第2話

「『神の力』で朝にしました!」

 静かな喫茶室で、女神が自慢げに言い放った。

「「……ハァ?」」

 思わず声をそろえて返事をしたのは、彼女の目の前にいる眠気の吹っ飛んだブッコローと、入社早々に正気を失いたくなるような出来事にぶち当たり『これが社会の厳しさってやつかぁ』としみじみ噛みしめている有隣堂新入社員の湊だ。

 あの後、スタジオ内に拡がった光はすぐに収まると女神の言う通りの「翌日の朝」になり、スタジオ内には女神とブッコローと湊だけになっていた。

 信じられない出来事に、ひとしきりパニックになったブッコローと湊だったが「湊君、慌ててもしょうがないからひとまず落ち着いて状況を整理しよう。」と言うミミズクの一声で、1柱と1匹と1人は有隣堂伊勢佐木町本店のやや向かいにある喫茶室奥の4人席へ場所を移した。

 有隣堂と同じく老舗と呼ばれる菓子店に併設されているこの喫茶室は、店の入り口からカステラや和菓子を販売しているショーケースの前を通った奥にある。室内窓風の南蛮船が描かれたステンドグラスや壁などに飾られている絵画が、文明開化と呼ばれる時代を彷彿させる特徴的な内装だ。

 とりあえず湊が店員に注文をすませた後、商品が到着する間に女神から聞いた話を要約するとこうである。


 女神がいた世界の支配を企んだ魔王を討伐すべく、異世界から召喚した勇者が日本人の文学少女だったらしい。その勇者は、なんやかんやして魔王を倒したのち、女神に嘆願して日本へ帰った。

 その後、何十年と平和な世が続き、後継者の育成もほぼ終わった近頃、女神は勇者とした他愛のない会話をぽつぽつ思い出すようになったそうだ。

 思い出していくうちに、女神は勇者の話に出てきた故郷異世界に興味を覚え、異世界転生することを決心したらしい。

 ようはセカンドライフを日本で始めようということだ。

 移住先をリサーチすべくネットサーフィンをしていたところ、有隣堂が制作した動画を発見し、本を愛してやまなかった勇者が有隣堂によく通っていたと話していたのを思い出した。勇者の生家近くに有隣堂伊勢佐木町本店があったらしい。もしかして、ここに行けば勇者にまた会えるかもしれないと思いついた女神が、昨晩スタジオに転生した理由である。


「昨日は終電間際だったけど、ザキさんはちゃんと帰れたのかなぁ?」

 湊と並んで座っている緑色のソファーの上で、昨日の出演者を心配するブッコロー。

 彼は「じゃあ、僕はぬいぐるみのフリをしていますね。飲食店には人間しか入れないんで。」「えっ? ふりもなにも、ぬい…」「ミミズクですけど!!」「いや、ぬ…」「ミミズク!!!」というやり取りの末、ぬいぐるみのフリをしている。

 ちなみにザキさんとは、「文房具王になり損ねた女」の二つ名を持つ有隣堂のベテラン社員のことだ。

 なお、湊はここに来る前に上司に連絡を入れ、本日は追加の撮影が必要だとかなんとか適当な理由を捏造したブッコローの口添えもあって、本社に出社せずにスタジオへ直行扱いになっている。

「わたくし達の『時間』を早めただけですので、ほかの皆様は問題なくお家へお帰りになったはずですよ。」

 そう事も無げに答える女神は「こんなコスプレみたいな格好をした人と店に入りたくない!」と切実に思った1匹と1人に「頼むからTPOにあった格好をして!」と懇願されたため、『神の力』で目立つ金髪を艶やかな黒髪に変え、お嬢様風な白いワンピースへと着替えていた。

「――で、夜中から一瞬で次の日の朝になったのは、その『神の力』とかいうやつ??」

 会話の途中で注文の品をテーブルに運んできた店員が、女神と湊の前に並べ終えて立ち去るのを確認してから、ぬいぐるみに完璧な擬態をしていると思い込んでいるブッコローは女神に尋ねた。

「あら? ブッコローはご存知ないのですか? 異世界転生するとチートスキルが与えられるのですよ。」

「異世界転生って、あの一度死んで別の世界の人物に転生するアレのことですか??」

 女神の対面に座っていた湊が、コーヒーを一口飲んでから聞き返した。

「はい、その通りです。わたくし少し前に死んでから、こちらへ転生すると同時に日本の成人年齢まで肉体を成長させました。赤子から始めるのは、とても面ど……いえ、すぐに行動したかったもので。スキルを使って日本の知識もおおよそ学習し、戸籍あたりもなんとかいたしました。」

「チートがすぎる……。」

 たぶん深く考えちゃダメなやつだなと悟ったブッコローは、脱力しきった声でなんとかツッコミを入れた。

「転生してきた人物にスキルを与えるのは神の役目ですから、わたくしは自分で自分に与えました。元の世界で使っていた『神の力』を、こちらでもそのまま使えるようしたのです。便利なので。」

「便利で片づけていいことなのかなぁ。異世界転生で与えられるスキルは、転生先の神様が与えるものではないんですか?」

 湊は目の前に置かれたパンケーキをナイフで切りながら質問した。それから、ひと口大のパンケーキを口に放り込む。こちらも深く考えないようにしたらしい。

「何事にも礼儀というものもありますし、わたくしはこちらの神様達にお話しを通してから転生しようと思ったのですが、叶わなかったので自分でなんとかいたしました。」

「それって、なんとかできるものなの? あれ? それじゃあ、日本の神様には会えなかったってこと?」

 そう訊ねたブッコローは、湊のパンケーキをネットリとした視線で見つめていた。ぬいぐるみを貫くブッコローにとって、パンケーキを食べるという行為は許されない。

「その通りですが、皆様はちゃんと信仰はしていらっしゃいます? 神を思う精神こころがないと、神は日本せかいに干渉できなくなってしまうのですよ。観測者ひとがいるからこそ存在が知覚できるようになるのです。こちらの神々の存在は感じられましたが、対話するまでにはいたりませんでした……。

 ……あの……ところで……こちら……わたくしも頂いてよろしいでしょうか?」

「あっ! すみません気が利かなくて。どうぞ、どうぞ。俺が勝手に注文してしまったものですが。」

 湊と女神の前には、それぞれパンケーキが2枚とコーヒーのセットが置かれていた。さらにパンケーキの皿周りには、生クリームやあんこ等が入った小ぶりの器が2つずつある。

「わぁ! ありがとうございます! わたくし、食物を食してみたいとずっと思っていたので先程から気になっていたのです! これはパンケーキというものですね。」

「あっ、いや。これは一見パンケーキに見えますが、どら焼きの皮なんです。」

 湊は自分の皿の上にある、どら焼きよりもやや大きめサイズでふたつ折りされた皮を指さした。

「どら焼きの皮?? 和菓子の?」

 物珍しそうにブッコローが身を乗り出しながら聞いた。

「そうです。カステラで有名なお店なので、他にアイスクリームをザラメたっぷりのカステラで挟んだものや、ほうじ茶付きのカステラを練りこんだプリンとかもあっておいしいんですけど、これは俺のおすすめなんです。どら焼きの皮だけ食べれるのは、他ではなかなか見ませんから。」

 話ながらも着実に食べ進める湊は、テーブルの上にある小ぶりの器からフォークで生クリームをすくうと、切り分けたどら焼きにのせてから説明を続けた。

「皮1枚に付きひとつソースがついてきて、バター、手作りシロップ、生クリーム、粒あん、こしあんと色々選べるんですよね。俺は何枚頼んでも全部生クリームにしてますけど。」

「色々選べるって言ったわりには、選択肢を生かしきれない食べ方してるね……。」

「ほっといてくださいよ、ブッコロー。生クリームを山盛りのせて食べるのが好きなんです。それに皮自体に甘味があって、そのまま食べてもおいしいんですよ。店内で焼いていますから、焼き立てを食べられるんです。俺はいつも一口目は何もつけずに食べてますね。」

「だいぶ詳しいな、君は。ここにはよく来るの?」

「まぁ、有隣堂本店の裏手に文具館があった頃から、ここら辺に住んでいましたので。今はいろいろあって就職を期に引っ越しして離れたところで一人暮らししてますけど。」

 女神は1匹と1人の会話をよそに、ソースがついていないひと口大のどら焼きの皮を、慎重に頬張っていた。しばらく咀嚼していると、太陽の輝きかと見紛うばかりの笑みを浮かべ、勢いよく続きを食べ始める。

「今日はここに来ましたが、有隣堂伊勢佐木町本店のある商店街って、明治から昭和のはじめ頃にできたお店が何店舗かあるんですよ。あんこを二つ折りした豆餅で巻いた豆大福とか、たっぷりな生クリームとカスタードをふわっふわなスポンジでサンドしたボストンクリームパイとか、テイクアウト用の生タイプあんみつとかあるんです~。

 ちなみに、豆大福のほうは俺が今まで食べた豆大福の中で一番うまくて、ボストンクリームパイは口あたりも甘さも柔らかくてうまくて、あんみつのほうは優しいお値段から想像できない抜群のうまさですね。」

 早口で一気に説明する湊は、なんとなく自慢げだ。

「雑な味の感想だなぁ。でも、話を聞いてたら食べたくなってくるな~」

 現在進行形でおあずけ状態のブッコローは、湊にジットリとした目線を投げかける。

「なら、今度ブッコローに何か買ってきま「えっ!ヤッター!」」

 湊が言い終わらないうちに即答で被せてくるあたり露骨に現金だが、そこがブッコローのいいところだ。正直な心で生きるのは素晴らしい。

「……ところで、女神様はしばらくここにいるんですか? もしそうなら、女神様にも買ってきますよ。どらケーキとっても気に入ってくれたみたいですし。」

「……あ、はい!とても気に入りました! 食事は初めてでしたが、こんな素敵なものだったのですね。食べるとうれしい……いいえ、楽しい?充足感?? ……言葉で表すのは難しいですね。」夢見心地で味わっていた女神は我に返り慌てて返事をした、口の端のクリームを指で拭いながら。

「こちらに来た目的を果たすまでは伊勢佐木町ここにいます。」

「そういえば、女神様は勇者に会いたくて有隣堂に来たんでしたっけ?」

「はい、そうです、ブッコロー。ただ帰郷したのは数十年前なので、今もここに住んでいるのかわかりませんが……。」

 そう答えた女神は少し寂しそうに微笑んだ。


 状況を無理やり理解した1匹と1人は、どらケーキを食べ終えた1柱を連れて喫茶室を後にし、再び6階スタジオに帰ってきた。これからのことを話し合うためだ。

 ちなみに「わたくし、こちらの貨幣はまだ持っておりませんので。」という女神と、「僕は食べてないから支払う義務はない!」というブッコローにより、お会計は湊が済ませた。

 6階のスタジオに戻る途中、有隣堂伊勢佐木町本店の地下1階から5階までを女神に案内すると、「本屋というところは、お菓子や鞄、掃除用具や収納ボックス、生花や文房具などを売るところなのですね!本だけだと思いました!」という感想をいただいた。

「いやぁ、有隣堂は先進的な本屋ですから……。」

 そう答えるブッコローの視線は泳いでいる。

「女神様、これからのことですが勇者に会うのもいいんですけどせっかくこっちに来たんです、ここら辺以外の元町とかみなとみらいとか、ちょっと遠出して鎌倉とかとにかく他も見てまわったりしたらどうです?せっかくの異世界じゃないですか。店内には観光ガイドブックがありますから買って参考にするといいですよ。たくさんある本を実際に手に取って見て探せるのが本屋の醍醐味なんです。表紙買いするのも楽しいものです。」

「……それもそうですね。異世界こちらの本には興味がありますし、色々読んで考えてみます。」

 そのことについて想像してみた女神は、楽しい気持ちになったので提案を受け入れてみることにした。

「あ!でも、女神様お金がないんだっけ?さっきのスキルを使えばお金が出せるんです?」

 ブッコローは当然の疑問を投げかけると……

「いえいえ、そのようなことをしなくても、本店ここをわたくしの物にすればよいのでは?」

 静かなスタジオで、女神が自信ありげに言い放った。

「「……ハァ!?」」

 思わず声をそろえて聞き返した湊とブッコローは、矢継ぎ早に抗議する。

「何を言いだすんです!?そんなのダメに決まっているじゃないですか!あんた自分の物にするって言って……経営はどうするんですか?」

「それに社長が路頭に迷っちゃうでしょ!」

 女神はツッコミと心配の声を無視して、うんうんとひとりで納得すると合点がいったと言わんばかりに胸の前で手を叩き、朗らかに再び宣言した。

「決めました。では、有隣堂伊勢佐木町本店を。」

 と言うが早いか、またもや女神の体がまばゆく発光すると一瞬で視界に光が拡がっ……

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