第54話【選択するのは、君だ】
夕凪を見つけ、救いだした郁はほっと胸を撫で下ろした。
軍服の袖で涙を拭いていた夕凪は少しずつ落ち着いて来たのか、周りを見渡し始めた。
そして少し離れた距離で郁達を見守っていたエリーゼと目が合い、驚いた様に目を見開き、警戒する様な顔つきをする。
エリーゼはそんな夕凪に対して、包み込む様な優しい笑顔を向けた。
「あ、夕凪ちゃん。この子は……いや、この女性は」
「……エリーゼ・クロフォード」
郁は慌てた様に夕凪にエリーゼの事を説明しようとしたが、夕凪は郁の発言を遮り、そう呟いた。
エリーゼはふっと笑うと、郁達の方へゆっくりと近付いていく。
「さて、ワンコくんが無事に夕凪を救えたということは、今度はカイン・クロフォードの陰謀を止めないとね」
エリーゼはそう言い、腰を下ろすと、懐中時計を取り出した。
郁達は懐中時計を覗き込むと、秒針が一定の箇所でカチカチと左右に動いており、まるでメトロノームが音を刻んでいる様だった。
「今の私ではこれ以上、この異空間に留まるのは厳しい。
この懐中時計が割れた瞬間、私達は現実世界に引き戻される。
安心したまえ、引き戻された先は私がコレを使用したときだ。
北村猿間が
加えて北村猿間は奴のエリーゼ・クロフォードにも打撃を与えたからな、大層頭に血が上り、北村猿間を先に始末するだろう」
郁の顔は狼狽と苦痛に歪むが、すぐに首を左右に振ると、エリーゼの方に真剣な眼差しを向けた。
「エリーゼさんが言うようにこの懐中時計を使用したときってことは、俺は猿間さんの近くに既に居るってことですよね。
俺がそんなことさせません」
エリーゼは瞠目すると、ほくそ笑んだ。
「……ワンコくんと北村猿間を見ていると、ラヴィと雨宮を見ているかの様だよ」
エリーゼはそう呟くと、夕凪と郁を交互に見て、言葉を続ける。
「カイン・クロフォードを確実に殺すには対になるエリーゼ・クロフォードの血でしか倒すことが出来ない。
現状、今の夕凪は正式なエリーゼ・クロフォード、私の子だ。
血は受け継がれているから彼を倒せる可能性はある。
今のカイン・クロフォードは自身のエリーゼ・クロフォードを手に入れたと安心しているからな。
油断をつく隙は多少は生まれるだろう」
「だけど、確実に倒すことが出来るのか。
そして、そう上手く事が運べるか分からない……そうですよね、エリーゼさん。
もし最悪の場合を想定したとしても今のエリーゼさんではカイン・クロフォードを殺すことが出来ない……」
郁の的確な発言にエリーゼはこくりと頷いた。
「そうだ。私では難しくむしろ無理に近い。
申し訳ないがな。
カイン・クロフォードは厄介だ。
まともに戦えば逆にこちらの息の音を止められるだろう。
消滅した一度目の世界では私はカイン・クロフォードを止めることは叶わなかった」
「………ごめんなさい。
こんな状況なのに、変なこと訊いてもいいですか?
その……貴方が私の母親なの……?」
夕凪はおずおずとエリーゼの方を見ると、エリーゼはにこりとほほ笑んだ。
「ええ、説明はしづらいが……前の肉体の私が君の母親だよ、夕凪。
君とは赤ん坊のとき別れたっきりだったからな。
ここまで美人で心が強くて優しそうな女性になって、私はとても嬉しいよ。
どことなく顔のパーツや髪色は父親ゆずりで愛おしいよ」
「……っ、あの、ずっと母親に会ったら……その……っ!!!」
夕凪の言葉を待たず、エリーゼは夕凪を抱きしめた。
夕凪は驚いた顔をしたが、すぐに泣きそうな顔になると、エリーゼを抱き返した。
郁はその光景を笑顔で見守っていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
郁の撃った銃弾は世釋を貫いた。
世釋も予想だにしていなかった出来事に目を見開いた。
「……っ!」
郁は世釋からの攻撃を避けると、再度銃弾を数発世釋に向けて撃ち込んだ。
世釋は赤黒い血の壁を作るが、銃弾が当たった箇所から壁が崩れる。
「その拳銃……いや、拳銃の中の弾丸の方か?
弾丸を夕凪の血で形成したのか。
人間がよく考えたものだな。
だけれど、甘いな。
とても君は惜しいことをした。
最初で最後のチャンスを君は無駄にしたようだね」
「っくそ!」
確かに郁は世釋の心臓目掛けて銃弾を撃ったはずだった。
確実に心臓を貫いたはずなのに、世釋の動きは止まらない。
ズレたのか、それとも……別の場所に心臓があるのか、と郁は攻撃を避けながら考えを巡らせていた。
世釋が言うように、もうチャンスは失われた。
夕凪の刀は折られ、ラヴィは動けない状態。
最悪な状況だ。
「郁、斜め十五度左に避けて、後退しろ!」
猿間の声に郁は反応すると、指示通り左に後退した。
世釋の頭上に猿間が撃ったであろう弾丸が数十発降り落とされる。
しかし、世釋は血の膜を作ると、それを防いだ。
「猿間さん……すいません。
……ありがとうございます」
「お礼するな。
結局一発も当たってないし、それに俺のだと
猿間が撃った弾丸は世釋の血の膜に吸収されたのか、血の膜の量が増えた。
「エンマ…君の攻撃は僕には無効だよ。
さっきは突然だったから君からの攻撃を防げず、受けてしまったけれど。
君は僕の眷属なんだから。
主人の僕には君は逆らうことは出来ない」
北村猿間は
猿間はそれを解っていながら、郁を手助けする為に撃ったのだ。
郁は申し訳なくなり、唇を噛んだ。
「いや、チャンスは郁は作ってくれたよ」
夕凪は世釋の後ろに移動すると、折れた刀を突き刺した。
突き刺した刀から血が折れた刃先の形に変わり、世釋を貫く。
世釋の口の端から大量の血が吐き出される。
◇◇◇◇◇◇◇◇
カイン・クロフォードへの対策を一通りエリーゼと郁達は議論した後、郁は手を少し挙げた。
「俺から提案しても良いですか?」
「私も……多分郁と同じようなこと考えていたわ。
もし私の攻撃を奴にふさがれ、確実に奴は私の持っている刀を折りに来るはず。
奴が私に集中しているところを郁が攻撃することが出来れば……隙や倒す可能性が多くなる」
「それは上手く事が進めばだけれどね。
ラヴィさんの様に俺は武器は作ることは出来ない。
先程も試したけれど全くね。
……でも、銃ではなく銃弾なら。
夕凪ちゃんの血で作られた銃弾とかなら彼に届くかもしれないと……考えて。
夕凪ちゃんにすべて頼る感じになってて、申し訳ないんだけど……」
郁は困った様に愛想笑いを溢す。
夕凪は首を左右に振った。
「いいや。
むしろ心強いよ、郁。
ありがとう……自分の血でそんなもの作ることが出来るなんてこれまで考えもしなかったし。
いや、今の状態だから作ることが出来るのだろうけれど……
これなら世釋……いいえ、カイン・クロフォードに打撃を加えられる。
確実に」
夕凪は強く握っていた手を開くと、銃弾が現れる。
それを郁に渡すと、郁の手を握った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「っは!」
世釋の血で作られた槍が夕凪の方に向かっていき、夕凪は刀を引抜くと、攻撃を避けた。
「直接心臓を刺した。
これなら確実でしょう?
それも貴方の対の私の攻撃なら尚更。
そうでしょう……カイン・クロフォード」
「出来損ないのくせに……僕と対等なんてふざけるなよ」
世釋はこめかみに青い癇癪筋を走らせる。
夕凪は呆れた様にハッと声を出すと、眼に鋭い光が走らす。
「出来損ない?
最初っから誰かの出来損ないでもないわよ。
私は私よ……!
カイン・クロフォード……古来最強の吸血鬼の一人。
……貴方は私が終わらせる。
それが……彼の弔いでもある」
「弔い? 誰のだい?
まさか、世釋のことを言っているわけではないよね?
君も同じようなことを言うんだね、馬鹿らしい。
本当に君たちそっくりで愚かだね」
世釋は馬鹿にした様に鼻で笑うが、夕凪は厳粛した顔をする。
「そうよ。
貴方は世釋の姿を借りているだけの只のカイン・クロフォードよ。
貴方は認めなかったから合わせてそう呼んであげていたけれど、訂正するわ。
私達を馬鹿にして舐めてかかるなよ、カイン・クロフォード。
貴方は既に消えるべき存在だったのよ。
この世界に居座り続け、神様気取りもいい加減にしなさいよ」
「ははっ、消してあげるよ。確実に君を……夕凪」
カイン・クロフォードは自身の血から二刀剣を作りだし、構える。
夕凪も刀を斜に構えた。
「あ、そうそう。
狗塚郁。
君にいい事教えてあげようか。
もし夕凪に僕が万が一殺されたら、僕が混血の吸血鬼にした北村猿間も。
君が救いたいと願っていた彼も死ぬことになるよ」
「!?」
郁は目を見開くと、言葉を詰まらせた。
「君は夕凪によって混血の吸血鬼になったようだけど、夕凪の半分は違う血が流れていたからね、特殊なことに特に血を失っても生きてはいけるようだ。
混血の吸血鬼と分類するしかないが、人間にまだ近い存在だ」
「……そう、でしょうね」
郁は息を吐き出すかの様に声を発した。
何度か今までも郁は言われてきた。
現にエリーゼ・クロフォードの血を分けられた混血の吸血鬼のラヴィのように自身の血によって何かを作りだすことが出来ない時点でやはり人間に近いのだろう。
「彼はそこにいるラヴィ・アンダーグレイのように主である生命維持個体がないと生きられないんだよ。
その分、君よりも僕らに近い力を発揮できる。
生命維持個体と言うが、簡潔に言えば彼は僕の血液を摂取しないと長く生きることが出来ないんだよ。
他の人間の血液を摂取することも勿論できるけどね、それでも僕の血液が一滴でも身体に入っていなければどんなに取り入れても吐き出されるだけってことだよ。
でもそこで疑問が応じるかな?
何故エリーゼ・クロフォードに混血の吸血鬼されたラヴィ・アンダーグレイはエリーゼ・クロフォードが亡き後も生きることが出来たのか。
結果的にエリーゼ・クロフォードの瞳を僕が回収し、媒体としたから生きていられたというのもあるけれど、もしエリーゼ・クロフォードがあのとき消滅していたとしてもラヴィ・アンダーグレイの生存は補償されていた」
「……雨宮さん」
郁は小さく呟くと、カイン・クロフォードは同意したようににこりとほほ笑んだ。
雨宮はあのときエリーゼ・クロフォードから心臓を与えられた。
郁はエリーゼ・クロフォードによって過去を見たときに薄々と感じていた。
雨宮はラヴィ・アンダーグレイが生きる為の生命維持個体として、エリーゼ・クロフォードに生かされたということだ。
こちらに交友的だが、やはりエリーゼ・クロフォードも根はカイン・クロフォードと同じ純血の吸血鬼なのだ。
「君は彼をまた殺すんだね」
「それはっ……!」
郁は猿間をチラッと見ると、拳を握った。
郁の位置からは猿間の表情がよく見えない。
「っ…!
カイン・クロフォードお前……汚いな」
夕凪は舌打ちすると、カイン・クロフォードに警戒しながら、郁の方を見た。
「万が一だよ。
君の動揺が僕の有利に働くことになるかもしれないだろう?
選択するのは君だよ。狗塚郁。
君のすべき優先的選択をよく考えなよ」
「……」
郁は唇を嚙むと、視線を少し落とした。
「……人生の中で選択は数多くあるだろう。時には間違い、学び、導かれる時もあるでしょう。
最も難しいのはその選択が必ずしも正解に導いてくれるとは判らないことだ」
「え……」
そう猿間の声がし、郁は猿間の方を見る。
「昔、祖父に言われた言葉だけどな。
ふと、今思い出したよ。
俺はお前が選んだ選択はどうだろうが、お前がそう自分で選択して決めたのならそれを信じて進め。
覚悟決めろ、狗塚郁!
俺はお前をずっと信じてるよ。
それはこれからも変わらない……」
「っ……!
猿間さん……俺、貴方の相棒になれて……貴方の側で刑事として一人の人としても学ばせてもらって、ありがとうございました。
俺を……俺自身を信じてくれて……託してくれた。
貴方をずっとこれからも尊敬してます」
郁はカイン・クロフォードに銃口を向けると、引き金を引いた。
◇◇◇◇◇◇◇
遠くの方からこちらに近付いてくる足音が聞こえる。
ジュライの自室の扉が勢いよく開かれると、息子のオクトが青ざめた顔をして入って来た。
「父さん……どういうことか説明してください!
何なんですか? この本は……!!」
オクトはそう言うと、ジュライの前にある木製の机に一冊の分厚い本を叩き置いた。
オクトの後に慌てた様にジュライの三番目の妻の息子のノベルも息を切らして入って来た。
ジュライは聖書を見る為に落としていた視線を息子達の方に向けると、溜息をつき、老眼鏡を外した。
「父さん、この本の中見させていただきました……!
これに書かれているものは私達の神を冒涜する様な行為ですよ?
貴方が私達に示してきた信仰が……これでは……っ裏切られたとしか思えません。
私は貴方を信じることが出来なくなる……!」
オクトは蒼ざめた顔に血管が膨れ上がり、血の気の引いた唇を固く結ぶ。
恐怖と怒りが同時に襲ってきた様な表情で、声も時折震えている。
ジュライはそんなオクトに対して、平然とした態度で言葉を述べた。
「……それはノベルに渡した本です。
何故、オクト貴方が持っているのですか?」
ジュライの返答にオクトは眉を吊り上げた。
「それは今はどうでもいいでしょう……?!」
「オクト。
落ち着きなさいとは今は強くは言いません。
しかし、感情の昂ぶりを抑えなさい。
常に冷静でいられるように精進しなさい」
「昂ぶりを抑えろなんて……!!」
「オクト兄さん……とりあえず落ち着いてください。
子供達が起きてしまいます……お願いします」
ジュライとオクトがいがみ合う姿を間近で見ていたノベルはオクトを宥める。
オクトはぐっと唇を閉じると、肩を落とした。
「……ちょうどよかったかもしれませんね。
ノベルに渡した後、もう一つを誰に託すのは迷っていたのです。
オクトなら信用し、託せそうです」
ジュライは自身の机の引き出しを開けると、翡翠色に光る石がついたペンダントを取り出した。
オクトはジュライに差し出されたペンダントを見ると、口を開いた。
「……父さん、これは」
「その本の中に書いてあるエリーゼ・クロフォードという吸血鬼の一部です。
あれから大分時が経ち、私も今では只の老いぼれです。
もう長くないでしょう……」
ジュライは溜息をつくと、ペンダントを見つめ、目を細めた。
「……私はまだどこかで彼らが生きているのではないか、とずっと希望を捨てきれず、あれからも私の今まで知りえたこと。仮説も書き留めていました。
彼らが私の前にどんな形でもいい、現れてくれたら……いいや、只、姿を見ることが出来ればそれだけで私は良かったのかもしれない。
ですが……それはもう叶わない」
ジュライは激しく咳き込み始め、口を押えていた手には血がついた。
ノベルはジュライに駆け寄ると、背中を擦った。
「ノベルにはこの本を渡すときに言いましたが、この本を狙っていつの日か何者か訪れる。
決して渡してはいけない……オクト、このペンダントもだ」
「父さん、その何者かとは誰なのですか……?」
オクトはジュライ言葉の続きを待つ。
「約束しなさい、息子達よ。
そして次にそれらを託すのは自らの子以外にしなさい。
そして長く長く……彼らからそれを隠しなさい」
ジュライはペンダントをオクトの胸に押し付ける様に渡し、オクトはペンダントを受け取った。
「どうしてですか……父さん、これも貴方に確認したかったのです。
先日ジュンの奥さんが突然死したでしょう?
二週間前はトゥイの息子の一人がそこまで深くない池で溺れ、一ヵ月前はフエの恋人が突然人が変わったようになってしまった。
悪魔憑きだと……そのときは祓いましたが、フエの恋人は
身内の中で立て続いて不幸が起こっている……それは関係しているのですか?」
ジュライは口を噤み、首を振った。
「……それは関係していないとは言い切れない。
しかし、事を起こしているのは別の者の方でしょう。
その者に渡ってもいけないが……一番渡してはいけない者は他にいるのです」
「っ、貴方は私達に罪を隠し、挙句の果てにそれをこの先の我々に十字架を背負えというのですか。
罰することも私共には出来ないと、そう思われているのですか?」
「……オクト、ノベル。貴方達二人だからこそ私は託すのです。
何人もいる息子たちの中で貴方達二人にです。
その意味、解ってくれますか?」
オクトはぐっと拳を強く握ると、ゆっくりと頷いた。
「話を続けます。
貴方達に私の罪を背負わせてしまうこと本当に申し訳なく思います。
この命、燃え尽きるそのときまで……この本とエリーゼ様から託されたそれを隠し、守り続けてください。
決してノアの箱舟には渡さないように」
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