第26話【愁雨】
エリーゼ・クロフォードという古来最強の純血の吸血鬼について。
過去に起こった出来事。夕凪と世釋、そしてアルカラ。
ノアの箱舟が何故リビングデッドを殲滅しなくてはいけなくなったのか
ラヴィは一つ一つゆっくりと郁達に伝えた。
時折ラヴィの言葉が詰ると、その度に引き継ぐ様に雨宮が言葉を続けた。
誰かが誰かを責めるようなことはしなかった。
只、郁はその場に居た者達の気持ちが曖昧で不透明なモノからはっきりとした一つの意志になったと感じられた。
その日はラヴィの部屋を後にし、皆、それぞれの自室に戻った。
郁も一度はベッドに身体を沈めたが、眠ることは叶わなかった。
(七瀬の様子に少しでも気づいていれば、自分自身が夕凪の側から離れなければ……)
郁はぐっと身体を強張らす。
「夕凪ちゃん。
絶対に救いに行くからもう少し耐えていてくれ……」
郁は夕凪の無事を今は祈ることしか出来なかった。
次の日、郁は自室にただ居るのに耐えられず、前に七瀬と手合わせしたホールに向かった。
途中リリィと会い、二人でホールへと続く廊下を歩いた。
ホールへ向かう道中リリィは一言も発しなかった。
リリィの方が郁よりも夕凪とずっと長く過ごした仲でもあり、またリリィ本人は平気と言っているが、シキ・ヴァイスハイトに会ったときの心の傷も完全には癒えてはいないだろう。
あのときからリリィの顔色は時折悪い。
郁もどう声をかければ良いか言葉を探していたら、ホールに着いてしまった。
ホール内を覗くと、藍とユヅルが居た。
ユヅルは郁達に気づき、手を軽く挙げた。
藍も頭を少し下げると「おはようございます」と丁寧に郁達に言った。
郁がユヅル達に近付いていくと、藍は真っ白になったカードを眺め、眉を下げていた。
「そのカード朱が作ったものだったか?」
藍は顔を上げると、ユヅルの問いにこくりと頷いた。
「……他のカードも同じように真っ白になっていました。
でもこの二枚だけは消えないでいてくれたようです」
藍は二枚のカードを取り出すと、ユヅル達に見せた。
「The Watery《水》 と WHEEL of FORTUNE……運命の輪か。
こっちだけタロットカードなんだな」
ユヅルはそう言うと、藍はこくりと頷いた。
「どうしてThe Wateryとこのタロットカードだけこのままなのか……もしかしたら何か意味があるのではと思いまして。
私よりそういった魔術関連に詳しい
「The Wateryが残ったのはそれだけが主ちゃんの唯一の最大の魔力の核だからよ」
藍の後ろから魔法陣が現れるとそこから綺麗に爪がグラデーションされた青白い細い手が出てくる。
郁は驚いて悲鳴を出しそうになった。
「登場の仕方が怖い……」
郁は高鳴る鼓動がする胸に手を当てていると、アルファは頬に手を当て、申し訳なさそうに笑った。
「あら、ごめんなさいね?
貴方、不思議な身体してるわね。
ラヴィっていう男よりは人間側に近いけれど」
ラヴィは郁と同じ混血の吸血鬼だった。
古来最強の純血の吸血鬼 エリーゼの血を分けられた唯一の人間。
そう説明されたとき郁はさほど驚かなかった。
確信する程の十分な根拠は郁自身にはなかったけれど、近い存在なのではないかと薄々は感じていた。
「アルファさんと契約を結んだからですか?」
藍の問いにアルファは人差し指を口元に置くと、視線を斜め上に向けた。
「アタシも疑問だったのよね。
元々魔力がなかったってマリアの
主ちゃん、幼い頃から
「……はい?」
藍は首を傾げると、アルファは小さく咳払いをした。
「……言い方がちょっとストレート過ぎたわね。
前は朱が貴女を守るようにしていたから主である貴女の魔力はあまり表には出なかったけど、貴女は水が関連する力を操る魔力が強いからThe Watery が残ったってことね。
だからね、貴女は元からアタシと相性ピッタリってこと。
アタシはそれだけが特に嬉しいの!
こんな可愛い貴女と出会えたんだもの。
心から貴女と契約してよかったわん」
アルファは藍を愛おしそうに自身の胸に包み込むように抱擁した。
藍は頬を赤くすると、小さな声で呟いた。
「私も……アルファさんでよかったです。
何か安心します」
「……あー、可愛い」
アルファは藍を抱きしめている腕を少し強く力を入れ、今まで発していたワントーン高めの声が一瞬低い声になりかけるが、すぐにまた声を高くした。
「アタシの主様本当に可愛いわ。
だからちょっと嫉妬しそうだわ……」
アルファは藍から離れると、ユヅルの方を見た。
「……」
「なあに?
そんな眉間に皺寄せないでよ。
心配しないで、見た目は男の様に見えるけれどアタシ、れっきとした乙女よ?
それにしても、貴方大変ね? 厄介そうな悪魔にどちらも魅入られて」
アルファはそう言うと、目を細め、微笑んだ。
「……言っている意味が分からないな。
郁くん悪いけど僕は少し寝てくるよ。
マリアがおかしな魔力を食べたのか中々消化しきれなくてね。
僕の方まで影響が出てるみたいだ……はぁ、本当見境ないというか」
眉間に皺が寄っていたのは具合が悪かったせいだったのかそれは郁には分からないが、ユヅルはトボトボと自室がある方に歩いていってしまった。
アルファは肩を竦めると、また藍の方に向き直った。
「タロットカードの方は何で残ったのかはアタシもわからないわ」
「そうですか……」
ぎゅっと服の裾を握られた気がして、郁はリリィの方を見た。
リリィはずっと郁の横で俯いていた。
「リリィ……」
藍はリリィの方に視線を向けると、にこりと微笑んだ。
「大丈夫です。
夕凪さんを絶対助けられます。
だってノアの箱舟の皆さんはお強いですから」
リリィは驚いたように藍の顔を見ると、ふふっと笑った。
「そうだね!
年下の藍ちゃんに励まされちゃうなんて……ありがとう藍ちゃん。
私もちゃんとしっかりしないと! 絶対に夕凪ちゃんを救うぞー!」
リリィは元気よく拳を握り、腕を上げる。
「「おー!」」
リリィにつられて郁と藍も腕を上げると、お互い顔を見合わせ笑った。
◇◇◇◇◇◇
シキは長い廊下を鼻歌交じりに歩いていた。
すると廊下の先にエンマの姿を見つけた。
エンマは壁にもたれ掛かり、片手を頭に添えて眉を寄せていた。
「どうしたん?
苦しそうな顔しぃ……大丈夫?」
シキはエンマの顔を覗き込むようにじっと見つめた。
「……平気だ。少し頭が痛いだけだ」
「あら、そう。
……てっきり何か思い出して苦しそうにしてると思うたわ」
「……何か言ったか?」
シキは意地の悪そうな微笑みを口元に浮かべた。
「いやぁ、なんでもない。
それにしても楽しみやね、もう世釋様の計画も大詰め。
あとは邪魔がはいらんように僕らがもう少しキバったら、皆さんハッピーエンド~ってな。
ニアくんと藍ちゃんが抜けちゃったのは残念やったけど、あの鬼さんがこっち側に就いてくれたから万々歳やね!
はよノアの箱舟の人らけぇへんかな……いや、一番はけぇへん方がいいんやけど。
僕もうほんまの力使いとうてうずうずしてな。
どんな顔するのか想像するだけで……堪らんわ~」
「気持ち悪い笑い方しないで頂戴。
見るだけで気分が悪くなるわ」
そうシキの前方から声がすると、イヴは怪訝そうな顔をし、こちらに向かってきていた。
イヴはシキの前で足を止め、高いヒールを履いていても少し高い視線に居るシキを見上げ、鋭い目つきで睨んだ。
「ははっ、こっちのセリフやわ。
あれ? また君、皺増えたんちゃう? 老化進んどるん?」
「シキ、貴方、本当にその口いつか縫ってあげるわ。
……はぁ、貴方達エリーゼ様どこにいるか知ってる?
世釋様が探してらっしゃるの……」
イヴは怒りで頬をぴくぴく動かすが、冷静を取り戻す為に一息ついた。
「エリーゼ様おらんの?
見かけてへんけど……エンマくん知っとる?」
「……多分外にいると思う」
エンマはそう言うと、建物の外に視線を向けた。
シキは窓から庭を覗くと、少し遠くの木の下で目を閉じているエリーゼがいた。
「……こう見ると只の幼い子に見えるけど、すごいお人なんやねー」
「あら、驚いた。
貴方ってあのくらいの見た目の子に見境なく発情すると思っていたから、普通の反応で拍子抜けしたわ」
イヴはふんと鼻で笑うと、シキは目を細め、イヴの方を見た。
「君やないんやから、いちいち発情せぇへんわ。
それに世釋様に消されるのは嫌やからね」
「……本当にムカつく男」
イヴは舌打ちをし、踵を返すと歩いていってしまった。
「あれぇ~ええの? エリーゼ様のところに行かなくてー……あらら、シカトされたわぁ」
シキはやれやれと肩を竦めた。
エンマは何かの視線を感じ、振り向くと先ほどまで木の下で横たわっていたエリーゼがエンマを見上げて立っていた。
◇◇◇◇◇◇
「ごほごほっ……!!」
病室一室から廊下に響く程の肺を痛めているような咳き込む音が聞こえる。
雨宮は激しく咳をすると、ラヴィは雨宮の背中を擦った。
「あー……やばいな。
もう限界近いかもしれないな」
雨宮は自身の手の平を見ると、ふっと笑った。
ラヴィは唇を噛むと、顔を陰鬱に沈み込ませる。
「雨宮、俺は間違っていたのかな……あの日何か違う選択をしていればこんな風にならなかったのかなって考えてしまう」
「どう選択しても今と近しい結果になっていたさ。
それにあの話をしても変わらずついていくって言ったあいつらを信じてやれよ」
「……うん」
雨宮は顔を天井に向けると、目を細めた。
「本当に今まで色々あったな……長く生きるのも意外によかったかもな。
だって普通の寿命まで生きてたら知ることができなかったことまで知ることも体験することも出来たんだぜ?
会えなかったであろう面白い奴らにも出会えてさ、得した感じだよなー」
「……うん」
ラヴィは尖った上唇を下唇にかぶせて、ゆっくりと頷いた。
雨宮はラヴィの方を見ると、困った様に笑った。
「……泣くなよ。
ちょっと遅めのお別れが来たと思ってさ、笑って送ってくれよ。
辛気臭い別れ方は嫌なんだよ。
なぁ、ラヴィ」
目の辺りをラヴィは自身の袖で拭うと、雨宮の方に顔を向けた。
「……ありがとう、兄さん」
「…今、兄さん呼びするの反則だろう。
……じゃあな、ラヴィ。
今度こそ後悔するなよ」
雨宮は拳をラヴィの方に向けると、笑った。
「うん」
ラヴィは差し出された雨宮の拳に自身の拳を軽くこつんと当てた。
「失礼します……雨宮先輩あの……っ!」
部屋に入って来た青柳はその場で崩れ落ちるように倒れると、泣き出した。
後ろから着いてきていたチガネもその光景を見ると、唇を噛み、眉を下げるとそっぽを向いた。
只、そこには先程まで誰かいたかのように、布団の皺が残っているだけだった。
◇◇◇◇◇◇
夕凪が遠のく意識の中で静かに呼吸を繰り返していた。
先ほどまで頭の痛みと喉の渇きが異常じゃないほど体を蝕んでいたが、もうそれも感じないほどに衰弱しきっていた。
ギギっと銅線が緩んでいくと、夕凪は力なく床の方へ落ちていく。
世釋は夕凪を受けとめると、悲しそうに目を瞑った。
「ここまで辛かったね、夕凪。
でもよく頑張ったよ。偉い偉い」
「……い」
夕凪が何か呟いた声がし、世釋は夕凪の声に耳を傾けた。
「許さ……な、い……ぜっ……たぃ、息の音……と……てやる」
「……口が悪いな。
大丈夫だよ、夕凪もう苦しい思いしなくなるから」
世釋はぎゅっと夕凪を抱きしめる。
「世檡様~! エリーゼ様見つかりましたわ~」
イヴはそう言い、エリーゼの手を握りながら世釋の方へ歩みを進めていく。
「先に見つけたの僕らやのに、ほんまに嫌だわー。
なぁ、エンマくん?」
「……」
シキははぁっとイヴに対して溜息をついた。
「……来たみたいだねノアの箱舟。
本当にとことん邪魔したいみたい。
でももう遅いけどね」
エリーゼはイヴの手から離れると、世釋に抱き抱えられた夕凪の手を小さな手で包み込むように握った。
七瀬は目を瞑り、ゆっくりと深く息を吐いた。
扉が開く音がすると、七瀬は目を開ける。
「……やっぱり、貴方が来ると思った。八百」
「よお、七瀬。
疲れた顔してるじゃねえか。お前を更生しに来たぜ」
八百は左手の人差し指と中指を挙げ、ピースサインを作り、目元に添えると、ウインクした。
七瀬は「面白くなっ」と言いたげな表情をした後、ポツリと呟いた。
「……ラヴィは大丈夫?」
八百は呆れた様な顔でハッと笑うと、両腕を頭の上で組む。
「はぁ、ラヴィさんの心配が先かよ。
大丈夫だよ、あの人はお前がアルカラに寝返っても平気そうな顔してたよ。
お前のことなんてあの人はどうでも良いんだよ……って危なっ!!! 急に攻撃してくるなよ!!」
八百の嫌味ったらしい言い方が気に喰わなかった七瀬は八百に向かって槍を振りまわし、攻撃すると、八百はびっくりした様に避けた。
七瀬も避けられるのを予想はしていたのか、ふんと鼻を鳴らした。
「……別にいい。
今はどんなこと言われても、どう思われていてもいい。
もうそう思われなくなるから」
七瀬は八百に槍の矛先を向けると、ふっと笑った。
「俺の予想は当たったみたいだな。
七瀬お前、アルカラの方から何か吹き込まれただろう?
ラヴィさん関係している何かを」
「……口を動かす暇があるなら、大人しく降参して帰ってよ。
っ……痛っ!!」
七瀬は八百から距離を取ると、頬から流れる血を拭った。
「話聞かずに攻撃してきた仕返し。
降参するわけないだろうお前を更生しに来たって言ってるじゃん。
逆に降参するなら今だぜ? 七瀬」
八百はいたずらっぽく舌を出すと、煙管を取り出した。
八百の頭には赤黒い二本の鬼の角が生えており、頬には牡丹の花の模様が現れた。
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