3 乱

 昼食を終えて会社に戻ると、若い女子社員が私に噂話をした。

「ね、先輩、聞いて」

 私の耳許に可愛らしい口を近づける。

「山際さんたちのグループ、こないだの休みに小旅行に行ったとき<乱行パーティー>したんですってよぉ」

 乱行というところで、ことさら声をひそめて彼女は続けた。

 山際のグループというのは、今年の新入社員十名程の集まりで、某大学の修士過程で四年も足踏みしてしまった山際という若者がそのリーダーであるところからついた名前だった。私のところのような中堅の計算機関連の企業では、理工系でも、数学科や物理学科から流れてくる学生が多い。大学に残っても研究者になれる見込みがないと悟ると、潔く就職を決めてしまうのだ。かくいう私も、実はそんな彼らの先輩格なのであったが……。

「<ショーコちゃんと金井くんのふたりは、その日ちょうど用があって、小旅行には参加できなかった>んですって。二人とも、口では『よかった』なんていってるけど、本心では残念がっているんじゃないのかな?」

 彼女はそれだけを私の耳許で囁くと、ふいに立ち去ろうとした。

「おい、何か用があって来たんじゃないのか?」

 呆気に取られて、私がその後ろ姿に呼び掛けた。すると彼女はペロリと赤い舌を出して、

「用って、その話だけよ、先輩」

 微笑すると、そのまま行ってしまった。

「何だったんだ、いまのは?」

 私は首を捻ると、形の良い彼女の尻が左右に元気よく振れるのを見つめながら、そう思った。

 ところがものの五分としないうちに、同じ女子社員が私のところに戻ってきたのである。

「今度は、何の用だい?」

 うんざりしたように私は尋ねた。だが、少しも悪びれることなく、彼女は、

「ね、先輩。今度のスポーツ大会、<ボーリングと野球>、どっちがいい?」

 私を見つめて、

「いま、その二つの支持者が喧々囂々の議論をしているのよ。いつまでも態度を保留していないでさぁ、早く、どっちかに決めてよ! 参加者リストには、先輩の名前、もう入れちゃったんですからね」

「ああ、その話ね……」

「はっきりしてよ!」

「おれは、どっちでもいいよ。どの道、おれは無理矢理参加させられた口なんだからな。それに、<おれひとりがとやかくいったって、全体の状況は変わらん>だろう」

「相変わらず、無責任ですこと。そんなことじゃ、せっかくの彼女、逃げちゃうわよ」

(余計なお世話だ!)と私が目でいう。

「……じゃ、いいわ。あたしの趣味で、先輩はボーリング希望者だってことにしておくから。ね、いいでしょ?」

「どうぞ、ご随意に」

 私は血色のいい彼女の顔をしげしげと眺めながら、そう答えた。

「しかし、きみは、いつ見てもそんなことばかりやってるんだな」

「うん、あたしって有能すぎて、お定まりの仕事だけじゃもの足りないんだ」

「じゃあ、きみの真後ろでお冠のあの人にも、そういってやれよ」

 私は彼女の上司の方に目を向けて、いった。

「あら、いっけない」

 くるりと後ろを振り返ると、彼女はそう呟き、そしてそのまま早足に上司のところに歩み去った。

 一時間後、彼女から私に<スポーツ大会の種目はボーリングに決まった>という内線が入った。

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