特別エピソードⅢ 【矢印の方向の行方 partⅠ】 


 カイン・クロフォードとノアの箱舟の長きに渡った闘いが終わり、リビングデッドの討伐を行う日々の中でも少しの平穏な時間が訪れていた。

 夕凪は扉の前に立つと、控えめにノックした。

 しばらくすると扉の向こうからこちらに近付いてくる足音が聞こえ、扉が勢いよく開いた。


「まってたよ! 夕凪ちゃん」


 肌触りの良さそうなもこもこしたフードを付けたピンクと白の横縞のルームウエアに身を包んだ満面の笑みのリリィが夕凪を部屋の中に迎え入れた。

 部屋の中には既に七瀬と藍の姿があった。

 短パンにキャミソール姿の七瀬は片手に酒の空き缶を持ち、イカゲソを口に咥えていた。

 七瀬は酔っているのか少し頬が赤く、缶を持っていないもう片方の手をひらひらと夕凪に振った。


「おう、夕凪ぃ~!

そのパジャマ可愛いじゃない。

もしかしてリリィとお揃い?」

「七瀬ねぇ、気づくの早い!

そうだよぉー、お揃いで買ったんだ~」


 リリィは夕凪の肩に手を置くと、嬉しそうに微笑んだ。

 夕凪は照れくさそうにリリィとは色違いで購入した寒色のルームウエアの裾を指で掴む。


「……リリィはそういう女の子らしいのは似合うだろうけど。

私、変じゃないですかね……?」

「もぉー! 夕凪ちゃん、またそんなこと言って!

可愛いに決まってるでしょう?

何て言っても私、セレクトですから!!」


 リリィは鼻高々にドヤ顔をする。

 その様子を見ていた藍も夕凪の方を見ると、大きく頷きながら口を開いた。


「普段とは違う可愛らしさと本来の夕凪さんの涼やかさが融合していて、とても良く似合ってますよ、夕凪さん」

「あ……ありがとう。

藍もそのルームウエア初めて見るな……サメか?」


 藍のルームウエアは上下繋がっており、白黒にフードの辺りにはギザギザの牙の様な装飾が付いている。

 胸鰭の辺りは手が出せるのか、小さな藍の両手がしっかりとジュースが入ったコップを持っていた。

 

「夕凪さん、惜しいです。

シャチです」

「ちなみにお姉さん、さっき藍に聞いたんだけど、シャチは海洋における食物連鎖の頂点に立っている海獣らしいぞ、夕凪」


 七瀬は吃逆しゃっくりしながら、得意げそうに夕凪に言った。

 そのあとにも何か呟いていたが、呂律が回らないのか遂には面白可笑しく笑っていた。

 藍は水の入ったペットボトルの蓋を開けると、「はい、新しいお酒ですよ」と七瀬に言いながら、渡していた。


「ちょっと七瀬さん、序盤から飲み過ぎてるわね……」


 夕凪は困った様に肩を竦めると、隣のリリィがクスクスと笑った。


「最近ずっと上層部行ったり、他の支部の立ち上げに遠方行ったり七瀬ねぇ大変そうだったから、久しぶりのお休みでこうやって集まれたから嬉しいんじゃないかな?」

「そうかもしれないわね」


 夕凪は床に座ると、脚を崩した。

 

「夕凪ちゃん、オレンジジュースにする? お茶?」

「お茶にするわ。 ありがとう、リリィ」


 リリィにお茶の入ったコップを受け取り、夕凪はコップに口を付け、一口だけ啜ると、ふぅと息を吐いた。

 

 数時間前、リビングデッドの討伐任務を終えてノアの箱舟に帰って来た夕凪にリリィは今夜、自身リリィの部屋に集まり【パジャマ女子会】をしようと持ち掛けてきた。

 

「参加メンバーは私と夕凪ちゃん。

あとは七瀬ねぇと藍ちゃんにも声かけてるんだぁ~!」


 夕凪と一緒に任務を終えて帰って来ていた郁は「女子会か。いいね」と夕凪の隣で微笑ましそうな顔を浮かべていた。

 

「この前一緒に買ったパジャマ着て来てね夕凪ちゃん!

あ、郁くんも見たい? 

夕凪ちゃんのパジャマ。

可愛いんだよぉ~!」

「へー、そうなんだ。

少し見て見たいかも……」


 郁はそう言いながら夕凪の方を見ると、赤面した夕凪が郁を睨みつけていた。


「か、郁には絶対見せない!!」

「え……、」


 郁は困惑した様な表情もする。

 夕凪のそんな様子を見て、リリィはにやりと笑った。


「もぉ~、夕凪ちゃん照れちゃってぇ~」

「リリィも茶化さないでっ!

見せないというか……見られると恥ずかしいから郁には見せたくないってことで……っ、とりあえず今夜リリィの部屋に行けばいいのね?

わかったわ、私は今から任務の報告に行くから、郁もお疲れ様!

じゃあっ!」

「あ、報告なら俺が……!」


 郁は呼び止めるが、夕凪は小走りで上層部がある方向に駆けていってしまった。


「なんかまずいこと言っちゃったかな、俺……」


 落ち込んだように肩を落とす郁にリリィはポンと手を置いた。


「乙女心は複雑なのだよ、郁くん。

でも、大丈夫。

今は照れてるけれど、早いうちに郁くんは絶対に夕凪ちゃんのパジャマ姿見れるから安心してて!

むしろ、偶然を装い私が郁くんに見せてあげるよ!」


 リリィは親指をグッと立てると、郁にウインクした。




◇◇◇◇◇◇◇◇


 「それじゃあ、夕凪ちゃんも無事に我が部屋に到着したということで、改めて【チキチキ☆パジャマ女子会】はっじめるよぉ~!」


 リリィはオレンジジュースが入ったコップを高らかに挙げると、七瀬が人一倍大きな声で「かんぱぁーい!!」と嬉しそうに言った。

 藍に酒だと言われ、渡された水の入ったペットボトル一気に飲み干した七瀬は首を傾げる。


 「んにゃぁ、味しない?」

 「七瀬ねぇ、このお酒、桃の味して美味しいか呑むといいよ」

 

 すかさずリリィは七瀬に桃のイラストが描かれている酎ハイを渡した。

 七瀬は受け取ると、片手で器用に缶のリングプルを起こした。


「リリィありがとぉー……おかしいなぁ、昔はこんなに酔わなかったのにな、ちょっとずつ呑も」


 七瀬はそう言うと、桃の酎ハイをちゃびちょびと呑み始めた。

 部屋の中心で四人は円を作るように座り、中心にはお菓子の袋や七瀬のお酒のお供が広げられている。

 夕凪はスナック菓子を取ると、一口含んだ。


「さてさて、女子会と言えばのド定番しちゃおうかな。

 その為にこの会を開いたと言っても過言ではないからね!」

「女子会なんて私、初めてなのでリリィさんが言うド定番って何ですか?」


 藍はチョコがコーティングされたクッキーと一噛みすると、リリィの方に視線を向けた。

不敵な笑みを浮かべたリリィは人差し指を左右に振ると、切り出す。


「コ・イ・バ・ナだよ~!」


 夕凪は驚きで咳き込み、藍は瞬きを繰り返す。


「恋……バナ」

「そ、ちなみにこのあと特別ゲストも呼んでるので……それまでに気になってること聞き出しちゃうよ? 

私はね、ずっと気になっていたのですよ、藍ちゃん」


 リリィは左右に振っていた人差し指を止めると、自身の口元に置く。


「藍ちゃん、ユヅル君のこと異性の好きでしょう~?」

「……え」


 藍はきょとんとした顔をしたが、みるみるうちに耳まで赤くなると、慌てた様に両手を頬に添えた。


「……す、好きじゃぁ……!

ユヅルさんのことは尊敬してる……だけです!」

「えー? でもユヅル君見てると、私や夕凪ちゃんとは違って藍ちゃんのことなんか大切にしている気がするけどなぁ?」

 

 リリィがそう呟くと、藍は目を見開き、ゆっくりと視線だけをリリィの方に向ける。


「ほ、本当ですか?」


 続けて七瀬が親指と人差し指を銃の様な形にし、藍に向ける。


「藍。

お姉さんがいい事を教えてあげよう。

恋愛に歳の差なんて関係ないんだぜ?」


 七瀬はウインクすると、「ばきゅん」と言った。

 ぐっと藍は唇を噛むと、頬に添えていた手を自身の膝に乗せ、拳を握る。


「でも、ユヅルさんと私は一応は遠いですけど血縁関係ではあるんだと思うんです。

だから……この気持ちは恋じゃないです」

「小娘、お主は主様と一緒に過去を見に行ったじゃろうが。

なんじゃ、小娘は記憶力が乏しいのか?」

「もう、マリアもう少し優しく言ってあげてぇ?

あのとき、主ちゃんは沢山混乱することがあったんだから、記憶が多少抜けちゃうのはしょうがないわよ!」


 突然、割って入るかの様に青いドレスを身に纏った暴食の悪魔マリアと黒いタートルネックにジーパン姿の嫉妬の悪魔アルファが夕凪達四人の前に現れた。

 しかし二人の姿はいつもとは違い、身体が二頭身になっていた。

 マリアは袋に広げられているスナック菓子を両手で持つと、小さな口でぱくりと食べた。


「もしかしてリリィが言ってた特別ゲストって、この二人?」


 夕凪はリリィの方に視線を向けるが、リリィは首を振った。

 慌てた様に藍は二人を自身に引き寄せ、胸に抱え込む。


「ごめんなさい。

私のせいです!

その……私の身に危険というと大げさなのですが、困ったことが起こった時に……」


 藍は段々と気まずそうな小声になっていく。

 痺れを切らしたマリアが溜息を一度吐くと、口を切る。


「小娘の身を案じて、儂らがすぐに起こっている物事に対処できる様に主様が簡易的な魔法陣を描いた紙を小娘にお守りの様に手渡してるのじゃよ。

自分が近くに居ないときに小娘を守れるようになぁ。

それもじゃぞ?

儂が思うに主様は過保護を通り越して、小娘に対して過度なしゅうちゃ……」


 アルファが息を吐いた様に出した雫程の水が塞ぐようにマリアの口の辺りを覆う。


「はいはーい、マリアそこまでよぉ?

主ちゃんは少し誤解しているけれど、主ちゃんのお母さんであるリセとあの子は姉弟ってことになるだろうけれど、根本的に母胎が違うわ」


 藍は首を傾げる。

 その横で七瀬が何か思い出したかのように「ああ」と呟いた。


「そういえば、ユヅ坊に少し前に聞いたなぁ。

姉であるリセの出生について調べたって。

確か、リセ本人はイザベラっていう女性が母親と思ってたらしいけど、実際はリセが父親と言っていた人物の妹が本当の母親だったらしいとか。

まぁ、珍しいくらいユヅ坊が酔ってたから聞き出せただけなんだけどさ」


 大人しくしていたマリアは自身の口に纏わり付いている雫を食すと、口を開く。


「鬼娘が言ってることは相違ないぞ。

主様の母胎はだったが、悪魔の頂点傲慢の悪魔の子じゃ、儂にとっては特別なのは間違いない。

今の小娘には主様は手なぞ出さんさぁ……まぁ、だ。

主様からの確率は低いだろうが、小娘の行動次第では今後の可能性はあるんじゃないか?

どうでもいい小娘相手に自身の魔力の消耗も惜しまない様な行動などしないさぁ」


 マリアは藍にいたずらっぽい笑顔を向けた。

 話を聞いているリリィも口角が緩みながら、肩を震わせている。


「絶対にユヅル君にはそんな甘酸っぱいこと起こらないと思っていた過去の自分に言ってあげたい……っ、こんな可愛い子にユヅル君が想われる様になってるよって。

すごく尊いぞって……!!」

「リリィが言っている意味は分からないが……私も応援してるぞ、藍」


 夕凪がそう言うと、藍は頬を少し赤くすると、ゆっくり頷いた。


「さて、次は夕凪ちゃんだね」

「絶対に言うと思った。 

 私と郁は何もないぞ?」


 リリィの発言を遮るように夕凪は言うが、自身が墓穴を掘ったことに気づいていない。

 リリィはそれを狙ってたかのように、にんまりと不敵な笑みを浮かべる。


「別に、とは私、言ってないのになぁ?

あれれ~、夕凪ちゃんは郁くんとのことだとすぐに思ったんだぁー?

ふーーーん」


 夕凪はやっと気づいたのか、どんどん顔を赤くしていくと、瞳が潤む。


「っ、ずるいぞ、リリィ!」

「私的には夕凪ちゃん達は秒読みかなって思ってるけどね」

「びょ、秒読み?」


 リリィに同意するかのように夕凪以外は深く頷いた。


「二人を見てればなぁ……むしろ歯痒い?」


 七瀬は親指と人差し指で自身の顎をつまむ仕草をすると、そう呟いた。


「歯痒い……?」

「私はてっきり既に夕凪さんと郁さんはお付き合いしているものだと思っておりました」

「なっ……! 藍も変な事いうなっ!

私と郁は別に……付き合ってはない!」

「だけどぉー?」


 リリィは夕凪の本音を掻き立てる様に言うと、夕凪は頬を赤くしたままポツリと呟く。


「……郁も私と同じくらい私のこと想ってくれていたら、嬉しいなって思ってる」


 アルファは手を頬に添えると微笑み、マリアは口笛を吹いた。

 部屋のドアがノックされる音がすると、夕凪はびくりと肩を震わせる。


「はーい、今開けます!」


 駆け足でリリィはドアに近付いていき、夕凪はドアの方に顔を向けた。


「そういえばリリィが言う特別ゲストって誰なのか、私も聞いてなかったけど……このノックの仕方はね」


 七瀬はお酒の入る缶に口を付けると、グッと飲む。

 ドアの向こうに居た人物は女性とは違うガタイの良い姿をしていた。


なのに、俺が参加しちゃって悪いね。

うわっ、七瀬はまだシラフに見えるけどその周りの酒の缶の数的にべろんべろんに酔ってるなー……もしかして俺、七瀬の介抱に呼ばれた感じ?」

「八百さん!!」


 夕凪は驚いた様に声をあげると、八百はヒラヒラと夕凪に手を振った。


「特別ゲストは……恋愛経験が生きてる年月的にも顔の貫禄的にも豊富だろうと思いまして第伍支部の八百にぃを呼んでみました!」

「久しぶりにリリィに八百にぃって呼ばれたな」


 リリィは照れくさそうに「そういえば、そうだねぇ」と笑った。


「まぁ、とりあえず八百は私の隣に座れ! 

麗しき少女達の隣なんて、絵面的に犯罪臭がするからね!」


 七瀬は大きな口を開くと、はははっと笑った。


「えー、酒臭いお姉さんの隣より小動物みたいに可愛らしい少女達の隣の方が良いけどな。

けど、酒臭いお姉さんのご要望通りにお隣で接客に勤しみます」


 八百は萎れた顔で両手の平を重ね、「南無南無」と小さく呟いた。





 

 




 



 





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