第51話【親切な友人】

 しんしんと空から降る雪の結晶が瞬きする度に長い睫毛に積もっていく。

 頬にも結晶が落ち、肌につたっていき地面に落ちていった。


「……」


 地面に寝転がっている為か背中が少し冷たく感じた。

 一呼吸、白い息を吐くと、血で染まった自身の手を見た。

 自分自身の血ではないことが、少しばかり罪悪感を感じているといえばそうなのかもしれない。

 しかし、その感情は決して生まれることがなかった感情だったのだろう。

 その感情が生まれたのなら、きっと私は完璧なではなかったのだろう。

 その証拠に私は次のエリーゼ・クロフォードになる個体をこの手で殺めた。


 ……何故だろう。

 まだエリーゼ・クロフォードの役割が私にあったということなのか?


 おかしい。

 私は今までこんな事を言う様な考える様なことは無かったはずだったのに。

 はきっとこれには気づいていないだろう。

 彼はもう活動を停止し始めている。

 最低五○年は目覚めることはないだろう。


「あんた、こんなところにいたの? 」


 影が落ちると、頭上から声をかけられる。

 身体より少し大きい蓑笠を着た子供がエリーゼの顔を覗き込んでいた。


「藁靴も履かねえで外出て、雪焼けしても知らねえよ」

「……」

「あんた本当にうんともすんとも言わねえね。

あ、まだ手拭いてねえの?

もうその辺に積もってる雪でもいいから落としなよ。

ずっと埋葬した赤子の血ついたままじゃ、家にあげられねえからね」


 子供はそう言うと、土で汚れた手を積もっている雪に擦り付けた。

 エリーゼも上半身を起こすと、子供の真似をするように地面に積もった雪で手を拭いた。

 白い雪が少し赤く染まったが、手の平は綺麗になった。


「今日は兎が二羽捕れたから、久しぶり沢山肉が食べれる。

兎は臭みの無くて、脂身もねえ赤身のみだからあんたも食べられると思うよ。

俺も兎鍋はご馳走だ。

さっぱりとした味わいが上手いんだ!

あんたにも今回はちゃんと鍋の作るの手伝ってもらうからな」


 子供は嬉しそうに赤くなった頬に鼻水を垂らしながら、顔に皺が出来るくらいの笑顔で笑った。




◇◇◇◇◇◇◇◇



「目を開けてみなよ」


 そうエリーゼに言われ、郁はおずおずと目を開いた。

 飛び込んできた光景は少し古さを感じるが、知っている建物の内部をしていた。


「ここって……」

「ノアの箱舟の内部だよ。

といっても、君が居たノアの箱舟ではないけれどね。

君が居る時には此処はもう壊滅されていると夕凪かラヴィに聞いたんじゃないか?」


 エリーゼにそう言われ、郁は以前ラヴィに聞いたことを思い出した。


「確か、ノアの箱舟の支部が5か所中2か所が壊滅したって。

でも、どうして此処に?

建物だってあるし……過去に来たってことですか?」

「半分正解だが、タイムスリップしたとかじゃないよ。

その証拠に……」


 突然郁の目の前に人物が現れると、郁は驚いた様に動きを止める。


「え? 今、あの人俺の後ろから、通り抜けていきましたよね……?」

「そういう事だよ、ワンコくん。

先程とは違う点は観てるではなく、追体験だけどね。

彼らには私達は見えない。

此処に存在していない。

透明人間みたいなものだろうね。

こちらからも何も触れられないし、行動を起こしても改変することもない」


 エリーゼの方にも何人か通り過ぎていく。

 人が通り過ぎていく度に通っていった体の一部箇所は少し空間が歪んだ様に動くが、すぐに元通りになる。


「此処はラヴィ達があの日から3年後の世界だよ。

ほら、あれがその頃の夕凪だ。

夕凪の隣に居るのは……あのとき町でラヴィを助けてくれた少女二人の片方の方だね」


 そこにはツインテールの少女に手を引かれ、片方の腕の中には犬のぬいぐるみを抱えた幼い夕凪が居た。


「小鳥くんと雨くんは今たーいせつなお話してるから、お部屋でねんねしてまってよぉーね!!

ねんねしたくなかったらぁ、私とあそぼぉね!」

「うん……!

私、お姉ちゃん優しいから一番好き!」

「え、待って……嬉しすぎるし、夕凪ちゃん可愛すぎでは?

それもお姉ちゃんなんて……ふふっ

チガネちゃんに後で自慢しよぉ~!

またデコピンされそうだけどぉー……」

「デコピン?」

「あのね、おでこに指でピンってされるんだよ?

地味に痛くて……なーんて、全然痛くないよぉー?

私、石頭だからねぇ~だいじょーぶい!」


 少女はそう言うと、不安さそうな顔をする夕凪に笑顔でVサインをした。

 夕凪はそれを見ると、安心したように笑顔になった。

 そんな二人を郁は懐かしい様なうっとりとした目で見ていた。


「……知らない子ですけど夕凪ちゃんととても仲良さそうですね。

なんかどことなくリリィに雰囲気が似てる子だな」

「リリィという子は夕凪の友人なのかい?」


 エリーゼがそう言い、郁は頷いた。


「えぇ、羨ましい位とても夕凪ちゃんと仲が良いんですよ。

リリィといるときの夕凪ちゃんはよく笑うんです。

雰囲気を和らげてくれるというか……」

「そう、そういう友人も夕凪に出来たんだね」


 エリーゼは手を繋ぐ二人を見て、少し眉を下げるとほほ笑んだ。


「あの子が言ってる小鳥くんと雨くんって、ラヴィさんと雨宮さんのことですよね、多分。

それにしても、知らない人ばっかりだな……」

「……これからラヴィ達は0の指示でデッドが目撃された場所に向かうようになる。

すぐには此処には駆けつけることの出来ない距離の遠い場所に駆り出されることになる」

「……?」

「結果的にそこで君のよく知っている鬼である七瀬という少女と八百をノアの箱舟に連れてくることになるが、ラヴィ達の不在時を狙ったわけではないが運が悪いことに此処に彼らが来てしまったんだよ」

「彼ら……アルカラですか?」

 

 エリーゼは郁の発言に同意した様に頷くと、言葉を続ける。


「アルカラか。

知っているかい?

ある国の言語ではという意味らしい。

自らこの世界を支配している支配者だと言わんばかりに王座にふんぞり返っているんだろうな。

そうなると私達はその城を壊すことを目論んでいる反乱分子レジスタンスってことになるね」


 エリーゼは口元を手で隠し、目を瞑ると、クスクスと笑う。

 そしてゆっくりと目を開き、郁に視線を向けた。


「あぁ、話が脱線してしまったね。

君は何故、夕凪本人に聞いた話と矛盾しているのかという疑問を持っていたね」

「はい。

それと夕凪ちゃんは貴女とラヴィさん……まだ混血の吸血鬼になっていなかったラヴィさんの間に出来ていたということでしたよね。

……思い返せば夕凪ちゃんは俺と同じ様に血液以外にも人が摂取する食事等を食べていたと思います。

そのときは自然過ぎてあまり気にも留めていなかったんですが……」


 郁はノアの箱舟での夕凪を思い出しながら、話を続ける。

 エリーゼはじっと郁の言葉の続きを待っていた。


「俺の知識ですいませんが、吸血鬼って本来の食事は血液のみなのではないんですか?

それも夕凪ちゃんは純血の吸血鬼であって混血の吸血鬼ではない。

人と吸血鬼の間だとしても純血の吸血鬼が生まれたってことですよね……」

「本体純血の吸血鬼にとって人が食べる固形物体自体は只の不純物であり、摂取されることは決してない。

それを欲する肉体に元々なっていなかったというのが正しいかもしれないね。

だから、夕凪が私の肉体に居たときにこの子は人間のラヴィの方に近いと感じた。

けれどやはり産まれた瞬間には人間にも混血の吸血鬼とも違っていた。

結局私から産まれる個体は因果には逆らえなかったという結論にそのときはなったが、君の話を聞いて少し希望が見えた。

夕凪は血液以外に普通のモノも欲せるのだな。

それなら因果に逆らえる可能性がやはりあるということになる」

「因果……?

すいません、少し内容に理解が追い付かなくて……その、確か肉体を移し替えて長く生きているのが貴女達の様な純血の吸血鬼であって、それが貴女が言う因果のことだとすると仮定して夕凪ちゃんはその因果から抜け出せるってことですかね? 」


 郁は眉間に皺を寄せ、目を固く閉じながら頭を抱え、たどたどしくエリーゼに問いた。

 エリーゼはにこりとほほ笑んだ。


「うんうん、よく思い出しながら考えているね。

君の言うことで合っているよ。

まぁ、夕凪の魂を救ってからが最終的な結果になるだろうけどね。

ほら時間が進んでいく」


 そうエリーゼが言い、郁は目を開けて顔を上げた。


 建物は破壊され、瓦礫の下には人が何人も下敷きになっていた。

 炎が上がっているところもあり、同じ服装を着た人物達が対峙している者もいる。

 対峙している片方の方の動きには見覚えがあった。

 ウォッカに向かっているときに怠惰の悪魔に操られていた東雲真緒の行動に似ている。


「な、なんでよ!!

なんで武器を私に向けるの?

答えて!」


 そう叫んだ女性は後ろから来た青年の持つ長剣によって心臓を貫かれ、倒れた。


「……あ、あぁぁっ……うっ……!」


 先程女性と対峙していた青年は女性の心臓を貫いた青年を斬り落とすと、次に自身の首にその刃を向けた。


「ごめん……ごめん……ごめんなさい……」


 首からは勢いよく血が噴き出した。

 郁は目の前で行われている惨劇に只、見ていることしか出来なかった。


「ここではないみたいだね。

この先の方か?

さぁ、行くよワンコくん」


 エリーゼはそう言い、郁の手を引くが、郁はその場から動かない。


「……先程も言ったけれど、私達は彼らに触れることも出来ない。

そしてこの場で散った命も

「……はい」


 郁は頷くと、エリーゼに手を引かれ、走り出した。



◇◇◇◇◇◇◇◇



「今日も何も食べねえね。

そんなに不味くねえて思うよ。

兎鍋」


 囲炉裏には兎鍋がぐっぐっと音を立て、煮立っている。

 子供はお椀に鍋の中身をよそうと、エリーゼに差し出した。


「……」


 子供は困ったように溜息をつくと、お椀を下げた。

 そして、エリーゼの前にある米と切られた野菜を指さした。


「兎鍋が食べれねえのなら仕方ねえ。

けれど、あんた此処に来てから何も口にしてねえ。

ずっと、死んだ赤子を抱いて隅でうずくまってただけだ。

食欲が湧かねえのは分かるけど、生きてく為には何か食べなくちゃいけねえ。

この米と野菜は冬に入る前に採った物だ。

それであんたの分だ。

このままあんたが食べなれば腐るだけだ。

そしたら米や野菜が可哀想じゃ」

「……」


 エリーゼはおずおずと手に取ると、米を一口運ぶ。


「どうじゃ?」


 エリーゼは口を動かすと、次に野菜を米に乗せて先ほどより多めに口に運んだ。

 そしていつの間にか空になった器を子供の前に差し出した。

 少年は驚いた様な顔をするが、器を受け取り、米をよそった。

 エリーゼは子供から米を受け取ると、口いっぱいに米を含んだ。


「泣く程美味いか? 美味いじゃろう?

いっぱい食え。

あんたと俺しかいないのにいつも多く作っちまうんじゃ」


 子供はエリーゼを見ると、嬉しそうに笑った。


 純血の吸血鬼は本来血しか食さない。

 しかし子供に差し出されたこの小さなお椀に盛られたモノにエリーゼは温かさを感じ、ボタボタと自身の瞳から大粒の涙を流した。


 冬が越えた頃、エリーゼの体力は十分過ぎるほど回復した。

 エリーゼは子供の家にこれ以上留まることでこの先どんな事がこの子供に降りかかるかわからず、名残惜しい気持ちを抑え、旅立つことに決めた。

 旅立つ日、エリーゼは子供に自身の血液で作られた石を渡した。

 エリーゼに赤黒い石を渡された子供は瞬きすると、首を傾げた。


「なんじゃこれ。

あんたは最後までよく分からないことするなぁ」


 子供ははははっと笑うと、エリーゼから石を受け取った。


「ありがとうな。

色は違うがこれ玉鋼じゃろう?

俺、あんたに刀工になるなんて言ってたか?

寝言で言ってたのなら記憶にねぇけど……」


 子供は困った様に頭を掻いた。


「……君には世話になった。

こちらこそありがとう。

あと、知らないふりをしてくれていただろう君。

私が動物の血を喰っていたこと……君の仕留めた兎の処理に使った桶に溜まった血を飲んでいたこと……」


 エリーゼはそう言うと、子供は静かに首を振った。


「あー…いや、別にそこまで知りたい訳でもあんたを追及するほど、気にしてなかったしな。

それに、あんたにとやかく言うほど俺もそこまで上等なモン食べてるわけじゃなかったからな。

虫も食べたし、土も食べたし……まぁ、色々。

だから別にいいよ」


 エリーゼは子供のその返しに、少し驚いた顔をしたが、目を細めると、笑った。


「ふふっ、君が持ってきた外樹皮を煮て食べたときは数日腹を壊して大変そうだったのが昨日のことのようだよ」

「あんたに教えてもらわなくちゃ、ずっと外側の皮ばかり食べてたよ。

内側を煮て潰して食べたときは意外に餅みたくて美味しかったな。

……っというか、あんたの声、初めて聞いた気がするわ。

ずっと無言貫いてて一方的に俺が話してるだけだったから」

「今、喋れる様になったのさ。

私にとって意味など本来なかったモノなのに。

君のおかげかもしれないね、ありがとう」

「……?

あんたはよく分からないこと言うなぁ。

まぁ、いいか。

元気でなぁ……えっと、そういえばあんたの名前知らなかったわ」


 子供はははっと笑った。


「エリーゼ・クロフォード。

でも私は只のだ。

そういう君の名前も私は知らない。

聞いてもいいかい?」

「俺は名前なんてないよ元々。

死んじまった爺さんが言うには神社の狛犬の下に捨てられてたんだと。

本当は短い命だったのかもしれないな、なんて今は思ってるだけだけどな。

そうか、あんたはエリーゼって名前だったのか。

じゃあ、元気でな、エリーゼ」


 子供はそう言うと、エリーゼに手を差しのべた。

 エリーゼはその手を握ると、二人で笑い合う。


「あぁ、さよならだ。

私の最初の親切な友人」





 その何百年後、純血の吸血鬼エリーゼ・クロフォードを捕らえた退魔師の刀は無名の刀工が作製した刀だと、エリーゼは先生に後日聞いた。


「あ、でも作製者の名ではないですが、刀にって刻まれてるんですよ。

カゲロウなのかトンボなのかはわからないのですが……蜻蛉カゲロウというと成虫になると数時間か数日で死んでしまうんです。

昔の方は焚火越しに揺らいで見える陽炎カゲロウという現象とその蜻蛉が飛ぶ様子が陽炎のようにひらめいて見え、また命が短いことで陽炎のような儚さに例えたとか諸説あるんですよ」

「へぇ、これもきっと必然だったのかもしれないな」


 エリーゼは紅茶が入ったカップに口を付けると、微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る