Ⅸ
真夜中。若きアラスターは木陰に隠れ、たった今遭遇したばかりの悪魔から逃れようと、息を潜めていた。
なんて浅はかだったんだ——そう自分を呪う。
泉を穢している悪魔を討伐して名を挙げようと、アラスターと悪友たちは揃って森に入り、無謀にも戦いを挑んだのだ。野犬程の大きさの悪魔は剣や矢による攻撃をものともせず、瞬く間にチェットとジョーをバラバラに引き裂いた。アラスターは唯一生き延びた親友のアーチィと逃げ出したが、真っ暗な森の中ではぐれてしまったのだ。
「愚かだねえ。なんで悪魔と戦おうだなんて考えたんだい?」
突然、闇から声が聞こえた。若々しい、張りのある男の声だ。アーチィのものではない、知らない男の声——。
「君のような素人が勝てると思ったのかい? 悪魔が小さいから、数人でかかればなんとかなると思ったんだろうね?」
声が、深い闇の奥から嘲笑う。
「誰だ? 何が望みだ?」
アラスターが闇に向かって小声で呼びかけると、クスクスと笑ってから声が答える。
「僕が誰かはどうでもいい。僕の望みは、君を助けることだ」
「助ける? 助けてくれるのか?」
「その通り。ここで死にたくはないだろう?」
声が少しずつ近付いてくるのがわかった。しかし、足音は無い。
「僕の言う通りにすれば、君はこの悪夢のような夜を生き延び、富と名声を手に入れることができる——それが君の望みだったろう?」
声の主が何者かはわからない。もしかすると神話に登場する精霊かもしれないと思ったが、なんであれ声の主の挙げたものは、どれ願ってやまないものだ。アラスターは激しく頷いた。「そうだろうね」と、声が満足げに小さく笑う。
「本当に望み通りになるのか? だったらなんでもするぞ!」
「では、君の親友を殺してくれるかい?」
声は、挑発的な調子でそう告げた。その瞬間、アラスターは自身に語りかけているのが何者かを悟った。
「お前……悪魔だな?」
恐る恐る尋ねると、声はあっさりとそれを認めた。
「ご名答。そこらの獣みたいな小物とは違う、上級の悪魔さ」
声は、いつの間にかアラスターの耳元で聞こえている。まるで囁きかけるように、声は続けた。
「アーチィを亡き者にするんだ。どうしてもというなら、君がとどめを刺さなくても構わない。傷を負わせて見殺しにするだけでよしとしよう」
「出来るわけないだろ! あいつは俺の親友だ!」
「知ってるとも。命やら富やらに見合った代償だろう?」
取り乱すアラスターとは対照的に、声はまったく落ち着いた様子だ。
「無論、アーチィを殺さなくてもいい。このことは忘れてくれ。君がここで隠れているあいだ、僕はアーチィに同じ提案をしてくるとしよう」
声が離れていく。もし悪魔がアーチィに同じ問いを投げかけたら、アーチィはなんと答えるだろうか。
自らの命を危険に晒してでも、親友を守るだろうか。
富と名声を投げ打ってでも、親友を生かそうとするだろうか。
考えるうちに、アラスターの心は恐怖に捕らえられた。裏切りを、死を、何も得られないことを恐れ、慄いた。
「心配は無用。アーチィが死ねば、真実を知る者は誰も居なくなる——」
アラスターの心を見透かし、声が囁く。その一言が、親友に刃を向ける最後の一押しとなった。
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