第25話【思惑】

マリアにとって自身の欲が長い月日が経つにつれ、曖昧になってきていた。

どんな魔力や気を喰べても、何故か満たされない気がしてならなかった。

悪魔の自分自身を喚ぶような者も皆、欲にまみれた思考しかしていない。

しかし欲があるからこそ悪魔に魅入られて契りを交わすのだから、仕方がないのだ、と……


「姉さんを……こんな風にした奴を見つけて欲しい」


 姉の亡骸を抱えて先ほどまで泣き崩れていた青年がそう言った。

 何もかも諦めてすぐにでも魂を代償として捧げそうな顔をした青年の横で、今回も同じ様に満たされない時間を浪費してしまったな、と飽き飽きして余計に目の前の黒く焦げた物体を眺めていたマリアに対して青年のその言葉には少し驚いてしまった。


「僕の手で掴むことが出来なかった姉さんの幸せを壊したのだから、その代償は払ってくれるでしょう?」


 そういえばこの青年に喚ばれたとき今までにないくらい良質な魔力を持っているなとマリア思っていたが、よくよく観察してみてこの質が良い魔力の根本を理解した。

 すると目の前の青年がまたとないご馳走に思えてしまい、口角が緩んでしまいそうになった。

 青年はマリアの微かな感情の変化を感じ取ったのか、マリアの方に身を乗り出した。


「暴食の悪魔、僕に従え。

そしたらお前の望むもの僕が与えてやるよ」

「……くくくっ、ふはははははっ、逆に悪魔の儂が与えられる側になろうとは面白い小僧だのぅ。

それならお主のその膨大な魔力を儂に喰わせ続かせろ。

その魔力気に入った! 魂の方が極上だが……少しずつ喰うのも醍醐味だからな」


 マリアは少しだけこの青年なら自身のこの満たされない中身の気休めとなってくれるのではないかと期待を膨らましていたのであった。


 そしてユヅルとマリアは契りを交わした。



◇◇◇◇◇◇



 郁達の前に大きい魔法陣が現れると、先ほどまで倒れていたユヅルと藍が目をゆっくりと開け始めた。


「主様、お目覚めか?

夢見はどうじゃった?」

「……それより、起きて早々結構やばいことになってるね。此処」


 ユヅルは上半身を起こすと、周りを見渡した。

 先ほどよりも空間が歪み始めていて、出口も分からない状態になっていた。

 藍も起き上がると、袖からカードを取り出した。


「……」

 

 藍は眉を少し下げると、カードを袖の中に戻した。

 カードの絵は一枚だけ残し、あとのすべては何も描かれていない真っ白な状態になっていた。


「あら、そんな残念そうな顔しないで頂戴? 可愛い顔が台無しよ? 」


 藍の肩に手を置くと、嫉妬アルファの悪魔はにこりと微笑んだ。

 そしてマリアの姿に気づき、睫毛の長い目を少し大きく開いた。

 マリアはアルファに向けて、にかっと笑うと手を振った。


「それにしても久しぶりねぇ、マリア。その姿ちょっとだけ珍しいじゃない」

「これは主様の趣味だ」


 マリアはアルファに向ってそう言い、ドヤッとした顔をする。

 アルファはユヅルを一瞥し、マリアの方に視線を戻すと、困った様に頬に手を添え、眉を下げた。


「……そう、知的な顔してるのに、そういう趣味なのね。

さっき否定してたのにやっぱりそうなんじゃない。

むっつりさんなのね。

あ、貴女は気にしないで、むしろ知らなくていいことだから」


 アルファは藍の方に、にこりとほほ笑んだ。

 すかさずリリィが会話に参戦するかのように、ユヅルの方に顔を向けた。


「えぇ、ユヅルくんってもしかして……っ!!」

「そこの三匹煩い。

……とりあえず、此処からノアの箱舟内に戻ろう」


 ユヅルは呆れた様に深い溜息をつき、郁は苦笑いをした。

 

「でもどうするんですかユヅルさん」

「そうだね、どう脱出しようか」


 ユヅルは差し出された郁の手を取り、立ち上がる。

 

「安心してください郁さん。大罪の悪魔であるお三方がゲートを開けたように似た方法で戻れるかもしれません。

アルファさん早速ですが力を貸してくれませんか?」


 藍はアルファの方に視線を向ける。


「言っておくけど、そのノアの箱舟? っていうところの道案内はしてもらわないと困るわ。

アタシ場所分からないもの」


 アルファはそう言うと、体長6.7mほどの大きさの魚へ姿を変えた

 そして大きな口を開いた。

 幼い頃見た絵本にこんな風に魚の体内に入ってしまうお話があったが、あのとき出てきたのは大きな鯨だったなと郁はふと思い出していた。

 郁は魚の口の中に入ると、腰かけた。

 中は脈打つ音が間近で聞こえはするが、少し人肌のように温かい。

 最後に入って来たユヅルは郁達と対峙していた少年を抱きかかえていた。


「一応今は怠惰の悪魔のニアに操られてた只の子供だからね。

流石に置いてはいけないでしょう」


 少年は気持ちよさそうな顔をして、寝息をたてていた。


「夕凪ちゃんとラヴィさん無事かな」


 郁はぽつりとそう言うと、隣に座るリリィが笑顔で郁の手を握った。


「大丈夫だよ!!

だってラヴィさんも夕凪ちゃんも強いもん!

それにこの男の子に部屋に飛ばされる前に七瀬ねぇの匂いがしたんだ」

「七瀬さん?」


 郁はリリィの方に顔を向け、瞬きする。

 リリィは郁の返答にこくりと頷く。


「ノアの箱舟にいる七瀬ねぇがもしかしたらラヴィさんと夕凪ちゃんのこと助けに来てくれてたのかも!

だからもしかしたらもうノアの箱舟の方に戻ってるかもしれないよ~!

逆に夕凪ちゃんに遅い! とか言われちゃうかも」


 リリィはふふっと笑う。


「そうだね。

入って来たホールの近くだったし、七瀬さんも居てくれたなら戦わなくてもうまくノアの箱舟の方に戻ってるかもしれないね」


 郁はリリィに頷き返した。

 アルファが口が閉じていくにつれ、少しずつ見えなくなる部屋の景色を郁は眺めていた。


あるじちゃん、場所のイメージを頭の中で思い浮かべてね。

アタシがそこまでしてあげるから」

「はい、アルファさん。よろしくお願いします」


 藍はそう言うと、アルファの下にホールのようなものが出来る。

 微かに水音がした。

 次にアルファが口を開き、郁の目の前に広がった風景は所々破壊されているノアの箱舟の内部と、包帯を巻いた隊員達の姿だった。



◇◇◇◇◇◇



 ぽたっ、ぽたっと地面に水滴が落ちる音に夕凪は目を覚ました。

 周りは薄暗く、微かに見える地面が遠く感じる。


「あ、起きた? 世釋様の妹ちゃん」


 声のした方に視線をうつすと、ニヤニヤと笑うシキ・ヴァイスハイトがいた。


「お前、強欲の悪魔の……!!! 痛ぁっ……!?」


 ギギッと音がすると、夕凪の左腕に激痛が走った

 見ると、銅線が腕や足の至る所に巻かれており、そこからポタリポタリと血が滲み滴り落ちていた。


「あんまり動かない方がええで。

激痛やろ?

ちょっと可哀想やけど世釋様の命令やから我慢してな」

「……っ、私を捕まえて、世釋アイツは何をしたいわけ?」


 シキは肩を竦める仕草をする。


「僕からネタバレはできひんよ……

とりあえず君の血の余分なものを出し切って、捧げられる状態にするように僕は言われとるだけ~」

「捧げられる状態にする……?

どういうことよ!! っ……!」

「ほら、言わんこっちゃない。見てても痛々しいからやめてえな~。

さて…あとは世釋様と兄妹水入らずでお話したってや」


 シキはひらひらと手を夕凪に振ると、暗闇に消えていった。

 シキと入れ替わるように世釋が姿を現した。


「夕凪ごめんね。

もう少し我慢してて、済んだらちゃんと降ろしてあげるからね」

「どういうことなのか説明しなさい世釋!!」

「これはまだ僕の計画の段階準備に過ぎない。

夕凪、君は本当は僕と一緒に居なくちゃいけないんだよ。

それなのにあの日ラヴィ・アンダーグレイは君を僕のところから連れて行ってしまった。

ずっと色んな人達が邪魔ばかりしてくるし、本当に長い間手こずったよ。

でももう君は僕のところに帰って来てくれた」


 夕凪は世釋の発言に驚愕した様な表情をすると、眉間にくっきりと皺を寄せた。


「世釋、貴方何を言っているの……? 」

「でも思った以上に君は汚れた血に蝕まれていた。

これじゃあエリーゼを完全に復活させられない。

だから今はその汚れた血を君の中から洗い流す」


世釋の傍らにふわりと緩く巻かれた金色の髪をした少女が現れる。

それは先程アルカラに潜入した際に世釋と一緒に居た少女だった。


「その子……さっきもあの場に居た……! 世釋答えなさい……っ!

その子は誰……なのよ……」


 夕凪は血を流し過ぎているのか頭がクラクラし、意識が朦朧とし始めた。

 しかしここで気をまた失うわけにはいかないとぐっと持ち堪えようとする。


「エリーゼもうすぐだよ。やっと君を取り戻せる。

今度こそ僕たちだけしかいない世界にしよう。もう誰にも邪魔されず僕がエリーゼを愛し、エリーゼが僕だけを愛する世界に戻そう……」


 そう言うと、世釋はその少女を抱きしめた。

 少女は夕凪を見上げると、可愛らしくほほ笑んだ。



◇◇◇◇◇◇



「夕凪ちゃんが攫われた……?」


 ラヴィはこくりと頷く。

 郁はラヴィがいつも座る椅子に身に覚えのない青年が座っており、最初は驚いたが今の姿が本来のラヴィ・アンダーグレイの姿だと説明された。

 横に座るリリィは口を強くつむぐと、俯いていた。


「七瀬さんがアルカラ側に寝返ってたってことですか。

でもそれなら今までアルカラの面々と鉢合わせしていた訳がわかる気がします」


 ユヅルはかけている眼鏡を直す仕草をすると、嘆息した。


「……でも、なんで七瀬さんがあっち側に? 何か理由があるはずですよ!」


 郁がラヴィに向かってそう言うと、八百が口を開く。


「理由については本人に聞くしかない。

俺達がここでどう考えてても理由なんて浮かんでこないさ。

そうでしょう? ラヴィさん」


 八百は腕を組み、壁にもたれると、視線をラヴィに向けた。


「……夕凪を取り戻す。

世釋が何か考えがあって夕凪を捕えているのなら……それを俺達が阻止しないといけないからね」

「その前にラヴィ、こいつらに話しておいた方がいい。

特に若いメンツには」


 雨宮の声がすると、雨宮はチガネに車椅子を押されながら、現れた。

 郁は焦った様な表情をすると、雨宮の身を気遣った。


「雨宮さん……!

あまり動かない方が……」

「心配してくれてありがとうな郁くん。

でも残り少ない時間で俺が出来ることをしなくちゃいけないと思ってるんだよ」

「……」

「ラヴィ、話すべきだこいつらに。

どうして消滅したはずのエリーゼが現れたのか。

アルカラの目的が本当に何なのか」


 部屋にいる郁、リリィ、ユヅル、藍、東雲、八百、チガネ、雨宮が一斉にラヴィの方を向く。

 ラヴィは嘆息すると、口を開き始めた。


「そうだね、すべてのはじまりを。話そう」

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