Ⅺ
「アラスターさま」
名前を呼ぶ声で、アラスターは目を覚ました。目を開けると、乙女と見紛う端正な顔が自身を見下ろしているのに気付く。エマニュエルだった。
「……司祭様……あの男の子は……?」
声がほとんど出ない。なんとか絞り出して尋ねると、エマニュエルは優しく微笑んで頷いた。
「えぇ。あの子は無事ですよ。あなたのおかげです」
「……そう……か」
視界の端がどんどん暗くなっていく。寒気がした。きっと出血してるに違いないと思ったが、痛みを感じない。
「司祭……さま。俺を……赦してくれ」
虫の息で懇願するアラスターの額に手をかざし、エマニュエルは静かに祈りの言葉を唱えた。
「ありが……とう。嘘で心が重くて……ずっと、苦しかったんだ」
アラスターには、もはや何も見えていない。感覚も完全に麻痺してしまっていたが、何故か自身を抱き抱えているエマニュエルの手の温もりだけは、判った。
「天国……」
アラスターが最期の言葉を絞り出す。
「これで……天国……行けるか?」
「——えぇ。さぁ、創造主さまがお待ちですよ」
エマニュエルはそう告げ、アラスターの瞼を優しく閉じた。
贖罪を果たしたアラスターは、どこか満足げな顔で息絶えた。
「——また邪魔したね」
成り行きを見届けたオーガストが、エマニュエルの前に姿を現す。その表情は苦々しい。
「『烙印』ならわたしが消しましたよ。この人の魂が目当てだったのですね?」
骸となったアラスターを優しく降ろし、エマニュエルがオーガストに向き直る。横たえられたアラスターの亡骸を指差し、オーガストが忌々しげに口を開いた。
「そいつは僕の獲物だったんだ。三十年間、ずっと温めてきたのに。そいつの魂を味わうために、わざわざ聖都からここに戻ってきたというのに、『烙印』を死に際に消してしまうとは。あんまりじゃないかい?」
「哀れな弱い男を罪悪感で苦しめて……」
「それが目的だよ。いわばそいつは、罪悪感と後悔を熟成させた上物のワインだったんだ。三十年物の。さぞかし味わい深かっただろうに……」
心底惜しいといった様子のオーガストを、エマニュエルは蔑むように睨んだ。
「アラスターさまの魂があなたの喰い物にならなくて良かったです。この人の魂は天に還り、やがて地上に戻る。創造主さまが望まれる通りに」
「天に還るとはいっても、もうそいつの人格は無くなるがね。それなのに『天国にいける』などと嘘をつくとは……天使のくせに」
オーガストが責め立てると、エマニュエルは顔を背けた。美しい顔が、苦悩で歪む。
「天国の存在に希望を抱く者もいるのです」
「嘘には違いないだろう? 僕を咎める前に、自分の行いを省みたらどうだい?」
吐き捨てるように言うと、オーガストは手をひらひらと振りながら、「もうついて来ないでくれ」と言ってその場を後にした。
残されたエマニュエルは、気を失ったティミィを抱えて、村の方へと歩き出す。
「……父上さま。わたしのしたことは正しかったのでしょうか?」
天を仰ぎ、エマニュエルが呟く。
風が辺りの木々を揺らしただけで、創造主がもの言うことはなかった。
こよなき悲しみ 第一話 贖罪 かねむ @kanem
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