第11話


 殿下の真剣な声音にゴクリと唾を飲んだ。

 素直に一歩後ろに下がって、殿下の背中を見つめる。さらにその向こう側を見ようと、目を細めた。


 嫌な緊迫感だ。

 背後から、ヒタヒタと闇が押し迫るみたいな。

 それもこれも、殿下がやけに無口で、真剣な顔をしているからだ。見たこともないような顔をして、剣に手をかけている。


 これじゃあ、本当に王子だ。


 いやまあ、王子なんだけど。

 王子なんだけどね。


 おバカ王子というレッテルの上に、普通の王子という評価が覆いかぶさった。


 殿下がさらに剣を引き抜く。

 もういつでも斬り掛かる準備はできていると言いたげに、殿下は集中するように深く息を吐いた。


 ゴクリと、その緊張感に唾を飲んだそのとき。


 暗闇が動いた。


「あ〜、王子〜」


 気の抜けるような声と共に、暗がりから現れた男。ひょろりと背が高く、手足が長い。半開きの眠たげな茶色がかったオレンジの瞳が目を引く顔立ちだ。

 灰色の短い髪と、顔や服に、べったりと血──黒いものをこびりつかせて、ニコニコと笑っていた。

 殿下が飼っている猛獣──訂正、側近のうちの一人だ。


「……なんだ。ライオネル、おまえか」

「どうしたの王子〜」

「曲者の気配がした」

「あぁ、それならたぶん、俺が今倒した〜。これ?」


 これ、といいながら男──ライオネルは、手につかんでいた三人の男の腕をグッと引っ張り上げた。

 ご愁傷さま、と手を合わせたくなるような酷く腫れ上がった顔をして、男たちは失神していた。


 というか、殿下が感じた曲者の気配って、絶対失神している男たちじゃなくて、絶対目の前にいるこの猛獣のことだろう。

 今は隠していないその気配は、立派すぎるほど立派な獣だ。


「なんか王子のこと狙ってたから半殺しにしといた〜」

「おまえはいつもやりすぎだと言ってるだろう。大臣たちに怒られるのは私なんだぞ。わかっているのか?」

「え〜。王子が死ぬよりいいでしょ」


 ニコリと笑って、ライオネルは乱雑に失神してる男たちを地面に放り捨てる。

 そして、そのオレンジの瞳が、ふと、殿下の後ろにいる私を見た。ロックオンするように、ぱあっと笑顔を咲かせる。


「聖女様ぁ〜!」


 ひぃ、気づかれた。逃げられない!

 殿下を盾にしようとその背中に隠れるが、一瞬のうちに、パッと目の前に怪物のような顔が現れる。恍惚とした表情で、目を輝かせる。


 人と呼ぶにはあまりにも危うくて、獣と呼ぶにはあまりにも人すぎる、その男。

 ぎゅむっと、押し潰すような強さで抱きしめられた。ゴロゴロと喉を鳴らす猫のようだ。


「聖女様居なくなるなら俺も連れてってよ〜。冷たいなぁ、もう」

「……あんたは殿下の側近でしょうが」


 とりあえず気の済むようにさせよう。命は惜しい。


 ゴロゴロと喉を鳴らしながら顔をすりつけられる。さすがに顔中に唇を押し付けられそうになったからはっ倒した。

 殴られた頬を押さえて、グスンと涙ぐんでいるが私は騙されない。

 この男が牙を隠しもしない獣だと、私は知っている。


「それよりネル、どうしておまえがここにいる」


 失神している三人の男たちを観察していた殿下がそう問いかけた。


「大臣たちが〜、殿下を聖女様のところにやったって言うから、来ちゃった」


 来ちゃった、じゃない。来るな。


「でも聖女様の家わかんなくて〜、歩いてたらこんな時間。王子の匂い追ってたら変な奴ら居たから倒した、って感じ〜?」

「そうか。ご苦労だったな」


 いや違うでしょっ。何のほほんとしてるの。

 そもそも、連れて来るなら連れて来る、置いて来るなら置いて来る、どっちかにして?!

 こんな危うい獣、リードも付けずに散歩させないでくれるかなぁっ。


 どこから突っ込んだらいいのかも分からない。頭を抱えたくなった。


「聖女様ぁ、俺も聖女様のお家行く〜」


 猫……いや、猛獣がゴロゴロと擦り寄って来る。

 百歩譲って殿下はいいとして、あんたはやだよ。招きたくない。何を壊されるかわからないし。

 だってこの男。


 殿下の元暗殺者だからね。

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