第41話【神様まがい】

 血の染み込んだ包帯を解くと、ラヴィは新しい包帯が入っている引き出しに手をかけた。


「色々と手間をかけてしまい、申し訳ない」


 ベッドに腰かけている先生はラヴィにそう言うと、申し訳なさそうな顔をした。

 ラヴィは新しい包帯を先生の足の傷口に巻きつけながら、ぽつりと呟いた。


「……いえ、これくらいやらせてください。

他に具合が良くないところありませんか?

先生」

「心配には及びませんよ。

ですが、すぐ義足に慣れようとするのはやはり早すぎましたね。

傷口が開いてしまうとは……情けない」


 困ったように笑う先生にラヴィは溜息をついた。


「そう思うなら気をつけてくださいよ。

先生はゆっくり治療にだけ専念してください」


 包帯を巻き終わると同時に部屋の扉が勢いよく開き、雨宮が入って来た。


「先生!!

今日、肉と魚どっちが食べたいっすか?!」

「雨宮、もう少し静かに扉開けられない?

一応先生は安静にしてなくちゃいけない時で……」

「私はお肉がいいかな」

「肉ですね!

ラヴィは?」

「……別にどっちでもいいよ。食べられれば」


 雨宮はそれだけ聞くと、来た時同様に勢いよく飛び出していってしまった。

 ラヴィは開けっ放しにされた扉を閉める為、立ち上がった。

 すると、クスクスっと先生が笑った。


「雨宮の方が年上なのに、ラヴィの方が大人っぽくてとても可笑しくて……ふふっ、ごめん」

「俺も本当にそう思います。

確か此処に来て間もない時に、雨宮に扉はゆっくり開け閉めする様に、あと廊下も走るなってうるさい位言われたんですけど……本人は? って感じです」

「ふふっ、ラヴィが来てくれて雨宮も弟が出来たと喜んで張りきってましたからね。大目に見てあげてください」


 ラヴィは扉を閉めると、座っていた椅子に座り直した。


「でも、私が言うのはおかしいですが安心しました。

雨宮が元気を取り戻してくれて・……元の様にではなさそうですが」

「……エリーゼ・クロフォードを使ってノアの箱舟が行いをしていることを、先生は隠していたわけではなく、話す機会を窺っていたって解釈のままでいいですよね?

エリーゼにはそう言われましたが、それを疑っているわけでは決してありません。

それと、これは俺の想像に過ぎませんが、ノアの箱舟の施設で研究員達が大勢いた場所で作業机の下に落ちていた紙を一瞬横目に見たんです。

その紙と一緒に知っている子供の写真が貼ってありました。

写真に赤くバツ印があったので、今考えればを意味していたのだと思いますが。

それについても先生の口からもう一度聞かせてくれませんか?」


 ラヴィは真っすぐ先生の目を見つめる。

 一息つくと、先生は口を開き始めた。


「……どこから話せば良いかは分かりません。

聞く必要ないと思った箇所は聞き流していただいていいです」


 ラヴィは小さく頷いた。


「私は先祖代々退魔師を家業にしていました。

昔から感謝されることも避難されることも多くありましたが、これが私の定めだと思い生きていました。

まぁ、海を渡ってまで退魔師をする物好きは私しかいませんでしたが……

実家を継がず逃げ出して来たジュライや孤児だった雨宮と出会い、そして他の退魔師の仲間も増えていき、規模や地位を広めていた時にノアの箱舟から長期の依頼を受けることになりました。

ノアの箱舟が行っていることはすべて容認しているわけではありません。

ですが、それを止める権利は私は持ち合わせていません。

私はノアの箱舟に純血の吸血鬼エリーゼ・クロフォード、カイン・クロフォードを捕らえてくれと依頼された只の退魔師の一人に過ぎません。

ですが、抗えず従っているだけで、彼らの行為に関わっているのは否定せざる負えませんから責任逃れはしませんよ。

貴方が考えているようにアイシアという女性も貴方がノアの箱舟の研究所で見た写真の子供に関しても私が彼らに依頼されたもう一つの仕事でした」

「……」


 ラヴィは何も言わず、じっと先生の方を見つめる。


「私は君の様な身寄りがない子供を保護するという彼らの言葉を鵜呑みにし、子供達を受け渡していました。

言い訳がましいですが、私はそれを良い行いだと思って行っていました。

薄暗い世界から救うことで子供達に約束された明るい希望を与えられたと思っていました。

……彼らの身勝手な行為によって犠牲になった動物。

そして救っていたと勘違いしていた子供を巻き込んでいたことを知るのは遅すぎました。

知ったのはラヴィ、貴方を引き取った後です。

この屋敷の主人に突然エリーゼ・クロフォードの他に貴方を借りたいと言われました。

不審に思い、エリーゼ・クロフォードをあの施設に届けた際に扉の奥を研究員達の制止を振り切り、蹴破りました。

それからどうやって彼らの計画を悟られず、止められるか考えました。

エリーゼ・クロフォードに助言を提示してもらってね」

「もう一人の純血の吸血鬼カイン・クロフォードの再起不能。

生きた被験体でなければノアの箱舟は事を為せないってことですか? 」

「重要な部位である心臓と血さえ失えば、只の意味をなさない肉体だと確信に近い証言者エリーゼ・クロフォードを信じた結果ですが……

結果ノアの箱舟に彼の肉体は回収されましたが、やはり頭を抱えてるようだ。

ノアの箱舟に秘密裏で子供の方もジュライの方で保護することになりました。

ですので、また新しい犠牲を生むことは起きないと思います。

ジュライも親族と和解して家業を継ぐことを決められたようでして、ジュライの親族の一人に孤児院を経営している者がいるとのことが、幸いでしたよ。

しかしノアの箱舟がそこで諦めるとは思っていません。

後々何かまた大きなことが起こらないとは保証し兼ねます。

彼女に聞いたとは思いますが、エリーゼ・クロフォードは残り少ない生命しかありません。

彼女は自らの消滅を望んでいます。

望む様に彼女が消滅すればノアの箱舟の計画は完全な白紙に戻ります」

「……エリーゼ・クロフォードが消滅すれば、ノアの箱舟に渡ったもう一人もいつかは消滅するということですか? 」

「そういうことでしょうね。

彼女はカイン・クロフォードをノアの箱舟に回収されたことについては支障はないと言っていましたからね」


 ラヴィは口ごもると、膝に乗る自身の拳を握った。


「彼女ら純血の吸血鬼にどんな力があるかは私もきっとノアの箱舟の彼らも分かりえません。

何千年も前からこの世界に君臨していたのですから、全てが不明で未知で、想像等できません。

それ故にだとしても求めたいのでしょう。

彼らは純粋にそう思っている。

……貴方がエリーゼ・クロフォードを永遠に終わらせますと言ったとき私は少し安堵しました」

「え……」


 ラヴィはキョトンとした顔をする。


「もしかして無意識に言ってましたか?

……消滅するとしても確実に確証できないから永遠に終わるのを見届けるのかと思っていました。

そうですか……私の思い込みの勘違いでしたかね」

「いえ、先生の言った通りです。

流石に寿命が尽きたら、無理かもしれませんが。

あと自分勝手なハッピーエンドって言葉が少し引っかかってるだけで……」


 ラヴィは最後の言葉だけ小さく呟いた。

 先生は何も言わず、納得したように頷いた。

 外の風が強いのか窓ガラスがカタカタと音をたてた。


「先生。

最後に聞いてもいいですか?

先生はノアの箱舟に何を天秤にかけられて従わらざる負えなかったんですか……?」

「……私にとって、自分の命よりも大切なものですよ」


 そう言うと、微笑んだ。


「自分の命より大切なもの……?」

「ラヴィ。

貴方にもいつか、」

「飯!

出来ましたよー!!

温かいうちに食べましょう!」


 先生の言葉を遮るようなタイミングで雨宮が部屋のドアを開けた。

 先生は言いかけた言葉を呑み込むと、もう一度ラヴィに向かって微笑んだ。

 それから先生が故郷に帰る日まで言葉の続きを聞くことはなかった。



◇◇◇◇◇◇



 タアァァァン


 放たれた矢が木に吊るされた的に刺さる音が響いた。

 ラヴィは弦を大きく引くと、的に照準を定めた。

 矢は的に先に刺さっていた矢を砕く様に射てられると、中心から二つに割れた。


「うわぁ、相変わらず正確な射程範囲だな。

ラヴィ」


 雨宮は感心したように腕組みすると、頷く。


「いや、まだ三回に一回成功するかだから難しいよ。先生には及ばない。

……やってみる? 雨宮」

「一発で的に刺さったら、今日の草取りは交代な」

「無理。

じゃあ、草取る範囲だったら交代する」

「おっし!

決まりなー」


 雨宮はラヴィから弓矢を受け取る。

 ラヴィは雨宮の一歩後ろに立つと、説明し始めた。


「えと、片手で弓を持ち腕を伸ばして……利き手と反対の手ね。

矢の切り込みの部分……そうそう、そこに弦の中央あたりを入れて、利き手の指を何本でもいいよ。

そう、それで指を弦にかけて……次に利き手を自分の顔に近づけるような方向に引いて、弓が元の形状へ戻ろうとするから相当の力をこめないと。

……うん、そうそう、雨宮安定してるよ。

そしたら目標物に狙いを定めておいてから、弦がかかっている利き手の指の力をスッと抜くと……」


 矢は勢いよく放たれるが、的をかすめて木に刺さった。


「それで弓が元の形状に戻ろうとする力によって弦が矢を押し出す方向に猛烈な速さで動くと結果として矢が勢いよく目標物へ向かって飛んでゆくよ……っと説明したかったけど、的を外したから交代はなしってことで」

「ズルくねっ?

わざとゆっくり言ってたろ……まぁ、いいけど。

それにしても腕が痺れるわー、力入れ過ぎたかもしれないなぁ……草抜けるかなー……手痺れて力はいらないかもしれねぇな」


 雨宮は眉を下げると、ぐすんとすすり泣くフリをした。

 ラヴィは雨宮の様子を見ると、呆れた様に肩を竦めた。


「大丈夫大丈夫。

大鎌振るってる雨宮が何を言ってるんだか」

「交わし方が上手くなったよなーラヴィ」


 雨宮は、にかっと笑った。


「何年も一緒に居れば、雨宮のことぐらいあしらえるよ」


 ラヴィは矢を抜くと、矢筒に入れた。

 雨宮は背伸びすると、挙げた両手をそのまま頭上で組んだ。


「先生が行ってからもう五年か。

ノアの箱舟の目立った動きもないし、平和なもんだよなー。

そういえばジュライの奴、子供生まれたらしいよ」

「へぇ、そっか。

ちょっと心配してたんだ……ジュライさん頻繁に来てたから、夫婦生活上手くいってないのかなって……」

「上手くはいってないと思うよ。

ラヴィに言ってなかったけどジュライの奥さん五人いるから。

今回子供生まれたのは三人目の奥さんのミシェルさんかな? 」

「え、なんでそんな奥さんいるの……?」


 雨宮は上半身を横に傾けながら、うーんと唸る。


「男が多く生まれた方がいい家系らしくて……なんかジュライの奴難しいこと言ってたけど、忘れた。

だから、奥さんの間では誰が世継ぎでーなんとかでーどうでーみたいな。

板挟みになってるらしい」

「大変そうだなぁ……」

「でも羨ましい。

五人も女居るんだぜ?

毎夜楽園じゃん……!」


 雨宮はそう言うと、目を細め、笑った。

 嫌な予感がして、ラヴィは雨宮の方に顔を向けた。


「……なにが?」

「なにって、例えば……ほら、筒に矢を出したり入れたりみたいにさ……」


 雨宮はラヴィの腰につけた矢筒を指さすと、ニヤニヤ笑う。

 ラヴィは怪訝そうな顔をすると、溜息をついた。


「わざわざ言わない様に遠回しに話を終わらせようとしたのに。

あと例えが阿保らしい。

もうさっさと草取りするよ」

「ラヴィ。

耳まで真っ赤ー! ウブだなぁ☆」

「馬鹿なの?」


 ラヴィは耳を手で覆うと、雨宮を睨んだ。

 雨宮はそんなラヴィを見て、またにやけた。


 雨宮の言った通りあれからノアの箱舟の目立った活動はなくなり、数回程この屋敷にノアの箱舟の人物が数人訪れたことがあったが、ラヴィと雨宮が徹底して追い返し続けた為に姿を現さなくなった。

 屋敷の使用人はノアの箱舟の事情を知らぬ者が大半で、わざわざ伝えることもないだろうと雨宮との話し合いで決まった。

 使用人達は屋敷の主人については帰らないことが主だった為、いないことに疑問を思う者もいなく、亡くなったことはもちろん知らない。

 使用人の収入源に関してはノアの箱舟が出しているのかもしれないが、話題に上ることもないため分かっていない。

 アイシアについては故郷に戻ったという話になっていたらしい。

 もしまた同じことが起こらないとは限らず、ラヴィは先生に頼み込み、退魔師として鍛えてもらった。


「そういえば、エリーゼが眠って三か月と……いや、もう四か月目か」


 雨宮は抜いた草を集めながら、少し離れたところにいるラヴィにそう聞いた。


 エリーゼ・クロフォードは眠る時間が日に日に長くなっている。 

 エリーゼ本人が云うには、のだと言っていた。


「今朝も様子を見に行ったけど、起きる様子もなかったよ。

一応夕方にまた見に行ってはみるよ」

「ラヴィも徹底してるよな。

まぁ……まさか目覚めたときに血を吸われるとは誰も予想してなかったけどな……」


 エリーゼは目覚めた瞬間に血を求めるようになった。

 人間に近付いて来たが、本能では血を求めざる負えないのだろう。

 幸い使用人が部屋に入ってくることがない様にしていた為にエリーゼが吸血鬼だということは隠されたままでいる。


「先生に聞いておいてよかったよ。

あの時のエリーゼは自我もないからね。

何度か謝られたけれど……」

「この前なんて噛まれた傷が深すぎて血が止まらないし、部屋に入った時青い顔したお前を見たとき肝が冷えたよ」

「あの時は二か月も眠っていたからね……俺も油断してた。

あとこうやって離れているときに起きてしまっても困らない様に輸血パックも置く様にしたし、よかったよ」

「早く気づけばよかったなぁ。

でも、輸血パックのときはシーツも床も血だまりだから……掃除の言い訳が難しいけど」


 雨宮はそう言うと、やれやれと首を傾げた。

 ラヴィは草を取る手を止めると、ぽつりと呟いた。


「もしかしたらこのまま目覚めないまま、消滅してしまうかもしれないな……」

「ラヴィ?

なんか言った?」

「いや。

……さて、大半の範囲の草は抜けたかな。

ずっと、しゃがんでると腰にくる……雨宮」


 ラヴィは腰を上げ、背伸びをする。

 そして、屋敷の門の方に視線を向けた。

 雨宮も気づいたようで、立ち上がり、腕を組みながら近づいてくる人物を睨んだ。


「お久しぶりです。

雨宮様、ラヴィ・アンダーグレイ様」


 ノアの箱舟の男はそう言うと、にこりとほほ笑んだ。


「今回はどういったご用件で来られたのでしょうか?」


 ラヴィがそう言うと、男は困った様な顔をして肩を竦めた。


「すぐに私共は帰りますよ。

本日は貴方がたにお願いしたいことがありまして……」


 男は後から着いて来たもう一人の女性に視線を向けた。

 女性の隣には子供が居た。

 女性と手を繋ぎ、小さな足取りでラヴィ達の前に歩み寄って来た。


「実は、この子供のことを預かって頂きたいのです」


 日焼けなどしていない様な白い肌に、茶色が混じった赤髪。

 そして、翡翠色の瞳。

 ラヴィはその子供を見て、ゾッとした。


 歳は違う。

 性別も違う。 

 だけど、と似ていた。


「お兄さん達に自分で名前言えるわね?」


 女性にそう言われると、男の子は少し恥ずかしいのか俯き、その場で足踏みする。

 しばらくすると意を決したように顔を上げ、口を開いた。


「は、はじめまして!

僕、世釋と言います!

お兄さん達これからよろしくお願いしましゅっ……! 嚙んじゃったぁ」


 世釋は照れくさそうに笑った。


「先に伝えますが、お察しの通り彼は我々の研究の成功した被験体です。

と、言っても三年程こちらで教養等は既に済んでいますので、大抵のことは自らできます。

また、経過観察のデータによっても問題は起こっていません。

高い確率でリビングデッドになることはありません。

エリーゼ・クロフォードに最も近い被験で……っ!?」


 ラヴィより先に、雨宮が男の胸倉を掴んだ。

 男は驚いた様にたじろぐ。


「……お前ら、本当に懲りないな。

胸糞悪い……人の心ってもん持ち合わせてないのかよ」

「こんな場所で止めないか?」


 今にも殴りかかろうとする雨宮を制止する様にエリーゼの声がした。


「エリーゼ……、起きてたの?」

「えぇ、さっき目覚めたばかり。 

ごめんなさい、またシーツを血で染めたわ。

君にはまた迷惑をかけるね」


 エリーゼは世釋に近付き、視線の位置までしゃがむと世釋の頭を撫でた。


「この男の子は預かるよ。 その方がいいようだからね……」

「お姉さん……僕と同じ目の色してるね!」

「……そうだね」


 エリーゼは強く世釋を抱きしめると、そう呟いた。

 ラヴィからはエリーゼの表情は見えなかったが、世釋を連れていたノアの箱舟の女性は怯えた様な顔をしていた。

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