Ⅷ
胸が痛む。革鎧と武具を身に付けての全力疾走は、壮年を超えたアラスターにとってあまりに過酷だった。立ち止まり、必死に息を整えようとする。悪魔はどこに潜んでいてもおかしくないのだ。すぐにでも戦える状態にまで回復しなくてはならない。荒い息遣いに混じって、どこからか子供の泣き声が聞こえる。耳を澄ますと、声は幼い少年のもののようだった。
「——さまぁ。オーガストさまぁ!」
声のする方へ進む。やがてはっきりと聞こえてきた子供の声は、誰かを呼んで泣き叫んでいるようだった。
「誰か居るのか? 返事をしろ」
アラスターが声を張り上げると、泣き声が止んだ。子供らしい小さな足音がし、木々の間から五歳程の少年が現れる。
「……お前、村の子供だな? ここで何をしているんだ?」
アラスターの問いに、少年はしゃくり上げながら答えた。
「ぼ、ぼく……オーガストさまと一緒にここにきたんだけど、迷子になっちゃったんだ」
少年が口にした名に覚えがあった。礼拝堂に居た、若い神父の顔が浮かぶ。直接言葉は交わさなかったが、妙にその姿が印象に残っていた。
「オーガスト? 神父じゃないか。彼に連れて来られたのか?」
「うん。オーガストさまが『一緒に悪魔をやっつけるから、ついておいで』って。みんなには内緒なんだ」
悪魔の危険性を熟知しているはずの神父が、何故自衛の手段を持たない幼子を連れてここに来るのか。少年がどこか嬉しそうにそう語るのを聞きながら、アラスターはなにかがおかしいと感じずにはいられなかった。
「神父はどこに?」
「それがわからないんだよ。ここで待ってるように言われたんだけど、それきりどこかに行っちゃったんだ」
少年は置き去りにされたことで怯えてはいるものの、悪魔の存在の深刻さを理解している様子ではない。このままでは危険だ。
「わかった。ここは危ないから、神父が見つかるまで私の側を離れるな」
「うん。ありがとう。ぼくはティミィ。おじさんの名前は?」
「アラスターだ」と答えるや、ティミィの目が輝く。
「アラスターさんって、昔悪魔をやっつけた人でしょ? お母さんからお話聞いたことあるよ!」
「ふぅ……いいか? 私はお前が思っているような英雄じゃない。お前が聞いたのはただのお話だ」
自身に憧憬の目を向けるティミィに、アラスターはぶっきらぼうに言った。
それがどう言う意味なのかとティミィが聞き返そうとした瞬間、アラスターの背後で木が揺れた。反射的に剣を抜き、切っ先を音のした方へ向ける。
「ティミィ! 逃げろ! どこか安全な場所に隠れるんだ!」
アラスターが叫ぶが、ティミィは木の陰を指差し、恐怖で凍り付いてしまっていた。
ティミィの指差した先を見ると、そこには、これまで対峙してきたものとは別格の、巨大な悪魔が居た。
獅子ほどの大きさの悪魔は、赤黒い穢れが蠢めく肢体を引きずりながら、炎のような紅い眼でアラスターを睨みつける。悪魔は低く唸った後、耳をつんざくような吠え声を上げた。その咆哮を間近で耳にしたアラスターは、その断末魔のような声に覚えがあった。
その咆哮は、かつての親友の最期の叫びに、いや似ていた。
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