2.ブッコロー、七里ヶ浜へ行く

「デートはどこに行くの?」

「海に」

「海か、長いこと行ってないなあ…」

「淵野辺には海がなくて神奈川は広いから、なかなかねェ…」

そう言いながら、ブッコローは淵野辺駅の改札にピッとICカードをかざして通過した。飛びながら移動しているのに移動手段は電車らしい。


「飛べるんですが、長距離を飛ぶと疲れるんですよ」

「うーん、そんなもんかぁ」

電車待ちをしているブッコローと私。

周囲は誰も気にもしていない様子だ。

傍からみたら、女が独り言を言っているだけかもと考えると怖い。

銀河鉄道に誘われる発車メロディーを聴きながら、幻覚ではありませんようにと願った。


緑色のラインの横浜線で町田駅に行き、水色のラインの小田急線快速急行に乗り換える。小田急線はいつも混んでいるが、今日は座ることができた。

電車内の向かいの窓を見ると、自分とブッコローが並んで座っているのが映って見えた。

「千尋とカオナシみたい」

映画に似た奇妙な光景。

座席は埋まっているのに、隣に誰も座らないのは周りにブッコローが見えている証拠だろうか。

ー……いや、ぬいぐるみを隣に座らせる、ただの迷惑な女性とか。

「うむむ 、ちょっと立とうか」

ブッコローを手に立ちあがり、つり革を掴んだ。


「あの…ブッコロー、なんで突然いなくなったの?」

恐る恐るブッコローに聞いた。

そう、彼は突然いなくなったのだ。


「あの日、お母さんが掃除していて、僕を天日干しにして、陽射しの中で良い気分だったけど、お母さんがしまい忘れて夜になってしまった。君はたまたまいなくて…」

「そうか……あの日、修学旅行から帰ったらブッコローがいなくて、お母さんに聞いても『ないわねぇ』って」

「あの夜、イタチに急に、こう、ズルズル〜、ズルズル〜っと引っ張られて持ち去られてしまって」

「はっ? イタチ?」

「イタチの巣を守るように、僕は配置されたってわけです」


動物の番組で見たことがある。

イタチは夜行性。

夜間に家や庭に侵入して色んな物を持ち帰り、巣のオブジェや材料にするらしい。

「イタチの巣は家の隣あたり、木の茂みの中にありました」

「そんな近くにいたの?」

「君の近くにいるのに声もだせず動けなかった。ただのぬいぐるみでしたから」

表情は動かない筈なのに、ブッコローの表情が曇ったように見えた。


「いま話せて、動けるようになったのは?」

「動きたい、話したいと強く、誰よりも強く願いました。君の元に帰りたかった」

「私も毎日のように、ブッコローを思ってたけど…」

いや、違う。

最初の1年くらいは一生懸命探していたが、学業やクラブ活動が忙しくなり、次第に記憶の片隅に追いやってしまっていた。


「毎日毎日、心の中で叫び続けた。イタチもいつの間にかいなくなり、僕の身体も朽ち落ちそうになったけど、思い続けて頑張って、気がついたら10年経っていました」

「10年……そんなに」

「これは呪いでしょう。僕はなぜか少しずつ動けて、話せるようになった」

「呪い?」

「でも、その頃には君はもう大人になっていた。大人にはもう必要ないでしょう?」

「私、大人だけどブッコローは必要だよ」

「ぬいぐるみは、大人になると必要ないと書いてありましたが」

「一般的にはね。必要ない人もいるけど私は違う」

「えっ、そうなんですか! 勉強不足だった!」

腕の中で、ブッコローがくちばしを大きく開いて動きが止まった。

どうやら驚いているらしい。


「いままで、君のことは影から見守っていた。合間に相模原図書館で本や新聞を読んで、勉強もしました」

「え、あの図書館? ブッコローを見て、だれもなにも言わなかった?」

「はい。なぜか、だれも、なにも」

「うーん、なんか、そんな感じかもって思い始めてきた…」

電車内では誰もがスマホを見ていて他人には無関心だ。

ぬいぐるみを持つ女がいても、こちらを気にする素振りは一切ない。


「ずっと見守ってましたが、最近は君が辛そうで、思わず声をかけてしまいました」

「そうか、もっと早くうずくまれば良かったのね、私」

「僕も、早く声をかければ良かったですね」

ブッコローは「不覚!」と羽で頭をぽんと叩いた。


「ああ! ねえっ、見てください! あの山並み!」

ブッコローが急に身を乗り出した。

「うん、天気もよくてキレイだね」

「あの山はたしか…」

「大山。丹沢大山だね」

「そう、小田急線からみる山並みはなんとも良い。大山と富士山の神様は親子らしく、神奈川最初の初日の出が見られる」

「さすが。図書館通いだけあるね」

ブッコローは身を乗り出して「あれは、あそこは〜〜」と、うんちくを言いつつ楽しそうだ。


そうこうしていると藤沢駅に着き、江ノ島線に乗り換えた。

淵野辺駅からかれこれ1時間。

江ノ島電鉄は線路に密着してガタガタと進む。住宅地のすれすれでゆったりと進む。

それが逆に心地が良い。

電車内から見える海岸線を見るだけで、癒されていくような気がした。


ブッコローは「ここです」と、七里ヶ浜駅で降りた。

小さな駅の簡易改札機にICカードをかざして階段を降りる。

江ノ電の踏切を渡り、国道134号線の横断歩道を渡り、防波堤の階段から七里ヶ浜海岸へと降りた。

砂浜を進もうとすると、革靴だから足を取られてうまく歩けない。

ブッコローはふよふよと飛んでいて快適そうだ。

靴が重く、砂混じりになったが、なんとか波打ち際まで進んだ。


すると、太陽光でキラキラと輝く青い海が目の前に広がった。


「おおお〜〜すごい!」

海風が心地よく、顔にバシバシとあたる。

潮の独特な匂いと太陽の暖かな香り。混じり合って全神経を刺激した。

右手側を見ると、江ノ島の展望灯台が見えて、その背後には雲ひとつ掛かっていない、澄みきった雄大な富士山が見えた。


「ここが七里ヶ浜! 絶景ですね〜〜!」

ブッコローは羽をパタパタとさせて感動している様子だ。

「本当にキレイ。富士山は大きくてサイズ感が狂うし」 

この世のすべての美しいものをすべて集めた所に思えた。

「江ノ島は行ったことあるけど、七里ヶ浜ははじめて」

「ここは湘南随一の美しさと言われてますが、穴場だそうで」

神奈川は思うよりも広い。観光名所はたくさんあれど、地元だと行かない所もたくさんある。


「君と一緒に、この風景をまず見たいと思ったんです」


「どうして?」

「覚えてませんか。好きだった本のこと。七里ヶ浜海岸で少年と少女が海を見つめて、こう言う…」

「〝目の高さから見える海の水平線までの距離は、約4キロメートルなんだよ〟」

とっさに台詞が出てきた。

そうか、思い出した。

小学生の頃、七里ヶ浜を舞台とする少年と少女の物語が大好きだった。


「いま、君と僕はいま同じ高さで、同じ距離の水平線を見ています」


ブッコローは、いつの間にか肩に乗っていた。

「そっか、覚えていたんだ」

「はい。昔、君と僕はその本をよく読んでいた。読むうち内容を覚えてました」

「つまり、ブッコローは最初から意識があって話せるようになっただけ。多分、呪いじゃない。それは奇跡だよ」

「奇跡……ですか」

考えているのだろうか。ブッコローはまたくちばしを開いたまま動きが止まった。


「あれだけ好きな物語を忘れていてショック。七里ヶ浜を忘れていたとか」

「一説では、大人になり、仕事などにリソースを割かれると、過去の記憶を仕舞い込む傾向にあるとか」

「そうかもね。仕事がいま大変で忘れっぽいし……もう自信がないんだ」

「最近、つらそうですね」

「うん、がんばっているけど限界。仕事が遅くてさらに失敗して、注意されて悪循環で」

「そうなんですか」

「最近は残業したら注意されるんだ。働き方改革だね。効率的に時間内で仕事を終わらせる人が評価されるの……」

自分は違うのかと思うと泣けてくる。


「そうですね、僕が言うのも変ですが、仕事の効率性を高めるには〝優先順位の明確化〟〝進め方をメモに取る〟〝周囲とのコミュニケーション〟が基本で重要らしく…」

ブッコローが、かっと開眼したように、明瞭な早口で話し始めた。

「優先順位を明確化して、それでも過多な仕事と判断したら同僚に助けを求めましょう。そのためにコミュニケーションが重要です」

「え? うん、あ、はい」

「コミュニケーションの要は挨拶。挨拶ができない人は仕事ができない」

「あいさつは…しているかな…」

「あとは整理整頓。デスクを整頓するのは勿論、PCを使いやすくカスタマイズするなど、物に頼るのは重要。これは自分の能力の一部と言ってもいい」

「なるほど」

「それらを最大限にやってみてダメなら仕事を辞めても良い。仕事内容が合ってないと考えるべきで、自分を卑下する必要も、悔やむ必要もない」

「……そうか、そうかも…しれないね」

「それと……」

ブッコローは海を眺めたまま、しばらくそのまま何も話さなかったが、こちらを向いた。


「こんなに海がキレイで、富士山が美しい。いまは仕事のことを忘れて楽しむ。それが一番優先すべきだと僕は思っています」

「うん、こんなに澄み切った海と富士山はなかなか見られないね」

ブッコローと顔を見合わせて、にこりと笑いあった。


「少し、気持ちが楽になりましたか?」

「少しじゃない、とても楽になったよ」

「本には人には息抜きが重要だとあった。だからここに来ました」

「そっか、そうなんだ。ありがとう、ブッコロー」

いっぱいいっぱいで、周りが見えずに息ができなくなっていた。

七里ヶ浜の風景を見ると、深呼吸ができて、混乱していた頭の中が整理されていくような気がした。


「あと、僕のわがままなんですが、これから付き合ってほしい場所があります」

「どこに?」

「鶴岡八幡宮に行きたくて、大観覧車にも乗りたいんです」

「それはなかなか過密スケジュールだね」

「大丈夫。こんなこともあろうかと、ずっと前から、優先順位を明確化してスケジュールを立ててたんです」

「ずっと前から?」

「1日は短い。ささっ、はやく行きましょう!」

ブッコローは急かすように羽を差し伸べて、楽しそうに笑みを浮かべたように見えた。

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