第2話 春

 季節は春になっていた。夜になっても、もう以前ほど寒くない。

 季節によって、星空はその様相を変える。

 この時間帯、あの三つ星はもう見えなくなったけど、北の空には、いつでも見える星々もある。たとえば、北の空に見える七つの星。あの集まりに線を引いたら、ひしゃくのような、かぎのようなかたちになる。

「北斗七星」

 サヤカは言った。

 あの星々はそんな名前なのか。

 その先に輝く星は地軸の延長線上に位置していて、一晩中ほとんど動かない。

「あれは北極星。北の目印になる星」

「なんでも知ってるのね……」

 ミホは感に堪えない呟きをもらした。

「物語」が禁じられてから、この国の空はさらにきれいになったと言われる。

「物語」に駆り立てられ、余計な消費にいそしむことがなくなり、みんなが身の丈に合った生活をするようになったからだ。


 この日もふたりは、夜半まで夜空を見続けた。

 ふと疑問に思った。

「サヤカ、どこでその名前を知ったの?」

「……これに書いてある」

「なに?」

 サヤカはノートを取りだし、開いた。丁寧に文字が手書ききされている。

 ミホはそのとき不穏な雰囲気を感じなとった。

 電子メディアはどうしても「検閲」が入ってしまう可能性がある。禁制のものを書き記すには、古風な紙と鉛筆がいちばん確実なのだ。

 つまり手描きの文章は「物語」である可能性が高いのだ。

 ノートは四冊あり、表紙にはこんなことが書いてある。

「冬の星座 オリオン座、おおいぬ座、こいぬ座」

「春の星座 ふたご座 しし座 おとめ座」

「夏の星座 さそり座、はくちょう座、こと座」

「秋の星座 みなみのうお座」

 ページをめくると、人物や動物、物品などのイラストが、星々をつないだ線に重なるように描かれている。

 それは、あの「星座早見盤」に描かれていたのと同じもののようだ。

 そして星座ごとの「伝説」や「神話」が書き連ねてある。

 かつてひとびとは星々に、いろいろな「物語」を託していたという。

 星空の並びを理解するのに、世界の成り立ちの説明である「神話」が動員される。

「神話」「伝説」というものが敵視される「反物語」の大波の中で、それらはことごとく否定されていき、忘れ去られていった。

 いつしかミホは読みふけっていた。


 しかし、ミホの疑問は消えなかった。

「物語」について、である。

 なぜ忌諱されるようになったのだろうか。

 親も学校も、それは「いけない」ことだとは教えられるが、どうしてかは語られないのだった。

 あのマドカ先生に訊いてみようと思った。

 彼女は「物語」の時代をよく知っているに違いない。

 月が変わった日、学校に行った

「先生」

「なあに」

「『星座』って、知ってますか?」

 その言葉を聞いて、彼女の顔色が変わった。

「どこでその言葉を聞いたの」

「それは……」

「教えてちょうだい」

「……昔の本です」

「分かったわ。でも約束して。ここで話したことはだれにも言わないで。無責任に拡散されると、それ自体が『物語』を生んでしまうことだから……」

「はい」


「『星座』とは、ひとびとが星空に『物語』を見いだしていた証。

 星を見上げ、その星々を線で繋いで、いろんなものに見立てていた。やがて『神話』や『伝説』の由来を空に見いだすようになった……あなたは、教えてもらっていないでしょう」

「どうして?」

「世界から『物語』が追放されていった歴史を」

 そういって、マドカ先生は語り始めた。

「ヒトがどうやって『世界』を把握しているか。外界から集めた雑多な情報は脳内で再構成され『理解』できるかたちに落とし込められる。その過程で脳は恣意的に因果関係をこじつけて『物語』を生み出してしまい、それによって世界が理解される。ヒトの文明が未発達で世界に対する把握が未熟だった時代では、仕方がない部分があった。しかしその把握方法の弊害があきらかになった以上、そこにはとどまれない。わたしたちは『物語』を捨てざるを得なかった。

『神話』や『伝説』は『世界の成り立ち』を根拠もなく説き、人間を思考停止に追い込む。何の根拠もない『公正世界仮説』を真実だと宣い、弱者、被抑圧者にそれを教え込むことによって現実社会の不平等を固定化させる役割を担っていた。


 わたしはあの頃のことを覚えてる。世の中には『物語』が溢れていた。『物語』と戯れるのは、楽しかった。『物語』として理解してしまえば、複雑で深刻な問題を面白おかしく扱って、逆説のようなことを言うことができる。それで手軽に優越感も得られたのよ。

 でも、それは間違っていたのね。わたしたちが面白おかしく『物語』と戯れて、『物語』を共有しないひとびとを排斥していたことで、社会はめちゃくちゃになっていったのよ……」


 それから、マドカ先生は「物語」が世の中から消えたいきさつを語った。

 世の中のみんながてんでに勝手な「物語」を信じ、その結果世の中は麻のように乱れた。

 文芸、映像、メディア芸術によるフィクション、さらに宗教、政治思想(イデオロギー)などの「物語」は、それまでひとびとに愛好され、そのエネルギーはときに社会を駆動することもあった。しかし21世紀、ネットで緊密にひとびとが繋がるにつれて、その弊害が露わになっていった。

「物語」によって、ひとびとは分断された。社会は相容れない「物語」を信じる小集団に分割され、互いに憎しみ合った。異なった「物語」に依拠するものたちへの不寛容が蔓延し、いったんは確立した「民主主義」が破壊されていった。

 みなは憑かれたように「物語」を求め続け、ほんらい客観的であるべき報道にも「物語」が入り込んだ。個人の「物語」をばらまこうとするメディアによって、人権侵害がまかり通った。意思のある業ではない自然災害や感染症の流行にも「物語」を求め、為政者は見当外れな責任を追及されたり、あるいは事態を悪化させた張本人が耳目を惹く「物語」のなかで持ち上げられたりもした。自分たちの好む「物語」を優先して、だれも「事実」を重んじなくなったのだ。


 いつしか報道とフェイクニュースは区別がつかなくなった。混乱と憎悪の果てに社会が破壊されようとしていた。

「危機に瀕した社会の自浄作用だったのかしら。そのとき、ひとびとのあいだから「反『物語』運動」が澎湃として興ったの」

「その運動にはリーダーがいたのですか? それとも、自然発生だったのですか?」

「今ではもう、分からない。だれも客観的なことを言わない時代だったから。ただ言えることは――その運動の波が通り過ぎたあと、この国では、『物語』のいっさいが忌諱され、社会から追放されるようになったこと。

 それからのいきさつを語るものは、この国にはだれもいない。わたしも語れない。それは『物語』になってしまうから……」


 ミホは神妙に聞いていた。そして口を開いた。

「そういえば、わたしは両親が出会ったいきさつも、聞いたことはありません」

「あなたのご両親の年齢からすれば、ふたりが出会った頃は、まだ「物語」が社会に蔓延していたはず。ひとびとは『物語』に操られて生活し仕事に就き、結婚して子を作り、育てて、そして死んでいったという。あるいはそんな「物語」に充ちた過去を恥じているのかもしれないわね」

「両親には『物語』を感じたことはない。でも、お互い親切にしあっているわ。わたしも、親に親切にされていると思う」

「そう、他者にはただ、親切にすればいいの。他者を『物語』として理解しようとすると、他者を自分の想像力が及ぶ範囲に切り詰めることになる。それは対等な個である他者に対する侮辱。同時に排他的独占欲としての『愛』を生むことになる。お互いのことを知らなくても、親切にすることは出来る。社会から『物語』がなくなり、排他的な『愛』が否定されて『「親切』が世の中に充ちることになった。それが今。


 学校だって、そう。

 かつて学校には『物語』があふれていた。それらは子供たちを抑圧し、歪めていた。『物語』は生徒のあいだに偏った集団を作り、いじめや上下関係の要因になる。逃げられない空間で、それは増幅される。教師は生徒を抑圧し、教師自身も抑圧される。かつての学校は『地獄』だったと言われた所以。『物語』が追放されたことで、学校は『学ぶところ』というほんらいの姿を取り戻したのよ」


 そこで教師は話題を変える。

「あなたは知らないでしょうけど」

 カレンダーを見て、マドカ先生は不意に言った。

「昔、『エイプリルフール』って習慣があったのよ。四月一日には、嘘をついてひとを騙していいという。その日は個人から公的機関、マスコミ、企業に至るまでこぞって『嘘』をついたというわ」

「信じられない」

「嘘」は絶対悪である。それは社会生活を営む上、ひとがひとと付き合う上の常識である。

「『なまはげ』っていう昔の習俗があった。悪い子は鬼に襲われるといって、鬼の扮装をして家々を回った。嘘で子供を脅して従わせる。それは今では教育とは呼べない行為」

 子供を善導するためとはいえ、騙して恥じないなんて、途方もなく野蛮な時代だったんだろう。

「嘘をつくと地獄で閻魔様に舌を抜かれる」というけど、それじたいが「嘘」ではないか。 嘘をつくことを戒めるのに嘘をつく。結局、「正しい目的なら嘘をついていい」という認識は、政治家や「偉いひと」が嘘をつくのを容認することになり、社会が乱れる要因になる。

「物語」はひととひととを引き裂くのだ。


 そんな「毒」が積もり積もった結果、世の中はめちゃくちゃになってしまった。それを立て直そうとしているのが、今の時代だというのに。

 マドカ先生は問うた。

「ひょっとしてあなた……『物語』を?」

 ミホは口ごもる。

「サヤカさんは?」

「……知りません」

「そう」

 口先だけの返事をした。

「……これ以上は聞かないわ。わたしも、このことはだれにも言わないけど……あなたも、気をつけてちょうだい」

 そしてミホは辞去した。


 帰り道、ミホは身体の震えが止まらなかった。

 自分のしてきたことが「物語」と関係していたとは。

 わたしが「物語」に侵されていると知れたら、どうなるだろう。

 学校にはいられない。

 両親は嘆き悲しむだろう。

 まさか自分たちの娘が、それも、だれかに影響されたとはいえ、みずから「物語」を作り出していたなんて。

 ばれたら、親も施設か、ひょっとしたら隔離地域に送られるかもしれない。

 そこは「人間」の住むところではないといわれる。

 運が悪ければ、一生出られないという。

 なんということだ。

 わたしは「『物語』の常習者に成り果ててしまった。

 サヤカのせいなのか。それとも、自分が持っていた性向なのだろうか……。

 わたしは、はめられたのか、それとも……。


 しかし、ミホは、これ以降もサヤカが語る星空の「物語」に深入りするのをやめられなかったのだ。

 ノートに記された、そしてサヤカが語る「物語」を、ミホは貪ってやまなかった。

 もうサヤカの前では、「物語」を語ることを臆することはない。

 ミホは立派な物語中毒者だった。

 しかも「神話」「伝説」という、もっとも伝播性が高く最悪だとされるものに、どっぷりはまっていたのだ……。

 ミホはサヤカから借りたノートに記された「星座」の「物語」を読みふけり、星空に込められた「物語」を読み取るようになっていった。


 春の夜空を眺めながら、ミホはサヤカに話しかけた。

「わたしたち、あのふたご座のようだね」

 カストルとポルックス。夜空で至近距離に並ぶ輝星は、「ふたご」に見立てられ、「神話」の格好の題材になっていた。

 そしてミホはいった。

「今日はわたしの誕生日なのよ」

「じゃあ、おひつじ座だね」

「人間にも星座があるの?」

 サヤカは頷く。

 黄道十二宮。空に太陽が通る黄道にある十二の星座をそう名付けた。

 かつてひとびとは、自分の生まれた月日に太陽が十二宮のどこにあるかで、自分の運命を託していたという。

「いまでは十三の星座が黄道面にある。惑星の運行に伴って座標がずれ、へびつかい座が加わった。でも変わらず十二宮のままなのよ。『物語』はそう簡単には変わらない」

 それは人間の脳に「物語」が、いかに深く染みこんでいたか、ということだ……。


 不穏なニュースが繰り返し報じられる。都会では「物語」復権論者が摘発され、大量の「物語」が押収されたという。

 「物語」のアンダーグラウンドでの流通量は、このところ増えているという。当局の警戒はしだいに強まっていた。

 ネットの世界には「物語」がこの国に侵入するのを遮断するファイヤーウォールが築かれていた。人工知能がコンテンツの内容を精査し「物語」の可能性のあるものは、拒まれる。

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