こよなき悲しみ 第一話 贖罪

かねむ

 聖日——一週間のうちで最も神聖とされ、最も太陽が眩しく輝く日。

 教皇から平民に至るまで、創造主を信仰するすべての者が教会に集い、祈りを捧げる日。

 そんな聖なる日の朝、夜明けとともに目を覚ました少年ティミィは、母親を起こさないよう細心の注意を払いながら家の戸を開け、外へと出た。

 家のある村はずれの丘から、朝陽で朱に染まった村全体を一望する。少々の畑と家畜小屋、そして村人たちが住む藁葺き屋根の粗末な家屋郡の真ん中に、古めかしい石造りの教会が見えた。ティミィはスキップしながら丘を降り、出鱈目な歌を口ずさみながら、教会へと向かう。

「神父様ぁ。神父様ぁ? 居るんでしょ?」

 教会の扉を叩きながら、ティミィが大声で呼ぶと、まるでそれを待ち構えていたかのように扉が開き、若い神父が顔を出す。

「やぁ、ティミィ。おはよう」

 左右に分けられた黒い髪。深いスミレ色の瞳と、目元の泣きぼくろが印象的な神父オーガストは、柔らかな笑みを浮かべながらティミィに挨拶をし、手振りで教会へと招き入れた。


 それは、実に奇妙な現象だった。

 それまで信心深くなかった者や、聖典を読むことすらままならない幼子が、オーガストが赴任して来るや、熱心に教会に通うようになったのだ。無論、人々の目当てはオーガスト——彼は温和で人当たりが良く、説法も他の神父たちより分かり易いと評判だったが、そういう単純な人間的魅力を超えた、なにか奇妙な力が働いているかのように、若き神父は人々を惹きつけてやまなかった。一部の神父らは人々の関心が創造主よりもオーガストに向けられている状況に少なからず懸念を抱いていたが、オーガストが神父として模範的に振舞っていること、そして彼の赴任によって教会が賑わいを取り戻していることを思うと、誰も口出しすることは出来なかった。

 

 オーガストは誰も居ない礼拝堂のベンチに腰掛け、ティミィをひょいと抱き上げると、自身の膝の上に乗せる。

「今日も随分と早起きだね」そう言って優しく頭を撫でると、ティミィが弾けるような笑顔をみせた。

「うん! オーガスト様に会いたかったから!」

 朝の礼拝が始まれば、村中の人がオーガストに会いに教会に押し寄せる。幼いティミィが村の誰よりも早く教会を訪れるのは、それまでの僅かな時間、こうしてオーガストを独り占め出来るからだった。

「本当かい? 嬉しいことを言ってくれるね」

 オーガストがもう一度、ティミィの頭を撫でる。その手の柔らかな感触と、落ち着いた、慈愛に満ちた声色は、まるで天国に居るかのような幸福感を少年に味わせた。

「では、一緒に朝の祈りを捧げようか」

「うん!」

 優しく促され、ティミィは膝の上に乗ったまま、両手を合わせる。オーガストはその後ろからティミィを包み込むように腕をまわし、同じように手を合わせてから祈り始めた。

 

 ふたりの静かな祈りは、教会の扉が勢いよく開けられる音で中断された。

「神父様! 大変だ!」

 開け放たれた扉から、村の木こりであるロバートが息も絶え絶えに足を踏み入れる。よろよろとオーガストに近付いたロバートは、その足元で崩れ落ちた。

「神父様……森で悪魔が……悪魔が出たんだ!」

 肩で息をしながら、ロバートが必死に訴える。『悪魔』という言葉に、幼いティミィは恐怖で震え上がった。

 オーガストはティミィを降ろすと、跪いて男の顔に触れる。

「貴方が無事で何よりです。神に祈り、ともにこの苦難を乗り越えようではありませんか」

 穏やかで、それでいて力強い言葉に鼓舞されたロバートは、ゆっくりと立ち上がった。

「他にこのことを知ってるのは?」

「俺だけです。まずは神父様にと思って……」

「賢明でしたね。騒ぎにならないためにも、皆にはまだ報せない方がいいでしょう。とりあえず、村長を呼んできてください。くれぐれも騒ぎにならないように」

 オーガストの指示を受け、ロバートは「わかった」と頷いてから、礼拝堂をあとにした。

「オーガスト様。ぼく、怖いよ……」

「大丈夫だよティミィ。怖がらなくてもいいんだ」

 オーガストは震えるティミィを抱きしめたあと、跪いてその瞳を覗き込んだ。

「私はここで村長を待つから、別館に居る教区長様を呼んできてくれるかい?」

 優しく尋ねられ、いくらか平常心を取り戻したティミィは、胸をポンと叩いてみせた。

「任せて! すぐに呼んでくるよ!」

「急いで、他の皆に気付かれないようにね」

「わかってる!」

 放たれた矢のように礼拝堂を飛び出したティミィは、去り際に一度、オーガストの方を振り返った。

 オーガストが笑っている。

 その笑顔が自身に向けられたものだと思ったティミィは、手を振ってからその場をあとにしたが、若き神父のスミレ色の瞳の奥に、よこしまな光が宿っていたことには気付かなかった。

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