「アラスターさま」

 名前を呼ぶ声で、アラスターは目を覚ました。目を開けると、乙女と見紛う端正な顔が自身を見下ろしているのに気付く。エマニュエルだった。

「……司祭様……あの男の子は……?」

 声がほとんど出ない。なんとか絞り出して尋ねると、エマニュエルは優しく微笑んで頷いた。

「えぇ。あの子は無事ですよ。あなたのおかげです」

「……そう……か」

 視界の端がどんどん暗くなっていく。寒気がした。きっと出血してるに違いないと思ったが、痛みを感じない。

「司祭……さま。俺を……赦してくれ」

 虫の息で懇願するアラスターの額に手をかざし、エマニュエルは静かに祈りの言葉を唱えた。

「ありが……とう。嘘で心が重くて……ずっと、苦しかったんだ」

 アラスターには、もはや何も見えていない。感覚も完全に麻痺してしまっていたが、何故か自身を抱き抱えているエマニュエルの手の温もりだけは、判った。

「天国……」

アラスターが最期の言葉を絞り出す。

「これで……天国……行けるか?」

「——えぇ。さぁ、創造主さまがお待ちですよ」

 エマニュエルはそう告げ、アラスターの瞼を優しく閉じた。

 贖罪を果たしたアラスターは、どこか満足げな顔で息絶えた。

 

「——また邪魔したね」

 成り行きを見届けたオーガストが、エマニュエルの前に姿を現す。その表情は苦々しい。

「『烙印』ならわたしが消しましたよ。この人の魂が目当てだったのですね?」

 骸となったアラスターを優しく降ろし、エマニュエルがオーガストに向き直る。横たえられたアラスターの亡骸を指差し、オーガストが忌々しげに口を開いた。

「そいつは僕の獲物だったんだ。三十年間、ずっと温めてきたのに。そいつの魂を味わうために、わざわざ聖都からここに戻ってきたというのに、『烙印』を死に際に消してしまうとは。あんまりじゃないかい?」

「哀れな弱い男を罪悪感で苦しめて……」

「それが目的だよ。いわばそいつは、罪悪感と後悔を熟成させた上物のワインだったんだ。三十年物の。さぞかし味わい深かっただろうに……」

 心底惜しいといった様子のオーガストを、エマニュエルは蔑むように睨んだ。

「アラスターさまの魂があなたの喰い物にならなくて良かったです。この人の魂は天に還り、やがて地上に戻る。創造主さまが望まれる通りに」

「天に還るとはいっても、もうそいつの人格は無くなるがね。それなのに『天国にいける』などと嘘をつくとは……天使のくせに」

 オーガストが責め立てると、エマニュエルは顔を背けた。美しい顔が、苦悩で歪む。

「天国の存在に希望を抱く者もいるのです」

「嘘には違いないだろう? 僕を咎める前に、自分の行いを省みたらどうだい?」

 吐き捨てるように言うと、オーガストは手をひらひらと振りながら、「もうついて来ないでくれ」と言ってその場を後にした。

 残されたエマニュエルは、気を失ったティミィを抱えて、村の方へと歩き出す。

「……父上さま。わたしのしたことは正しかったのでしょうか?」

 天を仰ぎ、エマニュエルが呟く。

 風が辺りの木々を揺らしただけで、創造主がもの言うことはなかった。

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こよなき悲しみ 第一話 贖罪 かねむ @kanem

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