第47話【愚者】
「ジュライ神父」
ジュライは聖書に落としていた視線を上げると、信徒の一人とその後ろに紺色の軍服を羽織った青年が立っていた。
「ジュライ神父、お久しぶりです。
先のリビングデッド討伐時は大変お世話になりました」
使徒が退室するのを確認した後、青年は背筋を伸ばし、崩していた足を揃えた。
そして自身の額に右手の甲を当て、ジュライに敬礼した。
「いえ、私などあまりお役にはたてておりませんでしたよ。
それにもう私は既に手を退いた身でしたので、負傷者の療養場所提供でしかお力になれず」
ジュライは申し訳なさそうに視線を落とすと、膝に置いていた拳を握った。
「本日は私がノアの箱舟の創始者代理人としてジュライ神父へご報告させていただくことがあり、突然の訪問失礼いたしました」
ノアの箱舟の青年は軍帽を取り、ぺこりと頭を下げる。
「カイン・クロフォード、エリーゼ・クロフォード両者吸血鬼の消息は現在も不明のままですが、目立って大きなリビングデッドの被害等は増えてはおりません。
ですので、こちら一帯の警備はここ数日を持ちまして撤退させていただきます。
また、神父が気にされていたエリーゼ・クロフォードと一緒に居たお二人なのですが」
ジュライはピクリと反応すると、青年の言葉の続きを待った。
「雨宮様は遺体が見つかり、死亡が確認されました。
またラヴィ・アンダーグレイ様は意識不明の重体ですが、現代の医療ではこれ以上の回復は見込まれません。
またエリーゼ・クロフォードの腹の中に子が居たということでしたが、確認できませんでした」
「……それは本当ですか?」
ジュライの問いに青年は瞬きを繰り返した。
そして、にこりと目を細め、笑った。
「ええ、間違いありません。
こちらの方で確かにお二人のこと確認させていただきました」
「そう、ですか」
ジュライはそう言うと、青年に背を向け、聖書にもう一度視線を落とした。
◇◇◇◇◇◇◇
泥が全身に重く圧し掛かっているような息苦しさを感じながら、ラヴィはゆっくりと目を開けた。
冷たい地面に膝を付いており、周りは薄暗くよく見えない。
しかし先程居た場所ではないのは確かに理解できた。
「エリーゼ!」
ラヴィは意識がはっきりし、立ち上がろうとするが両腕が何かに拘束されていた。
ガシャリと金属はぶつかる鈍い音がする。
その拘束具はラヴィの背中の方に建っている柱に巻き付かれており、ラヴィは両腕を後ろで拘束されていた。
両足も一括りに布の様なもので拘束されている。
「っ?」
「目が覚めたようだね」
そう声がすると、ペストマスクをした人物がラヴィを頭上から覗き込む様に顔を出した。
「手荒な真似をして申し訳ない。
しかし、ラヴィ・アンダーグレイ殿に危害を加えるつもりはないんだ。
貴方を拘束しているのはこちらの安全の為なのだから」
ペストマスクの他に次々と同じ様な面を被った人物達が視界に現れていく。
「ほう、目覚めた」
「ああ、怖い怖い」
「見た目は人間と同じではないですか。
しかし、牙はやはり……」
「本当にエリーゼ・クロフォードの様に吸血鬼になっているの? 」
四方八方から話し声が飛び交う。
ラヴィは気持ち悪くべたりとした視線と、恐怖や期待、好奇心が混じった様な声色にヒュッと息を吸うと、全身から冷や汗が噴き出てきた。
「やめろって!
っというか、ラヴィから離れてもらえませんか?
あと、少しは静かにしてもらえないんですか?
俺のときもだけど」
視界からスススッと面達が消えると、雨宮の姿が現れた。
「あ、雨宮?」
雨宮は「よいしょっと」と言うと、ラヴィの前に座りこんだ。
そしてラヴィの首に腕をまわし、強く抱きしめた。
「本当によかった……っ、お前が死んじまうんじゃないかって思って……無事でよかったわ!」
ラヴィは雨宮の姿にホッとしたのか、全身に張り詰めていた力が少しだけ抜けた。
ラヴィから離れた雨宮の顔を見ると、鼻から大量の鼻水が垂れていた。
「ちょっ、雨宮!
鼻水!
鼻水を垂れてるから……!
服に付く……うわっ、鼻水ってそんなに伸びるのね……」
「うるせっ……! それくらい許せよ!!」
もう一度雨宮はラヴィを抱擁すると、ラヴィは雨宮の体温に目頭が熱くなった。
「さて、では再会はそのくらいにして頂き、会議を始めさせていただいて良いでしょうか?
ラヴィ・アンダーグレイ殿、雨宮殿」
ペストマスクの人物はそう言うのと同時に、暗闇の中から蝋燭の灯が無数に現れると、周りが急に明るくなった。
そしてラヴィは今の現状が理解することが出来た。
やはり両手は金属の拘束具で拘束されており、拘束されている両手の親指もリング状の拘束具を付けられているようだった。
先程の暗闇では気づけなかったが、雨宮は両手のすべての指が斬り落とされていた。
ラヴィは驚いたように雨宮を見る。
「あぁ、大丈夫。
今はもう痛くないからよ、心配すんな」
雨宮は指のない右手を振ると、苦笑いをした。
ラヴィは視線をペストマスクの人物の方に戻すと、蝋燭を持つ人物達もそれぞれ素顔が見えない様に面や、被り物をしていた。
「なっ……?!」
「驚くのも無理ありません。
私共は貴方がたを知っていますが、会うのははじめましてですね。
私はノアの箱舟の創始者の……そうですね、0《ゼロ》と名乗っておきましょうか」
ペストマスクの人物はそう名乗ると、左手を前にして腹部に当て、右手は後ろに回し、ラヴィ達に向かって礼をした。
「私共ノアの箱舟のある人物達が貴方に随分と失礼なことをしてしまったことを今更ながら謝罪させていただくよ。
申し訳なかったね。
しかし、エリーゼ・クロフォードと深い仲になっていたのはこちらはとても驚きました」
0がそう言うと、周りの仮面の人物達も口を開き出す。
「噂は本当だったのね」
「人間と化物の禁断の恋愛か。物好きな化物の気まぐれか? 」
「ですが、これほどの整った容姿なら惹かれた化物の気持ちは解らなくはないですわ」
「怖いでしょうに、元々は
今も見て、人を殺しそうな目をしてる」
クスクスっと女性達が笑う声と、喋り声、困惑する者の息遣いも聞こえる。
「静粛に」
0はその者達に向かって手を二回程叩くと、ぴたりと会話が途絶えた。
「……0、とりあえず俺の拘束を解いてもらっていいですか?
腕がどうも痛くてですね」
ラヴィはにこりと口角をあげると、拘束されている手をガチャリと動かした。
「それは了承ができません。
こちらの安全の保証の為なのでお許しください」
「……雨宮の指を斬るようにどなたかに指示されたのは貴方ですか?」
ラヴィはあげていた口角を下げると、睨みつけるように0の方を見た。
「本人はもう痛くないと言っていますので、いいでしょう」
「そういう問題ではないと思いますが?」
0は肩を竦めると、人差し指を口元がある場所に当てた。
「そうですね、質問に答えます。
貴方の言った通り指を斬り落としたのは私の指示です。
しかし、意味があるからそう指示したのです」
「意味があるから斬ったなんて、横暴すぎませんか?
それも両手の指すべてなんて。
……鬼畜か?」
「無防備な研究員の指を突然折る様な貴方に言われると少し違和感を感じますが……よく見られるといいですよ。
彼の指がどうなっているのか」
ラヴィはそう言われ、雨宮の手を見た。
斬られた断面から小さいながらも指の様なものが成形されていた。
「斬ったとしても、時間が経てば元通りになるということでしょう。
ご理解していただきましたか?
ラヴィ・アンダーグレイ殿」
ラヴィは眉間に皺を寄せると、戸惑ったような顔をした。
「私の見解だと、雨宮殿にあるエリーゼ・クロフォードの心臓の影響が大きいと思うのです。
貴方が眠っている間に雨宮殿に協力もとい調査という名目で足の健や、首、腹、また心臓以外の臓器等を同様に斬りつけまして、今はもう何事もなかったかのように元通りになっています。
雨宮殿には改めて協力感謝です」
「……もう流石にごめんだね。
麻酔してても切られたら痛いんですよ。
その代わり俺の約束は必ず守ってくださいよ」
「はい、承知しています。
なので、拘束のみだけでしょう?」
「……っ、雨宮」
ラヴィは全身血の気が引くと、雨宮の方をおずおずと見た。
「そして、ラヴィ・アンダーグレイ殿はもっと素晴らしいことになっていますよ。
貴方は人智を超えた存在になっているんです」
「……吸血鬼」
0は大きく頷くと、両手を左右に大きく広げた。
「はい、そうです。
貴方は純血の吸血鬼エリーゼ・クロフォードの血を分けた正式な種族、混血の吸血鬼になったのです。
今の貴方がノアの箱舟の目的に最も近い存在なのですよ、ラヴィ・アンダーグレイ殿」
◇◇◇◇◇◇◇
パチパチと火花が弾ける音が聞こえ、燃え尽きた木材は黒く炭の塊になっていた。
「不純物を食べ続け、自らの純潔を失おうなど……エリーゼ、どうしてしまったんだ」
「……正直に言うと、君らと一緒に過ごした時間が一番生きているって実感できたよ」
エリーゼはカイン・クロフォードに聞こえない程小さな声でそう呟くと、自身の唇についた髪をふっと息を吹いて、払った。
「弱体化したその身で、僕に立ち向かおうなんて……本来の君はそんな行動をするような、そうだ、まるで
「……ふっ、そうだったかもしれない。
だけれど今の君相手には、十分すぎるハンデだと思うがね」
カイン・クロフォードは崩れる自身の手を眺めていた。
そして、杭が腹に刺さり、ふらつきながらも立っているエリーゼを見上げた。
「君に教えてあげよう。
カイン・クロフォード、君が本当に愛していたのは私ではないわ。
古来最強の純血の吸血鬼エリーゼ・クロフォードという存在よ。
その呪いから君も救われたらよかったのに」
「……?
僕は君を心底愛しているよ、エリーゼ・クロフォード!
どうして解ってくれない?
僕に前の様にほほ笑んでくれ……さぁ!」
「本当に、君は愚かだ。
愚かなのは私も変わらないかもしれないな……。
君が消滅するのをこのまま眺めていたいけれど、それは叶わないみたいだ。
……私は今の私のまま、消滅したいから」
エリーゼの肉と皮を破いて出てきた血の獣は一筋の涙を流した。
◇◇◇◇◇◇◇
ノアの箱舟での療養を終えたラヴィは燃え尽きた屋敷の跡地に雨宮と訪れていた。
ラヴィ達の他にツインテールの少女と歯車の様な髪飾りをした少女がゆっくりと跡地に足を踏み入れる。
「屋敷の使用人の方達は故郷に帰られる日の最後までお二人に本当に感謝されていましたよ。
命の恩人でしょうから、特に女性使用人の雨宮さん人気が素晴らしかったですよ」
チガネはそう言うと、雨宮は照れた様に頬を指の爪で掻いた。
「小鳥くんの助けた男の子もりょーしんとあれから再会できて、かんしゃーぁ!!っていってたよぉ」
ツインテールの少女は両手でVサインすると、指をワキワキと動かした。
「その小鳥くんって、僕のこと?」
「はぁい!
小鳥の被り物してるから小鳥くん。
その被り物可愛いねぇ、0さんに貰ったのぉ?
それともぉ、小鳥くんの能力で作ったの?
とりま、小鳥くんってすっごーい命名センスよきではない?
ねぇーチガネちゃぁん……っ、いたぁーい!! チガネちゃんに叩かれたぁ~ぴえん」
「すいません、ラヴィさん。
この子五月蠅いですよね、黙らせますね」
チガネはツインテールの少女の額を思いっきりデコピンした。
少女は痛そうに額を抑えると、口を尖らした。
「ですが、本当にその被り物のモズ……まるで貴方の様ですね。
まぁ、表情が読み取れにくいのが難点ですが」
チガネはにこり微笑むと、ツインテールの少女の手を引き、ラヴィ達の先へ歩いて行ってしまった。
「まさか見た目や背丈も変化できるなんてびっくりだわ」
雨宮はそう言うと、ラヴィを横目で見た。
ラヴィの背は雨宮の腰の位置まで縮んでおり、少しゆとりのある白いワイシャツから生足が出ていた。
「……パンツ履いてる?」
「履いてる。
今、頼んで合うサイズの服を新調してもらってるよ。
……そうだね、俺も驚いてる。
こうやれば、矢も弓も自由に作りだせる」
ラヴィは手の平で血の塊を作ると矢と弓を成形した。
「すごいな。
……あのさ、何かエリーゼの手がかりがきっと見つかるはずだ。
俺の中のエリーゼの心臓がそう伝えてる気がするから、さ」
雨宮はぽつりと呟き、ラヴィは口を瞑んだ。
「世釋も……絶対見つけよう。
俺らで……夕凪も。
ラヴィ、お前だけで十字架を背負うな。俺も隣に居る」
ラヴィは雨宮を見上げて、笑った。
「わかってるよ、ありがとう雨宮。
俺の理解者は雨宮だけだよ。
これからもずっと。
だけど僕が何とかしないといけないから……」
雨宮は被り物の奥にあるラヴィの表情を理解すると、眉を下げた。
そして、拳をコツンと被り物に当てた。
「その被り物してても、俺はお前が今どんな顔してるか分かるわ。
愛かねぇ」
「小っ恥ずかしいこと言わないでよ、雨宮」
ラヴィはそう言うと、雨宮の背中を強めに叩いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
――――某 教会
「アダムは自らの肋骨から創造されたハヴァをどう思っていたのでしょうか?
否、愛していたとは言い切れませんでしょう?
どう思われますか、ジュライ神父」
使徒はジュライにそう問いかけると、ジュライは目を細めた。
「楽園から追放されたハヴァとアダムにとっては互いのみでしたので、
そこに愛があるのかは分りません。
正確な正しい答えは私共では到底創造などできないと言った方が良いでしょう」
「では、善悪の知識の木のヘビとハヴァは愛し合っていたというのは考えられませんか?」
ジュライは聖書を閉じると、使徒の方を見る。
使徒は話を続ける。
「善悪の知識の木のヘビが初めに果実を渡したのはハヴァです。
ハヴァがアダムに果実を渡さなければアダムは果実を口にすることはなかった。
善悪の知識の木のヘビがハヴァだけに禁断の実を食べさせ、エデンの園から追放させたかった」
「……」
ジュライは静かに口を紡ぐと、使徒の話に耳を傾けていた。
「私は神よりもアダムがハヴァを許さないと思うのです。
アダムはその自身から芽生えるはずのない何かを理解するのに果実を口にして、ハヴァを追ってエデンの園から出ていった」
「……では、貴方がもしアダムの立場なら善悪の知識の木のヘビとハヴァを見つけたらどうするつもりなのかな?」
ジュライの問いに使徒は肩を震わせ、笑った。
「ジュライ神父は面白いことを聞きますね。
そうですね、私がアダムならハヴァを自らの肋骨に戻して、神にもう一度ハヴァを創造してもらいたいです」
「……ハヴァを連れ出した善悪の知識の木のヘビは?」
「善悪の知識の木のヘビは…」
扉が開く大きな音がすると、使徒の女性がジュライの部屋に入って来た。
「ジュライ司祭。
夕方のミサのお時間が近づいていましたのに、お姿が見えなかったもので……どうされましたか?」
部屋の窓は全開になっており、窓に掛かる布が風に揺れていた。
「いや、申し訳ない。
今から向かうよ」
「司祭、額に汗が……」
「いいや、気にしないでいい。
少し日差しが当たって室内が暑かっただけだ」
ジュライは首に下げた翡翠色のペンダントを強く握ると、部屋を出た。
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