第二話 竜

「ふ~ん……確かに、『人魔戦争』の惨禍を乗り越えて、よくこれだけの森を残せましたね。ホルボーンの先代は余程出来た人だった、と。ねぇ、貴女もそう思いませんか?」


 『王の猟場』に築かれた小路を歩きながら、私は左肩の白猫に話しかけた。

 けれど、唯一の道連れは気の抜けた様子で一鳴き。

 テオに話しかけられると、楽しそうに何時までも、にゃんにゃん、話すのに!


「……貴女とは、一度話し合う必要があるみたいですね。そもそもです! あの元孤児院は、私! フィオリナ・ヴァレンタインが、テオと一緒に暮らす為にわざわざ買い取った――」


 突然、猟場の中央部以外に張り巡らせている、風、光、闇属性魔法併用の三重警戒網が震えた。

 侵入者――人数は五十名。

 迷いなく私の進入路を避け、猟場中央部へ向かう動きからして、明らかに慣れている。おそらく、マテウスが言っていた使用人達なのだろう。

 この猟場が荒れないよう、小路を整備したり、間伐したりするには、相応の人数が必要だ。

 ――だけど。


「ん~?」


 小首を傾げ、私はフードを外した。

 お説教を免れた白猫は、これ幸いとフードの中へ。重い。


「……まったくもう。王都に帰ったら、テオにお説教してもらわないと」


 ぶつぶつ小言を零しながら、私は杖の石突きを打った。

 大英雄『賢者』が、天才としての矜持と自負、意地と根性、字義通り血と汗と涙の果て、再現した古い古い探知魔法の精度を向上させ、より詳しく侵入者達を把握。

 眼前に投影する。

 ……ふむ?


「随分と重武装ですね。とても森を管理する人の格好ではないような?」


 侵入者達が持っていたのは、枝や草を払う鉈や鎌ではなく――剣や槍、杖や魔銃。幾人かは場違いな兵器すら背負っている。 

 身に纏っている物も、軍から流れたらしい複雑な紋様の施された対魔用重鎧や魔法衣だ。

 此処から導き出される結論は。


「竜を殺しに来た? 私が中央部へ辿り着く前に?? ……何て無理無茶を」


 私は思わず額に手をやり、嘆息する。

 足場の不安定な猟場の中を駆ける、完全武装した兵が五十。

 装備も、技量も、士気ですら決して悪くない。大戦で疲弊仕切った各国を考えれば、賛嘆すら出来るかも。

 ……だけど。


「ああ、そういうことですか」


 独白し、私は得心する。

 彼等は自分達の実力に自信を抱いているのだ。実際、大戦中にかなりの実戦経験も積んでいるに違いない。

 そして、ある意味でそれは間違っていない。

 完全武装した対魔法装備に身を固めた五十人は、並大抵の魔族、魔物すらも殺し得るのだから。

 ――同時に致命的な勘違いをしている。


「『竜』を単なる強い魔物、と思っているんですね。だから、王都に疑念を持たれたことに焦り、慌てて排除しようとした。……彼等には当たり前ですけど、私にとってのテオはいなかった、と」


 幼い頃、眠れない夜――ではなくほぼ毎晩、幼馴染のベッドにこっそりと忍び込み、たくさんの話をせがんだ。

 魔法の話。英雄達の話。かつてあった大きな国の話。天使と悪魔の話。魔女の話。


 そして――この星を守り続ける竜達の話。


 テオはとてもとても話上手で、わくわくはらはらしながら聞いたのを、今でも鮮明に思い出す。


『フィオ、竜はね、とっても優しい生き物なんだ。彼等は、僕達が武器を抜いたり、魔法を撃ったり、彼等の信じているものを害さない限り――決して、攻撃はしてこない。だから、彼等に会ったら話しかけてみよう。分かり合えなくとも、互いを傷つけあうことは避けられるかもしれない。……僕もお母さんから聞いたんだけどね』


 そう言って、七歳年上の幼馴染は少しだけ照れて笑った。


 その時の可愛さと言ったらっ!!!!!


 私は物心がついた時から、テオ一筋なのだけれど、あの笑顔は反則だ。何時か死人が出る。

 一刻も早く、悪王子の魔の手から、あの鈍感幼馴染を救い出さないと――


「むぎゅ」


 突然、白猫が左肩に飛び乗り、私の頬を前脚で押してきた。

 ……何ですか、その如何にも『呆れた』的な目は? 誰が貴女の食事を提供していると思って??

 そうこうしている内に、侵入者達の姿が探知網の外へ出た。

 竜がいる、という猟場の中央に辿り着いたのだ。


「少しだけまずいですね。急ぎましょう。落ちたら、置いていきますからね?」


 白猫は抗議するかのように、高く鳴いた。


※※※


 飛翔魔法を発動させ、森の小路を一気に飛んでいく。

 中央部では早くも戦闘が開始されたようで、地面や木々が揺れている。

 急がないと――。


「え?」


 視界に違和感を覚え、私は空中で急停止。

 拍子でフードの中の白猫が跳び上がり、自動で浮遊魔法が発動した。

 私はそれを横目で確認しつつ、風魔法で偽装網を吹き飛ばした。


「これって……」


 基本的に『王の猟場』では、樹木を倒すことや狩りを行うことは禁止されている。

 近隣の住民達に許されているのは、落ちた枝や葉、薬草や果実の採集だけ。

 結果――『人魔戦争』で荒廃した各地の森と異なり、見事な植生と動物達が残っている。少なくとも、王都で読んだ資料にはそう記載されていた。

 なのに。


「酷い」


 樹齢数百年と思しき、大木が無惨に切り倒されていた。

 地面には多くの人々が踏み荒らした痕跡。ここで木材に加工し、運搬したようだ。


「……ふ~ん。そういうことですか」


 マテウスが持っていた、ペーパーナイフや金糸のハンカチを思い出す。

 あの准男爵様は『王の猟場』の大木を切り倒し、私腹を肥やしていた、と。

 長き亘った『人魔大戦』で喪われた建物は数知れず。

 樹齢数百年の木材は市場において高値で取引されていたに違いない。おそらくは、木材だけでなく、獣も狩って。


「うん~?」


 顎に人差し指をつけ、考え込む。

 確かに、代々管理を任されていたホルボーン家ならば一連の犯罪も可能。

 だけど――規模が大き過ぎる。

 たかだが、准爵家がするには余りにも大それた行動なような。

 私はまだ何かを見落として?


 直後――大気が魔力で揺らいだ。


「っ!」


 猟場の中央部上空へ目を向けると、そこには世界で一番綺麗な生き物がいた。

 左右三眼。中央一眼。身体の色は白。巨大な黒翼は氷片を纏っている。

 ――美しき七眼に見えるのは純粋な怒り。


「天使によって生み出されたという光氷竜ですか……とんでもない化け物を怒らせましたね」


 私は嘆息し、ぷかぷかと浮かんでいた白猫を回収、進撃を再開した。

 中央へ近づくに連れ、炎、水、土、風、雷魔法が上空へ放たれ、悉く消滅するのが見えてきた。

 竜には生半可な威力の魔法等通じない。


「な、何だっ! 何なんだ、こいつはっ!!」「は、話が違うぞっ! 『竜なんて、単なるでかい空飛ぶ蜥蜴だ』って言ってたじゃねぇかっ!!」「泣き言を言う暇があったら、撃ち続けろっ!」「おい、まだかっ! まだなのかっ!!」「もう少し――良しっ! いけるぞっ」「皆、退避しろっ! 攻城用魔導砲撃を行うっ!!!!!」


 まずいっ!!!!!

 そんな大威力を竜に放ったら――。

 小路が終わり、視界が開けた。

 まず、見えたのは天にも聳えるかのような巨樹。

 その周辺は花畑で覆われているが、完全武装の男達によって踏み荒らされている。

 私は、血走った顔をした兵十数名と共に、隊長格なのだろう、砲撃を準備している髭面の男へ全力で叫んだ。


「逃げてっ!!!!!」

「撃てっ!!!!!!」


 閃光が走り、対魔族用に開発された攻城用魔導砲撃が空中の竜へと放たれた。 

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