第2話
俺が寺川君の家に遊びに行った夜。彼にお礼のLineを送ったけど、すごくそっけない返事が来ただけだった。奥さんを口説いたとでも思ったのだろう。しばらく連絡を取らなくなっていた。
しかし、何年か経った正月に、寺川君から年賀状が送られて来た。子どもが生まれたということだった。奥さんは四十五歳くらいで出産したようだ。もしかして、不妊治療で授かったのだろうか。二人ともすごく喜んでいるだろう。俺はせっかく知らせて来たのだからと、お祝いを送った。すると、また家に呼ばれてしまった。
多分だけど、寺川君という人は俺以外に友達がいないのかもしれない。
久しぶりに会った玲子さんは、ますます顔が崩れて不自然になっていた。瞼も頬も垂れて見えた。旦那の手前メンテナンスができないでいるんだろう。明らかに自然な年の取り方ではなかった。俺は気まずかった。セレブの奥さんは整形が多いらしく、メンテを続けないといけないと聞く。しかし、バツイチの寺川君にはそんな余裕はなさそうだった。
「この度はおめでとう。五十を過ぎて子どもを授かるなんて、君もこれからバリバリ働かないとな」俺は何を話していいかわからなくて、変なことを言ってしまった。気まずい空気になった。
「いやぁ…あと数年で役職定年なのに、これからどうしようってとこだよ。住宅ローンもあるし…」
彼は銀行員だから、もうすぐ出向しなくてはいけない年齢だ。そうなると年収が大きく下がってしまう。五十代で子どもがまだ0歳なんて、やはり年が離れすぎている。他人事ながら気になって仕方がなかった。
「奥さんは今も共働きで?」
「ええ」
「奥さん、今は何をなさってるんですか?」
彼女とのやり取りが頭に浮かぶ。こんな外見でなかったらセフレにしたかったな、と思っていながら見ていた。
「私、イベントコンパニオンなんです。あとはエステティシャンもやってて」
四十代になってもコンパニオンの仕事があるなんて驚きだった。
「へえ…すごいですね。コンパニオンってニーズあるんですね」
「最近はコロナでずいぶんイベントが減りましたけどね。今はエステの方が…でも、エステも減っちゃいましたけどね。みんな外出控えてるし、不況だし…」
暗い話になりそうだった。
「コンパニオンの仕事で、江田にも会ったことあるって」
「え?あ、そうなんだ」
俺はしらばっくれた。
「え、忘れたんですか!私のこと?」
奥さんは声を上げた。悲鳴に近い声だった。
「おかしいな。こんなきれいな人なら忘れるはずないのに…。最近、ちょっと痴呆症気味で」
「どうせ、私のことなんて覚えてないですよね!」
声が裏返えっていた。
「すいません…」
「コンパニオンなら、かわいい子がいっぱいいますもんね…」
「いつの展示会ですか?」
「幕張メッセです。2012年の春の〇〇〇展」
「ああ。覚えてますよ。あの時は震災のすぐ次の年で…その節はありがとうございました」
俺は他人行儀に言った。奥さんも旦那がいる前で、自分の過去の恥ずかしい交友関係を明かしたくないようだった。俺たちは付き合ってもいなかったのだし。
「あんな前のことなのに覚えていてくださるなんて」
「私、職業柄、人の顔と名前を覚えるのが得意なんです」
奥さんは明らかに気分を害したようだった。
「君がコンパニオン全員と連絡先交換してたって」
「ああ、俺って、仕事では社交的だから」
「江田さんって、ひどいのよ。私には連絡先聞いてくれなくて…」
「そうだっけ?ごめんね」
そこまで相手にされていないのに連絡して来るって、ずいぶん自分を安売りしているなと思う。人間やっぱり背伸びはしない方がいい。
「私から連絡先を聞いたら、君はこの中で一番劣ってるけど、美人過ぎないから喋りやすいねって言われました」
「え、失礼だろ!?」
旦那が批判するように言った。
「それに、イベントコンパニオンにしてはちょっと太ってるね、とか言うんだもん。顔の作りが地味だから、明日からもっと化粧を濃くしたら?とかね」
「…すみませんでした。あの頃はちょっと勘違いしてて」
「次の年の展示会、私は呼ばれませんでしたけどね」
「ああ…そうでしたっけ」
「他の子は呼ばれてたのに!」
奥さんは根に持っているようだった。
「でも、俺がコンパニオン決めるわけじゃないし」
「もう三十過ぎてたから、将来どうすんの?とも言ってましたよね」
「ほんと…人の心配してる場合じゃないよね」
「胸も寄せて上げてるんだとか…足短いねって言われました」
「ほんと失礼なやつだね」
俺は黙ってしまった。旦那もムカついているみたいで、ずっと無言だった。
三流コンパニオンのくせに。何言ってるんだ。俺は苛立った。
当時は「遊びでもいいから付き合ってください」って、言われたのに話が違うじゃないか。どんな職業でも、純粋な人がいるもんだが、あの頃は田舎臭かった。そうだ。歌手志望で田舎から出て来て、デビューしたけど売れなかったんだ。言っちゃ悪いけど、スタイルは普通だし、顔もあまり可愛くなかった。普通に事務なんかをやってたら、まあまあ可愛いと思えるレベルだろう。
しつこく会いたがるから、時々は時間を作ってやっていただけで、別に会いたくて会っていた訳じゃない。
「今もイベントコンパニオンやってるってすごいね」
「私のこと馬鹿にして!」
「してないよ」
「一番ショックだったのは、イベントコンパニオンの人ってけっこう顔いじってる人が多そうだけど、君は天然なんだね。天然でそれだけきれいだったらいい方なんじゃない?って言われたことかなぁ…」
俺なりの誉め言葉だと思うが何が悪いんだろうか。
「こいつ性格悪いからね」
寺川君も呆れていた。
「だから、今も独身なんだろうね」
俺は自虐的に言って笑った。俺たちはどちらもピークを過ぎているし、干からびた中年になってしまった。彼女が劣化したのと同じくらい、俺も見苦しくなっているに違いなかった。
そのうち、奥さんが子どもを連れて来た。俺はお世辞で「かわいいね〜」と言いながら、顔を覗いた。俺は言葉を失った。奥さんの腕に抱かれていたのは、夫婦どちらにも似ていない小粒な目をした女の子だった。寺川君はもともと濃い顔をしているし、奥さんも整形でぱっちりした目をしている。
「ほんと、ママに似てきれいな子だね」
俺は口を滑らせてしまった。友人は苦笑いしていた。全然似ていない娘さんを見て、奥さんの整形に気付いたんじゃないだろうか。
俺は奥さんの殺気を感じ、それからは目を合わせなかった。
旦那がトイレに立った時、玲子は子どもをあやしながら言った。
「江田さん、言いましたよね。君みたいな子と歩いていたら恥ずかしいって!待ち合わせするのもいつもホテルで…一緒に外を歩いてくれませんでしたよね?」
「まさか。そんなこと言うわけないよ」
「私、そんなにブスだったのかな~って、今、思うんですよ?」
「そんなことないよ。かわいかったよ」
「うそ!」
「嘘じゃないよ。俺、口が悪いから。ほんと、ごめん」
「でも、私、綺麗になったでしょ?」
俺は嘘がつけないタイプだから黙ってしまった。
「ね?答えて!」
玲子は真顔で言った。
「う、うん。きれいだよ」
綺麗どころか、まるで妖怪みたいだった。まるで口裂け女みたいに、口の両端が裂けていた。皺を隠すリフトアップすると、そういう口になってしまうらしい。彼女は穴のあくほど俺を睨みつけていた。俺はその顔から目を逸らすことができなかった。
「ほんとごめん。俺、クズだから」
「私、江田さんを見返してやろうと思って、私、頑張ったんですよ!あれからずっと!」
見返すって、全てが悪い方向に行っているじゃないか!
俺は言い返したかったが、彼女が自分のルックスを気に入っているなら、何も言うことはない。彼女がずっと何か捲し立てていたが、耳に入って来なかった。常軌を逸した感じがした。その間、赤ちゃんは死んだように静かだった。
あれ?何だかおかしいなぁ…。
次第に眠気が襲って来た。しかも、尋常な眠気ではなかった。徹夜した時より眠い。いかん、眠すぎる。瞼が閉じてしまい、どうしても開かない。年のせいかな。酒が効き過ぎてるみたいだ。
そして、いつの間にか気を失ってしまった。
****
俺はカリフォルニアのビーチにいた。地元のギャングに言いがかりをつけられて、トースターで顔を焼かれていた。
顔がジリジリと焼けて痛かった。
顔を掻きむしりたかったが、腕が固定されていて動かなかった。
数時間後に目を覚ました時には、変な感じがした。首から上が麻痺しているような感覚だった。
ここはどこだろう?今は夜中なんだろうか?一瞬どこにいるかわからなくなっていた。
あ、そうだ。寺川君の家に来たんだっけ。カーテンは開けっぱなしだが、もう外が暗かった。いつの間にかソファー寝ていたらしく、毛布を掛けてくれていた。俺は体を起こすと、本能的にそこから逃げなくてはいけない気がした。
俺がゆっくりと体を起こすと、真っ暗な中、俺の傍らに寺川君が座っていた。
「うわぁ!」
俺はびっくりして声を上げた。こんな暗がりで何をしてるんだろうか。
「ご、ごめん、ごめん!寝ちゃって」
「鼾かいて寝てたぞ。よっぽど疲れてるんだな」寺川君は笑いながら言った。
「ははは。情けない…。もう、年だな。そろそろ失礼するよ」
さらに、キッチンの方を見ると、奥さんが立っていた。電気も付けずに一体何をしてるんだろうか?
「お、奥さん、お邪魔しました!人の家に来て昼寝するなんて、本当にお恥ずかしい…すみませんでした。せっかくの休日なのに」
俺は笑いながら立ち上がった。
俺はふらふらしながら玄関に向かった。電気をつけてくれず、家の中は暗いままだった。このままいたら、殺されるんじゃないか。そんな異様な雰囲気だった。
「また来てくれよ」寺川君は明るく言って送り出してくれたが、今回は駅まで見送りはしてもらえなかった。
もしかして、財布を取られたんじゃないか。俺はカバンの中を見たけれどなくなった物はなかった。薬を盛られたのか。何のために?
俺は電車で家に帰った。フラフラで見かねた人が席を譲ってくれたくらいだった。俺を見て軽蔑したように笑っている人もいた。さらに、道義的に許せないことだが、スマホを向けられてもいた。もしかしたら、ネットで拡散されているだろうか。
俺は何とか家に帰って風呂に入ると、その場で歯を磨いてすぐに寝た。
******
夜中、顔が痛くて目が覚めた。しかし、頭痛と顔の痛みで俺は力尽きた。
翌日は這うように起き上がってスーツを着た。役員が出席する会議があるのだ。どうしても行かなくてはいけなかった。シェーバーで適当に髭をそったが、顔が痛くて仕方がなかった。
しかし、もう遅刻しそうだったから、そのまま家を飛び出して、駅まで走って行った。急いでいたからマスクをし忘れていた。
全身が痛かったけど、俺は会社に急いだ。
無事、いつもと同じ時間に会社に着くことができた。
「おはよう」俺は歩いて来た人に声を掛けた。
「きゃぁ!」
すれ違った女性が悲鳴を上げた。俺を見てびっくりして立ちすくんでいる。一度も話したことのない子だが、俺は声をかけた。
「マスクしてなくてごめん」
「いいえ。それはいいんですけど」
「何か変?」
相手は頷いたが何も言えないでいた。何だろう?
「何か付いてる?」
「か、顔、どうしたんですか?」
「どうって?」
「それ、ファッションですか?」
「え?」
「ト、トイレ行ってみた方が」
何だろう?検討がつかなかった。顔が痛いのと関係ありそうだった。
しかし、その日は9時半から会議だった。
とりあえずデスクにカバンを置きに行った。すると部下たちが全員俺を見て騒ぎ出した。
「部長!顔どうしたんですか?」
職場のお局と言われている女性社員が声を掛けて来た。その日だけはなぜか優しかった。
「え?どうかした?」
その人が鏡を手渡してきた。百均で売られているような携帯用の四角い形のものだった。
俺はその小さな鏡で口元を覗いた瞬間、悲鳴を上げた。
「わぁ!何だこれ!」
俺の顔全体に刺青が入っていた。
しかも、描いてあるのがハエとかウジ虫とかゴキブリで、見ただけで気持ち悪いと思われるような図柄だった。まだ、肌が傷だらけの状態で真っ赤だった。一体、何が起きているのかわからなかった。お面をかぶっている訳じゃないから、外すわけにもいかないし、どうしていいかもわからない。俺の顔自体にその柄が刻まれていたからだ。
「シールですか?」
お局が気を遣って言ったが、ちょっと見ただけでそうでないことは明らかだった。テッシュを差し出した人がいたから拭いてみたが、飛び上がりそうな程痛かった。
「ご自分でやったんですか?」
「こんなことするわけないだろ!?」
「ですよねぇ…」
「これから、会議があるからな。まずいな…」
俺は頭を抱えた。
「誰か余分にマスク持ってない?」俺は周囲を見回した。
***
そう。あの夫婦は俺が寝ている間に、俺の顔に刺青を入れていたのだ。
俺は会議の後、すぐに病院に行った。職場にいた人の親族が美容整形外科医で、タトゥーの除去をやっているということだった。皮膚が治りきる前だったから、皮膚の下のインクを押し出すことができたけど、すべては取り切れなかった。
その後もレーザーを当てたりしたが、俺の顔にはずっと変な図柄が残っている。外出する時、おでこはコンシーラーで隠して、それ以外の部分はマスクで胡麻化している。
あの夫婦は俺のことを恨んでいて、一生取れないように顔に入れ墨を施したそうだ。俺が一生苦しむようにということだったとか。
どうやら、生活が立ち行かなくなって二人とも病んでしまったらしい。玲子は彫り師が儲かるからと始めたようだが、残念ながらそちらも客が付かなかった。もちろん俺はそんなことは知らなかったし、二人ともそれなりに裕福に見えていた。
こうして顔に入れ墨を入れられるくらいなら、金を取られた方がましだった。やはり顔に入れ墨があるのは不便だ。俺は普通のサラリーマンなんだし、外に出るとすれ違う人の視線が痛い。
***
なぜ、こんなことになったのか。
俺は延々と考える。
いくら考えても答えは出ない。
俺はどうすべきだったのか、
あの日、あの場で余計なことを言ってしまったのか、
俺は奥さんにどう言えばよかったのか。
なぜ、俺だったのか。
正解があったら教えて欲しい。
整形美人 連喜 @toushikibu
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