悪魔出現から一週間後。村の様子は一週間前のそれとは打って変わっていた。村全体を囲むように塹壕が掘られ、悪魔の侵入を防ぐためのバリケードがあちこちに築かれている。村で唯一石造りである教会は村人たちの避難所になり、松明と棍棒で武装した男たちが、昼夜を問わず扉の側に立って見張りをしていた。

「悪魔が現れないんで、ありがたいけどさ——」

 見張りの番になった村の若者クリフが、同じく見張りを務めるロバートに声を掛ける。

「正直、こうなんもない日が続くと、飽きてくるよ」

「馬鹿野郎。お前はヤツを見てないからそんなことが言えるんだ」

 ロバートは顔をしかめ、持っていた棍棒でクリフの頭を軽く小突いた。

「いってえ! そんな怒ることないだろうよ!」

 クリフはやり返そうと棍棒を振り上げたが、何者かが近付いてくる足音を聞いて手を止めた。

 気付けば、教会の戸口に男が立っている。齢は五十前後だろうか。壮年と呼ぶには少しばかり皺の多いその男は、年季の入った革鎧を身に付け、腰に剣を下げていた。背中には長弓と、矢がぎっしり詰まった矢筒を背負っている。かなりの重武装だった。

「村長はこちらにいるかな?」

 男が落ち着き払った様子で、見張りたちに尋ねる。

「村長は中にいるけど、あんたが何者か名乗るまで、ここを通すつもりはねえぜ?」

 そういって棍棒を構え、啖呵を切るクリフを、ロバートは慌ててたしなめた。

「馬鹿、黙っとけ! こちらさんはアラスターだ。あの英雄アラスターだよ!」

「えっ? 英雄アラスターって実在したのかよ?」

 クリフが素っ頓狂な声を上げる。

「そんな大層なもんじゃないさ。昔、悪魔を殺したってだけだ」

「すげぇじゃん!」

 感心する若者を押しやり、ロバートは英雄のために道を空けた。

「あんたが居れば百人力だ。 どうか俺たちをまた救ってくれ! 英雄殿!」

 アラスターはロバートに目礼すると、教会の扉を押し開けた。


 同じ頃、聖都から派遣された祓魔師の一団を乗せた幌馬車が、村に続く街道を駆けていた。

「ゴドフリーさま、もう少し急げませんか?」

 背後からそう尋ねられ、御者席で手綱を引くゴドフリーは内心頭を抱えた。馬車を引く二頭の馬はもう何時間も走り通しで、走っている道は、街道とは名ばかりの、舗装も碌にされていない砂利道だ。これ以上速度を上げようものなら、馬が脚を折るか、馬車が脱輪してしまうだろう。

「エマニュエル様。これ以上は無理です」

 ゴドフリーが答えながら振り返ると、幌から顔を出したエマニュエルの姿が見えた。

 丁寧に編まれた真珠のように輝く長髪が、向かい風に煽られて揺れている。乙女と見紛う端正な顔立ちの祓魔師は、猛進する馬車に揺さ振られながらも、まるで午睡から覚めたばかりのような、ぼんやりとした表情をしていた。聖都の大聖堂に飾られたタペストリーのひとつから飛び出して来たかのようなその浄らかな雰囲気に、思わずはっとする。

「そうですか。急かしてしまってごめんなさい」

「もう少しで着きますから、辛抱してくださいよ」

「悪魔が人々を脅かしていると思うと……失礼しました。ゴドフリーさま、どうかこのまま進んでください」

 伏し目がちにそう言って詫びると、エマニュエルは頭を幌の中に引っ込め、同乗している祓魔師たちの祈りに加わった。

 

 手綱を握り、目まぐるしく変わる街道の景色を眺めるゴドフリーの内で、ある疑問が頭をもたげていた。

 

 何故、エマニュエルはそれほどまでに急いでいるのだろうか。

 下級の悪魔が現れることは決して珍しいことではない。動物の死骸など、屍肉の穢れのうちに蛆の如く沸く下級悪魔は、ネズミのように矮小で非力だ。屍肉を喰らうことで少しずつ成長していくが、その過程は遅く、ある程度の大きさに育つまでは大した脅威になり得ない。実際、村からの救援要請の書簡を受け取った教会本部は、この件を『緊急性に乏しい』として、数人の見習い祓魔師を徒歩で派遣する決定を下していた。そんな本部の決定を覆したのが、エマニュエルなのだ。エマニュエルは司教や枢機卿、教皇の側近にまで働きかけ、自らを含む祓魔師の精鋭を、最高級の馬車で迅速に送り出すよう説得したのだった。辺境の一教区を案じ、慈愛と公正を説くエマニュエルの言葉に心打たれた関係者らは、最高級の装備をエマニュエルに授け、最大限の祝福とともに送り出した。

 

 何がエマニュエルを辺境の村に急がせるのか——慈愛と信仰に駆り立てられてか、あるいはなにか別の意図があるのか。

 地平線に石造りの教会が顔を出す。どうやら着いたようだ。

 エマニュエルの目的がなんであれ、それはいずれ明らかになるだろう。それまでは、自らの務めに集中するだけだ——そう自分に言い聞かせながら、ゴドフリーは速度を落とすよう、馬たちに合図した。

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