第35話【海蛇】

 イヴは一瞬めまいが襲い、足元がふらついた。

 藍はゆっくりとイヴに近付いていく。


「……そういうことですか。

エバ」


 アイヴスはイヴのその様子を見て、何かに気づくと隣に立つエバに声をかける。

 エバはこくりと頷き、藍に向かって視線を向ける。

 しかしアルファと目が合い、睨まれると少し後ずさりした。


「……っ、そんなこわいかおでにらまないでよねっ!! 」


 エバはそう叫ぶと、バッと右手を挙げた。

 すると、挙げた腕の方にマリアがフォークを数本投げつけた。


「暴食。

邪魔をしないでください」


 アイヴスはエバの方に投げられたフォークを自身の尾で弾くと、フォークは地面に刺さる。

 エバはパチンと大きな音で指を弾いた。

 イヴは姿を消すが、少し遠くで苦しそうな悲痛なイヴの叫び声が聞こえる。


「ぐあぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛いだぁィぁぁぁっ!!!!!!!」

「……藍のその瞳はやはりアナタの瞳ですか。嫉妬」


 アイヴスはイヴの苦痛に叫ぶ声を聞き流しながらイヴが先ほどまで居た場所に目線を向けた。

 そこには地面に佇む様に石化したイヴの両足首が置かれていた。

 まだ乾いていない血液がつたう様に地面に落ちていく。


「そう、アタシのよ。

主ちゃんの失った方の瞳にアタシの瞳を移したのよ。

同等の力を使うには膨大な魔力が必要だけど、マリアに魔力を分けてもらったから

主ちゃんの身体の負担はあまり出ないとは思うけど」

「貸したんだ。貸した」


 マリアは腕を組むと、アルファの言葉を訂正する。


「……そう、マリアに貸してもらった魔力を……もう、ややこしいからまた後にしてもいいかしらん? マリア」

「嫉妬の悪魔が保持するメデューサの瞳。

やはり興味深いですね……ですが使用者が違ければ石化時間にムラがでるようですね。

それなら石化される前に叩けばいいだけです。

それに泣き叫んで可哀想なイヴをこれ以上放置しておくわけにもいきませんから。

エバ」

「あいゔす、いくよぉー!」


 エバは両手を前に向けると、パチンパチンと指を連続で弾いた。

 藍はアイヴスの尾が視線に映るのを確認すると、避ける。

 しかし、藍を追う様にアイヴスの尾は動き、藍に打撃を加えていく。

 アルファも藍の死角を補う様に水の壁を作り、対処するが次の瞬間藍の腹にアイヴスの蹴りが入る。


「っ、ぐっ……!!」


 藍は蹴り飛ばされると、樹木に背中を強打する。

 そしてアイヴスの尾は樹木を貫通する様な勢いで、藍の心臓に突き刺した。


「ぁっ!?」

「はい、終わりです。

それにしてもあっけないですね……もしかしたら嫉妬アナタによって水で作られた個体を藍そっくりの姿形をして途中で入れ代わる様な展開になったらっと思いましたが……この感触だと本人の体で間違いないですね」


 アイヴスはふふっと笑うと、尾を藍の中で動かしながら引き抜く。

 尾にはべったりと血と肉片がこびり付き、アイヴスは振り払うように尾の汚れを落とした。


「あいゔすー!!

なんですぐころしちゃうの??

まひするだけでいいじゃんー!!」


 少し遠くの方でエバは困惑したような顔をし、アイヴスにそう言った。


「……?

エバ貴女聞こえないんですか?

さっきから

「終わったのは貴方ですよ」


 そう藍の声がアイヴスの近くですると、先ほどアイヴス自身が殺したであろう藍が何事もなかった様に目の前に立っていた。


「何故です?

確かに貴女を刺し殺したはずですが?」

「幻覚障害と感覚麻痺です。

そう、錯覚したんです。

でも蹴りは本当に入りましたよ。

だから正直貴方に蹴られたお腹はとても痛いです……」

「あいゔす!!!」


 エバはすぐさまアイヴスを移動させるようと指を弾くが、足元に水の渦ができると、一瞬にして水が上昇し、エバを包み込み身動きが出来なくなった。


「やだっ!!

なにこれ?!

きもちわるい!! あるふぁがわたちにからみついてる~!!」


 エバを包み込んだ水の渦からアルファが姿を現した。


「気持ち悪くないわよ!

失礼しちゃうわ!

貴女、もう少し前は言葉に教養あったわよね?」

「あるふぁがよくわからないこという……!

うっ、ぐす……わたちはなにもかわってないもん!

はーなーせーえー!!」

「アルファ、こやつがうるさくて主様の中のイヴの毒を抜くのに集中できぬ。

ちょっと静かに出来ないものなのか?」


 マリアはそう言いながらユヅルから掬い出したイヴの魔力を口に含み、モグモグと動かしていた。

 アルファは直径5センチ程の水で出来た蛇を作ると、騒いでいるエバの口を塞ぐようにその水蛇を喉奥に突っ込んだ。


「とりあえず強引なやり方だったけど……これで少しは大人しくなるわよね?」

「!?

……ぅごっ」


 エバは苦しそうにジタバタと動くがしばらくすると気を失ったのかびくりとも動かなくなった。


「……最初からワタクシにもイヴと同様のことをされていたのですか」


 藍はフルフルと首を振ると、アイヴスをじっと見た。


「最初から貴方にしか仕向けてないです。

イヴのは只の被害妄想。

それなのに、馬鹿ですよねあの人。

途中から笑うの必死に耐えてましたよ」

「……なんというか、貴女怖い女の子ですね。

本当にあの日クローゼットの奥で弱弱しく震えていた少女本人ですか?」


 アイヴスの尾から段々と石化していく。


「……それは貴方に答える必要ありませんから」

「ふっ、やはりワタクシが見た少女に何ら違いはなかったということですかね」


 アイヴスはそう言うと、瞳を伏せた。

 アイヴスは完全に石化すると、藍はフラフラと力なくしゃがんだ。

 藍の鼻からはボタボタと大量の血が溢れ出す。


「大丈夫?!

主ちゃん……!」


 アルファは心配そうに藍を見ると、その緩みの隙をみてエバが水の渦から這い出す。


「あっ…やはり失神したフリしておったか」


 マリアは、エバに向かってナイフ、フォーク、スプーンを大量に投げつける。

 エバは駆け出しながらパチンパチン指を鳴らすと、マリアが放ったものを避けていく。

 そしてエバは藍の前に立つと、藍の頭上に影が出来た。

 藍はエバを見上げると、睨みつけた。

 エバは石化されたアイヴスを指さすと、眉を寄せ藍に向かって言葉を発した。


「戻して」

「え」

「聞こえたでしょう?

戻してよ、石化」


 藍は瞬きを繰り返すと、首を傾げた。

 先程まで幼児言葉の様にしゃべっていたエバとはまるで違う発音に藍は驚いていた。


「石化を解く方法が解らないとか無しだからね。

解いてくれるならもう何もしないから……

そうしないとわたち……またちゃう……っ!

解いてよアイヴスの石化!!」


 エバは震える拳を強く握ると、涙目で藍に訴えた。


「……はい?

いやいや、何言ってるんですか?

なんで貴女のお願い聞き入れなくちゃいけないんですか?

解いて攻撃を加えられないっていう保証もない。

散々人のこと酷いことを言って、かあさまを貶されて……貴女にそんなことを言う資格も権利もないですよね?

なんですか、最終的にイヴはやったことだから関係ないとか言うんじゃないですよね?

貴女も同罪ですって先ほどご自身で発言されましたよね?

それでなんですか?

石化戻してくださいですっけ?

自分達が不利な状況になったからと身勝手すぎませんか……?」

「うるしゃい……うるさい……五月蠅い……!!

なんでわたちのお願い聞いてくれないの……きいてくれないの……きいちぇくれないの……?」


 エバはぶつぶつと同じ言葉を繰り返すと、藍の首に両手を伸ばす。


「っ……!」


 エバの指は藍の首に少しずつ力が加えられる。

 エバの腕を引き剥がそうと藍は抵抗するが、力は弱まることはなかった。

 するとエバの後ろに影ができ、マリアがエバを拘束するように腕を組んだ。


「のぅ、エバ。

無駄に足掻く程滑稽だと思わぬか?

正直儂は、あやつがを烙印された者とは、認めておらんよ。

あやつはに相応しい行いも思考もしておらんかったからな。

しかし、何百年に一度くらいはもあるじゃろう。

心底残念じゃったと、思うことにしたよ。

理解を受け入れた。

じゃからの、儂はまたハズレを処理のみこみしたくない。

理解わかるよな?

お主はどうすればいいか」

「……」


 エバはガタガタ震えながら目を見開いていた。

 段々と首を絞める力が弱まっていくと、藍はエバを振り払い、咳き込んだ。


「ゲホゲホッ……ありがとうございます。

マリアさん」


 エバは唇を噛むと、こくりとゆっくり頷いた。

 そしてヘタリとその場にしゃがみこんだ。

 ユヅルは藍に近付き、側に来ると、綺麗な手のひらサイズのハンカチのような布を藍に差し出した。

 藍はそれを受け取り、軽く会釈した。


「……あと悪いのう小娘。

こやつは儂に預からせてくれるか?

こやつに代表として責任を取らせないといけないことがあるからな」

「やっぱりアタシの勘違いじゃなかったじゃない。

マリアがイヴの事を色欲の悪魔って言うからこんな子いたかしらん? って思ったけど、やっぱり違かったみたいね」


 アルファはエバの顔をジロジロと見ると、困った様な顔をした。

 エバはぐっと唾を飲み込むと、小さく言葉を溢す。


「……イヴは一番末だから。

アルファには会った事一度もなかったから。

一番出来が悪いし……でもアイヴスは違うから。

だからアイヴスは失いたくなかったのに……」


 ユヅルの視線に気づき、マリアは口を開いた。


「ややこしくて、よく分からないって顔してるのぅ主様。

正確簡潔にいうとな、色欲の悪魔はこやつら三人じゃないよ。

それぞれ別々の個体としての意識も意欲もそれぞれあるからややこしいことになってるが。

主人格体の多重人格をそのまま一個人に分裂させた状態で、まだ姿を現さないのが本物の色欲の悪魔であって、儂はそいつに用があるんだが……」

「無理だよ。

それぞれに分け与えて個体にしてるの。

だからこうやってエバから主導権を譲ってもらって話すことしか出来ないし、

あと一つ人格を失うのは本当に気持ちが悪いの。

だから人格だけ取り戻したいだけなのだけど……エバが一方的に要求するから」


 藍はそこでエバの右手の甲の刺青が兎からに変わっているのを気づいた。

 確かイヴも同じような刺青が右側の尻部分にあったことを思い出した。

 色欲の悪魔に比肩する動物の姿はだ。

 そうやって個を分類しているのか、と藍は理解した。


「三等分は厄介で面倒くさいが……単体なら叩き潰せる。

と思ったが、やっぱりそう簡単にいかないか。

君はエバでもなくイヴでもなく、アイヴスでもない。

ややこしいから名乗ってくれ」


 ユヅルは深く溜息を吐いた。


「リリス。

記憶の共有はしてるが個体それぞれ行動目的も違う。ってことで合ってるか?」


 リリスはユヅルの問いにこくりと小さく頷いた。


「うん。

記憶の共有はしてるけど、あのお嬢さんが言ったようにイヴがやったことだから責任は取らないなんてことは言わない。同様に同罪だもの。だから好きなように処理してくれて構わないと個人的には思ってる」

「感情の共有はしてるのか?」

「感情の抱き方については別々。

だから行動も別動作」

「ほら、面倒くさいじゃろう?」


 マリアはわざとらしく肩を竦めると、はははっと笑った。


「……マリアは初めから知ってたのか?」

「主様睨むでないよ。

言ったろう?

儂は自身の腹が満たされれば他は別にどうでも良いと、な。

だが、心配せずとも現在進行形で儂の唯一無二の最優先対象なのは主様で変わらんよ」

「……」


 マリアとユヅルはしばらく見つめ合うと、ユヅルから先に視線を外した。


「今は残ってるイヴを捕まえる。

どうせそこまで遠い所に飛ばしてないだろう?

悲鳴がはっきり聞こえる範囲にはいるだろう」


 ユヅルは藍を立ち上がらせると、頭の上に手を置いた。


「無理させて悪かったな。

……よく耐えたな。

お前は強いよ、本当に」

「っ、うん」


 藍は一瞬目を潤ませるが、自身の袖で涙を拭くと、大きく頷いた。


「人格を回収ねぇ……どうやるのよソレは」


 アルファはそう言うと、リリスはアイヴスの腰あたりを指さした。


「蠍のマークがある。

あそこだけ取り出したい」


 アルファは人差し指で宙に小さな輪を描くと、短く石が割れる音がする。

 アイヴスの腰部分一部が丸く刳り貫かれていた。

 アルファは刳り貫いたものをリリスに渡すと、リリスはそれを胸に抱いた。

 リリスはパチン指を弾くと、目の前に大きな血だまりが現れた。

 血だまりからは何かが這い出た後があった。

 その血の跡を追って歩き出すと、腹這いになって手と膝で地面をする様に前進していたイヴがいた。

 苦しそうに呻きながら、ヨタヨタと進んでいる。


「流石に足が新しく生えてくるなんてことがなくて良かったよ。

また逃げられたら堪ったもんじゃないからね」


 ユヅルはそう言うと、一歩後ろにいるマリアに向かって手の平を向けた。

 マリアも同様にユヅルに手を差し出すと、ギュッと指を絡ませて握った。

 すると、ユヅルの背を超える程の高さの赤黒い棺が現れる。


「……このときの為に、ずっと魔力を保存し続けてきたからね」


 ギギギっと棺の扉が開くと、白い霧状の冷気が煙になって大量に出てくる。


「今から君は二十四通りの拷問を受け、その度二十四通りの裁判が開廷される。

罰を受け、罪を告白し、罰を受ける。

二十四回だけだと思ってはいけない。

二十四通りの拷問と裁判を行うんだ。

その中には火炙りもある。

首を絞められ、首を斬られ、銃で殺される。

水に沈められ溺れ死ぬ。

電気椅子に座らせられ、感電死する。

杭を突き刺さられて、死ぬ。

石や鉈、鋸で死に至らしめられかもしれない……」


 煙の中から血で濡れ、釘が刺さった大きな手が現れる。

 その手はイヴを掴むと、ゆっくりとゆっくりと棺の奥へと戻っていく。


「いやぁぁぁぁぁ!!

なんで私ばかりこんな目に遭わなくてはいけないの?!

ふざけるんじゃないわよ!!

離しなさいよ!

こんな事をしてどうなるか解ってるの?

……いやっ、私をそんな目で見ないで!!

やめて!!

いやぁぁぁぁぁ! 助けてぇぇぇぇ!!」


 藍の場所からは棺の奥は見えない。

 しかし顔を引き攣り、恐怖に震えるイヴの表情が一瞬見え、藍は咄嗟に目を伏せた。


「大丈夫よ。

落ち着いて呼吸をして。

怖いのなら聞こえない様にアタシが耳を塞いであげるわ」


 アルファはそう言うと、藍の両耳を優しく塞いだ。

 パタンと棺の扉が閉じると、消える。

 ユヅルはその場に腰を下ろすと、空を見上げるとふっと笑った。


「僕はそこまで優しい心は持ち合わせてなかったらしいよ。

姉さん」

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