第30話【約束】
「
少女は本のページを指でなぞりながら唐突にそう呟いた。
ユキノは物干し竿に丁寧に皺が付かないように施設の子供達の衣服を干しながら、少女の声に耳を傾けていた。
「へー、そうなんだ」
ユキノは洗濯カゴに挟んでいた洗濯ばさみを手に取り、衣服の方に挟みなおした。
少女はユキノの返答にむっとすると、ユキノの背中をじっと見つめた。
「真面目に言っているのだけど?
君はもう少し私の言葉に耳を傾けることを薦めるわ」
「サリはそろそろ日陰で涼んでないで、僕と一緒に洗濯物を干して欲しいんだけど。それか小さい子達と一緒に遊んであげてよ……」
「……」
少女は眉を少し歪めると、本を閉じた。
そして立ち上がり、少々おぼつか無い足取りでユキノに近付き、横に立つと洗濯カゴから衣服を手に取った。
「……あの子達と遊ぶと体力が持っていかれるから嫌よ。
それにあの子達みたいに私はかけっこもかくれんぼも出来ないからね」
「遊びといっても色々あると思うけど」
「そうね。
あ、洗濯バサミ取って」
ユキノはサリに洗濯バサミを渡すと、サリは最後に大きいシーツを干すとふぅと溜息をついた。
「それで、さっきの僕が寿命を全う出来ない。みたいなこと、もしかしてまた視たの?」
ユキノはサリを見つめると、サリはこくりと頷いた。
「……ちなみに僕はいつ死ぬの?」
サリは呪文も唱えるような口調でユキノの問いに答えた。
「広い場所。紅いドレス。血。牙。細い足。長い刃物。白い綺麗な動物の毛。狐みたいな細い目の薄気味悪い笑顔の男」
「最後だけ具体的だなぁ」
ユキノは困ったように笑うと、首元に手を当てた。
「いつ、どこでは分からない。
部分的な描写しか視えないから。
それにたかが予言と言われたらどうしようもないけれど。
進む選択が違えば何通りも変わるかもしれないし」
「まぁ、そうだね。
しかしサリの視る予言は大体当たるからなぁ。
それに此処に居てもいつかは死ぬんでしょう?
なんだっけ……拳銃で頭を撃ち抜くか、毒を飲むかだっけ?」
サリはこくりと頷いた。
「うん。
でも死んでしまうのは顔も知らない子ばかりだから、此処じゃないかも。
……でもマザーが居るから此処なのかも」
「どっちでも嫌だな。
でもサリが知らない子達ってことはリリィと真緒は居ないってことかな……」
ユキノはそう言うと、少し離れた場所で他の子供達と元気に駆けまわり、遊んでいるリリィと真緒を見て、目を細めた。
「うん。
それに君がそれが起こってしまう前に二人のこと此処から連れ出すから、二人は死なないよ」
サリはそう言うと、にこりと微笑んだ。
◇◇◇◇◇◇
「本当にユキちゃんなの……?」
「近づくな!!」
リリィは笑顔を向けるユキノに近付こうと歩みを進めようとしたが、東雲の大きな声で制止した。
シキの胸に刺さった氷柱は少しずつ体の外に出てくる。
体の中に入っていた箇所はべったりと血がついており、氷柱の水滴と混じりポタリと地面に垂れる。
「往生際悪いわぁ。
今更、君に何が出来るん?
安らかに眠っててほしいわ!!」
シキは肩を震わせると、氷柱を引き抜こうとする。
しかし氷柱はまたしても体の中に突き刺さっていき、口から大量の血を吐いた。
「ゴホッ……嫌だよ。
これ以上大切な妹と弟に傷ついて欲しくないからね……」
「ユキちゃん!!
ユキちゃんなんだよね?」
リリィは眉を下げながら、叫ぶ。
東雲も大きな鷹の姿から人型に戻ると、リリィの側に立つ。
「……真緒!
僕の中にシキの本体が居る。
普通に肉体を殺してもシキは死なない!
すぐにリリィか真緒に寄生する。
このまま僕の中で永久に閉じ込めて消滅させる……!
僕が合図したらこの氷柱ごと破壊してくれ!」
東雲は頷くと、合図を待つように身構えた。
リリィはユキノと真緒を不安そうな顔で交互に見る。
「……ユキノくんもしかしてこの機会をずっと窺ってたってこと?」
シキはユキノにそう問う。
この場に第三者が居れば、今のこう状況は多重人格の人格が一つの身体の主導権を争っている様に見えたかもしれない。
これはれっきとした例え話であるが、今の状況はそれに等しい。
ユキノは口角を綻ばせると、シキに返答する。
「あぁ、最初からお前が僕に寄生することは知ってたよ。
本当はそうならないで欲しかったけれど……お前のことだから僕の能力を全部欲しがるだろうと思って、仕込んでおいたんだよ」
「ははっ、ユキノくんの方が一枚上手だったのか。僕がマヌケだったのか……」
氷柱の周りから少しずつ体が凍っていく。
口から吐き出される息は真っ白く、身体はカタカタと痙攣を起こしている。
「……リリィ、あのとき君を傷つける様なことを言ってしまってごめん。
でも本当に良かった。
やっぱり二人は生きててくれてよかった……」
ユキノのその言葉に東雲は何かに気づき、目を少しだけ見開く。
「ねぇ、ユキ兄。
聞いてもいい?
どこまで知ってたの……?」
リリィは東雲のその問いに首を傾げた。
「……本当に君はどこまで視えてたんだろうね。サリ」
ユキノはそう言うと、遠くを見つめる表情をした。
◇◇◇◇◇◇
「ユキノくん、ユキノくん。起きて」
ユキノは体を揺さぶられ、重い瞼を開く。
まだ朝が来ていないことだけは明確だった。
ユキノは自身を揺さぶり起こしたサリの方をまだ完全に覚醒していない目で見た。
「何……?」
「視た」
「……それ、起こしてまで伝える程、深刻な内容なの?」
サリはこくりと大きく頷いた。
「マザーが見回りで戻ってくるのはまだ時間がある。
だから多少話しても大丈夫よ。
それにマザーは見回りが終わったら部屋に戻らず外に行くから。
毎度のようにね」
「……そっか。今日は此処から三人いなくなるのか」
「男の子二人は闘技させる為に金持ちに飼われていくでしょうね。
女の子は……よかったわ、死にはしないみたい」
ユキノは眉を顰めると、サリの方に不機嫌そうな顔を向ける。
「サリ、不謹慎だぞ。
はぁ、これでもう十六人目か。
マザーは本当に知らないの?
見送った子がどうなっていくか……」
「うん、知らないわよ。
もう一人の大人は知っちゃってどこか連れてかれてしまったし。
可哀そうにね……」
サリはふふっと手で口を隠しながら笑った。
「……大人だったら、男の大人だったら何とかしてくれると思ったんだ」
ユキノは唇を噛むと、俯く。
皮肉じみた顔をしたサリは両手の平を上に向け、肩を竦めた。
「別に責めてないわよ。
しょうがないことだったのだから……」
サリはスヤスヤと寝息をたてているリリィと真緒を見た。
「私は此処から出たらこの未来を視れる力を死ぬまで永遠に使われるでしょうね。
この世に生まれ落ちたときにそう決められているから。
もう流石に私はそれに対して抗うつもりはないわ。
でも少し前に視えたの。
私、舌を噛んで自害できるらしいわ。
それも最高に最低最悪な予言を吐き捨ててね。
本当は静かに命を終えたかったけど、無理みたい。
それが一つ目に君に話したかったこと。
もう一つは君かリリィちゃんのどちらかが何かに体を蝕まれて利用される。
でも、確率的に君の方がそうなるかもしれないわね」
「何かって何に……?」
サリは視線を斜め上に向け、片手の人差し指を自身の頬に当てた。
「そうね、今分かることと言ったら蜘蛛には気を付けてってだけね」
「蜘蛛?」
「そう、ひときわ欲深いね」
そう言うと、サリは不敵な笑みを浮かべた。
◇◇◇◇◇◇
リリィが闘技場でヴィルという男との戦いを控えていた前日、ユキノは生まれ育った施設に足を運んでいた。
施設の扉を開くと、幼い子供達に囲まれて絵本を読み聞かせていた東雲が居た。
東雲はユキノの姿を見ると、きょとんとした顔をする。
「ユキ兄?」
「久しぶり真緒。
背、伸びたねー」
東雲は驚いたように瞬きをすると、ユキノは困ったように笑った。
ユキノの突然の訪問にマザーも嬉しそうに涙を流した。
「あら、紅茶が冷めてしまったわね。
入れなおしてくるわね」
マザーは紅茶の入るティーポットを持つと、部屋から出て行く。
「久しぶりに来たけど、知らない子達いっぱいで驚いたよ。
当たり前だよね」
東雲は庭で遊んでいる子達を横目に見ると、ユキノの方に向きなおす。
「そりゃあユキ兄が此処から出てから大分年月も過ぎたし、当たり前だよ」
「真緒もあのくらいの頃可愛かったよね。
いつのまにか落ち着いた雰囲気になっててびっくりしちゃった」
「……甘えてもいいなら、甘えたいかもしれない」
東雲はそういうと、そっぽを向いた。
ユキノはふっと笑うと、東雲の方に手を伸ばし、頭を優しく撫でた。
東雲は照れくさそうに笑うと、頭に乗るユキノの手に自身の手を添えた。
「それで、どうしたの?
手紙に書いといてくれれば色々準備しておいたのに。
リリィも会いたがるだろうし……」
ユキノは東雲の頭から手を離すと、困ったように微笑んだ。
「うん、ごめん。
あと僕が来たことリリィには言わないで欲しいんだ」
「え、なんで?」
東雲は首を傾げるのを見ると、ユキノは口元に手を添えて、こっそりと小さな声で呟いた。
「……ほら、言っちゃうと不貞腐れちゃうでしょう?
リリィ」
「あー……分かる」
東雲は納得したように何度も頷いた。
「だからマザーや他の子達がリリィに言わないように、真緒がリリィに伝えておくみたいなこと言ってくれないかな?」
「うん、いいよ。
でも今度来るときは絶対言ってよ?
本当にリリィもユキ兄に会いたいと思ってるし……」
「うん、今度はそうするよ。
そうだ、今日此処に来たのは真緒に渡しておきたいものがあるんだ」
ユキノは持ってきた鞄から自身が出した雪の結晶が入った瓶をテーブルに出した。
「これを……誰にも知られないように隠してくれないか。
僕と真緒以外の誰にも知られないように。
それで……そうだな、もし真緒がおじいちゃんになっても僕が取りに来なかったら割ってくれて構わないよ」
「?」
東雲は首を傾げると、ユキノから瓶を受け取った。
マザーが部屋に戻ってきた後、少しばかり思い出話に盛り上がっていると、砂利を踏む音がどんどん近付く音がする。
すると、ユキノを迎えに来た車からぶっきらぼうな顔をした青年が降りて来た。
「あら、貴方は確かウィルソンさんの息子さんの……」
青年は帽子を取ると、階段を降りて来たマザーに会釈する。
「お久しぶりですMrs.リオ。
貴女は年々美しくなっていきますね」
青年はマザーの手を取り、軽く手の甲に唇を落とすと、にこりと笑った。
「とても嬉しい言葉ありがとう」
「それじゃあ、またね。
ユキ兄」
東雲はユキノに手を振ると、ユキノも車内から東雲に向かって手を振り返した。
隣に座るウィルソンは少し経ってから口を開く。
「……一週間後はエンフィールドのところの白銀の狼と戦ってもらう。
多少痛めつけていいが間違えて殺すなよ?
あれは私が今度は手懐けるからな……分かったなユキノ」
「……はい。承知してます」
ユキノはにこりとほほ笑んだ。
◇◇◇◇◇◇
「死人に口なしって僕いうたけど、実際上手くいかないもんやね。
いや、死んではなかったのやからこの言葉にもう意味はないか。
せやけど忘れない方がええで。
僕も君の体を只つこてたわけやない」
胸から段々と凍るように広がっていっていたものが、少しずつ引いていく。
「今は僕の方がこの体の権限を持っとるからね。
もう君には何も出来ひん。
リリィも真緒くんも諦めた方がええで。
少しの希望でも生まれた?
よかったね、せやけどその分の絶望は凄いやろう?
僕にその顔を見せてよ。
どうしようもない絶望の中に沈んでしもたその瞳を……僕はそれが欲しいんだ」
「可哀想な人」
リリィはぽつりと呟いた。
「貴方はそれを欲しがって、手に入れてどうしたいの?
どうしてそこまでして他の人からもらおうとするの? 」
リリィはシキに近付いていくと、シキの目の前でしゃがむ。
「……私馬鹿だから貴方が何を考えてるのか今も分からない。
でもどんなに貴方が欲してもね、きっと貴方の本当に欲しいものは手に入らないよ」
「……リリィ。
君は何を根拠に僕にそないなこと言うのか分からへんけど、僕をそんな顔で見つめんとくれよ。
哀れむような瞳で僕を見るな」
「シキ・ヴァイスハイト。
強欲の悪魔に何を願ったんだ?
他者と融合することによって知識を盗んで、その知識を本人よりも上手く能力を使いこなすことができる力なんてどうしても疑問が生まれる。
悪魔に堕ちる前からアンタは万物の知識の神と言われた男だったんだろう? 」
東雲の問いにシキはフッ笑った。
「君らはさ、足りないって思うたことない?」
シキは一瞬遠い目をする。
「貪欲に知識を欲しても、老い程厄介なものはなかったよ。
膨大な知識欲に対して短すぎる、足りない命が。
感覚や感情も理解することにも時間が足りひん。満たされへん。
……自らの欲を満たしても枯れていく。
せやな、きっと僕はそうやったからこそ
はぁ、ほんまに君ら三人とも気に入れへんわ。
正直言うと君らに初めて会うた時から嫌な予感がしたんだ……なんやろう、身に纏うとる肉が触れられただけで崩れてしまいそうな脆くなっていく感覚? 言うとる僕も意味が分かれへんことを言うとるのは理解しとるよ。
正直排除したかったのかもしれへん。
こんな感覚をはじめて僕にもたらす君らを……」
シキの体は段々と凍てつく範囲が進む速度が速くなっていく。
すでに下半身は凍っており、身動きが出来そうになさそうだった。
「……もうええわ、僕の負けで。
寒くて寒くてどないしょうもないわ。
やけど僕が目を瞑っとるんは数分だけや。
もし今度目を開けたらもうどんな言葉も受け入れないし、躊躇も糞もなくすから
よろしゅうー」
少しすると氷柱から手を離し、リリィに笑いかける笑顔は正真正銘ユキノ本人であり、リリィはユキノに抱きついた。
東雲もリリィと同様にユキノを抱きしめた。
「ユキちゃん、ユキちゃん……!!
うっ、ぐすっ……」
「リリィは泣き虫だなぁ。真緒も……ははっ、昔からその泣き顔変わらないね」
「え? 真緒ちゃん泣いてるの?
見たい見たい……!!」
「見るな。振り向こうとするなリリィ」
東雲は即答すると、リリィは口を尖らせた。
「え~……」
ユキノはリリィと東雲を強く抱き返す。
「あのとき……リリィと真緒を迎えに行くって言ったのに、ごめん約束したのに……
リリィと真緒を皆や僕の様にならないで欲しくて、守りたくて……それが僕のエゴだとしても、それでも二人には幸せに生きていて欲しくて。
でもリリィが連れてかれたって聞いて……真緒もあの時あの場所に居て……間に合わなかったらどうしようって。
僕一人じゃどうしようもなくて……それでも二人がまた僕の目の前に居るし、こうやって触れられる。
それだけで僕は十分だ。
ありがとう生きててくれて……ありがとう」
瞳が涙で潤みながら、リリィは首を横に振るう。
「ううん、ユキちゃんのせいじゃない。
約束破ったのは私なんだよ。
ユキちゃんのこと信じてたのに、私が勝手に先走って……ぐすっ、真緒ちゃんも危険な目にあわして、ユキちゃんも危険に晒して……マザーも他の子達も……救えなかったの……」
「マザーと他の子達を救えなかったのは俺だよ。
その場に居たのに無力で弱くて……リリィのせいでもユキ兄のせいでもない。
誰のせいでもないんだよ……」
東雲の鼻を啜る音がし、リリィはそれを聞いて更に瞳を潤ませ、遂には盛大に泣き出した。
ユキノはもう一度ぎゅっと二人を抱きしめた。
「真緒は本当に頼もしくなったね。
さっきもリリィのこと元気づけようとして僕の名前だして……あ、これは言わない方が良いかな?」
「う、ぐすっ……ユキちゃん何か言ったぁ? 」
リリィは涙で腫れた瞼を擦ると、ユキノの方を見た。
「ううん。なんでもないよ。男同士の秘密だからリリィには言えないかな」
「え、え?
ずるくない? 何、真緒ちゃん!」
「だからこっち向くな。
くそっ……恥ずかし」
東雲は顔を真っ赤にしながら、そっぽを向いた。
ユキノはそんな顔をする東雲を愛おしそうに見ると、リリィと東雲の頭に手の平を乗せ、優しく撫でた。
「大丈夫だよ。
二人はこれからも大丈夫。
……もう、僕はこれだけで十分だよ」
ユキノはすでに全身が凍りついており、二人の頭から離れた手も指先からどんどん凍っていく。
「真緒。
このまますべて凍りついたら、僕を砕き壊してくれ。
そうしたらシキ・ヴァイスハイトも消える。
こんなこと頼んでごめん。
だけど……真緒、お前になら任せられる」
リリィは顔を歪めると、また大粒の涙をこぼす。
そしてもう一度ユキノをギュッと強く抱きしめると、ユキノから離れ、後ろを向いた。
東雲は唇を噛むと、ゆっくりと頷いた。
そしてサバイバルナイフを取り出した。
東雲はユキノに向かって勢いよくサバイバルナイフを突き立てると、刺さった箇所から段々とヒビが広がっていく。
そして跡形もなくなり、綺麗な氷の破片だけが残った。
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