第32話【罰】
鬼が居たなんて本当にとうの昔のことで、男の鬼は特に短命の為に早い段階から子孫を残す様にと鬼達は言われていた。
物心ついたときには父など居なく、また兄弟も次々と死んでいった。
赤子の時に命を終える者もいれば、青年まで生きる者もいる。
本当はもっと昔は長生きして何百年も生きている者もいたのよ。と八百の母は言っていたが、理由を聞く前に息を引き取ってしまった。
しかし、八百自身はきっと母が言っていた様に長生きする方の鬼ではないかという確信が何処かであった。
他の鬼と変わらず雷や風を操ることは勿論のこと、他にも植物や動物が息をしているかの様な独特なエネルギーを感じることが出来た。
―――これを少量でも食べれば腹は大分膨れるし、この薬草は塗り薬になるからこれを塗れば、傷も痛まなくなるだろう。
―――明日地震が起こるから此処に居たら巻きこまれるから移動した方が良い。
しかしその分、他の鬼と比べて八百の成長は遅かった。
だからずっと小柄で、遅く産まれたであろう妹はあっという間に美しい大人の女性になった。
そして妹の子供も生まれ、その子供も短命だった。
周りの鬼達は次々と八百だけを残し、死んでしまい、何度も仲間達を埋葬する為に地面を掘ったのか途中で八百は数えるのをやめてしまった。
八百は一人になってからは腹が減れば食べて、眠くなれば静かに眠れる場所を探した。
一日一日が本当に長く感じ、只、呼吸をして生きているだけだった。
あの日もいつもの様に山を下りた先の小さな村で夜まで時間をつぶそうと散歩していた時にふと何かの行列に出くわした。
人の間を割って入り、行列が作られている目的物を見た。
誰かを乗せている駕籠がゆっくりとゆっくりと山の方向に向かっている。
八百は瞬きを繰り返すと、近くに居る女性に話かけた。
「おばちゃん、おばちゃん。
何の行列なの?」
八百に話しかけられた女性は少し困った様な顔をした後に少し屈んで、八百の耳元に顔を近付かせた。
「雨が降らなくて、今年の豊作が厳しくなっていてね。
だから鬼姫様を祀って雨を降らしてもらうのよ。
子供の貴方に言っても難しいかしら……?
お野菜とかお米が育たないから鬼姫様にお願いするのよ」
「ふーん」
駕籠の中には鬼姫様と呼ばれている人間が居て、山の方に作ったお堂に運んでいる行列だと女性は八百に教えてくれた。
八百はこっそりと駕籠の後を追った。
しばらくすると、人間達が建てたであろうお堂が現れた。
駕籠を運んでいた村の男達は鬼姫様と呼ばれる少女をお堂の中に入れると、外から錠を閉めた。
男達が山を下りていくのを確認すると、八百は隠れていた木陰からそっと出て、お堂に近付いた。
「うっ、ぐすっ……うっ……」
お堂の中からは女の子のすすり泣く声がし、八百は覗き込んだ。
「……お前、大丈夫か?」
八百がそう声をかけると、少女はびっくりした顔で八百を見上げた。
少女の側頭部には角の様な出来物が生えている。
鬼の角に似ているが、頭蓋骨の多少の変形によってそう見えているだけだと八百はすぐに分かった。
第一、鬼の八百の様に妖力も感じることが出来ない。
正真正銘只の人間の子供だった。
「よぉ、俺、
お前なんて言うんだ?」
少女は少し唇を噛む仕草をすると、小さな声で呟いた。
「七瀬」
◇◇◇◇◇◇
郁は目の前で起こっている光景に驚いていた。
夕凪は勢いよく少女の血を啜っていく。
髪は伸びていき、黒い髪色は色が抜けていく様に金色に変わっていく。
瞳は綺麗な程の真っ赤で、神々しさも感じる。
「……ろ、やめてくれ!! 夕凪!!!」
ラヴィの声にハッと意識を戻すと、郁は銃を後ろの
そして猿間の持つ銃を弾く様に弾を当てた。
弾かれた銃は弧を描くと、地面に落ちる。
猿間はすでに郁から距離を取り、壁に掛かっていたライフル銃を手に持っていた。
夕凪の方に駆け出すラヴィに夕凪は首筋から口を離すと、ラヴィを睨んだ。
そしてラヴィに向かって唇を動かす。
すると何かに弾かれた様にラヴィは後ろに飛ばされる。
飛ばされたラヴィを急いで郁は受け止めた。
「ラヴィさん!
大丈夫ですか? 怪我は?」
「……大丈夫。
ありがとうワンコくん」
世釋は肩を震わせると、嬉しそうに笑い始めた。
「はははっ拒絶されたね、ラヴィ・アンダーグレイ。
滑稽だね、本当に滑稽だよ」
少女の身体を地面に落すと、夕凪は口元に付いた少女の血を舌で舐めとった。
真っ赤に染まっていた瞳は翡翠色の瞳になっており、輝きを放っている。
「いいの?
まだ残ってるみたいだけど……」
世釋は床に落ちている少女を指さすと、夕凪の方に視線を向けた。
夕凪は何も答えず、じっと郁達を見る。
「夕凪ちゃん……?」
「ワンコくん、お願いがある。
……本当に最低なことを君に頼んでしまって申し訳ないと思ってる。
今、目の前に居るのはもう夕凪ではないとそう思ってくれ……」
ラヴィはゆっくりと立ち上がり、手のひらの中心に紅い塊を集める。
紅い血の塊は弓の形に変化すると、ラヴィは夕凪の方に弓を引いた。
「エリーゼ・クロフォード。
彼女は古来最強の吸血鬼だ。
……純血種であってデッドを創り出した個体であり、ノアの箱舟の殲滅対象だよ」
「ちょっと待ってくださいよ……。
エリーゼはあの少女だったんですよね……?
俺らの目の前に今居るのは夕凪ちゃんですよ?
そうですよね、ラヴィさん……?」
「もしかしてさ、ラヴィ・アンダーグレイ。
君この子に全部話してないみたいだね。
その様子を見ると……」
世釋は顎に手を当て、首を傾けた。
郁は戸惑った顔をすると、ラヴィの方を見つめた。
ラヴィは世釋の発言に口を固く噤んでいた。
「永遠に同じ肉体で生きることは不可能。
時間が経てば肉体もいつかは期限が来る。
もし期限が来たとしても、僕たちは死ぬことはない。
片方が消えたとしても、もう片方が居れば消えない。
そうやって何千年もずっと二人で過ごしてきた。
……だけどあの時は油断したなぁ。
僕が目覚めるのが遅かったせいでズレが応じたときは心底腸が煮えくり返そうだったよ。
でも良いタイミングで世釋が僕の前に現れてくれた。
だからこうやってまたエリーゼと会うこと出来たんだ。
だからね、少しは僕も君に感謝はしているんだよ? ラヴィ・アンダーグレイ。
君は夕凪を僕に渡らない様に兵を集めて守っていたようだったけど、やはり所詮人間の考えれる範囲だ。
エリーゼの心臓を持っていた雨宮も君のせいで死んだ。
夕凪も僕に渡った。
結果的に僕の手の平の上で君は踊らされていただけだったんだよ。
ラヴィ・アンダーグレイ」
「やっぱり……俺も残っていればよかった。
そうすれば世釋もお前に乗り替えられることも防げたかもしれないのにな。
カイン・クロフォードお前をあの時もう一度捕らえて幽閉していたらと、そう思うよ」
ラヴィはそう言うと、唇を噛んだ。
◇◇◇◇◇◇
「鍵も開錠してあげてるのに、ここから出ようとしないんだね。
どうせ村に戻っても閉じ込められてるのにこんな時くらい外に出たいと思わないもんかね」
「いいの。
私は此処にいないと村の皆が大騒ぎになっちゃうでしょう。
それに八百が外の世界の話をしてくれるから全然平気」
「……」
七瀬と出会って何年も月日が経った。
七瀬が此処に連れて来られる度に、八百は胸が締め付けられる様な感覚がした。
村人にこんな仕打ちをされているのに、今もずっと平気なフリをして心のどこかで村人がいつか理解してくれると気づいてくれると信じている。
雨が降らず作物が育たないのなら、雲を動かして天気を変えた。
洪水に見舞われ、村の方に水が押し寄せるのなら、そうならない様に木を風の力によって倒して、水の浸入を弱めた。
野犬だって八百は殺意を込めて追い払った。
七瀬にはそんな力はない。
でもきっとこのまま村の住民が満足して迎えに来なかったら飢えて死んでしまう。
きっと飢えて死んでしまったその体も最後まで村人達は利用するだろう。
それが八百にとって許せない事態だった。
七瀬を救ってやりたい、笑っていて欲しい。泣いて欲しくない。
今まで感じたことのないこの感情が八百の原動力となり、一つの過ちへと繋がってしまった。
「ねぇ、この桃本当にすごく甘いね。
八百が持ってきてくれるまでこんな美味しい桃があるなんて知らなかったよ。
この桃持って帰れたらな……難しいだろうけど」
七瀬は残念そうな顔をすると肩をおとした。
「持ち帰る前に腐っちゃうかもしれないからな。
美味いうちに食べた方が絶対いいに決まってるし」
「そうね。
それにしてもこの山にこんなに美味しい桃が実る木があるなんて、村の皆にもいつか教えてあげたいな……」
「それは多分無理だろうな。
この桃が実ってる木はもっと山の奥深い方だぜ?
それにそんなにいっぱい実るわけじゃないから、全部採られたら俺が困る」
八百はゲッとした顔をすると、七瀬は口元を手で押え、笑った。
「ふふっ、冗談よ。
八百、ほら見て。
果汁が赤かったのか手が血みたいに真っ赤。
こんなに手に付いてるなら、舌も赤いかも……どう?」
七瀬はべっと舌を出すと、舌も口周りも赤く染まっている。
「うん、真っ赤だわ。 それだけ食べれば十分腹も膨れるだろうよ。
あと口も周りも付いてるから寝てる間に蟻が湧くぞ」
「うぇ……変なこと言わないでよ。
ちゃんと拭いて寝るわよ」
七瀬は衣服の袖で口を拭った。
「それじゃあ、七瀬がそんなにうまいうまいって食べるなら、また採ってくるよ。
その桃」
八百のその言葉に七瀬は嬉しそうに頷いた。
八百は七瀬が眠りについたのを確認すると、そっと足音をたてないようにその場を離れて、桃が実る木の方に向かった。
桃が実る木の至るところには木碑が建っており、大きさや経年具合もバラバラだった。
八百は実った桃をもぎ取ると、その桃を眺めた。
「気休めに埋めた桃の苗がこんなに立派に育つなんてな。
七瀬にこれを食べさせれば、いつかきっと
それから八百は七瀬が此処に連れてこられる度にその桃を持っていき、七瀬に手渡した。
七瀬は飽きることなく、その桃を嬉しそうに食べ続け、十分な程鬼に近付いた頃に七瀬の村はデッドに襲われた。
「あぁ、鬼姫様!
我らをお守りくださる為においでくださったのですね!」
「鬼姫様……息子が息子が目を覚まさないのです!!
貴女様のお力を私が疑っていたからでしょうか?
申し訳ございません……どうかどうか救ってください!!」
「鬼姫様が来られたからには人の姿をした物の怪も退散してくれよう!! 」
「鬼姫様どうかこの村を救ってくださいませ」
村人の異様なまでの七瀬に向けられた期待の眼差しに七瀬は後ずさりをする。
どこまで
八百は七瀬に縋る村人達に吐き気がした。
「っ、お前らいい加減にしろ!
こいつは、七瀬は……っ!」
只の力を持っていない女の子なんだと八百は言いかけ、呑み込んだ。
七瀬はもう只の女の子じゃない。
八百が七瀬を鬼の女の子に変えてしまった。
八百は村人と七瀬の間に割って入るが、七瀬は俯くとくすくすと笑い出した。
「七瀬?」
八百は七瀬を見ると、引き攣った様な笑顔をする。
瞬きもしないその瞳は失望が混じった様な、どす黒い感情を感じられた。
八百は唇を強く噛むと、血が滲む。
七瀬が落ちていた鉈を手に取ると、外に出て行ってしまった。
八百は急いで七瀬を追う。
「おぉ、どうした?
おい、嬢ちゃんその鉈なんか持って……!」
七瀬はラヴィと雨宮を追い越し、進んで行く。
慌てて雨宮は七瀬に声を掛けるが、村人をむしゃむしゃと食べているデッドに向かって七瀬は鉈を振りかざすと、返り血を浴びる。
「消えてなくなれ……消えろ消えろ!!
全部消えてなくなれ!!」
七瀬の叫びの様な声にどんよりと雲が空を覆うと、ゴロゴロと雷が鳴りだす。
次の瞬間、雷電がデッド達に降りかかり真っ黒に焼け焦げるとバタバタと倒れていった。
「……七瀬」
振り向いた七瀬の額には菊の模様と長く鋭い鬼の角があった。
それは八百が七瀬を偽物の鬼ではなく、自分と同じ鬼にしようと与えた桃の成果であり、結果重大な過ちを犯してしまったと気づいた瞬間だった。
八百の隣に立ち、茫然と七瀬を見つめるラヴィは、少し考える様な仕草をするとぽつりと呟いた。
「……利用できるかもしれないな」
八百はラヴィの発言に驚き、目を見開いた。
ラヴィの方へ八百が顔を向ける前に、ラヴィは七瀬に近付いていく。
そして優しく包み込む様に七瀬を抱きしめた。
七瀬はラヴィに抱きしめられたことに驚いた様に目を見開く。
「君は……他の子と変わらないよ。
俺には只の泣き虫な女の子にしか見えないよ」
七瀬は眉を下げ、ラヴィの背中に手をまわすと、大きな声で泣き出した。
「俺達は【ノアの箱舟】。
あいつらみたいな血肉も求めるリビングデッドを撃退してるんだ。
多分あの子はラヴィについていくだろうな。
お前も来るか?」
雨宮は八百の方に声をかけると、八百はゆっくりと頷いた。
「……あの人」
「ん? ラヴィのことか?」
「俺、あの人苦手ですわ。
でも、今の七瀬を救ったのはあの人のおかげなので……感謝はしときますよ」
「それにしては何か納得してない顔だな。
……さっきのラヴィの言葉が引っかかるぅ?
悪気はないと思うんだよ一応。
ちょっと色々抱えすぎて過度に必死過ぎるというかさ……」
八百は雨宮の方に視線を動かすと、雨宮は頭を掻きながら、困ったようににこりと笑う。
「……頭の要領が特別いいわけではないので、側であの人のこと窺わせてもらいますわ。
それに罪を犯した俺にとってこれが罰に相応しい末路なのかもしれませんしね……」
雨宮は七瀬の方をちらりと見てから、目を細め、何かに気づいた様にふうんとした顔をした。
「……そういうことね。
まぁ、正直俺としては頼もしい仲間も増えて、賑やかになって嬉しいわ。
それに喫煙者だろうお前。
見た目は子供なのに中身は俺に近いだろう」
「そこまで歳食ってないとは思いますけど、まぁ嗜む程度には」
雨宮は口笛を一息吹く。
八百はラヴィに向ける七瀬の満面の笑顔を見つめると、拳をぐっと強く握った。
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