「ブッコローさん、起きましたね?おはようございます。」


 番組だけでなく仕事上でも付き合いの多い、良く見知った人間の声が聞こえる。


「ザキさん?え?なんで?」


 文房具王になり損ねた女、文房具バイヤーの岡崎の声だ。


「ブッコローさん、何時もお世話になっています。折角ですので、私が用意しましたこの催しを楽しんでください。」


「ちょっと、催しってなんですか!え、もしかしてこれも撮ってるの?」


 ブッコローは岡崎の姿をこの暗闇の中に求めようとしたが、その姿の片鱗すら見出すことができない。


「いえ、唯のゲームですよ。ではブッコローさん、6階でお待ちしています。そこまで辿り着ければ、ここから出して差し上げますよ。」


「ちょっと・・・。辿り着くってどういう事?ザキさん?ねえ?」


 ブッコローが岡崎の声がする方を見て問いただそうとするものの、それ以降岡崎の声が聞える事は無かった。


「ちょっと・・・、ええ、6階行くしかないのか・・・?」


 唐突な岡崎からのゲーム開始宣言に動揺を隠せず、目をぱちくりさせたり羽根をばたつかせる事も忘れてしまうブッコローであったが、左指の指輪がちらりと微かな光でぴかりと光った事ではっと我に返る。


「そうだ、今日は俺の誕生日だった。余りの事にすっかり忘れてた。きっと妻がケーキを用意して待ってる。帰らないと。」


 ブッコローはどっこいしょと何処にあるのかもわからない重い腰を上げ、有隣堂伊勢佐木町本店のエレベータの方に、いまだ眠気が抜けきらない頭のままよろよろと歩き始める。


 非常灯の灯りはあるもののこの暗闇はそれすらも隠し、ブッコローの足元すらをも隠す。


 ブッコローの脚を取り、ブッコローの身も心も暗闇に引き込もうとするような恐怖の暗闇が。


「相変わらず真っ暗だなあ。スマホスマホ・・・あった。あっ。」


 聖なる光で照らしモーゼの十戒の如くこの恐ろしく卑しい暗闇を制しようと思っていた矢先、眠気からか未だ覚束ないブッコローの指先はスマホを数度お手玉したのち店舗の床に落とす。


「あっ、やば。」


 ブッコローは暗闇の沼に落ちたスマホを、腰を落とし泥の中を探すように手さぐりで床を浚うと、スマホ自体はそこまで遠くに落ちておらず、頭を何処かにぶつけることも無く見つける事が出来た。


「あー、画面大丈夫かな?あっ、よかったあ。」


 スマホの画面は運良く割れず特に機能上の問題も無かったので、これ幸いと持ち上げるついでにカメラのライト機能で周囲を照らそうと画面を弄る。


 そしてカメラ横のライトが遂に光を照らし始めた途端、ブッコローは素っ頓狂な声を上げつつ肝を潰す。


「うおっ幽霊!」


 ライトが照らし出した書籍、その表紙に描かれた女性の肖像。


 それが周囲の暗闇という恐怖による相乗効果でまるで亡霊のようにおどろおどろしい表情をしてブッコローを覗き込んだ。


「うーん、やっぱり真っ暗闇で見ると怖いなあ。やっぱり幽霊だよこれ。」


 前にも別の書籍で似たような事を言って渡邉さんに怒られたけども、こういう状況で見れば見るほどおどろおどろしい、やはり幽霊にしか見えない、どう見たって幽霊だよと冷や汗を手で拭いながらブッコローは自らの感性の正当性を頭の中で主張し動揺を鎮めようと試みる。


 そうだ、この肖像は幽霊のように何かブッコロー自身に物理的、もしくは霊的に影響を及ぼすものではなくただ単に暗闇で驚かせるだけで、怖いだけで実害は無いんだ、というように。

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