、ジェウセニューが出てきたのは天蓋付きベッドの下だったことに気付く。何故こんな場所から……。

 見ればルネロームは部屋の中を興味深げに眺めている。

 果物を潰していないか確認していると同じところからのっそりとヴァーンが現れた。立ち上がって服を払う。


「……いつもこんなとこ通ってんの?」

「別におれしか通らないしそれでいいかと思ってたんだ」


 この男、自分のこととなると割と適当でずぼらである。部屋の中はほとんど物がなく、閑散としていて寝に来ているだけの部屋なのだろうということが察せた。


「まぁ、とりあえず――ようこそ、神界へ」


 ヴァーンは口角を上げて微笑む。

 まだ余り実感は湧かないが、神界に到着したらしい。

 ルネロームは「空気が地上と少し違うのよね」と頷いていた。

 すんすんと鼻に注意をしてみるが、よくわからない。

 ヴァーンが部屋の扉を開いた。


「帰りは別の通り道を使うか」

「……その方がいいかな」


 もしかして同じ道を使うとするならば、ヴァーンのベッドの下に潜り込まなければいけないのかとジェウセニューは頬を引き攣らせた。

 別の通り道があるならその方がいいかなと思った。

 ヴァーンは引き出しの中まで見ようとするルネロームの背を押して部屋を出た。


「あっ、ヴァーンさ……ま……?」


 扉の前にいた女性はばさりと持っていた紙の束を落とした。

 肩までの短い黒髪、ぱちりとはっきりとした赤目、長いスリットの入ったドレスの下には白いズボンを穿いている。

 ぽかんと口を開けていた女性はみるみるうちに目を吊り上げ、怒りの形相へと変わる。


「な、ん、で、妻子連れてきてるんですかーーーーっ!?」


 思わずといった風に女性はヴァーンの胸倉を掴み上げ、がっくんがっくんと揺さぶった。

 ヴァーンは頭だけがくがくとさせながら女性に落ち着くように言っている。


「あら、ラセツちゃん、元気そうねぇ」

「はっ! ……し、失礼しました。お久しぶりです、ルネロームさん」


 我に返ったラセツと呼ばれた女性はこほんと咳払いをした。服を払って軽く整え、ばしりとヴァーンの背を叩く。


「そちらのご子息さまは初めましてですね。私はラセツ・エーゼルジュ。お父上であるヴァーンさまの補佐を担当しております。どうぞ、お見知りおきを」

「えっと、はい、ジェウセニュー、です……」


 頭を下げるラセツに、ジェウセニューはどぎまぎと同じように頭を下げた。

 で、とヴァーンの外套を引っ張るラセツはにこりと笑う。


「どうしてルネロームさんとご子息さまがここに? 私はなにも聞いておりませんが?」

「ああ……その、いろいろあってな?」

「そのいろいろをあらかじめ伝えておけといつも言っているんです。報! 連! 相!」


 バシバシバシっと痛そうな拳がヴァーンの脇腹に入った。

 ぐぅと唸ってヴァーンが崩れ落ちる。

 はぁとため息を吐いたラセツは落ちた紙の束――難しそうな言葉が並んでいる――を拾い上げ、改めてジェウセニューたちに向き直った。


「突然のことでなにも用意は出来ておりませんが、どうぞこちらへ。いつまでも阿呆の部屋の前でお話しするのもなんですし」

「ふふ、気にしないで。わたしたちも急だったからなにも用意出来なくて……あ、果物を持ってきたの。よかったらみんなで食べて」


 ルネロームに促され、ジェウセニューは持っていた風呂敷をラセツに見えるようにした。渡そうにも彼女の手は紙の束で塞がっている。

 まぁ、とラセツは顔を綻ばせた。


「ありがとうございます。あとでお茶請けに出させましょうか……あ、あとで受け取っていいですか? 今、手が塞がっていて」

「だ、だいじょう、ぶです」


 ラセツのあとに続いて廊下を歩く。上層部の一部しか使わない通路らしく、すれ違う人はいなかった。

 ちらりと後ろを伺うと、しょんぼりと肩を落とすヴァーンがゆっくりと追いかけてくるのが見えた。

 すぐ調子乗るので放置してていいですよ、とラセツが小さな声で耳打ちする。


(父さん、どういう扱いなんだよ……)


 確か神族(ディエイティスト)族長だと聞いていたが、間違いだっただろうか。

 いや、一応部下だというラセツも敬う姿勢は見せている。多分。

 しばらく歩くと大きな扉の前に出た。


「どうせ職場も可能な範囲で見せたいのでしょう。……どうぞ、族長さまの執務室です」


 大扉が音もなく開く。

 中は真っ白な空間だった。その奥にぽつんと仕事用のデスクが一つ。


「ここは相変わらずなにもないのね」

「ヴァーンさまはモノが雑多だと落ち着いて仕事が捗らないタイプなので」


 本当は壁も天井もあるのだが、真っ白ななにもない空間として固定しているという説明を受けたが、どういうことなのかジェウセニューにはよくわからなかった。

 ヴァーンが部屋に入り、大扉が閉まる。やはり音はしなかった。

 すたすたとデスクに近寄ったヴァーンはいくつかの紙をラセツから受け取りさっと目を通す。


「すまん、少しそこで待っていてくれ」


 はぁいとルネロームは気を害した様子もなく元気に頷いた。ジェウセニューも母に並んでこくりと頷く。


「ラセツ、一枚目の案件は次に回してくれていい。二枚目は少し待て、シュラに確認をさせる。三枚目は……誰だ、これ書いたの。読めないぞ」

「それはロウさまですね。ちなみに次の四枚目はイーグル、五枚目はハウンドです」

「即刻、書き直させろ。カムイはどうしている?」

「カムイさまは西の町に到着したとカゲツより報告がありました」

「ならこちらの案件はシアに回すか……」

「次の<龍皇>さまとの会合はいかがいたしますか」

「予定通りに。手土産は任せる」

「はい」


 テキパキと手慣れた様子でヴァーンは紙の束――書類を捌いていく。

 その姿は先ほどまでのなんとも言いようがない様子とは違い、しっかりとしたものだ。


「ちゃんと仕事してんだ……」

「そーよぉ。ふふ、ちょっとカッコいいでしょ?」


 声を潜めてルネロームはうふふと笑った。

 ヴァーンがちらりとこちらに顔を向けたが、すぐに視線を書類へ落とす。


「――とりあえずここまでだな。急ぎのものはまだ他にあるか?」

「いいえ」

「ならラセツも少し休憩しておけ。……二人はおれが案内する」


 はい、とラセツは礼をすると、ジェウセニューから風呂敷を受け取り退室した。

 あとに残されたのはジェウセニューと父と母。

 ヴァーンは首を左右に回してデスクから離れた。


「さて、ここでその目は目立つからな……少し違和感はあるかもしれないが、」


 言いながらヴァーンの両手がルネロームとジェウセニューの目の前に翳された。

 淡い光が通ったような気がしてジェウセニューはぱちりと目を瞬く。

 ヴァーンが腕を下ろす。

 なにかしたのだろうか、と母を見れば、母の黄色い双眸が真っ赤なものに変わっていた。


「……えっ」

「あら、ヴァーンもヴァルくんの魔術覚えたの?」

「応用魔法だ。どうだ、どこか痛みや気持ち悪さはないか」


 痛みや気持ち悪さといったものはない。ただ、母の顔が見慣れないだけだ。もしかして、自分も同じように赤目になっているのだろうかとジェウセニューは目を瞬かせた。


「ジェウも綺麗な赤色、似合ってるわよ」

「えっ、ほんと!」


 ちょっとテンションが上がった。

 何故なら実はジェウセニューは赤色が好きだからだ。けれど自分は雷魔法族(サンダリアン)。雷魔法族は黄色い目であることや、精霊神官となる人は金髪になることからイメージカラーがどうしても黄色になりがちなのだ。

 好きな人は家の屋根の色まで黄色にするくらいだ。

 そんな中で赤色が好きというのはなんとなく言い出しづらくて今まで言ったことはなかった。

 ルネロームがポケットから出した手鏡で顔を見せてもらう。

 キラキラとした赤い苺のような目がこちらを向いていた。


(カッ……コいい!)


 辛うじて声は出さなかったが、ジェウセニューは嬉しそうに口角を上げた。にやにやしそうになる口元を押さえて父に「ありがと!」と礼を言う。

 訳がわかっていないヴァーンは「お、おう?」と首を傾げている。


「近くの部屋を案内しよう。以前使った来賓用の部屋が空いているはずだ」


 ヴァーンに続いて執務室を出る。色のある風景が少し眩しかった。

 しばらく廊下を歩いた先で会った金色の目をした分厚い眼鏡の少女にヴァーンが部屋の準備を頼む。少女はきちんとヴァーンに礼をして去っていった。


(神族は赤い目だって聞いてたのに……今の子、金目だよな)


 雷魔法族の目の色とは違う色味だった。ジェウセニューは少女の背中をぼんやりと見送る。


「部屋の準備が出来るまで、城下を見渡せるバルコニーに案内しようか」


 ヴァーンの先導で屋外に連れ出された。随分と高い場所にあるらしく、風が少し強い。

 ヴァーンに促され、欄干に軽く乗り上げて下を見た。


「わぁ……」


 人が、道が、家が驚くほど小さく遠くに見える。

 これが、父の治める神界の街。神界の暮らし。

 ジェウセニューは初めて見る高い場所からの光景に、両親に呼ばれるまでそれを眺めていた。


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