第一話 王の猟場

「こ、これは『白星女しろせいじょ』様! 王都より遠路遥々、ようこそおいでくださいました。私、国王陛下の猟場を代々管理しております、ホルボーン准男爵家の当代、マテウスと申します」

「……フィオリナ・ヴァレンタインです。その称号は余り好きではないので、姓で呼んでください」


 私は被っている白いフードを少し下げ、部屋に慌てた様子で入って来た、明らかに緊張している中年の男性へ名乗った。胸元の白猫が動き回り、くすぐったい。

 此処は、王国のほぼ中央部にある交易都市『ロサド』。その市街外れに建つ、こぢんまりとした古い屋敷。私が座る椅子を含め部屋の調度品も相当くたびれている。

 『准男爵』家は世襲だけれど、所謂『貴族』ではないから、戦争の後遺症もあって生活が苦しいのかも? どこもかしこも大変ね。

 そんなことを考えながら、私は座ったまま、テオから預かってきた悪王子の書簡を、くたびれた礼服姿のマテウスへと差し出した。

 震えながら書簡を両手で受け取った准爵が、更に蒼褪める。

 ――その視線の先に捺されているのは『剣杖と竜』。


「こ、これは……お、王家の紋章で、ございますか?」

「はい。私をここに派遣したのは、第一王子殿下です。内容は事前に伝わっていると思いますが、差異があってはいけません。念の為御確認いただけますか?」

「は、はい……し、失礼致します」


 マテウスは部屋の隅に置かれた木製の台へと向かい、引き出しを開けた。

 そして、一見地味に見えるが、小さな宝石が埋め込まれた美しいペーパーナイフを取り出し、書簡を慎重に開けていく。微かな魔力を感じる、

 私は胸元でじゃれつく白猫を抱き上げ、膝上に乗せ、何とはなしに質問する。


「そのペーパーナイフ、とても綺麗ですね」

「は、はぁ? ……い、いえっ! こ、これは代々伝わっている品でして、大した物ではございません」


 初老の准爵は一瞬ポカンとした後 説明してきた。

 

 ……『代々』ね。

 心中で覚えた微かな違和感を記憶しつつ、私は室内を眺め回した。

 木製の椅子と机。壁にかけられている地図が『王の猟場』なのだろう。

 森林地帯の真ん中にはテオが教えてくれたように、天にも届くかのような巨樹。その周辺が大きな広い空間になっているようだ。


「……お待たせを。書簡の内容を確認致しました。まさか、王都にまで猟場の異変が届いていようとは」


 マテウスが向かい側の椅子へと腰かけ、額の汗をハンカチで拭いた。

 精緻な刺繍が施され、縁は金糸で縫い込まれている。

 ――またしても微かな魔力。ふ~ん。

 白猫のお腹を撫で、私は意図的に微笑、わざとらしく称号を口にする。


「王家の『眼と耳』は相応に良いようです。私――老魔王を討った世に言う『四大英雄』の一人、『白星女』フィオリナ・ヴァレンタインが来た理由は書簡通り。『王家の猟場に居座っている竜を退かせる』。それ以上、それ以下でもありません。准爵も御存知の通り、『ロサド』は王国交易路の要です。『人魔戦争』が終わって二年。ようやく各地の復興も少しずつ進んでいるのに、恐るべき竜がその場所近くに居座っていては……。今はまだ、住民の方々に知られてはいないようですが、大商人の方々は気づいているようです。第一王子殿下は深く憂慮されておられます。……都市を治める伯爵のお耳に入れていないとか?」


 『竜』――それは人智を超えた存在だ。

 先の大戦時、人族と魔族が大陸を分かつ死闘を繰り広げる中にあっても、種として積極的な干渉は最後までせず、極々稀に恐ろしい破壊を敵味方双方に振りまいた。

 私や他の大英雄達も幾度か交戦したものの、若い竜ならいざ知らず、古竜に列なる老竜は積極的に戦いたい相手ではない。

 王都を出る朝、飛竜をわざわざ連れて来てくれた幼馴染のテオと交わした会話を思い出す。


『フィオ、何度だって言うけれど……戦わなくて良いからね? 竜はとっても優しい生き物だし、争いを好まない。人の都市近くに居座っているのは何かしらの事情があると思うんだ。それさえ分かれば、きっとどうにか出来るよ』

『……テオ、単純に倒すのより難しいです。そんなに可愛い私を虐めたいんですか?』

『可愛い幼馴染の身を案じているだけだよ? 何しろ、僕の休暇がかかっているしね!』

『…………バカ』


 私の想い人は時折、常識外れなのが玉に瑕だ。鈍感なのは宿痾なのでもう治しようがない。

 世界広しと謂えど、一頭で小国を平然と滅ぼせる竜を『とっても優しい』なんて評するのは、テオくらいだろう。

 弱虫の『勇者』は勿論、怖い者無しの『天槍』も、頭の螺子が緩んでいる『賢者』だって、竜を前にすれば笑みも強張る。

 まぁ……彼は戦時中、存在を疑問視されていた【古竜】と直接会話を交わし、人族の大軍と魔族側の『黒星女くろせいじょ』すらも退かせているし、今更怖がりなんかしないのかもしれないけれど。

 中年の管理官は激しく動揺しながら、口を開く。


「も、申し訳ありません。我がホルバーン家は王国の建国以来、この地における猟場の管理を任され……それを誇りにして参りました。大戦時、魔族によって一時的に交易路が寸断され、都市周辺の森林地帯が食料や燃料不足で伐採、消えていく中にあっても、先代は猟場を守り抜いたのです。『必ずこの場所だけは残さなければならぬ。古の約定なのだ』と。そのことを想うと、忍びなく……」

「先代? つまり、マテウス殿は」

「『人魔戦争』の終結を待たずに、病を得まして」


 マテウスは顔を伏せた。王都で読んだ資料通りね。

 先代の准爵は齢六十を超えても飛竜やグリフォンを駆る勇敢で筋を通す人物だったらしく、伯爵や都市の有力者達や住民達からの信任も厚かったという。

 老いてなお、の格言通り、非常に元気だったそうで『その死は大変驚かれた』と記載されていた。

 ……評判の良かった先代の跡を継いだ当代、か

 報告をしなかった気持ちは分からないでもない。ないけど。

 私は白猫を左肩に乗せ、立ち上がった。

 壁にかけられている猟場の絵図へ視線を向ける。


「良く描かれていますね。模写しても?」

「し、初代が描いたもの、と伝わっております。嘘か真か、中央にあります巨樹の前で竜と語らった、とも……。模写も構いませんが、すぐにご用意は」

「ありがとうございます。では、遠慮なく」

「!?」


 皆まで聞かず、私は左手を軽く振り、魔法を発動。

 小さな幾百の星が瞬いて、絵図に触れ――光を放つ。

 懐から宝珠を取り出して翳すと、光は吸い込まれ消えた。

 呆気に取られているマテウスへ向き直る。


「模写させていただきました。竜の位置は分かっていますか?」

「…………あ、は、はい。わ、私自身は直接確認していないのですが……我が家で使っている者達によれば、猟場中央で微動だにせず、周囲を睥睨しているとのことでございます」

「? マテウス殿は猟場に出向かれないのですか??」


 一部引っかかりは覚えているものの、ホルバーン准男爵家は決して裕福と言えない筈だ。

 にも拘わらず、本人は指揮せず、使用人達に管理を任せている? 

 下手な都市よりも『王の猟場』は広大で、猫の手も借りたいだろうに?

 ――考えてみると屋敷内にいる人の数、多かったような。

 私の問いに一瞬だけ顔を歪まるも、マテウスはすぐさま弁明してきた。


「は、はい。情けない話なのですが、私は剣も魔法もからしきでして。猟場へ行ったところで、足手纏いになるだけなのです。それ故、信頼出来る者達に管理を託していたのですが……」

「そういう御事情があったのですね。ぶしつけな質問をしてしまい、申し訳ありませんでした」


 私は軽く頭を下げた。長い白金髪が視界を掠める。

 大英雄だ、星の深淵を覗いた『白聖女』だ、と謳われても――私は結局、ヴァレンタイン孤児院育ちの『フィオリナ』に過ぎない。

 頭を下げて、相手から情報を得られるなた何度だって下げる。


「い、いえっ! 大英雄様に頭を下げられたとあっては、先代に叱られてしまいます。どうか、頭をお上げください」


 案の定、マテウスは泡を喰いつつも、何処か優越感を滲ませ話しかけてきた。

 ――この男、何か裏がありそうね。

 顔を上げ、微笑む。


「では、早速『王の猟場』へ向かおうと思います。連れて来た飛竜の世話をお願い出来ますか? 怖がらなくても大丈夫です。あの子は敵意を向けなければ、襲ってきませんから」 

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