第5話 破魔矢
違和感があった。
怨霊の質問をした、男性の異様な姿だった。
彼が
斜視の、蒼白い顔だけが中空に浮いている。
多英の眼に彼の存在を不審に思う色はない。
普段通りに見かける人のように捉えている。
別の学生が、それはもう大学生らしい姿の彼が質問をする。
「でも滞留電流に、電気体としての怨霊の意識が乗ったならば、そのような電流ってそもそも空中にあるんですか?静電気でも金属なんかに帯電しているものですよね」
質問が多発して、教授が満足げに顎を撫でて笑みを浮かべた。怨霊の話題がでたことを成功事例として、また来年も同じ講義をするんだろな。
「滞留電流や磁場はそこらにあるよ。例えば電荷や磁場を利用している生物がある。それも数100万種も存在する。その磁場を利用している、と考えないと理解ができないんだ」
ええっと声があちこちで聞こえた。
「それはね昆虫だよ。そうだね、甲虫というのがいい事例だろう」
コガネムシとかカブトムシという種がある。その体重に比してあの薄い透明羽では飛翔するための揚力が得られない。
つまり物理学や流体力学ではそれが証明できない。
昆虫の体重と比較すると空気に粘度があるから、と言い訳のように追記説明されている。水溶液と違い、大気にそんな都合のいい粘度があるわけでもない。
実は甲虫の後ろ翅には強誘電体の特性がある、と教授は言う。
「ロッシェル塩という強誘電体の物質がある。元々はワインの醸造時にワインの樽底や搾りかすに付着した塩だ。古くはチーズにも使ったり、今でも食品添加物に使われている。ところがね、19世紀になって、ロッシェル塩は強誘電体であることが発見された。空気に対して4000倍の電気を蓄える。さらに音波を捉える能力もあり、第二次大戦下のドイツで音波レーダーやソナーに使われた。そして今も君らが使ってる、マイクやイヤホンの圧電素子にも活用されている」
そして教授は口を切った。
「甲虫の後ろ翅はその塩を超える強誘電体の特性がある。実は地表はマイナス電荷を持っている。甲虫は外骨格の前翅を開いて、薄羽の後ろ翅を高速で羽ばたいて、マイナスイオンを前翅の裏側に溜め込む。それで地表との電荷の反発力を持って飛翔している。リニアモーターカーと同じ原理で、これなら説明がつく。つまりSFなんかで出てくるイオノクラフトを体現化している」
「そんなことってあるんですか?」と畳み掛ける女性の声、その言葉を誰もが心中で発していた。
「あるさ。飛行機だって実は、鳥の形態を真似ているだけだ。飛行機の揚力も実は、流体力学では充分に説明できていない。何しろ飛行機には大気密度の薄い、上空20kmの成層圏を飛べる戦闘機もある」
満足気に彼はまた顎を撫でた。
「人間は知識を蓄えてきても、まだまだなんだ。真実が一つのコップに詰まっていたとしたら、その上っ面を見ているだけに過ぎない。その奥底を認識できているんじゃないんだ。だからこそ学びは大事って言うことだよ」
「面白いクラスだったよね」
「また誘ってね」
中講堂を出て多英と手を振って別れた。
硬い緊張が解けてちょっとほっとした。
やはり他人を装うのは、辛いものだね。
さて。
ボクは振り返って、不躾な眼を背後の視線に絡ませた。
そこにあの男性がいた。
まだ新葉が出始めたばかりで、街路樹が満足に影を落としてはくれない。鼠色の歩道は陽光を照り返して眩しいくらいなの。
なのに。
その中にぽっかりと空洞のような闇がある。
洞穴の入り口のような識闇が、人間の形をしてそこで佇んでいた。
「ほほう、慧眼だ」とその顔がさも嬉しそうに微笑んだ。
「この姿を認知できるようですね。貴方の眼には」
その姿をボクは見識っていた。
「あなた、
「ほほう、それを知っているとは。最近で名乗ったのは少ないはずです。お嬢さんは、察するにあの方のご縁者のご様子。そしてその肉体は借り物で、魂の抜け殻のようですね」
値踏みするような視線が這い回るのを感じた。この身体で歩くとそんなのよく感じる。男性よりも女性の方が遠慮がない。男性は意識的に顔を目線を置くが、女性は顔を認知した後で胸を横目でチラチラ見ている。
彼の目線はそんなものではない。
レントゲン機材に人格があるのであれば、そんなんだろと思わせるように機械的に冷淡なものだ。
「随分と事情知りね」
「然り。自分はそれが生業であるがゆえに」
「ちょっとお話しない?その事情知りのあなたに、会いたがっている人がいるのよ」
「あのお方は剣呑です。今度こそ氷に砕かれそうで・・・」
「ここの助教授よ。歴史学を教えているわ。きっと話がはずむよ」
彼が真実に、求厭であれば。
彼は豊臣秀頼の次男である。
それならば六花姉とは同時代を生き、今世に転生してきた甘利助教の血脈とも縁深い人物かもしれない。
そう。
陰陽師でもあったのよ、この人。
ならば。
黒羽衣を捕獲する術を知っているかもしれない。
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