第5話 話よりお菓子に釣られる双子たち!
それからというものの、俺は東雲姉妹に英語を教えることになった。
目先の小テストで赤点回避を達成し、今度の定期テストでいい点数を取るため、日々勉強に励んでいる。
「うわー、だるいめんどいまじやめたい……」
「きょうはかなーり投げやりみたいだな」
だいたいの場合、李里花はこのように文句をいう。悪いことではない。口ではそういったとしても、なんだかんだ真面目にやってくれる。
李里花はとりあえずいいたいだけなのだ。本当にやる気がなかったら、音信不通になり、我が家にくることさえなくなるだろう。
そうはいっても、きょうはだいぶやる気がなさそうだ。いささか不安である。
「もっとも苦手な単元にぶち当たったから当然。これまでは惰性で乗り切ったけど、ここはスタートから大コケした単元だから……」
「いきなりすべて理解するなんて至難の業だ。一歩一歩、ゆっくりやっていこう。千里の道も、というじゃないか」
「一歩から、ね」
勉強というのは、一日やっただけで急成長するようなやさしいものではない。日々の地道な積み重ねによって、じっくり時間をかけてやっていく。
結果なんてものは、いつ出るかわからない。たとえしばらくやったとしても、思うように先が見えないなんてざらだ。それゆえに挫折することも多々ある。
ともかく、いま俺が考えるべきは。
結果が出にくく苦しい時期を、東雲姉妹にいかに乗り越えてもらうか、ということに尽きる。
「うむぬむむぬ……」
妹の愛弓の方はというと、つらいとか苦しいとか、直接口にはしなかった。代わりに、独特の唸り声をコンスタントにあげている。
いうまでもなく、苦しんでいる。愛弓は寡黙なタイプに見受けられる。とはいっても、シグナルを示すときは、たいていわかりやすいものである。
「愛弓も苦しいんだな」
「私、そんなこといってない」
「顔に書いてある。それ以前に唸り声でバレバレってもんだよ」
「私って割とわかりやすい?」
「うん。意外とそうかもしれない」
「ミステリアスって思われてると信じてたのに……」
「どんまい」
自身の評価と他者からの評価は、常に一致するとは限らないらしい。
ミステリアスっぽさがあることには違いないが、自称ミステリアスという枠におさまるくらいだろう。本物のミステリアスな方に失礼というものだ。
「それで、愛弓もこの単元がダメなのか?」
教材をめくって、該当箇所を指し示す。
「この単元もダメ。全然わからない。頭に入ってこない」
そこから、どこに苦手の種が眠っているのかを探し出す作業に移った。その単元が苦手というのが、木でたとえるとあくまで葉っぱの部分に過ぎない場合もあろう。
質問を重ねて、根本となる苦手を浮き彫りにしていった。
「……どう?」
「中学英語に穴があるみたいだ」
「ゼロから? アルファベットからやり直し? もう無理かも」
「そう絶望しないでくれ」
俺はそこまでいっちゃいないのだ。思わないところで誤解を生んでしまった。
「大丈夫なの、私」
「希望しかないよ。中学英語の中でも、一部の単元だけだ。ここを乗り切れば、高校英語もとっつきやすくなるからさ」
「そっか」
「遠回りに見えても、小手先でやるより効果は高いんだ」
「ちょっと気持ち、楽になった」
「それはよかった」
愛弓の表情が晴れてきた。いったんは、不安の一部を吹き飛ばせたと考えていいはずだ。
「うへぇ……ここを頑張りさえすれば大丈夫ってわかっても、やっぱりやる気が出ないよ。勉強嫌だなぁ。やる気出るまで待とうかな」
李里花が弱音を吐いた。はぁ、とため息。あまりやる気がなさそうだ。
気持ちはわからないでもない。やらなくちゃいけない、といっても、体が動くわけではない。論理と感情は別ものなのだ。
楽な方に流れたくなるものだよな。自分の身をつまされるようで、強くいえない。
「やりたくないよな、勉強。気持ちはよくわかる」
「じゃあやめていい?」
「いいぞ。まぁ、そのときはさよならバイバイだけど」
「やっぱりそうだよね」
冗談をいいたくなるくらい苦痛らしい。それでも俺の指導を受けてくれるなんて、偉いことだよ。
「こういうときはな、無理やりやるんだ」
「やっぱり逃げちゃダメなの?」
「逃げ回った先にも結局敵がいるからな。さっさと終わらせるか、モヤモヤしながら後回しにするか。どっちがいいか、ということになる」
「どっちも嫌だけど、早めに終わらせる方がマシかな」
李里花の言葉を聞いて、妹の愛弓もブンブンと首を縦に振った。その通り、という意思の表れだろう。
「じゃあ、こういう状況をイメージしてくれ。きょうの勉強は一分間だけでいい。その一分間以外、勉強はできない。そう俺にいわれたらどうする?」
「秒速で受け入れる!」
「同意」
食い入るように双子姉妹はこたえた。
「だよな。で、次に質問だ。一分間でなにができる? 科目は英語とする」
「なにが。私、なにができるか……うみゅむにゅ……」
「単語とか、文法とか? やるにしても、あんまり進まないかも」
よし。期待された通りの答えだ。
「そうだ。一分間でやれることは限られる。スキマ時間の勉強も大事だが、一日一分の勉強で、赤点を突破できると思うか?」
ふたりは「ノー」とボディランゲージで表す。
「一分では足りない。でも、一分なら続けられる。じゃあ、二分はいけるか? 三分はいけるか? 一分を積み重ねると、あっという間に一時間や二時間になる。そうやって、時間があろうとなかろうと、勉強に手を出せるってわけだ」
こんなのは詭弁に過ぎない。しかし、ふたりが勉強をしてくれるなら、詭弁でもなんでも、使えるものは使う。
「私たち、なんだかいい
「うん。一時間は一時間」
「さすがに気づいたか。でも、一分間勉強法ってのはメジャーなんだ。やってみる価値はあると思う」
「一分間なら勉強、してもいいよ?」
「私も」
よし。乗ってきたな。
「了解した。この課題を終えたら、お菓子タイムにしよう!」
「やったぁ! お菓子だ!」
「お菓子ならやる。お菓子は命、命はお菓子」
なんだろう、せっかく勉強法の話をしたのに、お菓子の方が訴求力が高かったとは。
ちょっぴり悲しいが、結果オーライというものである。
「早く終わらせないと、夕食の時間との兼ね合いがだるいぞ。頑張れ!」
「うん!」
「うみゅ!」
かくして、東雲姉妹は勉強に精を出したのだった。お菓子という餌に釣られて。
……って、おい! 期待していたのと違うだろ!
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