いま、君に逢いにゆきます。

アカネ ミヤム

1. いまから君に、会いに行く 

職場で部署替えになり、失敗を連発するようになった。

「就業時間内に出来る仕事量でしたよね? 残業して、さらに失敗まで…、はあ……これから改善できますか?」

合わない職種に、出来ない仕事。

上司の落胆した表情と大きなため息を聞き、期待されていないと萎縮してしまった。

昨今、コンプライアンスが厳しいので強くは言われないが、感じてしまう蔑みと圧力が私を追い詰める。


昔から要領も覚えも悪く、人一倍努力しないと平均値になれなかった。

「はあ……仕事つらいな」

人生ダメダメすぎて涙すらでない。

社会人になりたての頃は希望に満ちあふれていたはずなのに、なぜこうなってしまったのか。


今日は休日だが心は実に重い。

それでも本屋に行かねば、と重い足取りで家を出た。


自宅から淵野辺駅南口まで歩いて5分程。

北口へと移動するために駅の高架を渡る。

高架内に改札があり、宇宙を目指す兄弟と銀河系一の美女の大看板が淵野辺駅名物。

看板横の窓からは横浜線を走る電車が上から見えた。


「もう、どこか遠くに行きたい…」


行こうと思えば行けるが、行く気力がない。

日々、色々なことに苛まれて疲れている。

それでも本屋には行くのね、と軽いツッコミを入れながら、北口のエスカレーターを下り、左側に曲がるとすぐに目的地に着いた。

本屋に行く前に、コージーコーナーの世界一美味(私比べ)なチョコエクレアを買う。色々と食べたがこれに勝るものはない。


そして、すぐ隣の有隣堂淵野辺店に入った。

駅に隣接している長方形の本屋。

小さな本屋だが、ジャンル別に整然と本が揃っており、変わった文具もある。

ブックカバーが10種類もあり、紙の本好きにとっては嬉しいサービスだ。

ネットでも買えるが、手にとり状態を確認して買うのが私の信念。


本日発売の、待ちに待った小説を手にして店内を物色した。

満身創痍だが、本を読む元気があるから大丈夫! と言い聞かせた。

だが、無意識のうちに『月曜が憂鬱になったら読む本』や『仕事たのしいかね?』という背表紙から目が離せなくなった。

背表紙を指でなぞると吐き気がしてきて、目がぐるぐると回ってくる。


気持ちが悪い。


ー……あ、わたし、思っていたよりも、ダメかもしれない。

立つこともできなくなって、その場にうずくまってしまった。



「もしもし、大丈夫ですか?」


突如、高めの声が聞こえて見上げると、そこには巨大な塊がふよふよと浮かんでいた。


「こんにちは。久しぶりだね」

「え…ええ…あ、あの………あの」

突然の出来事に声がうまくでてこなかった。


目の前には、蛍光色に近いオレンジのぬいぐるみがいた。


耳のような羽角には募金でもらえるような羽が黄、緑、青、桃色とカラフルに並び、ぎょろぎょろと飛び出した色違いの不均等な眼球が私を覗きこむ。

傍には本を持ち、見覚えがある重量感があるフォルム。


懐かしい彼の姿を見て私は目を疑った。


「あ、あの、もしかして……あ、あの、ブッコローだよね?」

「はい。ブッコローです」


信じられなかった。

昔の記憶が一気に脳内に蘇ってくる。

「あ……あれ…でも、なんで、話して、飛んでいるの?」

「話すと長いけど…」

「どうしていなくなったの?」

「それも、話すと長いかなァ」

ブッコローは黒いクチバシを高速に動かしている。


彼は話すことも動くこともできないはず。

そう、小さな頃からいつも一緒で、大事にしていたぬいぐるみだったから。


いまは甲高い声で明瞭に、司会者のような発音で話している。

「とても素敵な声。でも、なんで……」

「がんばって話せるようになりました」

声をはじめて聞いたのに、この声色はブッコローに違いないと思うから不思議だ。

「うん、そうか。話せるようにがんばったのかあ」

「はい」

「あれ、今日はなんでここに?」

「君がとても辛そうだったから、声をかけずにはいられなかったんです」

「……やっぱり? 辛そうだった?」

これはまいったな、私、精神的にやばいのかも。

「ん? え……いやいや、まって、幻覚じゃないよね? ぬいぐるみが話すはずが…」

「え、幻覚ってまさかァ! 僕はここにいますって!」

ブッコローは甲高い声でケタケタと笑った。

笑い声は本屋内に響いたように思えたが、書店員は有隣堂名物の高速技法でブックカバーを付けている最中で、こちらを気にもしていない。


大丈夫? 店員さーん! ここにぬいぐるみが、浮かんでますよ?

と心で叫ぶ。


「あ、えっと、その……えっと...」

言葉が思い浮かばず、じっとブッコローを見た。

「ですよね。ここでは何だし、久しぶりの再会だし、デート行きませんか?」

「デート?」

ブッコローからの予想外な発言が突然飛び出した。


「ええ、ずっと憧れていたデートに行きましょう」


ブッコローは黒くて短い羽根をパタパタと目の前に差し伸べた。

「え……デート……なんかよくわからない」

断る理由など何もないが、これで良いのか。

「ぜひ」

「あ、うん。いいよ」

ブッコローの手を同意の意味で握り返すと、柔らかく暖かく、かつての懐かしい気持ちが蘇るようだった。

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