胸が痛む。革鎧と武具を身に付けての全力疾走は、壮年を超えたアラスターにとってあまりに過酷だった。立ち止まり、必死に息を整えようとする。悪魔はどこに潜んでいてもおかしくないのだ。すぐにでも戦える状態にまで回復しなくてはならない。荒い息遣いに混じって、どこからか子供の泣き声が聞こえる。耳を澄ますと、声は幼い少年のもののようだった。

「——さまぁ。オーガストさまぁ!」

 声のする方へ進む。やがてはっきりと聞こえてきた子供の声は、誰かを呼んで泣き叫んでいるようだった。

「誰か居るのか? 返事をしろ」

 アラスターが声を張り上げると、泣き声が止んだ。子供らしい小さな足音がし、木々の間から五歳程の少年が現れる。

「……お前、村の子供だな? ここで何をしているんだ?」

 アラスターの問いに、少年はしゃくり上げながら答えた。

「ぼ、ぼく……オーガストさまと一緒にここにきたんだけど、迷子になっちゃったんだ」

 少年が口にした名に覚えがあった。礼拝堂に居た、若い神父の顔が浮かぶ。直接言葉は交わさなかったが、妙にその姿が印象に残っていた。

「オーガスト? 神父じゃないか。彼に連れて来られたのか?」

「うん。オーガストさまが『一緒に悪魔をやっつけるから、ついておいで』って。みんなには内緒なんだ」

 悪魔の危険性を熟知しているはずの神父が、何故自衛の手段を持たない幼子を連れてここに来るのか。少年がどこか嬉しそうにそう語るのを聞きながら、アラスターはなにかがおかしいと感じずにはいられなかった。

「神父はどこに?」 

「それがわからないんだよ。ここで待ってるように言われたんだけど、それきりどこかに行っちゃったんだ」

 少年は置き去りにされたことで怯えてはいるものの、悪魔の存在の深刻さを理解している様子ではない。このままでは危険だ。

「わかった。ここは危ないから、神父が見つかるまで私の側を離れるな」

「うん。ありがとう。ぼくはティミィ。おじさんの名前は?」

「アラスターだ」と答えるや、ティミィの目が輝く。

「アラスターさんって、昔悪魔をやっつけた人でしょ? お母さんからお話聞いたことあるよ!」

「ふぅ……いいか? 私はお前が思っているような英雄じゃない。お前が聞いたのはただのお話だ」

 自身に憧憬の目を向けるティミィに、アラスターはぶっきらぼうに言った。

 それがどう言う意味なのかとティミィが聞き返そうとした瞬間、アラスターの背後で木が揺れた。反射的に剣を抜き、切っ先を音のした方へ向ける。

「ティミィ! 逃げろ! どこか安全な場所に隠れるんだ!」

 アラスターが叫ぶが、ティミィは木の陰を指差し、恐怖で凍り付いてしまっていた。

 ティミィの指差した先を見ると、そこには、これまで対峙してきたものとは別格の、巨大な悪魔が居た。

 獅子ほどの大きさの悪魔は、赤黒い穢れが蠢めく肢体を引きずりながら、炎のような紅い眼でアラスターを睨みつける。悪魔は低く唸った後、耳をつんざくような吠え声を上げた。その咆哮を間近で耳にしたアラスターは、その断末魔のような声に覚えがあった。

 

 その咆哮は、かつての親友の最期の叫びに、いや似ていた。

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