第48話【眩暈と天秤】

 0《ゼロ》、ノアの箱舟の要求は驚くべきことだった。


 ラヴィ達がそれを聞いたとき、なんて身勝手で卑怯だと思った。

 案の定雨宮は0に飛びかかろうとしたが、素顔の見えない大柄の数人に取り押さえられ、雨宮は床にうつ伏せになっていた。


「これは私個人ではなく、ノアの箱舟の創始者として貴方がたへ提案なんですよ」

「提案? 命令の間違いだろ!

あんた達のおかげでリビングデッドの被害が最小になったのには感謝してるよ。

だけど、流石に俺らにをあんた達ノアの箱舟から頼むのは違うだろう?」


 取り押さえられながらも雨宮は食って掛かる様に声を荒げる。

 0は溜息をつくと、後ろに控えていたベネチアンマスクをした人物に何か指示をした。


「では、追加して貴方がたに提案をしましょう。

我々、ノアの箱舟をリビングデッドの脅威から守り、誤って我々が作り出してしまった

 

 ベネチアンマスクの人物は布に包まれたものを抱えて、再び現れた。

 

「!?」


 ラヴィはその抱き抱えられたものを見ると、身を乗り出した。

 しかし拘束がガシャリと大きく音を立てることしか出来なかった。


「コレはエリーゼ・クロフォードの腹の中から取り出した赤子ですよ」

「な、んで……っ!

やめろ! この子に何もするなっ!!」


 ガシャンガシャンとラヴィを拘束する拘束具の金属が重なり、ぶつかる音が響く。

 拘束具に繋がる両手首、親指は血が滲む。

 雨宮も起き上がろうとするが、押さえつけられる力が強い為にどうすることもできない。

 0はベネチアンマスクの人物から赤子を受け取ると、覆われた布を少し捲り、ラヴィ達に顔が見える様に見せた。


 紅い綺麗な瞳、ラヴィの髪の様な黒髪。

 ラヴィ達に向かって笑った顔はエリーゼ・クロフォードを思わせた。


「夕凪……っ」


 夕凪ユウナは笑うと、両手をラヴィに向かって一生懸命伸ばしていた。

 0はオカメの面をつけた者が持ってきた小型のナイフを手に持つと、伸ばしていた夕凪の腕を斬った。

 ラヴィはその光景を見て、血の気が一気に引き、目を見開いた。


「ーッッ!!!」

「てめぇら……っ!!」


 雨宮は怒りが籠った声で唸る。

 夕凪の腕からぽたりぽたりと血が床に落ちていく。

 夕凪は何が起こったのかわからないのか瞬きすると、段々痛みを感じ始めたのか顔を歪めた。


「ふぇぇぇぇぇっ!!」

「この子は……っ、夕凪は関係ないだろ?!

やめろ……っ傷つけないでくれ……」


 ラヴィは眉を下げると、唇を強く噛んだ。


「私は今、貴方の口からYESしか聞きたくありません。

あぁ、でもいいですよ。

次はこの子の目を抉ります」


 0は小型ナイフを夕凪の目の下の皮膚に当てると、冗談を言う様な声色でラヴィに言う。


「大丈夫ですよ、この子は吸血鬼なんですから傷はいつか治ります」

「この子は吸血鬼じゃない……はずなんだ。

傷つけないでくれ……お願いします」


 0は首を傾げると、「おかしいですねぇ」と言った。


「この子はエリーゼ・クロフォードの体内から生まれた子ですよ?

この紅い瞳がその証拠です。

吸血鬼は同族を近くで感じたときや興奮すると瞳が紅くなるんですよ。

貴方を見る前はこの子の瞳は真っ黒でしたよ」

「ッ!」

「我々の要求は先程伝えた通りです。

その代わりにこの子を貴方へ返還しましょう。

また、混血の吸血鬼になったラヴィ・アンダーグレイ殿、そしてこの子への血の提供。

そして最悪の場合カイン・クロフォードが生きていたと想定して身を隠す場所の提供を我々、ノアの箱舟がしましょう。

条件をのんでいただければ幸いなのですが、いかがでしょう」


 顔面を凄まじい怒りでブルブルと震わせていた雨宮が、今にも飛びかかるような口調で啖呵を切ろうとした。


「そんなの……っ!」


「わかりました。協力します」


 雨宮の発言を遮り、ラヴィは0にそう言った。


「……貴方達の身の安全の保障と尻拭い。

引き受けます。

ですから、夕凪を傷つけないでください」


 雨宮はラヴィの震えながらも溢す言葉に耳を傾け、ぐっと眉間に皺を寄せると、唇を噛んだ。

 0は小型ナイフの刃先を夕凪から離すと、鞘を持っていたオカメの面の者に渡した。


「……裏切った場合は貴方ではなく、この子が生贄になることを覚悟してください。

我々、ノアの箱舟には貴方達以外にもを殺せる協力者が居ることを忘れずに」

「……はい」


 0は雨宮を取り押さえている者達に指示すると、雨宮の拘束が緩んだ。


「どうぞ」


 雨宮は0から夕凪を受け取ると、優しく抱きかかえた。

 そしてラヴィの拘束も解かれる。

 ラヴィはふらつきながらも雨宮に近付くと、雨宮の前にへたり込んだ。

 夕凪は嬉しそうに笑うと、ラヴィ達に手を伸ばした。

 夕凪の斬られた手は既に治癒していた。

 ラヴィは雨宮から夕凪を渡されると、顔を夕凪の方に埋めた。


「ここでこの子を抱えて逃走しようなんて浅はかな考えをしない方だと、信じていますねラヴィ・アンダーグレイ殿、雨宮殿」


 0はそう言うと、他の者達同様に部屋を出ていった。

 その場に残されたラヴィと雨宮は口を閉ざし、夕凪は変わらず嬉しそうに笑っていた。


「……雨宮」

「なんだ、ラヴィ」


 雨宮は顔を上げると、ラヴィを見る。

 ラヴィの瞳からは光が失われており、黒く重い濁った色をしていた。

 雨宮はラヴィの表情に息を呑み込む。


「夕凪が大きくなっても、俺が父親だと言わないでくれ」

「え……」

「こんな……最低な男が父親なんて、この子に名乗る資格ない。

頼む、雨宮」

「……わかった」


 雨宮は唇を噛むと、そっぽを向いた。



◇◇◇◇◇◇



 あの日から何十年もの月日が過ぎた。

 ラヴィと雨宮は今まで退魔師として行ってきたリビングデッドの殲滅はノアの箱舟の傘下の下に行い始めた。

 0は約束通り、ラヴィ達が不審な行動をしなければ夕凪に危害を加えることは無かったが、0に対する不信感が拭いきれなかったラヴィは用心の為、もしも自身が居なかった際に夕凪の身に危険が及ぶことを防ぐ方法として、夕凪のになり得る者達を無意識のうちに集めた。

 無意識で行っていたその行動はラヴィは気づかぬままいつの間にか辞めていた為に雨宮は追及することはなかった。

 また、ラヴィは百舌鳥の被り物をしている間、幼い身体のままでいた。

 戦闘時に幼い身体の方が小回りも利くからといった理由もあるが、夕凪の前でもその被り物は


 ラヴィの素顔を知っている者は数少なく、雨宮の他にチガネ、七瀬、八百の三名。

 0と一部の上層部の人間だけだった。

 大半のノアの箱舟の者は被り物をしたラヴィの姿がラヴィ・アンダーグレイだと思っている。


 それから本当に多くの出来事もあった。

 雨宮とラヴィは役割が分れ、それぞれ別の場所で同じ目的の下に動き、ラヴィの周りにはそれぞれを持った子供達が集まった。

 その子供達は今はラヴィにとって夕凪と同様に大切な存在になっていた。

 ラヴィは自室で上層部に渡された資料に目を通していると、扉のノック音がする。

 扉がゆっくりと開き、夕凪が神妙な面持ちで顔を覗かせた。


「ラヴィさん……あの、聞いてもいいですか?」


 ラヴィは資料を処理していた手を止めると、夕凪の方に顔を向けた。


「んー?

どうしたの夕凪。

そんな改まった顔して」


 扉を閉め、夕凪は座っているラヴィの方に近付いてくると、目の前で止まった。

 そして、どう切り出すか少し迷っている素振りを見せたが、意を決したかのように口を開いた。


「私は……純血の吸血鬼エリーゼ・クロフォードなんでしょうか?」

「……なんで、そう思ったの?」


 夕凪は即座に返って来たラヴィの問いに躊躇したような表情をした後、おずおずと言葉を続けた。


「いえ、その……私、記憶が断片的で……だけど、エリーゼ・クロフォードっていう名前を初めて聞いた気がしなくて……」

「違うよ。

君はエリーゼ・クロフォードじゃない」


 ラヴィは両肘を立てて、両手を組み合わせた。

 夕凪はびくりと顔をこわばらせると、ラヴィから視線を逸らし、俯いた。


「……そう、ですよね。

すいません、ラヴィさん変な質問してしまって」

「ううん、大丈夫だよ。

あ、そうそうリリィがさっき夕凪のこと探してたよ」


 夕凪は驚いた様に、顔を上げた。


「あ、そうだ。

一緒に新作パフェ食べる約束してた……!

ありがとうございますラヴィさん、失礼します!」


 夕凪は慌てて部屋を出ていくと、ラヴィは溜息をついた。


「……そう、君はエリーゼ・クロフォードじゃない」

「まだ、夕凪に自分が父親だってこと伝えないのかラヴィ」


 机の下から雨宮が呆れたようにラヴィに言った。

 夕凪には気づかれていなかったが、雨宮はラヴィに資料を届けてから室内に滞在していた。

 夕凪がノックする瞬間、雨宮は夕凪の気配を感じ取り、咄嗟に机の下に隠れていた。


「……雨宮、そろそろ上層部に戻った方がいいよって言いたいところだけどその顔は何か言いたげだね」


 雨宮は机の下から出ると、ぐっと背伸びをした。

 そしてラヴィの方に向きなおり、眉を吊り上げた。


「アルカラのあの少女の話の世釋の計画だけれど、嫌な予感がして仕方ないんだよ。

何で複数の女の血液を集めてたのか、蘇生の為って……ラヴィ、お前もその意味検討が既についてるんだろう?」

「あぁ」

 

 ラヴィは机に広げていた資料を一枚手に取り、目を通しながら雨宮に短く答えた。


「それなら尚更だろ?

なんで夕凪に言ってやらないだ?

……もしかしたら、もう伝えられなくなるかもしれないんだぞ」

「伝えたところであの子の重荷になるだけだよ。

やっぱり雨宮には隠し事できないか……世釋の居場所も分かった。

あのときと俺の意思は変わらないよ、世釋が起こしてしまった罪の責任は俺がすべて背負うつもりだよ」

「……エリーゼはラヴィ、お前に死んでほしくないから生かしたんだろ?

生きろよ。

責任なんてもう一人で全部背負わなくてもいいんだよ……」


 ラヴィは驚いた様に雨宮の方を見つめ、手を口元に近付けると、ふっと笑った。


「前はそんなこと言わなかったのに」

「あの時も死んで欲しいなんて思ってなかったよ……だけど、今のお前の中にはいろんな奴らの……っ、大切な奴らの想いや絆が抱えられてる。

それを、お前に置いていって欲しくないんだよ……俺は!

……っ悪い、感情的になりすぎた」


 雨宮はそう言うと、ふぅーと長く息を吐きながら、自身の前髪をかき上げた。


「……俺からしたら、雨宮も同じだよ。

俺と一緒に心中なんてしないでよ、雨宮こそ生き続けていてよ。

夕凪もお前を兄のように慕ってる……あの子を悲しませたくない」


 ラヴィは椅子から降り、雨宮に背を向けた。



◇◇◇◇◇◇◇◇








next……

  next……

      next……  



「いつまで眠ってるんだい?

狗塚イヌヅカ カオルくん」

「ん……、俺は、ここは?」


 郁は気絶していたのか体を揺さぶられる衝撃で目を覚ました。

 少しずつ鮮明になる視界に、先程の金色の髪をした少女が郁を覗き込んでいた。


「っ、夕凪ちゃんラヴィさん!!

……猿間さんがっ!!」


 郁は飛び起きると、ズキンと頭が痛み、額に手を当てた。

 少女は郁の近くでしゃがむと、クスクスと可愛らしく笑う。


「そんなに勢いよく飛び起きるからだね。

大丈夫かい?」

「そんなことより、ここはどこですか?

戻してください!

みんなのところに……!」


 少女は「おや、枝毛ができてるじゃないか。カイン・クロフォードめ、この身体の手入れのツメが甘いな。」と言いながら、髪の毛先をいじり始めた。

 眉間に皺を寄せ、真剣な眼差しでこちらをみる郁を一瞥すると、短く嘆息した。


「戻ってどうする?

もう崩壊した世界に戻っても何も出来ないと思うよ」

「は……?」


 郁は少女の口から漏れた言葉に愕然とする。

 少女はそんな顔をする郁の唇に自身の人差し指を押し当てた。


「私がここに居るのはもうカイン・クロフォード、そして作り替えられたエリーゼ・クロフォードによって終焉を迎えたから。

もし君があそこに戻っても排除されるだけだよ。

あぁ、ちゃんと紹介してなかったね、

私はエリーゼ・クロフォード。

自身で言うのは気が引けるけれど、古来最強の純血吸血鬼。

そして夕凪の生みの親だ。と、言っても、この姿で言っても説得力に欠けるけれどね」


 エリーゼ・クロフォードと名乗った少女は郁の唇から人差し指を離すと、困ったように笑った。


「……」


 郁は唇を強く噛むと、拳に爪で傷が出来てしまう程、握りしめた。


「流石に同じエリーゼ・クロフォードでも未完全体と完全体では力の差がありすぎたなぁ。

それに、夕凪は正真正銘のエリーゼ・クロフォードから産まれた個体だからな」

「どうして……俺だけ、また……っ!」


 顔を伏せ、表情を蒼ざめて沈んでいく郁に対して、エリーゼは自身の手を郁の頭の上に伸ばした。

 

「そんな悲観的にならないでくれよ。

……」


 エリーゼはそう呟くと、郁の頭の上をポンポンと撫で、微笑んだ。

 

「なんで君をあの世界からはじいたのか気になるかい?

君がイレギュラーな存在っていうのは本当だよ。

ここは名残惜しくてあの時ラヴィから拝借した懐中時計を媒体にして創り出した時空間、平たく言えば世界の狭間みたいな所だよ。

それにしてもまさか親子共々、君に出会うなんて予想してなかったけれどね……

それも娘と良い雰囲気になってるなんて、笑ってしまうね」

「俺、貴女に会うのは初めてですが……?」


 郁は首を傾げると、エリーゼは「そうね、君に会うのは」と言った。


「とりあえず結論から先に言っておくよ。

君らはすぐに結論を急がすからな。

先程言った通り、君が居たあの世界はカイン・クロフォード、ややこしいが夕凪もといエリーゼ・クロフォードによってすべての存在が消滅した。

ラヴィや雨宮。

君のノアの箱舟の仲間達、悪魔も。

そして、君の大切な先輩の北村 猿間も。

でも、その世界線が消滅しただけでまだ状況をひっくり返す可能性は残ってる」

「!」

 

 驚きで、目を見張る郁にエリーゼは人差し指を立て、指揮棒の様に小さく振る仕草をした。


「過去があるから現在があって、未来がある。

なんて言うけれどね、そんな概念は本当はないんだよ。

過去と現在と未来は平行なんだよ。

同時に存在してるんだ。

君には少し難しいかな?」


 郁は困った様に唸ると、首を横に振った。


「いや、ちょっと言ってる意味が分からないです……」

「まぁ、いいよ。

それについては少し触れるくらいな認識でいてくれれば。

起こってしまったあの世界線を違う世界線に強制的に繋ぎ直す。

その為に君の力が必要なんだ。というか、頼みだね。

君に夕凪を……底に閉じ込められた夕凪の魂を救って欲しいんだ」

「夕凪ちゃんの魂……?」


 エリーゼは立ち上がると、ドレスの裾を整えた。

 そして地べたに座っている郁に手を差し出した。


「エリーゼ・クロフォードに追いやられた夕凪の魂の在り処は此処にある。

だから君には今までの事象を丁寧に見せたんだよ。

道案内はこのエリーゼが先導してあげよう」


郁は差し出された手を握ると、エリーゼはにこりと微笑んだ。


「……お願いします。

えっと、エリーゼさん」

「短い様で長い間、よろしくね、ワンコくん」

「ワンコ……ふっ、はい。

夕凪ちゃんを絶対に救ってみせます。

猿間さん、ラヴィさんをリリィやユヅルさん、東雲くんも七瀬さんも、あと八百さんやチガネさん。

そして消滅してしまった全人類の皆を!」


 エリーゼは握り合った手を自身に引き寄せ、郁は立ち上がった。

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