第34話【無垢じゃない】



「さて、どうしましょうかね」


 アイヴスはそう呟くと、屋根の上から一人の少女を見下ろしていた。

 少女は母親の背に隠れると、小さな手で母親の腰辺りにあるエプロン生地の衣服をぎゅっと掴んでいた。

 眉は少し下がっており、不安そうな顔をしている。


「先日、エバの方で一番手っ取り早い方法で少女の首に下げられているモノを回収できると思っていましたが……やはり失敗してしまいましたね。

自身よりも身体の大きい男の子の弁慶に蹴りを入れてからの、少女がすると想像できない様な形相で男の子に放った脅し方。

あれはもうちょっかいを出せないくらい心が折れた音が聞こえましたよ。

あの男の子からね」


 アイヴスは口元を隠すと、フッと笑った。

 アイヴスの足元で両脚を両腕で抱え、膝を揃えて座っているエバは口を尖らせ、小さい声で呟き始めた。


「……わたち、もともとあんなもはえてないようなおとこゆうわくしたことないもん。

でも、でも! たのまれたことだからがんばったのに……!

だいいち、いゔがあのこのおうちにいったときにかいしゅうできればよかったのに!」


 エバは頬を膨らませながら、隣に立つイヴの方へ顔を向けた。

 イヴは自身の爪を噛む仕草をすると、そっぽを向いた。

 アイヴスは腕を組むと、目を細め、エバ同様イヴの方を見た。


「はぁ、過ぎたことを言っても仕方ないですよ。

ワタクシは今回に関しましては力になれませんからね。

元々妙齢の女性しか興味ないですし。

今も母親かのじょの方がアレを持っていたとしても、傲慢に魅入られている彼女に近付き過ぎればこちらの存在がバレる可能性がありますしね。

そうですよね? イヴ」

「……ええ」


 イヴは短く返事すると、アイヴスはやれやれと困った様に眉を下げた。


「しかし時間があまりないのも事実でしょう?

そこについてはどうするつもりなのですか?」


 エバはアイヴスと同意見だ、と言わんばかりに大きく頷く。


「そうだよ~いゔぅ?

また、しき・ゔぁいすはいとにからかわれちゃうかもちれないよ?

あと、あのちとにもあいそうつかちゃれちゃうかもしれにゃいね……」


 イヴはアイヴスとエバの言葉に小さく舌打ちをすると、溜息をついた。


「……そうね、それは困るわ。

じゃあ、そろそろ私も男の方に大きく動いてもらうことにするわ。

あの少女も私に暴言を吐いたのも許せなかったけれど、特にあの母親おんなの方がもっと頭にきてるのよ。

自分の旦那おとこが奪われたのよ? もう少し悔しがりなさいよ。憎たらしいって顔で私を睨んできてみなさいよ。

なのに最初から貴女なんて眼中にないですよみたいな顔を私に向けて……あー、本当思い出すだけでムカつきますわ!」


 イヴは不敵な笑みをすると、彼女達の方を指差す。


「今は残り短い幸せでも味わっていればいいわよ……」




◇◇◇◇◇◇


 イヴはユヅルを強引に立たせると、藍達の方に身体を向かせる。

 そして次の瞬間ユヅルの後ろから数十本のマスケット銃が現れ、今度は藍達に向かって発砲される。


「っ、」


 マリアは飛んでくる弾丸の前に出ると、透明なスプーンを数本取り出した。

 そして掬う様な動きをすると、向かってきていた弾丸は消え失せた。


「はぁ、こんな大量の鉛玉なんて喰わして、儂が鉛毒に侵されてしまったらどうするんじゃよ。

のぅ、主様」

「ふっ、甘いわよ」


 イヴはクスッと笑うと同時に藍は死角側の頬に痛みを感じた。


「……大半のマスケット銃は散弾銃仕様になってる」


 ユヅルはそう呟くと、マリアは申し訳なさそうに目線だけ後ろにいた藍に向けた。


「悪いのぅ小娘。

多少回収しきれなかったみたいじゃ。

大丈夫だったか?」

「平気です。

ありがとうございます、マリアさん」


 藍は頬に伝う血を拭うと、イヴを睨む。


「ふふっ、そんな睨んでも怖くも何ともないわよ。

ばぁぁぁぁーか!!」


 イヴは中指を立てると、舌をべっと出した。


「とてもおみすぼらしい顔ですね、イヴ」

「うるさいわよ! アイヴス」


 アイヴスはクスクスと笑う。


「ねぇ~もうあきたよ~!! か~え~り~た~い!!」


 エバはつまらなそうな顔をすると、イヴに訴える。

 イヴはユヅルの髪をぐっと鷲掴みにすると、自身の方に引き寄せた。

 ユヅルは抵抗できないまま引っ張られた反動で顎があがる。


「っ」


 ユヅルは自身の髪を掴むイヴを睨みつけた。


「……貴方もざまぁないわね。

そんな顔しても貴方はもう私のマリオ人形ネットよ。

でもことは本当に心底侮辱されている気分だわ。

貴方の事は最後にじっくりとなぶり殺してあげるわ」


 イヴは掴んでいたユヅルの髪から手を離し、勢いよく振り払った。

 マリアはユヅルを見つめると、少し考える素振りをする。

 そしてにんまりと口角を上げた。


「……ふふっ、主様よ。

その熱い視線で見られても困るぞ?

ちゃんと口が付いてるのだからそれを動かして、喉から声に出して儂に言えばいいじゃないか。

お主がを予想してなかったこともなかったのだろう?」



 イヴは嘲笑ったような顔をすると、マリアの方を見た。


「あら、マリア何おかしなこと言うの?

この坊やはもう私以外の命令は聞けないのよ?

一番この中で戦力が高いアナタを相手にしていれば、他はすぐに片付けられるもの。

でも、藍はそうねぇ……少しずつ立てなくなるまで痛めつけて、地べたに顔を擦り付けて謝罪してもらわなくちゃ気が済まないわね。

あとは……みたいに火炙りに最後はしてあげるわ。

嬉しいでしょう、藍」

「あーー!!

わたちもまたみたい~!

みんなわになってきゃんぷふぁいやーっていうのをまたしよう~!!

ねぇ、あいゔす~?」


 エバは後ろで手を組むと、満面の笑みでアイヴスの方に顔を向けた。

 アイヴスは溜息をつくと、ぽつりと呟いた。


「ワタクシはもう見たくありませんね。

あまりそそられませんでしたから……」

「やっぱり……!!

貴女達が……かあさまを……っ!!」


 藍は怒りを沸々と込み上げ、身体が震える。

 アルファはそんな藍を見て、後ろから優しく囁く。


「挑発に乗っては駄目。

あっちの思うつぼよ?

それにね、貴女のこの綺麗な手をあんな奴らの穢れにアタシが触れさせたりなんてしないから」


 アルファから冷たい殺気が放たれると、腕や、顔からは固い鱗が少しずつ浮き上がっていく。

 藍はそんなアルファの手をぎゅっと強く握った。

 藍のその行動に少し驚き、アルファは藍を見る。


「……ありがとうございますアルファさん。

だけど、もう私はあの頃の弱い私じゃないって思いたいんです。

だから、アルファさん私ともう一度誓ってください。

私と一緒にずっとこれからも一番側に居て力を貸してください……!」

「……!

もちろんよ、アタシの愛しい小さな魔女あるじちゃん」


 アルファは藍に嬉しそうな笑顔を向けると、藍の手を強く握り返した。


「さて、そろそろイヴの視線が痛いので、申し訳ありませんが藍、貴女を先に始末させて頂きますね…大丈夫ですよ、苦しむ時間が短くなる様に努力はしてみますので。

自身が焼かれる痛み程、長くは味わいたくないでしょう……?」


 アイヴスは尾をゆっくりと動かし始めると、にこりと微笑んだ。

 藍は眉を寄せ、来るであろうアイヴスの攻撃に備える様にカードを取り出すと、体勢を整える。

 ユヅルは藍の方を一瞥すると、少し目を伏せた。

 そして決心したかの様にマリアの方に顔を向け、声を発した。


「……マリア、僕から取っていった魔力戻せるか?」


 その言葉を聞き、すかさずイヴが口を挟んだ。


「あら、魔力が全部戻ってもこの能力は解けないわよ?

でも魔力が戻るっていうのなら貴方が藍をあの時の貴方の姉の様に火炙りにして灰も残らない程に消せるかもしれないわね。ふふっ、可笑しい」


 イヴは肩を震わせながら笑う。

 しかしユヅルはイヴの言葉に耳を傾けることもなく、マリアの方を見つめる。

 マリアはユヅルの発言に瞬きを繰り返した後、藍の方を見た。


「……主様よ。

儂が主様から取った魔力は儂の食糧モノだから戻すことは出来ないが……

「……はぁ? 貸す?」


 イヴは首を傾げる。

 ユヅルはにこりと笑うと、藍と目が合う。


「藍。

こいつの阿呆面あほうづら、ぶん殴ってやれ。全力でな」

「……はい!」


 藍は驚いた顔をした後、こくりと頷く。

 アイヴスは何かに気づき、マリアの方に尾を伸ばし攻撃をしようとした。

 しかし、水の壁に邪魔をされ、舌打ちをつく。


「そう何回も何回も友人マリアと可愛いアタシの主ちゃんに攻撃を加えようなんて許すわけないでしょう?」


 水の壁の中から尾びれを生やしたアルファが現れると、ベッと舌を出した。

 マリアは藍の背中に両手を添えると、ニタリと笑う。


「小娘。

魔力の負荷で気絶するなよ?

お主も使いものにならなくなったら困るからのう」


 マリアから出てきた禍々しい程の魔力の波が藍の中に入っていく。

 藍は失った瞳の方に手を近づけると、優しく触れる様になぞった。


「朱お姉ちゃん。

私、大切なモノもう絶対に失わないよ……!」


 藍は瞳に触れていた手をバッと払うように広げる。

 水の塊がアイヴスの方から出ると、藍の手の平に集まり形を創っていく。

 水の塊はみるみる内に三叉戟に変化すると、藍は握った。


「……先程イヴさんは人を操るしか私に出来ないとでも思ってるの? 力の差見せつけてあげるわっとか言ってましたよね。

もうお二人増えるのは驚きましたが、よくよく考えたら結局貴女は人を操ることしか出来てないじゃないですか。

どんな凄い能力を隠し持ってるのかと思ってましたが……正直拍子抜けしました」

「なっ……!!」


 イヴは藍の言葉に眉を吊り上げる。


「イヴさん知っていますか?

体内の約六○%はなんですよ」

「それが何よ……そんなどうでもいい事をこの場で言う意味が分からないわ!」

 

 先程とは少し違う藍の雰囲気にイヴは不安が混じった様な顔をする。

 藍は淡々と言葉をイヴに対して述べていく。


「損失率が三%を超えると、汗も出なくなるらしいですよ。

そしたら次には吐き気と全身に脱力感を感じ始めて脈拍や呼吸が早くなります。

手先が震え出し、頭痛や体温が上昇していきます……」

「何よいきなり……変なこと言い始めて……!!

だからそれがなんだっていうのよ!!」


 イヴの顔に怯えのような影が走るのを藍は気づき、フッと微笑んだ。


「そうそう、感情が不安定になってイライラしやすくなるらしいですよ。

酷いめまいに幻覚も、遂には呼吸困難、精神錯乱、循環不全、血液量の減少、腎機能不全。

そして二○%以上で生命の危機に瀕して全機能が停止します」


 イヴは自身の手先が震えているのを気づいた。

 脈拍も呼吸も先ほどよりも速く感じ、ズシリと体が重く感じる。


「……少しずつ感覚が無くなっていって、そしたら意識を失う前に嬉しいですか? イヴさん」

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