Starry Sky
foxhanger
第1話 冬
はじまりは、ある冬の日だった。
学校の帰り。
家までの道を歩きながら、いつものように暗くなりかけた空を見上げていた。
冬の空は、今日も澄んでいた。
冬の夜空でいちばん賑やかなのは、あの明るい星が集まった空の一角だ。
明るい星が作る四角形の中に、三つの星が横に並んでいるのだ。
その左上には赤い星、右下には青い星がある。もっと下には、白く輝く明るい星がある。
ミホは冬の夜空を見上げるたび、思う。
あの星はどうして、三つ仲良くならんでいるんだろう?
明るく輝く赤い星と青い星は、ペアなんだろうか?
三つの星の下には、もやもやとしたものがある。あれは星とは別のものなのか?
この時期になると夜空に見える星々は、ミホを魅了していた。
ミホはその星々を、いつも飽きもせずに眺めていた。
「ミホさん」
不意に声をかけられた。
声のしたほうを見ると、そこにいたのは、同じ学校の制服を着ている、髪の長い少女。背丈はミホと同じくらいだ。
その顔に見覚えはあったが、彼女のことは知らなかった。
クラスメートの名前は覚えていない。それは、この時代、当たり前のことだった。他人のことを過剰に詮索したり、干渉すると「物語」が生まれかねないからだ。それは社会生活を送る上で、避けなければならないことだ。
「あなたは、たしか……」
「わからない? 同級生よ」
そういわれて、思い出した。
いまでは他人に必要以上の興味を持つことは「失礼」なこととされている。個人の経歴や境遇を詮索することは「物語」が生まれる元となってしまうからだ。
「わたしはサヤカ。あなた、ずっと星を見ていたよね?」
「そうよ」
さりげなく返事をしたが、心の中では、すこし警戒していた。
不審な目で見られていないだろうか。
「そうなの……」
「じゃあ、あの赤い星の名前を知ってる?」
彼女は指さした。その指し示す先には、あの三つ星の、すぐ上にある赤い星。
「星に、名前ってあるの?」
ミホは戸惑った。それは、はじめて聞くことだったからだ。
「あるわよ……」
サヤカは意味深なほほえみを浮かべる。
「じゃあね、また明日」
そして、分かれ道で別々の方角へ向かった。
しばらく歩くと、ミホの胸にある疑惑が沸き起こった。
(まさかそれは、「物語」なのでは……)
「物語」。
それはこの社会にとって最大の悪徳だった。
彼女が生まれるすこし前から、この国では「物語」が禁じられるようになっていた。
かつてこの世界は、「物語」に汚染され、あらゆる害悪をまき散らしていた。それが一掃されることによって、この国のひとびとは、しあわせになった。
ミホは、そう聞かされて育った。
サヤカに声を掛けられた、次の朝。
朝礼の時間、壇上の校長先生は深刻な表情で話し始めた。
「残念なお知らせがあります」
上級生の数人が「物語」に密かに触れていた廉で退学になったという。
ある生徒の家で、押し入れの奥から昔の物語映画やアニメのディスクが見つかった。ほんらいは速やかに然るべき筋に通報し、処分しなければならないものだが、こっそり隠していた。
そして、古い再生機器を持っていた生徒のところで上映会を行ったという。それが取締当局の知るところとなった。
「今後このようなことがないことを願っております。再発を防止するためには、みなさんひとりひとりの自覚がかかっております」
そう言って校長は話を終えた。
「ばかだなあ」
「一生を棒に振ったようなものじゃない」
口々に、語り合う声が聞こえる。
たしかに、ミホにとっても信じられなかったことだった。「物語」を密かに摂取するものが、この学校にもいたなんて。
1時間目は国語の授業だった。初老の女性の教師が教科の担当だった。
彼女がこの学校にやってきたのは、今学期からだ。たしか「マドカ」という名前だったと記憶している。それまでどこで何をしていたのかは語らないし、だれも訊くことはない。クラスメートだって、学校を出たら、どうしているかは知らないのだ。
国語のカリキュラムは、字の読み書きと「実用的な文章」、たとえばマニュアル、契約書、理系の論文などの読解が多くを占めている。あとは「物語」に対する免疫をつけること。
そのため、授業では廃棄された前時代の「物語」の一部を読ませ、教師はそれがいかに馬鹿馬鹿しいかを説くのだ。
今日は、宇宙の話だった。
「かつて宇宙の全体像は、人間が頭の中で作り出した勝手な『物語』によって説明されていました。例えば、この大地は四頭の象が支えていて、その象は亀の甲に乗っていて、その亀はとぐろを巻いた蛇の上に乗っている、といったものです。ばかばかしいでしょう。でも、ガリレオやケプラーによって宇宙は精密に観測され、理論が構築されました。観測によって今まで唱えられていた妄想との齟齬が明らかになり、その後、ニュートンによって天体の運行は計算可能であることが証明され、天文学から『物語』は追放されたのです」
教師はたんたんと述べる。
この時代において、教育の目的は科学的な思考法を身につけ、「物語」に陥らずとも世界を解釈出来るようにすることだ。
とくに力を入れているのは、理数系の教科だ。
三角関数やフーリエ解析など「実用的」な高等数学を初期から教えている。その結果、プログラミングは盛んになった。
他国のソフト開発を請け負う産業も盛んだ。しかし、「物語」性の高いゲームの開発には携わることが出来ないという。
音楽は変わらず愛好されているが、歌詞のついたものは禁じられている。音楽鑑賞とは音の要素をフーリエ変換することだ。「物語」に頼ることはない。
体育の時間は「物語」を生むスポーツはカリキュラムから外されて、めいめいが自分の体力に応じた体操やトレーニングを行っている。
窓の外の景色は、幼い頃とずっと変わらない。
時間が止まっているようだが、それはこの社会、ひいては自分たちが「安定」していることと同義だ。
ここではないどこか、いまの自分とは違う「自分」を思い浮かべること。それはすなわち「物語」なのだ。
子供たちは基本的な学力を身につけてから、おのおのの適性にあった進路をゆけばよい。勉強に適性があるなら上級学校に行ってさらに能力を伸ばすことを、そうでないひとはそれなりの生活を送ることを。
「自己実現」「立身出世」「ここではないどこか」……そんな「物語」に惑わされ、どれほどのひとびとが道を誤ったか。
結果として、社会は安定し、確実なものになった。
都会の浮ついた暮らしに惑わされず――そんなところには邪悪な「物語」が蔓延しているに違いない――生まれ育ったところに根を下ろして生活するようになった。
この学校は平和だった。
でも。
こっそり禁制の「物語」に触れようとするものは、跡を絶たなかった。あの上級生たちのように。
「物語」摂取者として検挙されたものは、取り調べを受けたあと、再教育施設に移送される。
症状が軽いとみなされれば、短期間の入院及びカウンセリングで社会復帰が可能だ。
しかし、重度の「物語中毒」。「物語」を摂取せずにはいられない、「物語」を紡ぎ出さずにいられないものはどうなるか。
より専門的な「治療」を受ける。それでも「治療」が困難とみなされたなら、隔離地域に送られることになるという。一生治癒することもなく、生涯をそこで過ごすものもいるらしい。
なんにせよ、おそろしいことだ――。
ぼんやりと物思いに耽っていたミホがふと我に返ったとき、サヤカがこちらを見ているのに気がついた。
授業が終わったら、彼女はミホの席にやってきて、囁いた。
「一緒に帰りましょう」
すこし戸惑ったが、頷いた。
ミホとサヤカは連れだって校門をくぐった。
外はもう暗くなっていた。
帰りの道で、ふと、問うてみた。
「あなたも、星を見るのが好きなの?」
思い切って、自分の秘かな楽しみを告白したのだ。そして夜空の一角を指さす。
「わたし、あの星が大好き」
指の先には、あの三つ並んだ星があった。
「オリオンの三つ星……」
サヤカはぽつりと言った。
「そんな名前だったの?……オリオンって、なに?」
ミホの疑問に、サヤカは曖昧に笑っただけだった。
サヤカと言葉を交わしてから、ミホはいままでよりもずっと「星」のことが気になっていた。
放課後、学校の情報センター室に行った。かつて「図書室」と呼ばれたところだ。「物語」が社会から排斥されるにあたって、物理書籍は、その多くが失われたという。
現在ライブラリからアクセス出来るのは電子書籍だ。端末から「科学年鑑」にアクセスして、「天文」の項目を開く。
星空の図表とともに、恒星のデータが記載されている。
「ベテルギウス。オリオン座アルファ星。太陽系から600光年離れているところにあるスペクトルM型の超巨星であり、直径は太陽の700~800倍に達する」
あの赤い星は、ベテルギウスというらしい。
しかし、ここにも書いてある「オリオン」とはなんだろう?
学校で、ミホはマドカ先生に問うた。
「この『オリオン座』って、どういう意味ですか?」
「星座よ」
「星座って、なんですか?」
「それはね……」
先生は顔を曇らせた
「あなたには教えられないの。ごめんね」
おそらく「物語」に関わることなんだろうか。
どうして、サヤカはそのことを知っているのか。
今日も、帰るのは夕暮れどきだ。
陽が落ち、空が暗くなってくる。
暗闇に目が慣れてきて、だんだん夜空に輝くものが増えてくる。
赤く輝く星が美しい。
今晩、中天に見える衛星は、まん丸だ。ひときわ明るく輝いていて、こんな夜は暗い星はよく見えないけれども。
向こうから、数人が連れ立って、この国のものではない言葉で話しなから歩いてきた。
外国からやってきた観光客だろう。
みなは空を見上げて、口々に、無邪気な表情で何かを語り合っている。それは、星についての「物語」かもしれない。
ミホは苦虫をかみつぶしたような表情になって、そっと離れた。
恐らくかれらは、町の外れにある大きなホテルに泊まっているのだろう。
インバウンドはこの国の大きな収入源になっている。
しかし「物語」が蔓延している外国人が、この国のひとびととみだりに接触すると、「物語」が国内にあっという間に伝染してしまう。
厳重な隔離政策を採らねばならない。
外国人は専用の施設に泊まり、移動するバスや列車は専用の車両を使う。
国内各所に残る宗教関係の建物は「文化財」として残してある。外国人相手に拝観させるためだ。そんなものを見に来るのはこの国の住民にはいない。
そんなところで働いているのは、もっぱら外国人の労働者で、この国の国民は、基本的に「物語」に対する「免疫」をもっていると証明されたもののみが接触出来る。
外国人たちの一行はどんどん近づいてくる。
わいわいがやがやと、かしましい。きっと「物語」をしゃべっているのだろう。
ミホは安堵した。言葉が分からなくて、よかった。もし意味が分かっていたら「物語」に「汚染」されるところだった。
かれらは、この国にとっては過去の遺物である「物語」を求めているのだという。
「物語」の忌諱は世界的な現象だったが、それでも「物語」が合法な国、あるいは取締がゆるい国は結構あるのだ。
「物語」に汚染されていた時代の廃棄物が、時折古い家の物置や、ゴミ捨て場などで見つかって大騒ぎになる。上級生たちが見つけたものも、そんな過去の遺物だったのだろう。
そんな廃棄物は国内で処分される以外でも、他国に輸出され、この国の大きな収入源になっているという。
思うだに、ぞっとしない話だが。
休み時間、サヤカが耳打ちする。
「きょう、帰るまで、理科準備室の前で待っていてくれない?」
言われたとおりに放課後、準備室へ行くと、サヤカが扉に寄りかかって待っていた。
「待ってたわ。さあ、星空を見ましょう」
ふたりで、校舎の屋上に出た。
風はすこし強いが、空はよく澄み切っていた
屋上のコンクリートに寝転がって、星空を見上げる。
「こんなものがあった。理科準備室の奥で埃をかぶっていたものを取り出した」
「なに?」
「星座早見盤」
お皿を二枚重ねたようになっていて、外側のお皿には楕円形の窓がある。
内側の目盛りを外側に書かれた日付にあわせれば、その日付の夜空に見える星が、窓に現れる、という仕組みになっている。
それにしても、星の連なりに重ねられるように描かれている絵はなんだろう。
これが「星座」というものなのだろうか……。
「星座早見盤」には「星座」とともに星の名前が書いてある。
あのデータベースにあったのと同じものだろうか。
冬の夜空に見える三つの明るい星「ベテルギウス」と「リゲル」、それに「シリウス」。これらの星は、夜空では隣同士に輝いているようだが、宇宙空間ではお互いに遠く遠く離れているという。
三つ仲良く並んだ、あの星々もそうだ。
しかし、夜空の限られた領域に、それは近接して見える。
なぜこんなに近く、ここ、第三惑星の地上から見て、並んで見えるのか。
しかしそれを考えていくと「物語」になってしまう。「物語」とは「偶然」に過剰な意味を求めること。
それがもたらした害悪はたとえば「ギャンブル」。偶然性に金品を賭ける行為。どの馬が一着になるか、カードゲームでどのカードが配られるか、サイコロを振ってどの目が上を向くか。どれも偶然に過ぎないのに、多くのひとびとを経済的に破綻させてきたという。
偶然は偶然として処理され、過剰な意味づけをされない。それが公正世界仮説に陥らない、賢明な方法だ。
しかし、夜空の星を見ていると、いくつかの塊に分かれているように認識される。星々をつなげて線を引くのも、自然な発想のように思えてくる。それが「星座」というものなのか……。
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