第53話【夕凪】


 夕凪はあの日、藍の協力の下アルカラの潜伏先に向かったが、そこで何か事情を抱え、裏切った七瀬と対峙し、世釋に囚われてしまった。

 世釋により、夕凪は全身の血をゆっくりと抜かれ、どこか懐かしさを感じる金色の髪をした少女に会った後から深い眠りにずっとついている感覚に陥っていた。

 膝を抱えながら倒れ込んでいる身体はピクリとも動かすことが出来ない。

 誰の記憶なのか、はたまた自らが忘却していた記憶なのか、何枚にも巻かれた記憶のフィルムが目の前で映し出される現象スクリーンを只、傍観することしか出来なかった。


 時折、耳元で夕凪自身と同じ声色をした者が呟く。



 『早く、消えてしまえ』 と。



◇◇◇◇◇◇◇◇




「僕は……君の約束を守ってずっと一人であの場所で君を待っていたのに。

最初に裏切ったのは君じゃないか……ラヴィ兄ちゃん」

「ーッ!」


 死体の山に座り、悲しそうに笑う世釋はそう言うと、雨宮の背に隠れながら顔を覗かせていた夕凪と目が合った。

 彼はジッと夕凪を見ると、溜息をついた。


「どんなモノが出てきたかと思ったら、混じり物だったらしい。

まぁ、彼女から産まれたのなら問題はなさそうだろうけれど……まだそのときじゃないか」


 イヴは首を傾げると、隣に立つ世釋の方に視線を向けた。


「世釋様、何かおしゃいました?」

「いや、何でもないよ。

イヴ、あとは君に任せるよ。

僕は先に戻る」


 世釋は立ち上がると、ラヴィ達に背を向ける。

 世釋の目の前に扉が現れると、ゆっくりと開いていく。


「……じゃあ、また会いたいなぁ。

ラヴィ・アンダーグレイ。

それまでだね」

「っ、待て、世釋!!!」


 ラヴィはそう叫ぶと、世釋へ掴むことが出来ない手を伸ばした。

 バチンと鞭を叩く音がし、死体の中に隠れていたデッドや骸達が一斉にラヴィに向かって襲いかかる。


「世釋様は帰られると言っているの。

誰ひとり世釋様のお邪魔はさせませんわ!

貴方達はデッドと元お仲間と戯れて頂戴な。

あぁ……世釋様ぁ~私もご一緒に帰りたいですわ!

世釋様と一秒たりともイヴは離れたくないのです!

言いつけを破ったお仕置きは甘んじて受け入れる覚悟ですわぁ~」

「……イヴは本当に可愛いね。

君は彼らの中でも一番僕に忠実らしい。

それじゃあ、一緒に戻ろうか」


 世釋は笑うと、イヴに手を差し伸べる。

 イヴはその手を嬉しそうに取ると、顔を赤らめた。


「そうですわ、私は世釋様に忠誠を誓っていますもの。

愛していま……」

「はいはーい、気っ持ち悪い声を発して頂いてありがとーございまぁーす!!

さてさて、僕も帰りまっせ」


 イヴの言葉を遮り、長髪の細身の青年が建物の二階から飛び降り、死体の山に着地した。


「~なんで貴方はいつもいつも邪魔してくるのかしら?

シキ・ヴァイスハイト」

「え? 邪魔してくる?

何、妄想の話しとんの?

ホンマ君は頭がお花畑ちゃんやねー」


 シキはケラケラと笑うと、イヴは拳を強く握り、眉間を吊り上げ、シキに向かって舌打ちをした。


「貴方は頭が本当にイかれてるわね……!

あら? それどうしたの?

使えなくなっちゃったわけ?」


 イヴはそう言うと、シキの腕に抱えられている人物を指差した。


「あー…ニアくんが言うには期限切れしたらしいわ。

せやけど、此処に置いていくのは可哀想やろ?

この子一応瞳は綺麗な子やったし」


 シキの腕に抱えられている黒いワンピーススカートを身に着けている女性は意識がないのか、白い細い手が力なく服の袖ぶら下がっている。


「シキ・ヴァイスハイト。

あいつの腕に抱えられてるのは怠惰の悪魔か……?」


 雨宮は女性を見ると、そう呟いた。

 夕凪を雨宮は片手で抱きかかえると、襲いかかってくるデッド達を鎌を振りかざし一掃した。

 そして顔色が悪いラヴィの方を横目に見ると、ラヴィに向かって喝を入れる。


「ラヴィ!

今の優先順位はどっちか考えろ!」

「っ!

ちゃんと頭ではわかってはいるよ!! 」

「はっ!

今はそれだけで十分だよ……!

世釋ーーー!!!!」


 雨宮が世釋に向かって叫ぶと、世釋は雨宮の方に顔を向けた。


「お前らアルカラが、デッドを使って人々を脅かすのなら俺らは容赦はしない。

ノアの箱舟ってだからじゃねぇ、それが俺らが決めた運命さだめだからだ!

だから世釋、お前が罪を重ね犯そうとするのなら、俺とラヴィが全力で潰していってやる」

 

 イヴは眉の辺りに嫌な線を刻むと、雨宮を睨みつけた。


「あの男は何を言ってるのかしら……?

黙らせましょうか、世釋様」

「いいや、いいよ。

そうだね、もう無駄だろうけれど……そういうところは君らしいよ、雨宮」


 世釋はフッと笑うと、扉の奥へと消えていく。

 そのあとにイヴそして、シキ・ヴァイスハイト達が続いていき、扉はバタンと閉じると消えてしまった。


「……私と同じ純血の吸血鬼」


 リビングデッドや骸達を残らず倒すと、ラヴィは夕凪に近付いた。

 そして髪や頬についた血を拭き払うと、夕凪を抱きしめた。


「……おはよう、夕凪。

突然びっくりさせてしまって申し訳なかったね。

怖かっただろうけれど、静かに耐えてくれてありがとう……」


 夕凪は恐怖で震える手を抱きしめているラヴィの背に近付ける。


「……ごめんなさい。

私……自分が吸血鬼で、夕凪って名前しか分からないです。

ごめんなさい」

「……君は僕らにとって大切な女の子だ。

それは間違いなく変わらない事実だよ。

はじめまして、僕はラヴィ・アンダーグレイ。

彼は雨宮だ」

「よろしくな、夕凪」


 夕凪は目を閉じると、ラヴィの胸に顔をうずめた。


 ――今は自分が何者なのかも、彼らのことも知らないけれど。


 心の底から湧いてくる心地良さには懐かしさを感じた。

 だから、夕凪は彼らをノアの箱舟を信用しようと、此処が自分の居場所なのだと思った。



『知らないってことは罪だったじゃないか』



◇◇◇◇◇◇◇◇



 夕凪は建物の屋根に座り、キラキラと光るビルの夜景を眺めながら缶に入っている珈琲を一口飲むと、フゥと息をついた。

 昼間はあまり分からないが夜になると少し冷える季節になっているせいか吐いた息が少し白い。


「どうしたの? 夕凪ちゃん」


 メイド服のエプロン部分を結び直していたリリィがしゃがみながら溜息をつく夕凪の顔を覗き込んだ。


「あぁ、ごめん。

少し考えごとしてたみたい……平気よ」


 リリィは心配そうに眉を寄せると、夕凪の頭を優しく撫でた。


「夕凪ちゃんは頑張り屋さんだからね、デッドの討伐もたて続けにこなしていたし、少し疲れちゃったのかもしれないね」

「それはリリィもでしょう?

ありがとうリリィ、大丈夫よ」


 夕凪はリビングデッドの嫌な気配を感知し、双眼鏡を手に取ると、そちらの方に視線を向けた。


「……リリィ、ターゲット見つけたわ」


 リリィは夕凪から受け取った双眼鏡を覗き込むと、頷いた。


「オッケー!

確認したよ、夕凪ちゃん」

「誰か引きずられてるわね……デッドを討伐後、人命救助か死体保護ね」


 リリィは頬を膨らませ、夕凪の方を見る。


「もー!

生きてる方に希望かけようよ~!

このままビルからビルへ飛び越えていった方が早いかな?

夕凪ちゃん、刀借りてくね」


 リリィは夕凪から刀を受け取ると、デッドに向かっていく。


「私だって生きてる方に希望持っているわよ。一応」


 夕凪がデッドの討伐を行うことは初め、ラヴィ達に反対されていた。

 しかし諦めきれず八百やユヅル、七瀬に鍛錬を必死にお願いし、今ではデッドを倒せる力が身についた。

 ラヴィに刀を貰い受けたときは本当に夕凪は嬉しかったのを今でも覚えていた。

 その後雨宮にラヴィは本当は今でも反対派だと言われた。


「でも、可愛い子には旅をさせろってね……俺も渋々許しただけだからな」


 雨宮は夕凪の頭をポンポンと撫でながらそう言った。

 きっと雨宮がラヴィを最後は説得してくれたのだろうと夕凪はそのとき窺うことができた。


 デッドを討伐後、夕凪はデッドに引きずられていた青年に近付いた。

 青年は血まみれで、骨も至る所折れていることがすぐに見て分かった。

 しかし、息は浅いがまだ生きている。

 夕凪はとりあえず青年が呼吸しやすい体勢になるように、身体を抱き起こした。


「……血流しすぎ。瀕死じゃない」


 以っても数時間。

 もう傷の痛さも感じられていない可能性もある。

 いっそうのこと楽にしてあげた方がいいのかもしれない。と夕凪は考えを巡らせていると、強く腕を掴まれる。


「……頼む。

猿間エンマさんを、助けてくれ……」


 青年はそう言うと、気絶する。


「猿間……?」


 青年のことではないのは確かだが……自分の命が危ういと解っているのに、他人の命を優先するのか、と。

 それに夕凪は驚いていた。

 でも一番驚いたのは自身の行動だった。

 夕凪は自身の手を噛むと、噛んだとことから血がポタリポタリと流れる。

 その流れる血を青年の口元に近付けた。


「ゆ、夕凪ちゃん?! 」


 リリィは動揺するが、夕凪は構わず青年に自身の流れる血を飲ませようとする。

 何故自身の血を与えようと思ったのか夕凪も分からない。

 だけど、どうしてかこのまま青年に死んで欲しいとは思わなかったのだ。


「……生きるか死ぬかは自分で決めろ」


 青年をノアの箱舟に連れていき、夕凪は青年が目覚めるのを待っていた。

 血を与えたとしても適用し、その後無事に目覚めるかは青年の生きたいという強い意志が最後は不可欠になる。

リリィが青年がいつ目を覚ましてもいいように近くに居てくれることになり、その間に夕凪はラヴィにデッド討伐の報告と、青年の素性と身元を調べた。

あらかた青年について調べがついた頃、青年が目を覚ました。


「……助けてって言ったから、瀕死のお前を救ってあげたんだけど?」

「俺は猿間さんを助けてくれって言ったんだ!!」


 狗塚郁。刑事で運悪くデッドに襲われた青年。

 彼が言う猿間という人物は見つけることが出来なかった。

 上層部の人間が言うには彼は狗塚郁の上司だったらしい。

 あのデッドの少女に喰われたのかと夕凪は思ったが、喰っていたのなら狗塚郁を喰おうとあの場所まで引きずって来た意味に疑問が生まれる。

 狗塚郁が引きずられてきた血の跡を辿ってついた場所に血の溜まりはあったが、髪や肉片などは一切落ちていなかった。


「……俺なんて、生きたって死んだって良いんだよ!!」


 狗塚郁の言いたいことは夕凪は解っていた。

 彼の死を止め、生に縛り付け直したのは夕凪本人なのだから、彼が夕凪の血を拒否せず、結果混血の吸血鬼になってしまった。

 人間ではなく、生きる為とはいえ混血の吸血鬼にさせたこと責められても仕方がないのは理解している。


 けれど……


「うざい」


 ――なんで、死んだって良いなんて、自分の命を疎かに犠牲にしようなんて、考えるんだこの男は。


 夕凪はいつの間にか狗塚郁を背負い投げ、壁に叩きつけていた。



『自分の自己満足の為に彼を生かして。

挙句の果て逆ギレして、我儘な餓鬼かよ』



◇◇◇◇◇◇◇◇



「……俺、二人を見逃がしてあげればよかったのかな」


 絞りだす様にそう呟く郁の声に夕凪は唇を噛んだ。

 あのときもし彼ら二人を何らかの手段で逃がしたとしよう。

 しかし、世釋が言うように、デッドは間違いなく西野花菜を喰べる。

 それが彼女が望んだことだったとしていても、結局どちらにしても待っているのは絶望だ。

 ノアの箱舟としてデッドの討伐、人間の身の安全を保障することが優先すべき役目のはずだ。

 今までやってきたことに間違いはないはずなのに……


 ――それなのに、なんでこんなにも胸が締め付けられる程苦しい?


 夕凪はチクリと痛む自身の胸に手を当てた。


 ――血を分け与えた混血の吸血鬼の感情が流れ込んできた?

 種族を創るのは郁が初めてだ。

 創ろうなんて今まで思わなかったからここまで自身に影響があるなんて解らなかった。

 血の絆が強く、どこか深いところで繋がっている唯一の存在。

 肉親とはどこか違う特別な存在。

 しかし、純血の吸血鬼と違い、混血の吸血鬼はいつかは存在が消えてしまうかもしれない。

 混血の吸血鬼になり、見た目は今は若返っているかもしれないが自身とは違い、時を刻める存在。


 だから、もし血を分け与えた混血の吸血鬼を失えば……


 ―――自身も彼らと同じ気持ちが生まれるのだろうか。


「……さあな」


 夕凪はそう答えることしか出来なかった。



『そこから、自分自身の存在に疑問を思い始めてきたんだろう?』







「……きっとはじめから間違えていたんだ。

間違えたまま進んでいったから、こういう結果になったんでしょう?

悲しまなくてもいい人も、大切な人を失う人も、幸せを奪われる人も生まれなかったんじゃないか?

歯車が合わなくなった元凶の私自身がこの世界に生まれてしまったから、こんなにも多くの悲劇が生まれてしまったんじゃないか?」



 ――それならもう終わらせよう、自分諸共こんな世界なんて。




「……悲劇のヒロインぶってんじゃねぇよ!!」



 そう声が響き、暗闇の中に光が入り込んできた。

 そして勢いよく自身の身体を光の方へ引っ張り起こされる。


「……だれ?」

「一人で考え込んで、自分のせいだって嘆いて、すべての不幸が自分が存在しているから起こったとか本当に思ってるのかよ!

誰がそんなこと言った?

誰もそんなこと言ってないだろうが!

何でもかんでも自分自身に括りつけて、勝手に被害妄想してんじゃねぇ!

そんなに不安で暗闇の中でうずくまって自分を責める前に周りに助けてって言えよ!」


 自身を掴んでくれている手を振り払うと、もう一度暗闇が覆いかぶさろうと自身に襲いかかってくる。


「た、助けてなんて……言えな、言える立場じゃない……!

私は……なんだ。

そんなことしてはいけないんだ……終わりの鐘を鳴らし続けなくては、はじめたのなら自分一人ですべて終わらせなくちゃ……いけない。

それがエリーゼ・クロフォードの役目だから……!」

「君はじゃない!

君は仲間想いで、優しくて、周りに頼られてそれに答えようと頑張るような強がりな頑張り屋で……だけど照れ屋で、時々無邪気に可愛らしく笑う様なという女の子だ。

俺が夕凪ちゃんの存在意義になるなんて大層な事言えないけれど……」


 優しく両方の肩を掴まれ、光の方に身体を向ける。

 目の前に居る青年の顔が少しずつ鮮明に映し出されていく。

 青年は眉を下げ、にこりと笑う。


「夕凪ちゃんが悲しみの中にいるときも、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、愛し、敬い、慰め、助け、その命ある限り、真心を尽くすよ。

倒れそうになったら支える。

それで暗闇の中に居ても光明の方に一緒に手を引いて連れていくよ。

だから、一緒に戻ろう夕凪ちゃん」

「かお、る……?」


 夕凪は瞬すると、郁は眉を下げた顔で笑う。


「郁……?」

「うん、狗塚郁だよ。

君の血を分け与えられた唯一の種族です。

って、なんだこの自己紹介みたいな感じは……うーん、」


 郁は照れくさそうに頬を掻いた。


「いいの……か?

私は存在していて……として生きていていいのか……?」

「良いに決まってるし、むしろどうして他の人にそんなこと決められるんだよ。

自分が生きてて良いも悪しも自分で決めていいんだよ」

「この世界がエリーゼ・クロフォードを求めていても?」

「夕凪ちゃんにそれを求めてる全員を片っ端から倒しまくるよ。俺が」


 郁は夕凪に向かってガッツポーズをすると、笑う。


「……ふっ、郁はすぐに倒されちゃいそうだな」

「まぁ、それは否定は出来ないな。

そしたら、リリィやユヅルさん、東雲くん、藍さんも一緒についてきてもらうよ」

「うん。

あと、八百さんと七瀬さんも一緒についてきてくれたら心強いな」

「そうだね、その二人が居たらすごい心強いかも……むしろ俺足手まといになるかもしれないなぁ……ははっ」


 郁は肩を竦めると、困ったように笑った。

 夕凪はぐっと自身の拳を握ると、顔をあげた。


「……郁、ありがとう。

……私を


 夕凪は涙を拭うと、郁に笑顔を見せた。

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