しばらくして、報せを受けた村長と教区長が、それぞれロバートとティミィに連れられて礼拝堂にやってきた。ふたりとも顔を真っ青にし、冷や汗をかいている。慌てて飛び出して来たのだろう、教区長の祭服は乱れ、帯も締まりきっていなかった。

「この辺りで悪魔が出るなど、ここ三十年は無かったのだがのぉ」

 齢七十を超える村長が呟く。気丈に振る舞ってはいるが、その声は震えていた。

「ロバート、何を見たのか教えて欲しい。本当に悪魔を見たのか?」

 教区長が服の乱れを直しながら尋ねる。ロバートが口を口を開いたところで、オーガストがそれを手で制し、教区長に耳打ちした。

「教区長様。ティミィを別室に移しましょう。子供に詳細を聞かせては……」

「……むう。その通りだな」

教区長は頷くと、ティミィに手招きし、「修道士たちからパンを貰いなさい」と言って礼拝堂から追い出した。

「すまない。動揺して幼い少年への気遣いを忘れていた。礼を言うぞ、オーガスト神父」

 詫びる教区長に、オーガストは無言のまま軽く一礼する。

「さて、それではロバート——」

 教区長に促されたロバートはベンチに座り、苦悶の表情で話し始めた。

「昨日、俺はいつも通りに森で仕事をしてたんだ。夕方までずっと、木を切ってたんだよ。そんで家に帰り、飯を食って寝たんだが……夜になって森に斧を忘れたのを思い出したんだよ」

「斧を忘れたじゃと? 何をしておるんじゃロバート……」

村長が呆れたように言う。

「いつもなら忘れないんだがね。俺も歳かもしれん」

 ロバートは苦笑しながら、ふぅっと息を吐いた。

「とにかく、朝露で斧が錆びたらまずいんで、松明を持って森に引き返したんだ。そこでを見た……」

「……悪魔か?」教区長が恐る恐る尋ねる。

 しばらく躊躇うように唇を舐めたあと、ロバートは頷いた。

「はじめは、馬鹿でかい野犬かと思ったんだ。追い返そうと思って、そいつの足元に松明を投げた……あれはこの世のものじゃねえ。赤黒くて、ぬめぬめとしてて、そしてあの目……恐ろしいあの目だ……餓鬼の頃に聞いた話通りの姿だった。で、右も左も判らない真っ暗な森を死ぬ思いで走って、今さっき帰って来たってわけさ」

 

 ロバートが語り終えると、礼拝堂に沈黙が訪れた。教区長と村長の顔からは血の気が引き、ロバートは蘇る記憶に慄いている。ただひとり落ち着いた様子のオーガストが、沈黙を破った。

「獣のような姿ならば、ロバートさんが遭遇したのはきっと下級の悪魔でしょうね。何かしらの対策を講じなくては、村に被害が出てしまいそうです」

「オーガスト神父の言う通りだ」教区長が額に浮かんだ冷や汗を拭いながら言った。

「聖都に手紙を書くことにする。悪魔の出現を教会本部が知れば、すぐに祓魔師エクソシストが派遣されるはずだ」

 それだけ言うと、教区長は足早に礼拝堂を後にした。別館へと消えていくその姿を見送ったあと、村長がオーガストに向き直る。

「オーガスト様。申し訳ないが、村の皆に今回の件を伝えてくれんか。あんたから聞いた方が、皆冷静に受け止められるかもしれん……」

「もちろんです。お任せください」オーガストは笑顔で頷いた。

 村長は礼を言うと、教会の外へと歩き出す。

「わしは、英雄殿に助けを乞うてくる」

「英雄殿?」

「あぁ、神父様はこちらに来たばかりだから、アラスターのことは知らんでも無理はないな。もっとも、彼は山で隠居しているから、最近の若いもんは逸話しか知らんだろうがな」

「アラスターはちょうど三十年前、今回と同じように出現した悪魔を討伐し、村を救った英雄なんじゃ」

 扉をくぐりながら英雄について語る村長の口調は、誇りと希望の色を帯びていた。

「それはそれは……頼もしい限りで」

 教会を後にする村長の背中に、オーガストが呟いた。

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