9 貪
絵理子と別れてからひと月が経った。
本屋の店頭には夥しい数の<現象>に関する書籍が並んだ。
私は試しにそれらのいくつかを手に取って眺めてみた。だが、その誌面にはいずれも論旨がなかった。あるのは起こった<現象>についての記載、事実の羅列ばかりで、たまさかその原因について言及がある場合でも、それは、この<現象>という事態を宇宙人や神の介在に帰着させてしまう、私には何の意味もないものだった。しかし<現象>の不安に恐れおののく人々は藁にも縋がる思いでそれらの本を買い漁り、また、貪るようにそれらを読んだ。店の外からは、まるで雨後の筍のように何処からともなく発生した新興宗教と既存宗教の宣伝カーが、スピーカーのボリュームを目一杯に上げて、彼らの神による救済を人々に説いてまわっていた。
私はその喧噪から逃れるために、本屋の奥に引き篭もった。
その本は理工学関連書が並べられた棚の中にあった。何度読んでもはっきりとは理解できない難解な学術書に混じり、私の仕事とも関わりのある一数学者の伝記が並べられていたのだ。私は何の気なしにその伝記本を手に取り、パラパラと頁を捲ってみた。彼の業績のうち、おそらく応用面では最大の評価を受けている一連の数式が私の目に入った。
そして――
それら簡潔な式を見るうち、私は<現象>の裏に潜む、あるひとつの法則性を発見してしまったのである。
どうして、いままで気がつかなかったのだろう?
私は自分自身に罵りの言葉を浴びせかけた。
自分とこんなに近いところに解答があったというのに……。
私は自分の心臓が早鐘のように鳴りはじめるのを感じた。汗がすうっと退いていく。
私は力一杯その本を握り締めると、代金を払うのももどかしく、慌てて本屋を飛び出した。
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